「青色LEDは誰の発明か」議論が盛んな米国

(2014年10月27日 23:58)

米国で電子技術者の学会組織であるIEEESpectrum誌や、半導体のウェブサイトSemiconductor Engineeringなどで、誰が本当に青色LEDを発明したのか、という議論が活発だ。2014年のノーベル物理学賞に3名の日本人が受賞したことに対して、この3名がふさわしいのかどうかの議論もある。

 

IEEE Spectrumのウェブ版では、「青色LEDの特許は実に多い」、「ノーベル・ショッカー:RCA1972年に最初の青色LEDを光らせた」、「LEDの父はノーベル賞を受賞しない」などの話が詰まっている。Semiconductor Engineeringでは、「誰が真の青色LEDの発明者か?」というストーリーを掲載している。

 

青色LEDがノーベル賞のテーマになる2年も前の2012年に、米国カリフォルニア州のシリコンバレーの街の一つ、マウンテンビューにある「コンピュータ歴史博物館(Computer History Museum)」において、ダグラス・フェアベイーン氏がメンターグラフィックス社CEO兼社長のウォリー・ラインズ氏にインタビューしている物語が記録されている。ラインズ氏の生い立ちからエンジニア、そして経営者になるまでのインタビューだ。

 

この中に、修士課程のスタンフォード大学の研究室で、RCAからPh.Dを取得するためスタンフォード大学に来ていたハーブ・マルスカ氏と一緒に机を並べてラインズ氏は研究していたことが述べられている。ラインズ氏はGaAsを、マルスカ氏はGaNLEDの材料として選んだ。マルスカ氏はまだ誰も手掛けていなかったMg(マグネシウム)ドープのGaN結晶を作った。p型の半絶縁性GaN結晶に電極を付けたMIS構造ダイオードで青色の光を放ったという(図1)。そして1974年に特許を取得した。学生時代はnGaNを作れなかったため、pn接合にはなっていなかったとラインズ氏はそのインタビューに答えている。しかし、マルスカ氏はRCAn型のZnドープのGaNの作製に成功し、p型はできなかったと述べている。

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図1 1972年RCAでハーブ・マルスカ氏が試作した青色LED

 

最初に青色LEDを発明したのは、ハーブ・マルスカ氏であることは間違いないようだ。しかし、同氏は今回受賞しなかった。マルスカ氏にとって、青色LEDを実用化できなかったことの方が悔しいようだ。RCAは社長のデビッド・サーノフ氏が死去した後、息子が後を継いだものの、コンピュータ事業に手を出し、失敗に終わり経営がガタガタになった。そして1974年に青色LEDのプロジェクトは解散させられた。

 

マルスカ氏は赤崎勇氏にも会っており、彼が1990年にあるホテルの部屋にいた時、ノックする人がいたが、それが赤崎氏だったという。赤崎氏は青く光るLEDをマルスカ氏に見せ、マルスカ氏は興奮したと述べている。

 

赤崎氏がいつからGaNを手掛けたのかははっきりしないが、Wikipediaには1986年に低温堆積緩衝層技術による高品質GaN結晶の作製に成功とある。当時の青色LEDあるいはレーザーの開発にはZnSeGaNか、という競争をしていた。1989年にpn接合のGaNの製作に成功、青色LEDを実現した。中村修二氏は赤崎氏とは別にGaN結晶成長を手掛けていたが、1993年に高輝度の青色LEDを開発したとWikipediaには述べられている。中村修二氏は日亜化学工業の社長に3億円もの開発費を認めてもらい、青色LEDの実用化に成功したと言われている。

 

そのマルスカ氏は3名のノーベル物理学賞受賞のニュースを聞いて、次のように述べている。「3名の受賞者は本当に称賛に値します。私はよく言うのですが、蒸気機関の開発に携わってきた人たちは何人もいます。しかし、ジェームズ・ワットが実際に動く機械を作るまでは誰も実現できませんでした。ノーベル賞に値する人は本当に動くものを作った人たちに与えられるべきだと思います。受賞者3名は称賛に値します」。

 

マルスカ氏のこのコメントは大人の言葉である。自分が最初に青色LEDを光らせたのだから、ノーベル賞は自分がもらうはずだ、とは決して言わない。

 

しかし、赤崎勇氏と天野浩氏のグループは、中村修二氏とは互いの仕事について決してコメントも引用もしないようだ。文部科学省傘下のJSTが制作したビデオ、「青色発光ダイオード開発物語~赤崎勇 その人と仕事~」を見て、中村氏の名前が決して出てこないことは異常である。青色LEDの実用化に大きな寄与を果たした一人が中村修二氏に違いないことに疑問の余地はない。しかし、このビデオには一言も出てこない。赤崎氏と中村氏が犬猿の仲であることは業界では公知の事実だ。だが、マルスカ氏の大人の態度と比べると、日本のノーベル賞受賞者は大人になり切れていないと思ってしまう。こう思うのは私だけだろうか。

                                                         (2014/10/28)

   

ノーベル賞受賞の青色LEDの真骨頂はスマート照明

(2014年10月 8日 01:34)

1990年代に発明された青色LED(発光ダイオード)の発明者たち(赤崎勇名城大学終身教授と天野浩名古屋大学教授、中村修二カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)にノーベル物理学賞が決まった。彼らと同じ半導体産業に係わってきたものにとっては非常にうれしいニュースだ。

 

赤崎氏が名古屋大学教授であった時代に天野氏と共に、光が見える程度の青色LEDを発明した。その後、徳島の日亜化学工業にいた中村修二氏が効率を上げ実用的なレベルに引き上げた。日亜化学は蛍光塗料の会社から、一躍LEDの先端企業となった。応用物理学会をよく取材していた1980年代は、温和な顔立ちの赤崎先生のGaN講演をときどき見ていた。

 

青色LEDのインパクトは、照明に使えるレベルまで明るくなったことであり、また半導体ゆえに明るさや電流を瞬時に制御できる点だ。照明に使う光は白色(透明)だから、R(赤)、G(緑)、B(青)の3原色を混ぜることが基本だが、実際には青色のLEDに黄色い蛍光塗料を塗っている。これは定性的には、RGを混ぜると黄色になるから、それに青を加えたものと考えると理解しやすい。

 

青色LEDに緑の蛍光塗料を被せた白色LEDランプの消費電力は白熱灯の1/10、蛍光灯と比べても数分の一と小さく、省エネの決め手となる。明かりを全てLEDに変えたら、原子力発電所が何基分も不要になると言われるくらい、省エネ効果はある。

 

さらにこれまでの蛍光灯と比べて大きく違う点は、瞬時に照度を制御できるという点だ。蛍光灯は放電を利用しているため、一度点灯すればコンデンサなどでその電圧を維持し続けなければならないため明るさを調整できないという欠点があった。LEDは電圧を下げれば暗くなり瞬時に変化させることができる。現在の白色LED照明は、この調光機能をまだ十分に利用していない。

 

この調光機能を利用して、これからはスマート照明(Smart Lighting)がさまざまな所に活かされる時代になる。どのような応用があるか、紹介する。これはセンサを利用して明るさを調整できるのが最大の特長だ。例えば、大学の建物などで、人が建物に入ると照明がつくシステムを用いているところがある。しかし、暗い部屋へ足を踏み出すことに躊躇することがある。蛍光灯だと点灯するまでに1~2秒かかる。これに対して、スマート照明は部屋に入る前に明かりを灯してくれる。安心の度合いが全く違う。

 

さらにスマート照明は、安全性を高める効果もある。例えば、クルマを走らせていてトンネルに入る時に一瞬暗くて全く何も見えなくなることがある。もしそこに何か物体があれば間違いなく衝突してしまう。このような事故を防ぐため、トンネル側のセンサがクルマを検出したら、トンネル内を予め明るくしておくのだ。クルマから良く見えるようにしておくことができる。クルマがトンネルに入ったら照度を下げてもよい。

 

スマート照明は電力コストを今以上に下げることもできる。例えば、一つの部屋でも窓側と奥側では明るさが違う。外光が差し込む窓側のLEDの照度を下げ、奥側を明るくすると、省エネになる。明るさに応じてLEDの照度を変えるのである。この場合は照度センサをいくつか配置しておく必要がある。こういった応用では電力線通信(PLC)が役に立つ。もちろん、レストランやバー、ホテルなどでは食べ物のおいしさを表現する明かりや、ムードを出す光、落ち着いて話ができる明かり、など様々なシーンに応じて照度、色温度などを変えることができる。

 

かつて、固体照明のセミナーでLED照明は2015年をピークに2016年あたりから有機EL照明に代わる、という調査会社の予測グラフを見たが、残念ながらその通りにはまずならない。有機EL照明の生産技術はLEDのそれにまだ追いついていないからだ。白色LED技術は、6インチという大型のSiウェーハ上にGaNを結晶成長させることで更なる低コスト化が見えている。Si上に作るから8インチ化さえ可能である。もっと低価格にできるという意味だ。

 

スタンレー電気などが開発しているが、LED照明はクルマのヘッドランプにも使われる。クルマのヘッドランプには、通常は0.3mm×0.3mmの大きさしかないLEDチップを1mm×1mm角に大きくすると大電流を流せて明るくすることができる。クルマのヘッドランプにはこの大きなチップを使う。チップが大きければ、1枚のウェーハから採れるLEDチップの数は少ない。このため、ウェーハを大きくする意味がある。

 

このLEDランプをスマート照明技術と組み合わせると、ハイビームとロービームを自動的に切り替えることもできる。暗い田舎道をハイビームで走り、対向車線に車が見えるとロービームに変えるが、この操作を自動的に行う。たまにハイビームにしたままのクルマを見かけるが、眩しくて仕方がない。事故の元にもなる。これを自動化すると切り替えを忘れない。

 

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クルマのヘッドランプはLEDから、さらにレーザー照明にも使われ始めている。先日ドイツのミュンヘンにあるBMW博物館を訪れた時、最新の電気自動車「i3」への搭載を検討していると関係者は語った。LEDだとハイビームで400mまで明かりが到達するが、レーザー照明だと600m先まで見えるという。

 

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LEDの進歩はこの先もまだまだ続き、センサと組み合わせたスマート照明の時代はこれから始まる。半導体メーカーは、照度センサとLEDドライバ、周辺回路、マイコンなどで忙しくなる。LEDからレーザースキャニング照明も開発が進むだろう。LED、レーザー、いずれもGaNスマート照明時代はこれからが本番を迎える。

                                                                      (2014/10/08

   

日本は落ち続けている、と米国は認識していた

(2014年10月 7日 15:01)

米国のPR会社であるGlobalpress Connection社主催のEuroAsiaに参加するためサンノゼ郊外のキャンベルに来た。日中は太陽がまぶしく、気温は34度とか36度といった真夏のような暑さだ。しかし日陰に入ると風が涼しく感じられる。

 

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以前書いた「マスコミのルネサス報道はネガしか書かない」の続きを書きたくなった。今回こちらにやってきて、ある広報の人とディナーを一緒にとり、日本の業界、メディア、米国や欧州の業界の話を交わした。彼女はいきなり「日本は震災以降、全く立ち直っていませんね。いったいどうしちゃったのですか?」と聞いてきた。そんなことはないとゆっくり説明したが、やはりメディアが否定的な記事ばかり載せる姿勢に大いに問題があることを述べた。マスコミのルネサスに対しては否定的にしか書かない姿勢は、朝日新聞の自虐的な「従軍慰安婦問題」と通じるものがある。

 

日本の産業はもはや壊滅的で全くどうしょうもない、という自虐的な記事を読まされていることに原因がある。メディアを特定するつもりはないが、多くの新聞はいまだに否定的な記事を書く。ようやく成長できる道筋を付けたと同時に、5四半期連続営業黒字という事実を見出しで大きく伝えていないのである。自虐的に自国の企業を否定的に書く喜びとは何だろうか。この姿勢こそ、でっち上げの従軍慰安婦問題と根っこは同じではないのか。悪いことは悪い、ダメなものはダメ、と書くことはその通りで問題ないが、良くなったのに良くなった、と書かないということなのだ。ダメなことしか伝えられていなければ、日本はもうダメなどん底を這っていると思われるのは当たり前。しかし正しい姿ではない。

 

新聞記者は、広告やスポンサに左右されない、独立した記事を書くことが良い記事だと教えられてきた。ポジティブに書けばすぐ提灯記事だとか、持ち上げるとか、宣伝くさい記事と捉えられるからだ。しかし、事実を事実として書くのではなく、宣伝くさくないことを強調するためにあえて批判記事を書く記者やメディアもいる。しかし、事実が良くなったのであれば、良くなったことを伝えるのが本来のメディアではないか。良くなったのにもかかわらず、ダメと書き続けることはもはや事実から遠ざかっていることになる。

 

正しい姿を伝えることがメディアの役割である。現在世の中がこう動いている、とメディアは書きたがるが(私も含めて)、その情報は正しくなければ書くべきではない。批判記事を書くなら、成功した記事も書くべきであり、それは決して提灯記事ではない。ルネサスから批判が出ることを承知で、以前「ルネサスよ、フラフラするな」という批判記事を書いた。しかし、ルネサスから批判は来なかった。堂々と対峙するつもりだった。こちらは覚悟を決めていたので拍子抜けした。しかし、その後、ルネサスが成長路線を決め、将来性を見た時「ルネサスの未来にやっと期待できるようになったと書いた。

 

私は元々、ルネサスに頑張ってもらいたいという気持ちから記事を書いているので、矛盾だらけの方針を示したときは批判する。「半導体の国家プロジェクトがなぜ失敗してきたか」を書いたときも、同じだ。頑張ってもらいたいからだ。ここでは、失敗を失敗と言わず成功と言い換えているところに、分析をせず失敗を繰り返す、国家プロジェクトの体質を述べただけだ。

 

しかし、成長できると自分も確信した時はそれを書く。日本の産業が良くなってもらいたいからだ。私の批判記事はあくまでもこれが根っこにある。日本がもっと良くなるためには、産業が強くならなければダメ。強くするためにダメなところはダメとして批判することは決して間違っていない。しかし、頑張って良い方向が見えてきたのに、相変わらずネガティブな話しかしないのであれば、それはニュースという視点が抜けていることにも通じる。ある時までネガティブでしょうがなかった企業がポジティブに変わった時はニュースになるからだ。

                                  (2014/10/07

   

インフィニオン取材で改めて感じた日本企業の甘え

(2014年10月 5日 05:58)

9月下旬、数年ぶりにミュンヘン郊外のインフィニオンテクノロジーズ社を訪れた。インフィニオンは、元々ドイツの老舗企業シーメンスから半導体部門が独立した(カーブアウト)会社である。かつて、NECから「独立」したNECエレクトロニクスと同じように見えるが、その独立の内容が全く違う。NECエレクトロニクスにはNECとその関連会社が株式の80%以上を持ち、独立とは名ばかりの子会社そのものだった。

 

日本の半導体企業が世界の企業と全く違う特徴の一つに、「親離れ」「子離れ」が全くできていないことを以前から指摘していたが、今回、インフィニオンの本社から確認して、そのことを再認識した。日本の半導体部門は、セット部門(OEMあるいは電子機器を製造する部門)の親会社から全く独立していないことが、世界の半導体企業とは全く違うという点だ。日本企業は親も子も甘えている。これでは世界との競争に勝てない。

 

セットメーカーが半導体部門を持っているところは日本だけではない。欧州でも米国でもあった。米国ではフリースケールセミコンダクタとオンセミコンダクタは通信機器のモトローラから独立し、アバゴはヒューレット-パッカード(H-P)からカーブアウトしたアジレントテクノロジーから独立した。欧州では、NXPセミコンダクターがフィリップスからカーブアウトした。ところが、これらの企業はいずれも親会社の資本を今はひとつも持っていない。完全独立、自己責任の経営スタイルなのである。ここが日本とは全く違う。

 

元々半導体産業は、H-Pやフェアチャイルド、テキサス・インスツルメンツ(TI)、IBM、モトローラ、RCAなどセットメーカーから始めた所と、インテルやアナログ・デバイセズなど半導体専業メーカーから始めたところが多かった。それでもセット部門から独立して半導体専業メーカーになった所も多い。さらに、リニアテクノロジーやマキシムインテグレーテッド、サイプレスセミコンダクター、ラティスセミコンダクターなど半導体専業メーカーとしてスタートしたところはきりがないほどたくさん生まれた。

 

日本の半導体メーカーはいまだに親離れ、子離れができていない。ここが海外企業との最大の違いであろう。セットメーカーと半導体部門が一緒になっている企業は今やサムスンぐらいしかいない。サムスンも世界の半導体から見ると特異点なのだ。いまだに大量生産できるメモリを扱っているから、投資環境の点で垂直統合型でも生きていけているといえる。しかし、メモリ産業を手放すと、半導体ビジネスの環境はがらりと変わってしまう。

 

余談だが、サムスンがもしこのままメモリビジネスを手放すと日本の半導体と同じ運命を辿る。しかし、メモリを捨ててもファウンドリビジネスに集中するのであれば、日本とは違う運命を切り開くことができる。今さらロジックやプロセッサのファブレスでビジネスを行うのは極めて難しい。

 

日本の半導体が失敗したことは、メモリビジネスをやめたのにもかかわらず、大量生産のメモリと全く同じ投資を行うビジネスを続けたことがある。経営的には、親離れしていなかったこともある。逆に親会社は子会社を独立させなかったことの裏返しでもある。

 

かつて、アバゴがアジレントから独立した時にたまたま訪問したが、社員たちは一様に、これからは自分の責任で自分らの道を決めていく、と興奮気味に話していた。フィリップスから独立したNXPを取材した時も、これから自分たちの責任ですべて決めていくことができると興奮していた。完全独立だと、社員は退路を断ち切られ、自分の責任で自分の好きなように会社の進路を決められる。責任の重みを感じながらも自分たちの将来に大きな期待をしていた。日本の半導体メーカーにはこのような自由と責任がない。

 

例えばインフィニオンは、1999年の独立当初からシーメンスからの出資はゼロだったと先日聞かされた。2007年ごろ、10%程度はシーメンスが持っていると聞いていた。いずれが正しいのかわからないが、現在はゼロであることは間違いなさそうだ。独立した1990年代後半当時の実力は、パワー半導体が強いものの、DRAMやマイコン、VoIPVDSLなど通信用半導体なども手掛けていた。

 

2006年にインフィニオンは、DRAMビジネスをキモンダ社として分離独立させた。ただし、株式の大部分を持っていた。分離させた理由は、DRAMビジネスでは1000億円単位の投資が必要になるのに対して、メモリ以外のビジネスはソフトウエアや人に投資しなければならないが、両極端のビジネスを一人の経営者では判断できないからだ。そこで、DRAMだけの経営者と、それ以外の半導体の経営者に分けるために分離した。この点も日本のメモリ企業とは違う。

 

2007年からサブプライムローン問題、続くリーマンショックの金融恐慌に巻き込まれ、巨大な投資を必要とするキモンダは20091月に経営破たんした。キモンダにはインフィニオンも出資していたため、キモンダの経営破たんはインフィニオンにも大きな影響を及ぼした。インフィニオンは、倒産したキモンダとの連鎖を避けるためにキャッシュフローを第一に考える経営にフォーカスすると同時に、自らの強み・弱み・将来性などを内部で議論した。その結果、現在の体制、すなわち「エネルギー効率」「モビリティ」「セキュリティ」の3分野に絞り、通信部門をインテルに売却した。

 

今回訪問した時に、インテルのマークの付いた建物を見つけた。聞いてみると、インテルに売却した部門はそのままミュンヘンに残しているという。通信部門の所有者がインフィニオンからインテルに移ったが、従業員は同じ場所で同じ仕事を継続している。この仕事のスタイルはインテルが元インフィニオン従業員の仕事のスタイルを理解していることを示している。

 

かつて英国のサッチャー時代に経営不振に陥っていたロールスロイス社をBMWに売却した時、英国国民やメディアからは「英国魂をドイツに売るのか」という声が上がったとサッチャー回想録で語っている。今回のドイツ出張で、最終日にBMW博物館を見学した時、ロールスロイスの高級車を展示しており、「ロールスロイス」というブランド名を未だに使っていることに驚いた。買収した企業の従業員の心を大事にする企業文化はむしろ日本が学ぶべきことではないだろうか。次回は、インフィニオンがいかに女性や従業員を大事にしているかについて述べよう。

                                   

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(2014/10/05)

   

朝日の問題と大阪地検特捜部証拠改ざん事件は同類

(2014年9月24日 06:19)

朝日新聞の従軍慰安婦間違い問題も、大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件も根っこは同じ所にある。新聞はスクープを狙い、主任検事は事件の幕引きを急いだため、どちらも事実を歪めた。大きな機関は、なぜ事実を事実として受け止められなかったのか。

 

マスコミも業界メディアも注意しなければならないことは、事実を事実として捉えることが最も重要だということを再認識することである。メディアは新しいニュースを常に追い求めるが、事件の解説や分析でも新しい視点を見つければ、その切り口がニュースとなる。そのためにまず「仮説」を立てて、それに沿って取材・検証していく。

 

ところが、取材で得た事実が仮説と違っていれば、どうするか。答えは、素直に仮説を修正すること、である。仮説を修正して、次の取材に挑むこと。この繰り返しである。理学部や工学部の人たちは、実験計画法という授業を受けたことがあるだろう。仮説、実験(メディアは取材)、仮説の修正、次の実験、の繰り返すことで、事実を追求していく。その結果、新しい知見が得られる。メディアの分析もこれと全く同じである。その結果、新しい視点が見つかり、ニュースとなる。

 

この仮説と取材の結果が違う場合が問題である。ここでは取材する人間、実験する人間の良心が問われる。素直に事実を受け止めらるか。心を真っ白にして考えれば事実を追求することしかないはずだ。にもかかわらず、仮説を変えずにそのまま突き通すメディアや機関が問題を起こす。それが今回の朝日の事件であり、数年前の主任検事の事件である。

 

最もまずいことは事実を歪め、最初の仮説に合うように誘導することだ。これでは、事実からますます遠ざかることになる。重要なことは、事実を事実として見ること、に尽きる。さもなければ正確な判断ができなくなってしまう。事実を事実として見て、それがどのような方向に向いているか、別の事実からも見る。さまざまな角度からの事実がたくさん積まれていればいるほど、それらを整理する能力が不可欠になってくる。この能力がなければ、『ねつ造』という過ちに至ることになる。事実の観察者は事実を見て、そのどこに新しさを見出すかを探る能力を磨くことが、メディアの価値となる。

 

最初に「社会はこう動いている」、と考えたストーリーが仮説である。ところが、そのストーリーに心酔してしまうものは、仮説を仮説と思わなくなってしまうことがある。取材して実際に当事者に聞くことにより、仮説を検証するはずなのであるが、そのような場合でも仮説を曲げないメディアがいる、とある業界関係者がいた。そのメディアによって業界や企業が迷惑を被ることになる。仮説を修正しないのであれば、自説を述べているだけであり報道記事でも何でもない。

 

仮説と、分析した結果とが異なる場合に、よくある手は、自分の説に都合の良いデータや情報だけを集めることもある。こういった場合には、業界の専門家たちは記事の信ぴょう性を疑うことになる。「無理やりストーリーを作って自分の型のストーリーにはめ込んでしまう」と専門家が批判しているメディアがかつてあった。

 

ある編集者は、「インタビュー記事の8割は取材する前から作っておくものだ」と筆者に向かって語った。これこそが『ねつ造体質』に通じる。インタビュー記事が初めからある程度わかっていれば、記事としての意外性、驚き、感動などがなく、誰もが当たり前の出来の悪い記事になる。インタビューしてみて、その前とは全く違うことがわかれば、逆にそれこそがニュースの見出しとなるはずだ。上の例は、上から目線で見る編集者のおごりである。

 

メディアの役割は、事実を様々な角度から検討することで、大きな流れやストーリーを浮き彫りにし、読者に知らせることである。メディアの価値とは、当たり前のわかっていることではない。気がつかなかったこと、わからなかったこと、を伝えてくることにある。

 

メディアの中には、取材を十分しており、業界の一つのテーマをしっかり把握していると思い込んでいる人間もいる。こういったメディアが陥りやすい罠は、「思い込み」である。こうなるはず、という思い込みが事実をパスしてしまう。だから、真っ白な心が必要なのである。

 

集めた資料が十分かどうか、さまざまな角度からの検証・取材によって別の事実が浮き彫りになることもある。そして、相反する事実が出てきたときに、それをどう解釈し、事実の流れとどう結び付けていくか。このような場合こそ、更なる取材が必要なのである。見る角度を変え、時系列に並び替えたり、別の歴史の流れと組み合わせたり、取材結果を当てはめてみたり、さまざまな角度からの様々な情報を整理し分析した後で、切り口がやっと見つかる場合もある。このような場合こそ、価値の高い情報となりうる。

 

事実を事実として捉え、取材して検証するという基本を、朝日をはじめ、あらゆるメディアは再認識すべきである。

                                                         (2014/09/24

   

マスコミのルネサス報道はネガしか書かない

(2014年8月31日 22:46)

先週の828日、ルネサスエレクトロニクスは記者発表会を開いた。ルネサス本社の会議室には開催時刻の10分前に行ったのに、満員でテーブル席には座れなかった。私はそれまで通りの向こうの東京駅のスターバックスでコーヒーを飲みながら、仕事していた。たいていの記者会見、特に製品発表会では開催時刻のピッタリ行かなければ記者が揃わないことが多い。10分前では時には誰も来ていないこともある。今回の発表は新製品発表会であった。新製品発表会では多くても通常10~20人程度なのだが、今回は30~40人はいた。

 

ところが、である。日本経済新聞も日経産業新聞も扱いは小さく、他の一般紙となるとべた記事どころか、朝日新聞や毎日新聞は1行も書いていない。前日の早期退職の記事は記者会見ではなくプレスリリースを流しただけなのに、このネガティブな話題はちゃんと記事に掲載された。今回の発表は実は、ネガティブな内容はなく、極めてポジティブなしかも説得力のある新製品の話だ。

 

今回の製品は、ルネサスが初めて、世界の成長企業と同様に、グローバルなエコシステムを構築し、クルマメーカーやティア1メーカーに提案するというソリューション型の半導体システムLSIである。これまでの日本メーカーは自社製品をただ単に市場に出すだけだったが、世界のテクノロジー産業ではグローバルなエコシステムを作ってデザインし、さまざまな企業が協力し合って、システムLSIを作製している。今回のルネサスの製品は、LSIに焼き付けるソフトウエアのリアルタイムOSやミドルウエア、コンパイラやデバッガーなどを外国企業と組み、協力して作り込んだ。世界の勝ち組パターンと同じ方式を初めて採用したのである。日本の半導体がやっと浮上するやり方を採用したのにもかかわらず、新聞は報道しなかった。

 

これまでの日本の半導体メーカーは、メモリのようなコモディティ製品か、ASICのような客の言われるままに作る、ことしかやってこなかった。世界の半導体メーカーは、ユーザーの欲しがる半導体をユーザーとの話し合いの末に見つけると同時に、将来に渡って低コストで作るための拡張性、フレキシビリティなどを考慮した設計を行う。拡張性やフレキシビリティを入れるためにオープン仕様、標準化に力を入れてきた。

 

古い日本のやり方を真っ向から変えてきたのが今回のルネサスだ。自社が持っていない製品なら、その製品が強い企業のチップと組み、セットでユーザーが望むシステムをソリューションとして提案する。無理に自社開発せず、得意なところに集中することも勝ち組のセオリー。チップ単体ではなく、チップをフレキシブルに設定できるようにソフトウエアをうまく焼き込み、ユーザーが差別化するためのプログラム開発ツールも用意する。

 

今回の新製品をクルマに使うと、クルマを走らせながら視点を自由に設定してサラウンドビューを使える。従来のサラウンドビューだとクルマの真上から見たグラフィックスしか描けなかったが、真上だけではなく真上から垂直に60度くらい斜めの視点で水平360度から見ることが可能だ。斜め前や斜め後ろからのサラウンドビューが見られるのに加え、走行中でも横から人やバイクの飛び出しなどクルマの周囲360度に渡って常に見て、警告を鳴らすことができる。ここには画像合成、画像認識、視点変換、座標変換、グラフィックス描画などの作業をリアルタイムで同時にコンピュータ処理している。非常に賢く高度な半導体チップである。

 

ところが、マスコミはなぜ、このようなポジティブな話の記事を書かずにネガティブな記事しか載せないのだろうか。メディアの人間として非常に奇異に感じる。「人の不幸は蜜の味」ということわざがあるが、まさに不幸な点だけを取材して記事を作り、成功する話を書かないのは、偏見そのものではないだろうか。中立なメディアであれば、リストラの話題を書くと同時に、世界に勝てる戦略に基づいた製品の話も書くべきではないか。

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日本のマスコミが偏見に満ちたルネサスの記事を書くから、海外へ行くと世界中の記者から、「ルネサスは大丈夫なのか、今にも潰れそうに見えるけど」と言われるのだ。欧州と米国の記者に会えばいつも質問攻めにあわされる。マスコミはもっと中立な記事を書いてほしい。

                                (2014/08/31

   

NIWeekで受けた刺激は未来志向

(2014年8月 8日 14:13)

オースチンで開催されているNIWeek 2014では、やはり大きな刺激を受けた。NIWeekとは、ソフトウエアベースの測定器メーカーであるNational Instruments社が主催する3日間のイベントのこと。ここでは、測定器メーカーが単なる計測とセンサ、高精度アンプなどのアナログ技術を駆使する技術の総集大成を見せるのではなく、これからの将来に向けたITエレクトロニクスのトレンドを見せ、それに沿っていかに同社が成長していくかを示す場である。

 

宣伝臭さは少ない。自社がどのような製品を持ち、新製品を開発しているか、というような話は少なく、むしろ大きなメガトレンドを示している。まるで、IntelTIの開発者会議を超えたような新しい技術をわかりやすく、ビジュアルに見せ、ユーザー事例が豊富にある。

 

元々NIは、専用の測定器を作ってこなかったメーカーである。測定器は基本的に、検出や計測処理だけではなく、測定データを収集・デジタル処理・記録・表示する。この内、データの収集までを行うハードウエア部分をモジュール化し、残りのデジタル処理にパソコンを使ってデータを見せよう、という考えでオシロスコープをはじめとする計測器を作った。モジュールを差し込む筐体(シャーシ)を備え、モジュールのサイズやコネクタを標準化し、オシロスコープのモジュール、スペクトルアナライザのモジュール、任意波形発生器のモジュール、電源モジュールなどを揃えておけば、1台のパソコンが測定器に早変わりする。1990年前後の当初、こういった測定器を同社はVirtual Instrumentsと呼んだ。

 

このコンセプトを発展させて、設計ツールには使いやすいGUIを駆使したグラフィカルシステム設計ができるようなLabVIEW(ラボビュー)と呼ばれる設計ツールを発明した。シャーシのサイズを標準化し、PCI Expressバスを基本とするPXIシステムや、コンパクトサイズを特長とするCompact RIOシステムなどの基本プラットフォームを用意している。これらのシャーシに組み込むモジュールをアップグレードすれば、測定器そのものをアップグレードできる。つまり、拡張性が高く、フレキシビリティも高い。

 

こういった概念を推し進めてきた。今の時代がむしろ、NIの考えに合ってきた。やたらと「Software-Defined ほにゃらら」が叫ばれる時代である(ホテルカリフォルニアを引用したゲルシンガー氏の講演」を参照)7月に東京でSoftbankが主催した「Softbank World 2014」において、講演したVMwareCEOのパトリック・ゲルシンガー氏は講演の中で、「Software-Defined Layer」、「Software-Defined Enterprise」、「Software-Defined Datacenter」、「Software-Defined Future」、「Software-Defined System」など、「Software-Definedほにゃらら」を連発した。パットは元々インテルのCTOを務めた半導体男だ。

 

実は、何でもかんでもハードウエアでシステムを実現しようとする時代は終わりつつある。共通になるハードウエアを作り、その上に載せるソフトウエアを変えるだけで機能を追加したり、性能をアップグレードしたりするシステムに移りつつある。この方が、良いものを安く早く提供できるからだ。現実には、Software-Defined Radioはワイヤレス無線機のモデムでは実用化している。ネットワーク機器をもっとフレキシブルに安く運用するためにSoftware-Defined Networkも実現されつつある。

 

NIが推進してきたソフトウエアベースの測定器は、まさにSoftware-Defined Instrumentsなのだ。しかし、現実味のない「Software-Definedほにゃらら」概念だけでとどまりたくないため、実装するという意味を込めて同社は「Software-Designed Instruments」と呼んでいる。NIの持つ測定器は全て、このコンセプトを基本とする。

 

同社のシャーシはFPGA(フィールドプログラマブルゲートアレイ)を使って測定の仕様をプログラムで変えられるようになっている。データ収集系のハードウエアをユーザーが自由に変えられるフレキシブルな測定器だ。加えて、ビジュアル化(可視化)も重要な要素に加えている。LabVIEWは視覚に訴えるGUIでシステムを設計できるツールであるが、ビジュアル化をさらに進めていく。

 

NIが今後注目するのは、やはりIoTInternet of Things:全てのモノがインターネットにつながるという概念、またはつながったモノ)。刺激を受けたのは、IoTを民生用IoTと工業用IoTに分けたこと。民生用は、スマートフォンをハブとするウエアラブルやPAN/BAN(パーソナル/ボディ・エリアネットワーク)、ヘルスケアなど民生で利用するIoTと、工業向けに利用するワイヤレスセンサネットワークや、M2M(マシンツーマシン)、Industrial InternetSmarter Planetなど巨大なシステムに応用するIoTに分けた。工業用IoTは高信頼性、高セキュリティ、高品質などが要求されるため、民生用IoTとは別物と考えるべきだ、とNIのフェローであり製品マーケティング担当バイスプレジデントのMichael SantoriDSCN7082.JPGは筆者に語ってくれた。センサやシステムの大きさで区分け定義していた私は、IoTがもう実装される時期に来ていることを実感した。

 

IoTを実装したシステムを設計・検査する仕事を支援するのがこれからのNIのビジネス機会となる。常に成長を考えながら戦略を練る、と最後に語ったSantori氏の言葉は印象的だった。日本の企業が学ぶべき戦略の立て方がここにある。

2014/08/08

 

   

NIWeek 2014のネットワーキングに日本の弱さが見えた

(2014年8月 5日 20:35)

測定器メーカーであり、設計ツールメーカーでもあるNational Instrumentsが年に一度開催する、NIWeek 2014にやってきた。ここテキサス州オースチンは、日中の気温こそ35~40度と高いが、湿度が低いせいか、東京よりも涼しく感じる。特に建物に入ると上着を着なければ寒いほど、ガンガン冷房を入れている。

DSCN6693.JPG                  写真 オースチンの夜明け

NIWeek 2014は、85日から始まるが、前日はネットワークイベントが続出した。昼は、米国本社のマーケティング部門の方のオリエンテーションを聞きながら、東アジアの記者との交流があった。台湾、韓国、中国、そして日本の記者とNIのマーケティング担当者が顔合わせし、自己紹介する。

 

計測器の世界では、化学プラントやオートメーション関係のメディアが多く、残念ながら中国と韓国からの記者は誰とも面識がなかった。しかし、台湾の記者2名はなじみの記者であり、ほっとした。また、夜になると、それ以外の記者とNIのワールドワイドのマーケティング部門の方々とのネットワーキングがあった。成田からオースチンまでの乗り継ぎのヒューストン空港で、偶然シンガポールのEDN Asiaの記者をしていた男にあったが、彼もこのネットワークイベントに参加した。さらに、かつてDesign News Japanの発行・日常の編集などでお世話になったDesign Newsの元編集長とも数年ぶりに会った。

 

こういったネットワーキング(日本語では人脈形成)は、日本人にはなじみが薄いが、非常に重要だと思う。各国の記者と顔なじみになるばかりではなく、各国のIT/エレクトロニクス業界の話を聞き、情報を交換する重要な場である。台湾の記者からTSMCやメディアテック社、HTC、小米科技などの最新情報を聞くことができた。元Design News編集長からは米国のメディア業界の再編成の話を聞けた。再編成とは合併することではなく、起業と解散、買収などによって、インターネットメディアを主体とする新しい時代のB2Bメディア産業が構成されることを指す。かつての技術雑誌の仲間たちは、自分でサイトを立ち上げたり、新規ウェブサイトに転職したり、古いメディア企業内でさえも変わったメディアに移ったり、さまざまな経験をしている。

 

こういった人脈形成に必要なネットワーキングイベント(いわゆる飲み物と軽食をつまむパーティ)が残念ながら日本ではうまく機能していない。同じ企業同士しか話をしないとか、知らない人に声をかけて情報交換することが少ないとか、やはりなじみが薄い。しかし、ネットワーキングは、極めて重要だと思う。例えば英国の経済産業省下部組織が運営するセミナーやその中でのネットワーキングで知り合った人間から定期的に情報をもらったり、あるいはドイツのディナーパーティで知り合ったメディアの方から雑誌を毎月送っていただいたりして、情報収集の役に立っている。この中から記事を作成したり、翻訳させてもらったりすることも多い。

 

海外のネットワーキングでは、お酒を飲めない人に強要することはまずない。あくまでも個人が飲みたいものを飲むだけ。この意味では個人主義だが、ネットワークによって情報を得るか得ないかはメディアの人間としては雲泥の差が生まれる。要は仕事の役に立つネットワークの形成である。恐らくメディアに限ったことではないだろう。企業同士でも、顧客、サプライチェーン、ライバル、さまざまな職種からエコシステムを作り、「餅は餅屋」と言われる日本語があるように、それぞれ得意分野が違っているため、カバーし合ってエコシステムを生み出すことができる。

 

日本企業は一般にエコシステムを形成したり、標準化するための話し合いの場を運営したりすることが下手である。こういったネットワーキングを通じた人脈形成は、結局ビジネスの受注にもつながる。日本語の商売繁盛につながる仕組みである。グローバルなネットワーキングの場こそ、これからの日本企業にとって重要な場になりうる。

                                                (2014/08/05)

   

MEMSセンサ革命の時代に日本はなぜ参入しないのか

(2014年8月 4日 21:41)

スマートフォンにMEMSMicro Electro Mechanical System)センサが大量に使われているという事実が案外知られていない。MEMSとは、シリコンや水晶などの結晶やガラス材料などにエッチングやCVD(化学的気相成長)などの処理を施して、1mmにも満たないような大きさで極めて微細な機械的な構造を作る技術のことだ。

MEMSIC.jpg

 図 MEMSセンサチップ 出典:MEMSIC

MEMS技術はこれからのセンサ革命と呼ばれるセンサの量産技術を担うカギとなる。これまでのセンサは高コストの工業用の制御に使われてきた。しかし、その数量はわずかであった。スマホやタブレットが1年に数億~十数億個という大量の数を必要とするようになった。このため低コスト化が可能になった。これからは低価格化によって、工業用の制御にもふんだんに使われるようになる。Industrial Internetは、低価格のセンサのおかげで可能になる技術だ。すべてのIoTMEMSセンサが使われるようになるといっても過言ではない。だからセンサ革命の時代に入ったと言われる。

 

MEMS技術で作られた加速度センサのおかげで、スマホの画面を90度回転させると縦長の画面から横長の画面に変えることができる。重力加速度は常に垂直に地面に向かっているため、スマホを傾けると加速度の向きが変わることをMEMSセンサが検知する。

 

スマホの通話音が昔の電話よりもきれいに聞こえることにも気がつくだろう。これはMEMS技術で作られたマイクロフォンによる。MEMSマイクはやはり1~2mm角程度しかないため、1個だけではなく2~4個もスマホに入っている。通話する音をきれいに拾うために周囲の雑音を抑えるノイズキャンセル技術に使う。二つのマイクで周囲の音を拾い、一つの音の位相を180反転させると雑音同士が打ち消し合って弱められる。あるいは打ち消し合うための予測アルゴリズムを使うという技術もある。このようにして雑音を減らす。従来のコンデンサマイクは大きすぎて三つも四つも搭載できない。MEMSだからこそ、可能になる。

 

写真を撮る場合のカメラの手振れを補正するためのジャイロスコープ(回転を検出する)MEMS技術で作られる。シリコン技術で中を空洞にし、細くて薄いカンチレバーの構造を作る。加速度や角速度(回転)が動くとカンチレバーの先端がブラブラする。そのブラブラの程度を測ることで加速度や回転の度合いを知ることができる。これがMEMSセンサの基本原理だ。マイクロフォンは音によって薄い膜を振動させ、その容量変化を検出する。静電容量のわずかな変化で気圧を測ることもできる。

 

超先端の一部のスマホに入っているが、圧力センサはこれからスマホに大量に入り込むセンサだ。微妙な違いの気圧を測定することで、建物の1階にいるのか2階にいるのかの違いを検出する。アルプス電気に聞いたところ、30cmの高さを検出できるという。GPSと組み合わせれば、住所と建物を入力すれば、先端スマホを持っている人物が建物の何階にいるのかがわかるようになる。あるいは何階の部屋かを示す。

 

微妙な弱い圧力を測定できるMEMSセンサは、血圧や心拍数などの測定にも使える。つまり次世代のスマホやiPhone 6にはヘルスケア用のセンサが搭載されると言われているが、残念ながら日本のメーカーはスマホ市場には入り込めてない。新日本無線はMEMSマイクを昨年1億個スマホ用に出荷した、珍しい企業だ。しかし、大手の東芝やルネサスエレクトロニクスなどはMEMSを全く手掛けていない。

 

MEMSセンサは、厚さ500µm(0.5mm)程度のシリコンウェーハ(円板)の中をくり抜いて、薄いメンブレン(薄膜)を形成し、その上にホィートストンブリッジや静電容量ブリッジなどを作る。この薄いメンブレンによって、わずかな変化を感度よく検出したり、あるいは静電容量の変化を検出したりできる。半導体技術そのものだ。

 

こういったMEMS市場の先頭に立つ企業は、ドイツのボッシュ、次がフランス・イタリアの合弁半導体のSTマイクロエレクトロニクスが続く。トップ10社に入る日本の企業は、パナソニック、デンソー、キヤノンの3社だ。残念ながら日本の大手半導体企業は、MEMS技術を毛嫌いしてこの市場に入り込めていない。なぜ嫌がるのだろうか。

 

国内半導体メーカーは、工程が汚れることを嫌う。例えば深さ20µmのキャビティ(空洞)を空けるにはウェットエッチングを使うことが多いが、この工程は別のICウェーハを流す場合に汚れるとして嫌ってきた。このためにビジネスチャンスも失ってきたのである。ここに日本の半導体エンジニアの保守性とビジネスへの関心のなさがよく表れている。経営者もまた、エンジニアがみんなで反対すれば、それを押し切る指導力もビジネスセンスも持っていなかった。大手半導体メーカーが1社もこの市場に参入できなかったことは異常である。海外ではSTだけではなく、TI(テキサスインスツルメンツ)もプロジェクタ向けのMEMSディスプレイ(DLPプロジェクタと呼ばれている)で、アナログ・デバイセズは加速度センサで10年以上も実績がある。

 

問題は、生産ラインが汚れるからいやだという態度である。だったら一つの工場をMEMS専用に作り変えるとか、MEMSセンサを作るために何をすべきか、という態度で考えることではないだろうか。要は、新しいアイデアを否定するのではなく、成功させるためにはどうすればよいか、を考えることだ。ネガティブな理由をたくさん並べて、ビジネスチャンスを失うことのリスクの方がはるかに危険ではないか。残念ながら、エンジニアも経営層も成功するためには何をすべきか、というポジティブ思考でなかったことが今日の日本の惨状を生み出したのではないだろうか。

                             (2014/08/04

 

   

ユーザーエクスペリエンスが重要な時代を生きる方法

(2014年7月21日 13:55)

半導体を中心に、その応用であるモノづくりやITなどのシステムを見ていると、半導体陣営とITや産業機器関係者との将来の見方に温度差を強く感じる。ざっくり言えば、半導体関係者は悲観的、IT関係者は楽観的だ。ITでは、2020年には500億台のマシンやデバイスがインターネットとつながる時代になり、データレートはギガビットからテラビット単位に高速になるというような明るい未来を描く。半導体エンジニアは現在最先端の20nmプロセスの先には14/16nmプロセス、さらに10nm7nmまでくると、もう限界ではないかとささやいている。

 

この温度差は何か。半導体エンジニアはハードウエアのことしか考えていないからではないだろうか。半導体だけしか知らない者は、原子レベルと微細化を比較し、微細化のレベルがそろそろ原子レベルに到達していくことを知っている。量子論的な不確定性原理やトンネル効果、電子の波としての性質などが見えてくる。だから限界がくる、とすぐに結論付けるのであるが、もっと目を開けて応用面を見てほしい。

 

AMD28nmプロセスの新型プロセッサ(図1)を発表していた時に、記者から「インテルの22nmプロセスのHaswellと比べて、28nmプロセスでは性能が見劣りするのではないか」という質問が出た。その問いに対してAMDは「今のプロセッサは性能を争う時代ではありません。ユーザーエクスペリエンスが競争力になっています。このアプリケーションプロセッサに集積しているGPUCPUをうまく使えば、これまでにないユーザーエクスペリエンスを提供できます」と答えた。つまり時代は、性能から、ユーザーエクスペリエンスつまりユーザーが楽しいと驚く体験を提供できるかどうかにカギがある方向に動いている。だからこそ、半導体の限界を追求することも重要な技術の一つだが、それが全てではないのである。

Fig1.jpg

図1 AMDのアプリケーションプロセッサ「Bald Eagle」 

こういった兆候は数年前から見られた。2009年の電子情報通信学会のMEMS研究会で招待講演の機会をいただいたときにお話させていただいたが、その時はユーザーエクスペリエンスという言葉がなかったために、MEMSを使って楽しさを表現するデバイスがこれからも伸びると述べた。iPhoneと任天堂のWiiが登場していた。どちらもMEMSセンサを使って楽しさを表現していた。MEMSセンサがこの頃から急速に伸びていく。

 

この講演で、MEMSチップはセンサ部分とCMOS信号処理回路を無理に集積しなくてもコストが見合う方法でやるべきだと述べたら、大学の先生からお叱りを受けた。「僕らはCMOSMEMSの集積化を研究しているのに」と言われた。研究は進めれば良いのだが、生産性や歩留まりが悪くてコストを安くできないのであれば最初から使われない。低コスト化には設計段階からの関与が必要だからである。

 

ただ、低コストでしかも楽しさを表現できるデバイスにMEMS技術が数多く使われている。スマートフォンやタブレットには3軸加速度センサや3軸ジャイロセンサ、3軸磁気センサなどMEMS技術を使った機能が多い。ただし、MEMS研究者・開発者はとかくMEMSセンサ部分しか見ないことが多い。重要なことはMEMSの出力信号を楽しさに変換して表現するためのアルゴリズムの開発とセットだということ。このためにはアルゴリズム開発者と手を組んで共同開発することを考えなければ、売れるような商品にはなりえない。アルゴリズムと商品開発からコストに見合う技術を選ぶのである。エコシステムはここでもとても重要になる。

 

CMOS半導体を見ると、製品に使われる最先端プロセスは20nmMOSFETのゲート長、ゲート幅を20nmとすると、チャンネル内表面には、20nm×20nmの面積しかない。この面積内に電子を発生させるドナー不純物がいくつあるか、数えてみよう。シリコン結晶は1立方cm当たり1024乗個あるとして、ドナーは5×1017乗個で電流をオンさせると考えると、20nm×20nm×5nm(チャンネル深さ)の体積は2×10-18乗であるため、この中にドナー不純物は1個しか含まれない。つまり、1個あるかないかという数字が出てくる。ゲートしきい電圧Vthは不純物濃度ともろに関係するから、Vthは不純物の有無で大きく揺らいでしまうことになる。つまり、現在でもすでにMOSトランジスタの動作限界に近づいているのである。それでも半導体エンジニアは、ドナー不純物の影響をチャンネル領域で受けない構造を提案するなど、技術は進む。

 

一方、性能がかなりのレベルにまで上がってくると、半導体チップの競争は機能で勝負することになる。機能の中でもユーザーエクスペリエンスが最も重要な要素になってきたのがここ最近のこと。だからこそ、半導体を使ったシステム開発者やサービス提供者は、半導体の機能に期待する。機能には限界がない。

 

もう一つ、半導体エンジニアの認識が低いことに、半導体にソフトウエアをインプリメントできるという意識が薄いこと。ソフトウエアで機能やユーザーエクスペリエンスを表現できれば、価値ある半導体チップになる。だからこそ、微細化を進めて限界を極める必然性が薄れてきているのである。

 

では、半導体エンジニアがとるべき道は何か。機能を実現する手法を応用面からユーザーと共同で開発することに尽きる。だからこそ、ユーザーと、ソフトウエアからハードウエア、特にデジタルだけではなく、アナログ技術も含めてディスカッションでき、ユーザーが数年後に望むチップをイメージする能力が求められる。半導体エンジニアにとって、半導体の勉強よりもシステムの勉強の方が重要な時代に来たといえる。

                                (2014/7/21