「モノづくり」が英語になった、Thingmakerという言葉が登場

(2012年8月15日 22:40)

「製造業を国内に取り戻そう」。米国ではモノづくり回帰が叫ばれている。先週、参加していた米国の測定器メーカーのNational Instruments社が主催するNIWeek 2012では、日本語のモノづくりに相当する、「Thingmaker」(モノづくりのエンジニアや企業)という言葉が使われていた。辞書をひいても載っていない。まさに日本語のモノづくりの担い手を英語に翻訳した言葉である。

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国内の空洞化を最初に経験したのは日本ではない。米国の方が先駆者である。2004年のシカゴで開催されたManufacturing Weekにおいて、米国のアルミメーカーの社長が海外へ移転したアルミ産業を嘆いていたが、解はこの当時はまだ得られていなかった。

 しかし最近、中国における人件費が広東省をはじめ、上海・蘇州地区、北京・天津地区などで大きく上昇している。2004年に上海を訪れた時、上海のビジネス街におけるカフェテラス風のランチが400円と高くなっていたことに驚いた。中国における平均的な人件費から見ると極めて高い。ビジネス街で働く都会の人たちは、何事もなかったかのように昼食を済ませた。今では大都市における物価は日本並みにさぞ、高いことだろう。 

中国における人件費が高くなるのであれば、中国で生産する意味がなくなる。米国からわざわざ中国へ行く必要が本当にあるか、検討してみる価値がある。このためには製品価格に対する人件費の比率を求めておき、さらに輸送コストも加味する必要がある。例えば、半導体の製造工場における人件費比率はわずか5~8%しかない。だからこそ、半導体前工程は何も中国やアジアへ持っていく必要のない産業である。パソコンメーカーの台湾エイサー社のスタン・シー会長に伺った時も、パソコン産業における人件費比率は10%以下だという。であれば何も中国で作る必要はない。 

日本も米国もムードで中国へ進出したような所がある。中国進出は、本当に原価計算をし尽くして得た結果なのか、怪しい。米国企業はともかく、日本企業は、大手が中国へ行けばその大手に部品を収めているサプライヤも中国へ行き、さらにサブサプライヤもついて行った。その結果、「日本村」ができた。1990年代はじめに私は「Nikkei Electronics Asia」の発行準備でアジア諸国の現地企業を回ったときに、彼らが日本企業と全く取引がないことを私は知った。マレーシアでもインドネシアでもシンガポールでも同じだった。そのくせ、どの国の中心都市にも日本企業の商工会議所があった。つまり日本企業同士の集まりの会はどこでもある。 

日本企業の現地進出は、一緒について行った家族も現地との付き合いが少ない。近所の日本人奥さま同士でショッピングセンターへタクシーで行き、買い物を済ませるとみんなでまたタクシーで帰ってきた、という話を聞いたことがある。マレーシアのクアラルンプールはインフラが整っている割に物価が安く、過ごしやすい街である。現地の人と付き合えば、もっと良く理解しあえるのに残念である。

現地の企業は日本企業と取引したいと思っていた。日本製品は品質が高いと思われていたからだ。日本企業が現地に進出し、部品・材料の現地調達比率を上げるなら現地企業との付き合いは欠かせない。しかし、日本企業は次第に現地調達率を上げていくのだが、これは現地企業から購入するのではなく、現地に進出した日本のサプライヤ企業から買うだけだった。こういった「日本村」構造で製品は本当に安く作れるのだろうか。日本国内の地方の工場でモノを作ることとコスト比較を徹底して行ったのだろうか。 

人件費、流通経費、管理部門のオーバーヘッドなど、さまざまなコストを全て公平に見積れば、答えは出るはずだ。国内での雇用を確保しながら、世界の企業とのコスト競争力をつけることこそ、日本企業が今すぐやるべきミッションではないか。モノづくりに強い日本が民生機器や半導体でダメになっているのは、きちんとした原価計算と低コスト技術の開発を行っていないことも一因だ。なぜ、どうやってモノを安く作るのか、低コスト技術の名人である台湾に学ぶという手もある。現に、エルピーダメモリが倒産する1年半ほど前に、技術提携している台湾の関連会社で生産しているプロセスと全く同じプロセスを広島工場に導入したら、製品コストはわずか5%しか高くなかったという実例がある(参考資料1)。 

原価計算の厳密化と、低コスト技術の開発が日本におけるモノづくりと雇用確保の決定打になるのではないか。

 

参考資料

1.    台湾、日本どこで作っても差は5%のみ、エルピーダが低コスト技術を証明

(2012/08/15)



   

水族館にゴードン・ムーアさんはじめハイテク関係者が寄付

(2012年8月 1日 21:54)

海外取材で企業や大学を訪問したり、公共施設を訪れたりして気が付くことだが、米国の産業人はずいぶん寄付をしている。米国に西海岸カリフォルニア州シリコンバレーにある名門スタンフォード大学に行くと、ビル・ゲーツ研究所がある。英国のケンブリッジ大学を訪れた時もビル・ゲーツ研究所を見かけた。

シリコンバレーから50kmほど南へ行ったところにモントレーという街があり、今春、モントレーにある水族館を訪れた。水族館の入口には高額の寄付をされた方々の名前があった。その中に、ビル・ゲーツ夫妻はもちろん、ムーアの法則(半導体の集積度は年率2倍で増加すると1965年に発表した経験則)で有名なゴードン・ムーア夫妻、ヒューレット・パッカード社を創設した、ウィリアム・ヒューレット夫妻、デビッド・パッカード夫妻の名を見つけた。


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スタンフォード大学構内にあるビル・ゲーツコンピュータ科学研究所


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モントレーの街並み 左側の建物のさらに左側には海が面している。


モントレーはジョン・スタインベックの小説「キャナリー・ロウ(缶詰横丁)」の舞台となった街で、自身もここで暮したことがある。ここはイワシの缶詰(いわゆるオイルサーディン)工場があった場所で、海側に水族館がある。今春、GlobalPress Connections社主催のe-Summit 2012の中日にエクスカーション(遠足)を計画してくれ、モントレーを訪れることになった。

水族館の入口に高額の寄付をした人たちの名前が記されていた。私の知っているハイテク関係者で10万ドル以上高額の寄付をした人たちは、水族館とは無縁の仕事をしてきた人たちだ。半導体の集積度は毎年2倍のペースで高まっていくことを1965年に発表したゴードン・ムーア氏は現在もインテル社の名誉会長である。ヒューレット・パッカード社の二人の創始者はスタンフォード大学にも、名前を刻んだ建物がある。

米国では個人の寄付がこのように至るところに見られるが、日本とは大きく違う。もちろん、億単位の給料をもらう経営者が少ないこともあるが、それだけではない。かつて日本には、「自分が死んだら自分が持っているゴッホの絵も一緒に燃やしてくれ」と言っていた大企業の社長がいた。ゴッホの絵は人類の財産だ。個人の好き勝手にできるものではないはず。なぜ美術館に寄付しようという気持ちが働かなかったのか。

米国では寄付をするとその分、税金を控除されるという仕組みがある。個人が団体に寄付した分を控除することは国家にとって収入が減ることに他ならないから財務省は嫌がる。しかし国民感情としては、自分のお金が社会に有意義に使われることは透明性が高い。税金は役人の給料にもなっており、そのほか何に使われるか不透明だ。水族館や美術館、図書館、学校など公共施設に寄付するのならその分税金を減らせるわけだから、公共施設は財務省の管理内であるし、控除の対象にしてもよいだろうと思うが。

要は、働く人間がモチベーション高く、社会のために働いてくれれば国としても良い訳だろうから、国は寄付による税控除をもっと真剣に考えるべきではないだろうか。米国のように、高額所得者にかける税金が高い国において、寄付控除によって公共施設を教育目的で充実させることは、寄付する人間にとっても満足がいくのではないだろうか。

   

原子力安全委員会にエレクトロニクス技術関係者を入れよ

(2012年8月 1日 20:39)

フクシマ原発事故の報告書が政府事故調や国会事故調などの報告が上がってきたが、その前の今年の1月に民間からレポートが出ている。まとめたのは原子力の専門家たちではない。エレクトロニクス技術関係者である。原発は構造が単純であるから原子力の専門家でなくても詳しく話を聞けば理解できる。だからこそエレクトロニクス技術のわかる人たちが独自にフクシマ原発事故の本質がどこにあるのかをまとめ、「FUKUSHIMAレポート」というタイトルの書籍を日経BPコンサルティング社から出した。

この本は、事故の本質をズバリ突いている。3111446分にマグニチュード9.0の巨大地震、1550分に相馬に巨大津波が襲いかかった。1日後の121536分に1号機で水素爆発が起きた。この時刻では2号機、3号機の補助冷却装置はまだ止まっていなかった。13日の5時に3号機、14日の1322分に2号機の冷却機能が停止する。すなわち、12日の16時から13日の5時までの間に3号機、そして2号機に冷却水(海水)を注入していればメルトダウンに至らなかった。制御不能にならずにすんだのである。海水注入を躊躇したのは東京電力の経営判断によるとしている。

原子炉の危険性は少なくとも経営陣は知っていた。それも制御不能の状態に陥る前に手を打てば高濃度の放射能をまき散らさずにすんだ。どの時点で制御不能となるのか、東電の経営者が知らなかったでは済まされまい。想定外という言葉でごまかしてはならない。

原子炉の圧力は高い。通常は60気圧以上と高すぎて海水を注入できないが、ベント(排気口)を開けて圧力を下げることはできた。ただ、原子炉内部に亀裂が入り、圧力の開放は制御しにくかった可能性はある。しかし、圧力が下がった時こそ海水を注入できる限られた時間であった。この時間は長い間あった。しかし、東電の経営者はこれを経営判断の甘さで有効に活用できなかった。だから放射能をまき散らすことになったのである。

事故調は官邸の現場介入が不適切と報告したが、何がどう不適切だったか、不適切なためにどのような失敗があったのか、その失敗を詳しく検証したか、中身についてはほとんど何も述べられていない(新聞報道による)。ただ、政府の事故調は、ベントの開閉を巡り、東電役員が首相と現場の所長との間の連絡役として指令を伝え、現場が混乱したと記した。しかし、緊急時には現場に任せるのではなく、国家の一大事であるからこそ、首相と現場とのホットラインを設けるべきであった。経営判断できない役員が間に入ってもメッセンジャーボーイの役割しかできなかったからだ。この役員が現場を混乱させたのである。もし首相の質問がとんちんかんならば、現場が適切に対応策を首相に進言できたはずだ。右から左へ伝えるだけのメッセンジャーボーイは緊急時には邪魔であり、かえって混乱を助長する。

国会の事故調、政府の事故調共、東電の経営責任についてはあまり言及していない。政府は長い間、原子力政策で「原発村」に総計6000億円以上もの金額を電源三法に基づいて援助してきた。東電は政府高官の天下り先としても機能していた。どちらの事故調も東電を擁護していると見てられて否定はできまい。

FUKUSHIMAレポートは、なぜか出版社のリスクで発行された本ではない。真実を追求するという立場に賛同したものからの寄付を集め、発行したものだという。本来、出版社である日経BP社の発行する本はこれまで全て、出版社の経費で賄い発行し売り上げを計上するものだった。しかしこの本は違う。出版経費を寄付とその売上で賄い、余剰利益が出た場合はそれを全額、適切な団体に寄付すると明記している。114月に提案し、121月に発行した。500頁に渡る力作である。

出版に向けて組織したプロジェクトメンバーには元パナソニック副社長の水野博之氏をリーダーとして、山口栄一同志社大学教授、西村吉雄早稲田大学客員教授、河合弘之弁護士、飯尾俊二東京工業大学准教授、仲森智博日経BPコンサルティングチーフストラテジスト、川口盛之助アーサー・D・リトルアソシエイト・ディレクタ、本田康一郎同志社大学リサーチコーディネーターで構成されている。原子力の専門家は飯尾准教授しかいない。しかし、河合弁護士を除き全員理科系ではある。物理学を知っている人間であれば、原子力のことを聞いても理解できる。さらにエレクトロニクス技術の知識があれば、原子力の人たちに最新の放射線技術や原子炉で必要なエレクトロニクス技術をアドバイスさえできる。

日本はいつもそうだが、専門家と称する人たちだけが閉じこもる世界からは発展性もイノベーションも生まれないことをもっと広く知るべきである。だからこそ、原子力委員会に原子力の専門家だけではなく、エレクトロニクス、物理学者も入れるべきだ。さもなければ閉じられた狭い『専門家』だけの組織になり、誰も責任の取らない無責任組織のままになる可能性がおおいにある。

   

半導体は成長産業なのに官民共に理解不足、日本の弱点はコスト競争力

(2012年8月 1日 19:36)

最近、新聞に登場する半導体産業のニュースは、業界再編の話ばかりだ。これにはもちろん、半導体産業自身の経営体質にもよるが、どこかとどこかをくっつけるという話が多い。A社とB社をくっつけたところで、斜陽産業なら企業数を減らすという考えは成り立つが、いまだに年平均6~7%で成長を続ける世界半導体産業において、この考えは成り立たない。世界の半導体産業の勝ち組の経営戦略は決まって、「経営判断が速く、自社の得意分野を伸ばし、世界のメガトレンドをしっかり押さえている」、ということに尽きる。残念ながら日本の半導体産業は、このどれについても当てはまらない。

この経営戦略を把握していれば、自社の不得意なところを時間かけて開発するのではなく、他社の技術を買うか、他社そのものを買うか、と判断すべきである。他社を買わないのであれば、技術を買うためにどうすることが自社にとってベストなのかを考える。1社だけ買収しても市場をカバーしきれない、あるいは伸ばせないのであれば、数社から買う、あるいは数社と共同開発する、という選択肢に行きつく。最近、世界の勝ち組が採る戦略はコラボレーションであり、エコシステム(自社の得意な技術を持ち寄って新製品をいつでも共同開発できる仕組み)の構築である。

自分は得意な分野に専念し、不得意な分野はコラボレーションで補い、世界でベストな製品を誰よりも早く出す。これが勝ちパターンである。世界の企業買収や合併を見ていると、同じ製品を作っている所とは決して合併しない。負け組ともいえる日本だけが、競合メーカーと合併する。しかもそれを助長しているのが霞が関だ。世界の勝ち組パターンからずれているのである。これではいつまでも勝てない。競争力が付かない。

競争力を付けるとはどういうことか。これも官民共にわかっていない。先端技術を開発すればよいということではない。あくまでもコスト競争力だ。安く作る技術を身につけることである。世界一の半導体メーカーのインテル、2位のサムスン、TITSMCIBMなどは低コスト技術に注力してきた。今はテーマが違うが、SEMATECHという共同開発会社(半導体メーカー数十社が出資)の2000年代の最優先テーマは低コスト技術の開発だった。製品を安いコストで作るためには、設計段階から安く作るための技術を取り込まなければならない。共通化できる部分は共通化する。そのための標準化作りに努力する。共通化できない部分は差別化できる技術となるため、ここはすべて自社開発するか、それでも足りない部分や不得意な部分はコラボで補う。この標準化技術に対しても役所はわかっていない。日本発の規格(標準化案)を作ることにこだわる報道がなされるが、日本発か世界発かはどうでもよい。早く共通化して使える技術にすることが重要なのである。

設計段階から安く、製造段階でも安く、さらに検査でも流通段階でも安く作ることが安定経営には欠かせない。安く作れば利益を確保できる。日本企業が「利益なき繁忙」ということがよく報じられるが、安く作るための努力を怠っているからだ。安く作るということは無駄なコストをかけないということである。私は外資系の出版社にも務めた経験があるが、例えば出張手当はない。全て実費精算だ。飛行機は原則としてエコノミーチケット。出張費を浮かせるというセコイ考えはない。仕事に集中できる。経済産業省やNEDOは低コスト技術を全く理解できないため、いまだに先端技術開発しかプロジェクトに掲げていない。最近の技術はあまりにも複雑になってきたため、低コスト技術は企業1社で考えるテーマとしては大きすぎる。だからSEMATECHは低コスト技術を最優先のテーマとして選んだのである。この結果、米国の競争力は極めて高くなっている。

   

B2Bメディアの興亡:紙からインターネット媒体へのシフトに見えるもの

(2012年8月 1日 18:32)

B2Bのエレクトロニクス、半導体をカバーしている雑誌が今や少なくなった。日本では、日経マイクロデバイスの休刊、Semiconductor International日本版の休刊、電子材料を発行していた工業調査会、セミコンダクタワールドを発行していたプレスジャーナルの倒産、といった出来事がこの1~2年でめまぐるしく起きた。この結果、エレクトロニクス関係の雑誌や新聞は、日経エレクトロニクス、電子ジャーナル、半導体産業新聞の三つしかなくなった。まるで半導体業界の再編を見ているかのような紙媒体の衰退が起きた。

代わって生き残りを図っているのが、インターネット媒体である。日経BP社はTech-On!にエレクトロニクスと半導体を含めており、日経マイクロデバイスという紙媒体からインターネット媒体へ移したようなコンテンツを構成している。EDN JapanEE Times Japanは紙媒体を止め、インターネット媒体へシフトした。マイナビニュースやセミコンポータル、WirelessWire Newは最初からインターネット媒体として生きている。

こういった動きは実は日本だけではない。米国のエレクトロニクス・半導体メディアも紙からインターネットへシフトしている。EDN JapanEE Times Japanの姉妹誌であるEDNEE Timesはインターネットが主体で、EE Timesの紙媒体は極めて薄くなっている。もう一つの競合誌であるElectronic Designも同様だ。

これに代わって、さまざまなインターネットサイトが登場している。紙媒体も持つChipdesign Magazineは雑誌とウェブサイトに加えて、エレクトロニクスをさらに細分化してまるで分科会のようなウェブサイトを三つ持つ。一つは「Low-Power Engineering」、もう一つは「Semiconductor Manufacturing & Design」、そして「System-Level Design」である。いずれも半導体の設計とシステム設計、半導体製造をカバーしている。

B2Bのウェブサイトのビジネスモデルもユニークになってきた。EE Times Japanを設立したのは、チップワンストップという電子部品のネット商社である。これまでメディアは業界から独立した出版社が発行してきた。編集の独立性を維持するためだ。チップワンストップがEETJを設立した時も編集の独立性は担保されたという。同様に、WirelessWire Newsはノキア・シーメンスが唯一のスポンサであるが、編集の独立性は担保されているという。ただ、EETJはこの後、インプレス、IT Mediaへと売られるという数奇な運命をたどる。

インターネットのメディアは興亡を繰り返し、まだビジネス的にしっかりと確立されたものではない。しかし、新しいビジネスモデル次第では、利益の出るネットビジネスが可能だと信じている。

   

8月6日からのNI Week

(2012年8月 1日 17:23)

今年は、テキサス州オースチンで開かれるNI Weekに参加することになった。NINational Instruments社の略である。オースチンは、米国の半導体コンソシアムであるSEMATECHがあった街であるし、かつてモトローラやモステック、SRCなど半導体関係の企業やコンソシアムが集まっていた。今でもサムスン電子、SiliconLabsなどの拠点もある。

NIは、もともとソフトウエアを利用したフレキシブルな測定器としてこの業界に参入した。その発想は極めて革新的だ。ソフトウエアと、ハードウエアボードがあれば、パソコンがオシロスコープにもスペクトルアナライザにもなる。NIは当初、Virtual Instrument(仮想測定器)と呼んだ。

ただし、この呼び名は誤解を受けやすい。例えばオシロスコープなら時間軸に対する電圧や電流の波形を表示するが、まるでシミュレーションだけで本当は測定していないようにもとれる。このため、同社はこの呼び名をやめた。その後、データ測定だけではなく、設計、シミュレーション、テストが可能なさらにフレキシブルなLabVIEWと呼ぶ、開発環境をリリース、これが現在同社の大きな原動力になっている。

LabVIEWは、グラフィカルユーザーインターフェースを使って、回路やシステムを組み、組んだ回路を測定・テストする総合的な開発環境である。LabVIEWの開発環境に、グラフィカルプログラミング言語(G言語)とコンパイラやデバッガ、リンカなども統合されているため、グラフィカルなユーザインターフェースを利用してプログラミングしてすぐに結果を知ることが可能だ。例えば、回路図をライブラリからコピペしてプログラミング言語も加えて回路の機能をテストすることができる。

このLabVIEWと、ちょっとしたカスタム設計のハードウエアボードを使えば、ソフトウエアを書き直し、ハードウエア部分もFPGA等のソフトウエアベースの半導体チップで回路構成をし直すだけで、ほとんどすべての機能をフレキシブルに実現できる。例えば、まだ規格が決まらない先端技術の開発などにはピッタリだ。規格がたくさんあってとてもASICのようなハードワイヤードでカスタム半導体回路を起こしきれない、といった開発案件にも対応できる。特に携帯通信規格のLTELTE-Advanced(4G)など、各国で規格や周波数が違う技術にはピッタリだ。

今回、久しぶりに企業の招待での海外出張となる。NIの創業者の一人でありCEOでもある、James Truchard氏は米国のハイテク経営者の中でも尊敬されている経営者の一人だ。話を聞くのがとても楽しみである。