NIWeekで受けた刺激は未来志向

(2014年8月 8日 14:13)

オースチンで開催されているNIWeek 2014では、やはり大きな刺激を受けた。NIWeekとは、ソフトウエアベースの測定器メーカーであるNational Instruments社が主催する3日間のイベントのこと。ここでは、測定器メーカーが単なる計測とセンサ、高精度アンプなどのアナログ技術を駆使する技術の総集大成を見せるのではなく、これからの将来に向けたITエレクトロニクスのトレンドを見せ、それに沿っていかに同社が成長していくかを示す場である。

 

宣伝臭さは少ない。自社がどのような製品を持ち、新製品を開発しているか、というような話は少なく、むしろ大きなメガトレンドを示している。まるで、IntelTIの開発者会議を超えたような新しい技術をわかりやすく、ビジュアルに見せ、ユーザー事例が豊富にある。

 

元々NIは、専用の測定器を作ってこなかったメーカーである。測定器は基本的に、検出や計測処理だけではなく、測定データを収集・デジタル処理・記録・表示する。この内、データの収集までを行うハードウエア部分をモジュール化し、残りのデジタル処理にパソコンを使ってデータを見せよう、という考えでオシロスコープをはじめとする計測器を作った。モジュールを差し込む筐体(シャーシ)を備え、モジュールのサイズやコネクタを標準化し、オシロスコープのモジュール、スペクトルアナライザのモジュール、任意波形発生器のモジュール、電源モジュールなどを揃えておけば、1台のパソコンが測定器に早変わりする。1990年前後の当初、こういった測定器を同社はVirtual Instrumentsと呼んだ。

 

このコンセプトを発展させて、設計ツールには使いやすいGUIを駆使したグラフィカルシステム設計ができるようなLabVIEW(ラボビュー)と呼ばれる設計ツールを発明した。シャーシのサイズを標準化し、PCI Expressバスを基本とするPXIシステムや、コンパクトサイズを特長とするCompact RIOシステムなどの基本プラットフォームを用意している。これらのシャーシに組み込むモジュールをアップグレードすれば、測定器そのものをアップグレードできる。つまり、拡張性が高く、フレキシビリティも高い。

 

こういった概念を推し進めてきた。今の時代がむしろ、NIの考えに合ってきた。やたらと「Software-Defined ほにゃらら」が叫ばれる時代である(ホテルカリフォルニアを引用したゲルシンガー氏の講演」を参照)7月に東京でSoftbankが主催した「Softbank World 2014」において、講演したVMwareCEOのパトリック・ゲルシンガー氏は講演の中で、「Software-Defined Layer」、「Software-Defined Enterprise」、「Software-Defined Datacenter」、「Software-Defined Future」、「Software-Defined System」など、「Software-Definedほにゃらら」を連発した。パットは元々インテルのCTOを務めた半導体男だ。

 

実は、何でもかんでもハードウエアでシステムを実現しようとする時代は終わりつつある。共通になるハードウエアを作り、その上に載せるソフトウエアを変えるだけで機能を追加したり、性能をアップグレードしたりするシステムに移りつつある。この方が、良いものを安く早く提供できるからだ。現実には、Software-Defined Radioはワイヤレス無線機のモデムでは実用化している。ネットワーク機器をもっとフレキシブルに安く運用するためにSoftware-Defined Networkも実現されつつある。

 

NIが推進してきたソフトウエアベースの測定器は、まさにSoftware-Defined Instrumentsなのだ。しかし、現実味のない「Software-Definedほにゃらら」概念だけでとどまりたくないため、実装するという意味を込めて同社は「Software-Designed Instruments」と呼んでいる。NIの持つ測定器は全て、このコンセプトを基本とする。

 

同社のシャーシはFPGA(フィールドプログラマブルゲートアレイ)を使って測定の仕様をプログラムで変えられるようになっている。データ収集系のハードウエアをユーザーが自由に変えられるフレキシブルな測定器だ。加えて、ビジュアル化(可視化)も重要な要素に加えている。LabVIEWは視覚に訴えるGUIでシステムを設計できるツールであるが、ビジュアル化をさらに進めていく。

 

NIが今後注目するのは、やはりIoTInternet of Things:全てのモノがインターネットにつながるという概念、またはつながったモノ)。刺激を受けたのは、IoTを民生用IoTと工業用IoTに分けたこと。民生用は、スマートフォンをハブとするウエアラブルやPAN/BAN(パーソナル/ボディ・エリアネットワーク)、ヘルスケアなど民生で利用するIoTと、工業向けに利用するワイヤレスセンサネットワークや、M2M(マシンツーマシン)、Industrial InternetSmarter Planetなど巨大なシステムに応用するIoTに分けた。工業用IoTは高信頼性、高セキュリティ、高品質などが要求されるため、民生用IoTとは別物と考えるべきだ、とNIのフェローであり製品マーケティング担当バイスプレジデントのMichael SantoriDSCN7082.JPGは筆者に語ってくれた。センサやシステムの大きさで区分け定義していた私は、IoTがもう実装される時期に来ていることを実感した。

 

IoTを実装したシステムを設計・検査する仕事を支援するのがこれからのNIのビジネス機会となる。常に成長を考えながら戦略を練る、と最後に語ったSantori氏の言葉は印象的だった。日本の企業が学ぶべき戦略の立て方がここにある。

2014/08/08

 

   

NIWeek 2014のネットワーキングに日本の弱さが見えた

(2014年8月 5日 20:35)

測定器メーカーであり、設計ツールメーカーでもあるNational Instrumentsが年に一度開催する、NIWeek 2014にやってきた。ここテキサス州オースチンは、日中の気温こそ35~40度と高いが、湿度が低いせいか、東京よりも涼しく感じる。特に建物に入ると上着を着なければ寒いほど、ガンガン冷房を入れている。

DSCN6693.JPG                  写真 オースチンの夜明け

NIWeek 2014は、85日から始まるが、前日はネットワークイベントが続出した。昼は、米国本社のマーケティング部門の方のオリエンテーションを聞きながら、東アジアの記者との交流があった。台湾、韓国、中国、そして日本の記者とNIのマーケティング担当者が顔合わせし、自己紹介する。

 

計測器の世界では、化学プラントやオートメーション関係のメディアが多く、残念ながら中国と韓国からの記者は誰とも面識がなかった。しかし、台湾の記者2名はなじみの記者であり、ほっとした。また、夜になると、それ以外の記者とNIのワールドワイドのマーケティング部門の方々とのネットワーキングがあった。成田からオースチンまでの乗り継ぎのヒューストン空港で、偶然シンガポールのEDN Asiaの記者をしていた男にあったが、彼もこのネットワークイベントに参加した。さらに、かつてDesign News Japanの発行・日常の編集などでお世話になったDesign Newsの元編集長とも数年ぶりに会った。

 

こういったネットワーキング(日本語では人脈形成)は、日本人にはなじみが薄いが、非常に重要だと思う。各国の記者と顔なじみになるばかりではなく、各国のIT/エレクトロニクス業界の話を聞き、情報を交換する重要な場である。台湾の記者からTSMCやメディアテック社、HTC、小米科技などの最新情報を聞くことができた。元Design News編集長からは米国のメディア業界の再編成の話を聞けた。再編成とは合併することではなく、起業と解散、買収などによって、インターネットメディアを主体とする新しい時代のB2Bメディア産業が構成されることを指す。かつての技術雑誌の仲間たちは、自分でサイトを立ち上げたり、新規ウェブサイトに転職したり、古いメディア企業内でさえも変わったメディアに移ったり、さまざまな経験をしている。

 

こういった人脈形成に必要なネットワーキングイベント(いわゆる飲み物と軽食をつまむパーティ)が残念ながら日本ではうまく機能していない。同じ企業同士しか話をしないとか、知らない人に声をかけて情報交換することが少ないとか、やはりなじみが薄い。しかし、ネットワーキングは、極めて重要だと思う。例えば英国の経済産業省下部組織が運営するセミナーやその中でのネットワーキングで知り合った人間から定期的に情報をもらったり、あるいはドイツのディナーパーティで知り合ったメディアの方から雑誌を毎月送っていただいたりして、情報収集の役に立っている。この中から記事を作成したり、翻訳させてもらったりすることも多い。

 

海外のネットワーキングでは、お酒を飲めない人に強要することはまずない。あくまでも個人が飲みたいものを飲むだけ。この意味では個人主義だが、ネットワークによって情報を得るか得ないかはメディアの人間としては雲泥の差が生まれる。要は仕事の役に立つネットワークの形成である。恐らくメディアに限ったことではないだろう。企業同士でも、顧客、サプライチェーン、ライバル、さまざまな職種からエコシステムを作り、「餅は餅屋」と言われる日本語があるように、それぞれ得意分野が違っているため、カバーし合ってエコシステムを生み出すことができる。

 

日本企業は一般にエコシステムを形成したり、標準化するための話し合いの場を運営したりすることが下手である。こういったネットワーキングを通じた人脈形成は、結局ビジネスの受注にもつながる。日本語の商売繁盛につながる仕組みである。グローバルなネットワーキングの場こそ、これからの日本企業にとって重要な場になりうる。

                                                (2014/08/05)

   

MEMSセンサ革命の時代に日本はなぜ参入しないのか

(2014年8月 4日 21:41)

スマートフォンにMEMSMicro Electro Mechanical System)センサが大量に使われているという事実が案外知られていない。MEMSとは、シリコンや水晶などの結晶やガラス材料などにエッチングやCVD(化学的気相成長)などの処理を施して、1mmにも満たないような大きさで極めて微細な機械的な構造を作る技術のことだ。

MEMSIC.jpg

 図 MEMSセンサチップ 出典:MEMSIC

MEMS技術はこれからのセンサ革命と呼ばれるセンサの量産技術を担うカギとなる。これまでのセンサは高コストの工業用の制御に使われてきた。しかし、その数量はわずかであった。スマホやタブレットが1年に数億~十数億個という大量の数を必要とするようになった。このため低コスト化が可能になった。これからは低価格化によって、工業用の制御にもふんだんに使われるようになる。Industrial Internetは、低価格のセンサのおかげで可能になる技術だ。すべてのIoTMEMSセンサが使われるようになるといっても過言ではない。だからセンサ革命の時代に入ったと言われる。

 

MEMS技術で作られた加速度センサのおかげで、スマホの画面を90度回転させると縦長の画面から横長の画面に変えることができる。重力加速度は常に垂直に地面に向かっているため、スマホを傾けると加速度の向きが変わることをMEMSセンサが検知する。

 

スマホの通話音が昔の電話よりもきれいに聞こえることにも気がつくだろう。これはMEMS技術で作られたマイクロフォンによる。MEMSマイクはやはり1~2mm角程度しかないため、1個だけではなく2~4個もスマホに入っている。通話する音をきれいに拾うために周囲の雑音を抑えるノイズキャンセル技術に使う。二つのマイクで周囲の音を拾い、一つの音の位相を180反転させると雑音同士が打ち消し合って弱められる。あるいは打ち消し合うための予測アルゴリズムを使うという技術もある。このようにして雑音を減らす。従来のコンデンサマイクは大きすぎて三つも四つも搭載できない。MEMSだからこそ、可能になる。

 

写真を撮る場合のカメラの手振れを補正するためのジャイロスコープ(回転を検出する)MEMS技術で作られる。シリコン技術で中を空洞にし、細くて薄いカンチレバーの構造を作る。加速度や角速度(回転)が動くとカンチレバーの先端がブラブラする。そのブラブラの程度を測ることで加速度や回転の度合いを知ることができる。これがMEMSセンサの基本原理だ。マイクロフォンは音によって薄い膜を振動させ、その容量変化を検出する。静電容量のわずかな変化で気圧を測ることもできる。

 

超先端の一部のスマホに入っているが、圧力センサはこれからスマホに大量に入り込むセンサだ。微妙な違いの気圧を測定することで、建物の1階にいるのか2階にいるのかの違いを検出する。アルプス電気に聞いたところ、30cmの高さを検出できるという。GPSと組み合わせれば、住所と建物を入力すれば、先端スマホを持っている人物が建物の何階にいるのかがわかるようになる。あるいは何階の部屋かを示す。

 

微妙な弱い圧力を測定できるMEMSセンサは、血圧や心拍数などの測定にも使える。つまり次世代のスマホやiPhone 6にはヘルスケア用のセンサが搭載されると言われているが、残念ながら日本のメーカーはスマホ市場には入り込めてない。新日本無線はMEMSマイクを昨年1億個スマホ用に出荷した、珍しい企業だ。しかし、大手の東芝やルネサスエレクトロニクスなどはMEMSを全く手掛けていない。

 

MEMSセンサは、厚さ500µm(0.5mm)程度のシリコンウェーハ(円板)の中をくり抜いて、薄いメンブレン(薄膜)を形成し、その上にホィートストンブリッジや静電容量ブリッジなどを作る。この薄いメンブレンによって、わずかな変化を感度よく検出したり、あるいは静電容量の変化を検出したりできる。半導体技術そのものだ。

 

こういったMEMS市場の先頭に立つ企業は、ドイツのボッシュ、次がフランス・イタリアの合弁半導体のSTマイクロエレクトロニクスが続く。トップ10社に入る日本の企業は、パナソニック、デンソー、キヤノンの3社だ。残念ながら日本の大手半導体企業は、MEMS技術を毛嫌いしてこの市場に入り込めていない。なぜ嫌がるのだろうか。

 

国内半導体メーカーは、工程が汚れることを嫌う。例えば深さ20µmのキャビティ(空洞)を空けるにはウェットエッチングを使うことが多いが、この工程は別のICウェーハを流す場合に汚れるとして嫌ってきた。このためにビジネスチャンスも失ってきたのである。ここに日本の半導体エンジニアの保守性とビジネスへの関心のなさがよく表れている。経営者もまた、エンジニアがみんなで反対すれば、それを押し切る指導力もビジネスセンスも持っていなかった。大手半導体メーカーが1社もこの市場に参入できなかったことは異常である。海外ではSTだけではなく、TI(テキサスインスツルメンツ)もプロジェクタ向けのMEMSディスプレイ(DLPプロジェクタと呼ばれている)で、アナログ・デバイセズは加速度センサで10年以上も実績がある。

 

問題は、生産ラインが汚れるからいやだという態度である。だったら一つの工場をMEMS専用に作り変えるとか、MEMSセンサを作るために何をすべきか、という態度で考えることではないだろうか。要は、新しいアイデアを否定するのではなく、成功させるためにはどうすればよいか、を考えることだ。ネガティブな理由をたくさん並べて、ビジネスチャンスを失うことのリスクの方がはるかに危険ではないか。残念ながら、エンジニアも経営層も成功するためには何をすべきか、というポジティブ思考でなかったことが今日の日本の惨状を生み出したのではないだろうか。

                             (2014/08/04

 

   

ユーザーエクスペリエンスが重要な時代を生きる方法

(2014年7月21日 13:55)

半導体を中心に、その応用であるモノづくりやITなどのシステムを見ていると、半導体陣営とITや産業機器関係者との将来の見方に温度差を強く感じる。ざっくり言えば、半導体関係者は悲観的、IT関係者は楽観的だ。ITでは、2020年には500億台のマシンやデバイスがインターネットとつながる時代になり、データレートはギガビットからテラビット単位に高速になるというような明るい未来を描く。半導体エンジニアは現在最先端の20nmプロセスの先には14/16nmプロセス、さらに10nm7nmまでくると、もう限界ではないかとささやいている。

 

この温度差は何か。半導体エンジニアはハードウエアのことしか考えていないからではないだろうか。半導体だけしか知らない者は、原子レベルと微細化を比較し、微細化のレベルがそろそろ原子レベルに到達していくことを知っている。量子論的な不確定性原理やトンネル効果、電子の波としての性質などが見えてくる。だから限界がくる、とすぐに結論付けるのであるが、もっと目を開けて応用面を見てほしい。

 

AMD28nmプロセスの新型プロセッサ(図1)を発表していた時に、記者から「インテルの22nmプロセスのHaswellと比べて、28nmプロセスでは性能が見劣りするのではないか」という質問が出た。その問いに対してAMDは「今のプロセッサは性能を争う時代ではありません。ユーザーエクスペリエンスが競争力になっています。このアプリケーションプロセッサに集積しているGPUCPUをうまく使えば、これまでにないユーザーエクスペリエンスを提供できます」と答えた。つまり時代は、性能から、ユーザーエクスペリエンスつまりユーザーが楽しいと驚く体験を提供できるかどうかにカギがある方向に動いている。だからこそ、半導体の限界を追求することも重要な技術の一つだが、それが全てではないのである。

Fig1.jpg

図1 AMDのアプリケーションプロセッサ「Bald Eagle」 

こういった兆候は数年前から見られた。2009年の電子情報通信学会のMEMS研究会で招待講演の機会をいただいたときにお話させていただいたが、その時はユーザーエクスペリエンスという言葉がなかったために、MEMSを使って楽しさを表現するデバイスがこれからも伸びると述べた。iPhoneと任天堂のWiiが登場していた。どちらもMEMSセンサを使って楽しさを表現していた。MEMSセンサがこの頃から急速に伸びていく。

 

この講演で、MEMSチップはセンサ部分とCMOS信号処理回路を無理に集積しなくてもコストが見合う方法でやるべきだと述べたら、大学の先生からお叱りを受けた。「僕らはCMOSMEMSの集積化を研究しているのに」と言われた。研究は進めれば良いのだが、生産性や歩留まりが悪くてコストを安くできないのであれば最初から使われない。低コスト化には設計段階からの関与が必要だからである。

 

ただ、低コストでしかも楽しさを表現できるデバイスにMEMS技術が数多く使われている。スマートフォンやタブレットには3軸加速度センサや3軸ジャイロセンサ、3軸磁気センサなどMEMS技術を使った機能が多い。ただし、MEMS研究者・開発者はとかくMEMSセンサ部分しか見ないことが多い。重要なことはMEMSの出力信号を楽しさに変換して表現するためのアルゴリズムの開発とセットだということ。このためにはアルゴリズム開発者と手を組んで共同開発することを考えなければ、売れるような商品にはなりえない。アルゴリズムと商品開発からコストに見合う技術を選ぶのである。エコシステムはここでもとても重要になる。

 

CMOS半導体を見ると、製品に使われる最先端プロセスは20nmMOSFETのゲート長、ゲート幅を20nmとすると、チャンネル内表面には、20nm×20nmの面積しかない。この面積内に電子を発生させるドナー不純物がいくつあるか、数えてみよう。シリコン結晶は1立方cm当たり1024乗個あるとして、ドナーは5×1017乗個で電流をオンさせると考えると、20nm×20nm×5nm(チャンネル深さ)の体積は2×10-18乗であるため、この中にドナー不純物は1個しか含まれない。つまり、1個あるかないかという数字が出てくる。ゲートしきい電圧Vthは不純物濃度ともろに関係するから、Vthは不純物の有無で大きく揺らいでしまうことになる。つまり、現在でもすでにMOSトランジスタの動作限界に近づいているのである。それでも半導体エンジニアは、ドナー不純物の影響をチャンネル領域で受けない構造を提案するなど、技術は進む。

 

一方、性能がかなりのレベルにまで上がってくると、半導体チップの競争は機能で勝負することになる。機能の中でもユーザーエクスペリエンスが最も重要な要素になってきたのがここ最近のこと。だからこそ、半導体を使ったシステム開発者やサービス提供者は、半導体の機能に期待する。機能には限界がない。

 

もう一つ、半導体エンジニアの認識が低いことに、半導体にソフトウエアをインプリメントできるという意識が薄いこと。ソフトウエアで機能やユーザーエクスペリエンスを表現できれば、価値ある半導体チップになる。だからこそ、微細化を進めて限界を極める必然性が薄れてきているのである。

 

では、半導体エンジニアがとるべき道は何か。機能を実現する手法を応用面からユーザーと共同で開発することに尽きる。だからこそ、ユーザーと、ソフトウエアからハードウエア、特にデジタルだけではなく、アナログ技術も含めてディスカッションでき、ユーザーが数年後に望むチップをイメージする能力が求められる。半導体エンジニアにとって、半導体の勉強よりもシステムの勉強の方が重要な時代に来たといえる。

                                (2014/7/21

   

富士通が撤退する半導体になぜIBMが30億ドル投資するのか

(2014年7月19日 20:06)

718日の日本経済新聞では、富士通が半導体工場を台湾のUMCと米国のON Semiconductorに売る、という話が1面トップを飾った。富士通は半導体の生産から完全に手を引くことになり、クラウドなどITサービスに集中する、と日経は報じた。かつての富士通はIBM互換機を作るため、IBMが何をしているのか、という情報を集めることに必死だった。

 

この富士通のニュースの10日ほど前、IBMが半導体に30億ドルを今後5年間に渡り投資するというニュースが世界の業界を駆け巡った。IBMと富士通のアプローチは全く対照的だ。富士通は半導体を捨て、IBMは半導体ライクの新素子を追求する。富士通はハードウエアを捨て、IBMは新しいハードウエアを求める。

 

富士通は決算発表などで社長の話を聞くと、ハードは要らない、と考えている。これからはサービスだけで行くつもりのようだ。今から10年前も富士通は、IBMがサービスを進めるからこれからはサービスの時代だと言いきって、ハードを弱体化させた経験を持つ。今回は半導体を完全に捨ててしまうようだ。本当に大丈夫か?


続く

(2014/07/19)

   

ホテルカリフォルニアを引用したゲルシンガー氏の講演

(2014年7月16日 23:37)

Software-defined ほにゃらら」という言葉が、大流行りだ。最初に聞いたのは、今から10数年前のSoftware-defined radio(ソフトウエア無線)という言葉だった。これが最近では、Software-defined Networkや、はたまた716日のSoftbank Worldでは、Software-defined Layerや、Software-defined EnterpriseSoftware-defined Datacenter、そして最後にはSoftware-defined Futureという言葉まで登場した。

 

この日、「Software-definedほにゃらら」、という言葉をよく使った人は、かつてインテルのCTOだった、パット・ゲルシンガー(Pat Gelsinger)氏だ。彼は、マイクロプロセッサという半導体チップメーカーからITサービス企業へ転身した。インテルを退社後、ストレージやITサービスのEMCの社長兼COOを務め、その後現在のVMwareCEOを務めている。

 

かつての半導体チップは、ハードウエア電子回路そのものであった。今でも半導体チップ=ハードウエア、と思いがちだ。しかし、今の半導体チップにはソフトウエアをインプリメントすることができる。つまり、ソフトウエアを半導体チップに焼き付けることができるだけではなく、ソフトウエアをメモリに蓄えておき、そのメモリからコンテンツ(ソフトウエア)を引き出し、半導体チップでソフトウエアプログラムを実行する。そもそもマイクロプロセッサは、ソフトウエアで半導体チップに新たな機能を追加するものだ。独自の価値のあるソフトウエアを開発し、それをマイクロプロセッサで実行させれば、独自の機能を実現できる。Software-defined Radioはハードウエアを共通にして、ソフトウエアを変えるだけで世界各地の放送や通信のモデムを作り出そうとする技術である。

 

もはや、半導体=電子回路を集積したもの、ではない。ソフトウエアを実行するものでもある。つまりハードウエアの形をしたシリコンでありながら、ソフトウエアを走らせることができるのである。だからこそ、半導体の回路パターンとしての微細化技術がムーアの法則の限界で行き詰ったとしても、半導体にソフトウエアを焼き込んだり、別のメモリに入れ込んだソフトウエアを走らせたり、することができる。ソフトウエアは人間の知恵であり、無限にあふれ出てくるものだ。ソフトウエアを実行するプラットフォームが半導体チップだからこそ、その産業の成長が止まることはないといえる(「知らなきゃヤバイ! 半導体、この成長産業を手放すな」)

 

システムに独自の機能を盛り込み、差別化した製品を作るキモはやはり半導体である。だからこそ、電機メーカーの本音は半導体を手放したくないはずだ。東芝は本体に組み入れており、日立やNECはルネサスという形で自分たちが利用する。パナソニックも実は手放さず、富士通との合弁や、タワージャズとの合弁など自己資本を組み入れた関連会社にしている。しかし、親会社がいつまでも関連会社や連結子会社にする限り、自立した半導体メーカーは生まれない。日本では唯一の半導体専業メーカーはロームしかない。

 

パット・ゲルシンガー氏は、VMwareでクラウドビジネスを積極的に進めている。現在は、第3世代のITだという。無駄な専用サーバーが何十台も乱立する企業のITシステム(サイロという表現をする)をもっと低コストで運用するための手段が求められている。ITコストを安くするため、仮想化技術(1台のコンピュータを異なるOSを含めて複数台あるように見せかける技術)は必須であるうえに、出来るだけ少ないプラットフォームでソフトウエアだけで動かす、Software-definedなシステムへ移行しつつあるのが今の時代だという。

 

クラウドの利用は、これまで企業内クラウドが主流だった。しかし、大震災のように企業内クラウドが破壊されてはお手上げとなる。このため、プライベートクラウドからパブリッククラウドも利用できるようなハイブリッドクラウドが望ましいとする。企業のユーザーからすると、Software-definedなデータセンターにすべきだと主張する。もちろんセキュアな環境にすることは言うまでもない。

 

ところが、社内クラウドに慣れきったものは、パブリッククラウドへはセキュリティの心配があり、なかなか抜けられない。このことを、ユーモアを交えて、カントリーロックミュージックの代表グループであるイーグルズの「ホテルカリフォルニア」の歌詞を引用して、従来の社内クラウドを説明した。ホテルカリフォルニアの最後の歌詞に「You can check out any time you like, but you can never leave.」というフレーズがある。「そろそろチェックアウトできますよ。でも立ち去った人は誰もいないけどね」という意味深な終わり方をする。社内クラウドに慣れきっている人は、「わかっちゃいるけど、やめられない」ということなのかもしれない。

2014/7/16

   

5G通信は、失敗した第5世代コンピュータの二の舞?

(2014年7月 9日 22:31)

モバイル通信は今や4G時代を迎えている。世界では変調方式がCDMAからOFDMに替わるLTE4Gと位置付けているが、NTTドコモはLTEを未だに3.9Gとして、1Gbps以上を4Gと定義している。もう10年近く前の定義を未だに使っていることになる。

 

CES2 027.JPG

NTTドコモは10Gbpsを超えるようなモバイル通信を5G(5世代)と定義しており、アルカテル-ルーセントやエリクソン、富士通、NEC、ノキア、サムスン等6社と個別に実験していくことをこの5月に発表している。つまり単なるデータレートの速さだけで3G4G5Gとしているのである。

 

5Gはデータレートの速さを追求することだけでよいのだろうか?この状況は、かつての第5世代コンピュータと称して、官民挙げて取り組んで失敗に終わった国家プロジェクトを思い出す。

 

2年前、携帯通信用半導体のトップメーカーであるクアルコム(Qualcomm)社の日本法人の方と雑談していた時に、「第5世代コンピュータは結局、パソコンでしたね」と言われた。当時、日本の官僚や企業のトップたちはコンピュータの性能追求ばかり目が行っていた。MIPSFLOPSといった性能指数をもっと上げることに血眼になっていた。しかし、コンピュータの世界はダウンサイジングが起きていた。市場が相対的に小さくなっていくメインフレームよりもワークステーションやオフコン、ミニコンへ、スーパーコンピュータよりもミニスーパーコンへ向かっていた。性能追求ばかりが能ではない。使い勝手や適切な価格、実効的なスピード、といったコンピュータユーザーの要求は、結局いつでも好きな時に使えるコンピュータを求めていた。メインフレームやスパコンでは当たり前だった「待ち時間」のないコンピュータをユーザーは欲していた。

 

80年代から90年代にかけて米国を取材すると、このようなダウンサイジングの流れをしっかりと感じた。第4世代のコンピュータまでは確かに性能追求であった。しかし、ある程度性能が上がり、コンピュータを使うユーザーが増えると、「待ち時間」はとても許容できないパラメータとなった。多少、性能が落ちてもすぐに使えるコンピュータの方が実効的に速いのである。2~3日待たなくても計算結果が得られたからだ。ユーザーにとってはワークステーションの方が速く答えが得られた。ダウンサイジングの究極がパソコンだった。

 

同じことがモバイル通信で起きているように思える。本当にデータレートを速めることがモバイル通信技術の正しい方向だろうか。クアルコムのエンジニアは「5G時代にもダウンサイジングで起きたようなことが起きるのではないだろうか」と語り、通信がもっと身近になることが5Gのような気がする、と加えた。

 

折しも先週、クアルコム社が、60GHz帯のWiGigチップを開発していたウィロシティ(Wilocity)社を買収したというニュースが米国メディアを駆け巡った。世界最大のファブレス半導体メーカーであるクアルコムは、この買収により、モバイル通信向けWi-Fi規格のほぼすべてを手に入れたことになる。2.4GHz帯のIEEE802.11b/g/nに加え、5GHz帯の802.11acに加え、Wigigの規格である802.11adという三つの周波数帯の技術だ。

 

Wi-Fi技術を手に入れたクアルコムは今後どのような道を歩むのか。今回の買収による60GHz技術は、データレートが数Gbpsと高速になる。ただし、60GHzというミリ波は、水に吸収されやすいため、雨が降ると電波が届きにくくなる。しかし、イベント会場などの広い屋内で使う場合には非常に大きな威力を発揮する。複数の人たちがビデオストリーミングを同時に楽しめる。また、親しい仲間同士でビデオコンテンツをシェアできる。ピアツーピア通信でビデオやハイファイ音楽をやり取りできる。これまでとは違いデータレートが速くなると、4Kテレビのような高解像度ビデオさえ、友達同士でシェアしながら楽しめるようになる。

 

これまでの携帯電話やスマホは、隣同士の通話やメールでさえ、基地局に電波を送り、基地局からの電波を受け取って通話やメールをしている。通信トラフィックがパンクしそうになると言われるゆえんだ。もし、隣にいる人との会話やメールを基地局を通さず、直接やり取りできるようになれば、モバイル通信ネットワークを通らずに済む。つまり通信トラフィックに負荷をかけないようにできる。

 

5Gとは、通信インフラに大きな影響を及ぼさずとも、通話できる仕組みを作り、仲間同士でクイズや、ローカルな話題で楽しめるようにして通信をもっと自然に、もっと身近にすることではないだろうか。

 

クアルコムが2007年創立のウィロシティを買収して、2.4GHz5GHz60GHzのトライバンドのWi-Fi技術を手に入れたことは、彼らの目標とする5Gを手に入れたことに相当する。幹線の光回線からメトロネットワーク、基地局、スモールセルといった通信ネットワークは、心臓から動脈、毛細血管へと人間の体を網羅する血管ネットワークと似ている。それも毛細血管に相当するスモールセルのような細かいネットワークこそ、これからの通信ネットワークを支配するのではないだろうか。4G5Gへとデータレートだけ速くすると世界から孤立しかねない。またもやガラパゴスになるのか。もっと世界を見ながら、世界と一緒に歩むべきだろう。

2010/07/09

   

半導体チップが病気を治療する

(2014年7月 7日 21:25)

ミクロの決死圏という映画を覚えておられるだろうか。人間を薬で小さくし、病気の患者の中に入り、宇宙船のようなカプセルに乗って治療するというSF映画だ。いよいよ、これが現実味を帯びてくるようになった。

 

今の医学では治せない病気や疾患を半導体技術が治す。目の見えない人が見えるようになる。てんかんの発作を抑える。心臓や肺などにも埋め込める内視鏡カプセルで治療。声を出せない患者が話せる。少なくとも、これらはもはや夢物語ではなくなってきた。これらの例を紹介しよう。

 

1は、Googleの提案しているコンタクトレンズ型のウェアラブル端末の例だ。コンタクトレンズ表面に半導体チップと、薄型ディスプレイ、薄膜リチウムイオン電池を搭載、それらを配線でつないでいる。このモデルで、薄膜ディスプレイの代わりに半導体CMOSイメージセンサを搭載し、システムLSIの中身を入れ替えると、盲目の方が見えるようになる可能性を秘めている。コンタクトレンズはセンサと信号を処理する半導体IC(システムLSI)、そしてそれらを動かす電源(DC-DCコンバータとバッテリ)によって、半導体ICからの出力線を視神経につなぐのである。視神経の筋電圧の変化を脳に伝えることで脳がその意味を判断する。もちろん、視神経が正常という人に限るが。

 

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盲目の方が見えるようになることは、長い間実現できなかった夢の一つだ。人間の体には脳からの指令を載せた神経の筋肉がごく微弱な電気を発生することがよく知られるようになった。8~9年前にTexas Instrumentsが開催した開発者会議に出て、片腕のない人に装着した義手でボールをつかみ、一つの箱から別の箱に移動させるというデモをみた。これは、脳からの電気信号を拾い、義手に埋め込んだ半導体ICDSP)でその信号を処理し、関節ごとに埋め込んだ小型モータを動かすことによって、脳で考えた動きを手に伝えるものだ。このデモで感心したことは、最初はゆっくりとした動作で箱から箱へつかんだボールを移動させるのであるが、学習すると素早い動作でボールを移動できるようになることだ。

 

その2年後のTIの開発者会議では、何らかの精神的なショックによって失語症になってしまった方が電話で応対できるというデモがあった。このデモでは、首の周りにスカーフを巻いた人が登場した。スカーフの下には声帯の筋電位を検出するセンサを複数取り付けている。センサからの信号を認識し、その意味を理解し音声合成技術で音声を発する。デモでは、プレゼンターが「やあジョン、今日は元気かい」と電話で問いかけると、指にスカーフを巻いた失語症の人は2~3秒おいて「今日も元気だ」と電話で答える。しかし、口は開かない。

 

人間の神経からの信号を抽出したり、外部の情景を信号に変えて神経に伝えたりすることで、今まで不自由な思いをしてきた患者の疾患を治療できるようになるのだ。これからの半導体は、疾患の治療にも役立てるようにすべきであろう。すなわち、半導体が活躍する場はもっと広がっていく。

 

台湾の交通大学は、ネズミを用いた実験で、てんかんの症状があるネズミの脳に半導体チップを埋め込み、てんかんを抑えることに成功した。これは、てんかんが起きる直前に、脳内に異常なパルスが発生するため、そのパルスを打ち消すために逆のパルスを送りこむことで、てんかんを抑えようというもの。これまで、患者の中には薬で治療できない人たちもいるが、そういった人たちや手術のリスクが多い患者を救えるようになる。さらに、パーキンソン病のように脳の電気信号の異常によって起きる疾患の治療にも使えるようになるだろう、と交通大学のKer Ming-dou教授は期待している。彼らは、この実験結果を学会発表している。

 

米国カリフォルニアのStanford大学では、治療のためのさまざまな半導体・エレクトロニクス技術を開発しているが、このほどで成功した実験として、体に埋め込む小さなカプセルに電源を供給する技術がある。今のカプセルは電池を含み、食道から腸を検査するのに使われるが、電池がなければもっと小型にできるため、欠陥の中や心臓、肺などの中にも検査や治療のためにカプセルを人体の外から自由に動かそうというもの。そのためには外部から電源をワイヤレスでチップに送る必要がある。ところが、従来のニアフィールド電界では人体に無害なレベルのワイヤレス電力を送ると臓器に達する前に減衰してしまう。体は外側から皮膚、脂肪、筋肉、臓器という順に出来ている。このため5cm程度の深さまで届かなくてはならない。Stanford大のAda Poon研究室は、電力をワイヤレスで供給するアンテナを工夫し、1.6GHzの電波を5cm程度までは体にダメージを与えることなく供給することに成功した。

 

これまでの半導体・エレクトロニクスにおける医用電子は、主に診断に使われてきた。治療には薬品や外科療法、放射線療法などが主体だった。これまでの治療技術ではできない疾患には半導体チップを使っていけるようになりつつある。ベルギーの半導体研究所IMECを訪問した時にCEOLuc Van den Hove社長になぜバイオ技術を開発しているのかを尋ねた。「われわれのテーマは、ガン治療に対して半導体技術は何ができるかを追求することだ」と答えている。半導体エレクトロニクスは、従来の医学のような現代社会の解けない問題を解決する手段になりつつある。

2014/07/07

   

米国より30年遅れた日本の電機を救う法

(2014年6月27日 21:46)

ある外資系企業の日本法人トップの方と話をしていたら、今の日本の電機産業は、1980年代の米国企業とよく似ている、という意見で一致した。赤字を計上 → リストラ、首切り、が常態化している。ようやく、一段落したところが多い。しかし、これで従業員のモチベーションは保てるだろうか。

 

1980年代のアメリカは、日本の半導体メーカーに押され、リストラ・首切りを繰り返していた。取材したある米国企業の社員は「次は俺の番か、と思うと、仕事どころではない」と話していた。彼はさまざまなリクルーティング企業の所にジョブアプライ(転職のための人材登録)をするなど、職探しに奔走した。仕事は二の次だ。こうなると企業の活力はさらに落ちる。案の定、つぶれたり売却したり再構築(リストラクチャ―)に着手したりした。

 

多くの米国企業が復活した道を取材してみると、決して国頼みではなかった。DRAM敗退直後は、日本の「超LSI研究開発組合」を見習って1987年にSEMATECHという組織を作り、連邦政府から資金を提供してもらい、IBMや大手半導体企業が参加した。ただ、参加企業も参加費を支払った。しかし、競合メーカー同士の集まりの国頼みの組織はうまく行かなかった。1996年には連邦政府は提供資金を打ち切り、組織は国頼みではなく、自立するため海外からの資金も募った。そこで名前をInternational SEMATECHと変えた。海外企業からの研究開発資金も集まり、オペレーションが回るようになり、今日に至っている。つまり米国でさえ国家プロジェクトはいったん失敗したのである。今のSEMATECHは民間の研究開発会社である。日本の国家プロジェクトは、1990年代以降は全て失敗という声もある。

 

そこで、IBMTexas Instrumentsなど米国の企業を取材してみると、初期のSEMATECHのおかげで生き返った、生き残ったという企業は1社もなかった。それぞれが真剣に、5年後、10年後のあるべき姿を議論し、世の中の市場トレンド(成長の道筋)と合致するかどうか、についてブレーンストーミングから議論し始めていた。TI1995年にDRAMを捨て、アナログにフォーカスし、デジタルはDSPを残した、という結論は、社員のブレストで決めたものだ、と当時を知るトム・エンジボス元会長から聞いた。TIやインテルよりもずっと小さなサイプレスセミコンダクターのT.J.ロジャースCEO兼会長に取材した時は、「日本製品は品質が高いから、当社も日本の品質に匹敵するように品質を上げる生産技術を見習った」と語っている。T.J.は当初のSEMATECHを「金持ちクラブ(参入する会費が高いために大企業しか参加できなかったから)」と評し嫌った。

 

シリコンバレーの半導体企業は、いったん首を切ると、事業が回復した時に優秀な人間を採用することが難しいことを80年代に学んだ。デジタルLSIならまだしも、アナログは経験がモノをいう世界だから、なおさらだ。アナログチップで営業利益率3割、4割を誇るリニアテクノロジーの会長兼CEOのボブ・スワンソン氏は「リーマンショックの時は売上が落ちて苦しかったが、一人も首を切らなかった」と誇らしげに自慢した。

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 図1 リニアテクノロジーのスワンソン会長(左)

「今は日本企業よりも米国企業の方がむしろ温情だよね」。最初に述べた、ある外資系企業の日本法人トップの言葉である。日本の電機企業の経営は30年遅れているといえそうだ。首を切ったあと、残された社員のモチベーションをどのようにして上げようとするのか。

 

会社の活力は20~40代の若い力で決まる。彼らのモチベーションが高く、やる気を出せば、会社は成長する。しかし、その逆だと、会社は決して成長しない。経営層の仕事は、若い人の力を引き出すことである。そうすれば結果はおのずからついてくる。ボブ・スワンソン氏は優秀なアナログ技術者を見つけることは容易ではないことを知っている。もし、シリコンバレーの本社に来たくないという優秀なエンジニアを見つけたら、彼/彼女の住んでいる場所をデザインセンターにするという。

 

日本の電機を回復させるためには、経営者が米国の手法を見習う手が最も近道ではないだろうか。彼らは低迷した時に日本の良さを見習ったからだ。今度は米国の良いところを見習う番ではないか。何も、エセ実力主義が米国経営ではない。

2014/06/27

   

ルネサス子会社を買ったSynapticsとは何者か

(2014年6月16日 23:12)

ルネサスの子会社ルネサスエスピードライバ(RSP)を485億円で買ったSynaptics社についてほとんど日本のメディアは報じなかった。しかしてその実態は、世界的にも著名な2人のエンジニアが創業した会社である。元Intelでマイクロプロセッサを発明した3人の設計者の内の一人が共同創業者の一人であり、もう一人はVLSI設計ソフトウエアを最初に発明したカリフォルニア工科大学のカーバー・ミード(Carver Mead)教授だ。

 

マイクロプロセッサは1971年、Intelのフェデリコ・ファジン(Federico Faggin)氏とテッド・ホッフ(Ted Hoff)氏、そして日本人の嶋正利氏の3人によって発明された。これは4ビットの4004であった。シリコンゲートプロセスを最初に導入したIntelが集積度の高いマイクロプロセッサを作ることになった。2300個のpMOSトランジスタを10µmプロセスで作ったプロセッサであった。

 

ファジン氏はIntelを退社後、Zilogを創立した。嶋氏ものちにZilogに移っている。ZilogのマイクロプロセッサにはDRAMのリフレッシュコントローラを集積しており、マイクロプロセッサとDRAMをセットで使うという考えがそこにはあった。

 

もう一人の共同創業者であるカーバー・ミード教授は、VLSI設計用ソフトウエアを発明しただけではなく、MOSトランジスタの限界論やガリウムヒ素トランジスタの発明など、エレクトロニクス、半導体に極めて大きな功績を残した。

 

ミード教授は、ゼロックスのパロアルト研究所にいたリン・コンウェイ(Lynn Conway)さんと共に著した「Introduction to VLSI Design」は、今でもVLSI設計の教科書として残る名著である。

 

実は私は一度、ミード教授とコンウェイさんに会ったことがある。場所は、米国ニューヨークにあるマグロウヒル本社の会議室だ。1981年ごろ、日経マグロウヒル(McGraw-Hill)社(現在の日経BP)の日経エレクトロニクスの編集記者だった私は、ワシントンDCで開催されたIEDM(国際電子デバイス会議)を取材するため、米国に出張していた。IEDM終了の翌週、ニューヨークのマグロウヒルを訪れた。

 

当時マグロウヒルが発行していたElectronics誌のエディターたちとのIEDM等意見交換と称して、表敬訪問がメインだった。まだろくに英語を満足に話せない私に対して、Electronics編集長は親切に振る舞ってくれた。彼が後で会議室に来てくれと言われ案内されると、そこにミード教授とコンウェイさんがいた。その年エレクトロニクス産業に貢献したエンジニアを表彰するElectronics Awardを二人が受賞した。上述のVLSIの教科書がエレクトロニクス産業に貢献したことに対して二人を表彰し、その祝賀ランチをとっていたのだ。ランチが終わり、両氏に挨拶することができた。

 

日経エレクトロニクスは、Electronics誌の日本版という形で1971年に創刊された。もともと日経マグロウヒルは、米国McGraw-Hill(マグロウさんとヒルさんが作った出版社)のラッセル・アンダーソン社長が日本の出版社や新聞社に呼びかけ設立した合弁会社だ。日経しか興味を示さなかったため日経マグロウヒルになった。1960年代の終わりころは通産省(現在の経産省)が外資の上陸を嫌ったために、合弁それも日本企業がマジョリティを握るような企業しか許さなかった。このため、日経51%、マグロウヒル49%の日経マグロウヒル社が生まれた。日経ビジネスもマグロウヒルのBusiness Weekの日本版として創刊された。

 

そしてファジン氏とミード氏がニューラルネットワークチップをビジネスとする会社を1985年に設立したのがSynapticsであった。残念ながらニューラルネットワークの考えは時期尚早だったのか市場がなかった。このため、製品をニューラルネットからタッチセンサコントロールに替え、1995年に製品化した。タッチコントローラ製品はアップルのiPhoneに採用され、Synapticsは今やタッチセンサコントローラの有力企業となった。

 

SynapticsRSPを買収したのは、LCDドライバとタッチコントローラを1チップに集積するためだ。今でもタブレットやスマートフォンだけではなく、ウルトラブックのようなノートパソコン、工業用ディスプレイなどにもタッチパネルインターフェースが使われている。これまではタッチコントローラとLCDドライバは別々のチップで、液晶画面の額ぶちに沿って二つのチップが搭載されていた。しかし配線が複雑になっているのに加え、液晶メーカーは別々のサプライヤから調達しなければならなかった。このため次世代のタッチコントローラにはLCDドライバもシングルチップに集積することになる。

                                                (2014/06/16)