日経マグロウヒル設立秘話

(2012年10月11日 21:42)

日経マグロウヒル誕生の話を創業者のラッセル・アンダーソン氏からうかがった時、日経BP社は生まれていなかったかもしれない、というスリリングな気持ちになった。B2Bメディアで成長を遂げた日経BP社の前身である日経マグロウヒル社の誕生は、もしかしたら存在しなかったかもしれないのである。歴史に「もし」という仮定はないが、優れた経営判断があったから同社は生まれた。日経BP社には設立当時のいきさつを覚えている人間はほとんどいない。記録にとどめるという意味で、覚えている範囲で述べてみたい。

 

1960年代、米国ニューヨークを本社とするマグロウヒル(McGraw-Hill)社は、ビジネスウィーク(Business Week)やエレクトロニクス(Electronics)、アビエーションウィーク&スペーステクノロジー(Aviation Week and Space Technology)など数十の雑誌を発行していた雑誌部門、単行本を発行していた書籍部門など複数の事業部門を持っていた。ちなみに、マグロウヒルは、McGrawさんとHillさんが設立した出版社であることから名づけられた。Hewlett-Packard(ヒューレット-パッカード)社の由来と同じである。1960年代終わりごろ、雑誌部門のプレジデントがラッセル・アンダーソン氏であった。マグロウヒルの雑誌の記事は、編集スタッフが執筆するというスタッフライター制を採っていた。

 

日本は高度成長期を迎え、アメリカスタイルのB2Bbusiness to business)出版事業が日本でも成り立つのではないか、と彼は考え、1960年代後半に日本にパートナーを探しにやってきた。最初は出版社を回って、スタッフライター制の雑誌を発行する出版社を一緒に作ろうと説いた。当時の日本の出版社は、オーム社や工業調査会、講談社、小学館など、記事執筆を外部のエンジニアやライターなどに依頼するというスタイルを採っていた。自社の編集スタッフが記事を執筆することはまずなかった。固定人件費がかかることを嫌っていた。アンダーソン氏は自社のスタッフが記事を書く雑誌は中立なメディアになることを説いて回ったが、訪問した全ての出版社がコストがかかるためムリという返事を返したという。

 

誰ひとりまともに議論してくれなかった日本の出版業界に失望しながら米国に戻った彼は、再度日本のメディア業界を調査した。行きついた結論が、新聞社ならスタッフライター制度を採っているから合弁事業は可能かもしれない、ということだった。そこで、アンダーソン氏は再度来日し、今度は朝日、毎日、読売、日経など大手新聞社を片っ端から回った。しかし、ほとんどの新聞社の社長は興味を示さなかった。唯一の例外が日経の円城寺次郎社長(故人)だった。円城寺社長は、ラッセル・アンダーソン氏の提案の意味をよく理解し、日経新聞とマグロウヒルの合弁会社を作る案に賛成した。

 

ところが、当時の通商産業省(現在の経済産業省)は外国資本の国内上陸を嫌い、外国資本との合弁会社でも日本企業の株式比率が多くなることを強要した。結局、51%49%という日経が少し多い株式の合弁会社に落ち着いた。これが1969年に設立された日経マグロウヒル社である。ちなみに日本テキサスインスツルメンツ社が設立された当時も外国資本の100%現地法人は許されず、ソニーとの合弁会社(やはりソニー51%TI49%)として出発した。

 

日経マグロウヒル社第1号の雑誌が1969年に発行された日経ビジネスである。当時はBusiness Weekが姉妹誌であり、翻訳記事も多かった。第2号の雑誌が1971年に発行された日経エレクトロニクスだ。当時の日経エレクトロニクスはElectronicsからの翻訳記事が半分近く占めていた。合弁前の1965年には、ムーアの法則を提案した、インテル社のゴードン・ムーア名誉会長がその法則についての論文を寄稿した雑誌がElectronicsである。スタッフライター制が定着するにつれ、日経ビジネスと同様、内部執筆記事の比率が高くなっていった。

 

1979年にはElectronics誌は創刊50周年を迎え、私も入社3年目で特集号の編集に係わらせていただいた思い出がある。その時、Electronicsという言葉は、マグロウヒルのこの雑誌名が最初に使われた言葉だということを知った。電子を意味するElectronに学問を意味する接尾語-icsをつけてElectronicsと名付け、日本では電子工学と訳されている。Electronics誌は残念ながら他の出版社へ売却され、その後1980年代に休刊に至った。売却、休刊のいきさつの詳細は知らないが、編集コンセプトについて、技術オリエンテッドを維持するか、ビジネスオリエンテッドにシフトするかについてパブリッシャーとエディターとの間で意見が対立、ビジネスオリエンテッドにシフトすると共に没落していったと聞いた。

 

その間隙をぬって、1985年に発行されたのがElectronic Engineering Timesだった。同じ年に米国出張へ行き、PR会社の人からEE Timesに載っていたあのニュースを読んだか、と聞かれた。早いニュースをキャッチするメディアとしてEE Timesは話題を呼んでいた。確かに、当時EE Timesに掲載されていた記事では、その技術的な信ぴょう性はともかく、やたらとニュースが速かった。当時はほかにもElectronic DesignEDNというエレクトロニクス関係の雑誌があり、Electronicsが休刊してもこれら3誌が競い合った。より技術的に深いEDN、動向記事に強いElectronic Design、速報ニュースに強いEE Timesと、それぞれが特長を生かしていた。

 

日経マグロウヒル社は、1988年に社名変更する。マグロウヒル側が株式を売却したい、との意思を示し、さまざまなメディアが買収案を示した。が結局、最も高い株価を提示した日経が買った。当時の日本では経済バブルの真っ最中であり、円高が進行し、米国企業を買うことが流行した。マグロウヒルが合弁会社から手を引いたため、会社名を日経BPBusiness Publications)社と変えた。これが今の日経BP社の原点である。

 

歴史に「もし」はないが、もし朝日新聞社の社長がラッセル・アンダーソン氏の提案に興味を示したら、朝日マグロウヒル社が生まれ、「朝日ビジネス」や「朝日エレクトロニクス」を発行していたかもしれない。経営者の判断がその後の企業の成長に大きく左右した好事例といえる。では、今の日本企業の経営者は、海外企業との合弁をオファーしたり、されたりする場合に、将来の成長へつなげられる判断ができるだろうか。20年、30年に渡って成長していく企業作りの視点を経営者には是非持っていただきたいと思う。

2012/10/11

   

低コスト技術こそ利益の源泉

(2012年10月 9日 23:06)

性能だけを追求してもコストが高ければモノは売れない。競争力はつかない。良いものを安く作る技術が競争力を付ける。日本のモノ作りが今アジア勢だけではなく米国勢、欧州勢に負けているのは、良いものを安く作れないからである。良いものをより良くしても高くなるだけで、クライアントの要求から遠ざかってしまう。海外勢は良いものを安く作ることに集中しており、日本との差がはっきり表れている。

 

例えば、スティーブ・ジョブズ氏は、かつてアップル社を追われNext Computer社を設立、高性能なコンピュータを世に出した。しかし高性能を追及した結果、百万円以上の価格になった。これでは売れない。このコンピュータは失敗だった。彼がアップル社に戻った時、この失敗を生かした。どのようなカッコいいデザインのコンピュータでも、売れる価格になるように設計しなければ失敗に終わるということを学んだ。戻った後にヒットさせたiMacは斬新なスケルトンデザインながら13万円台と手ごろな価格になるように設計した。iMacは爆発的にヒットした。その後のiPodiPhoneiPadにおいても手ごろな価格という路線は変わらない。

 

アップル製品の生産におけるコストダウンの圧力は極めて強いと言われている。これは安売り商品を作るためにコストカットをするのではなく、手ごろな価格で魅力的な商品を製造するためにコストカットする。利益を十分確保するためだ。利益が得られなければ事業は継続できない。社会のみんなに使える商品を提供し続けるためには利益を生み出さなければならない。日本企業は儲かっている時期でさえ、「利益なき繁忙」と言われることが多いが、利益を上げるためのコスト意識がアップルとは比べ物にならないくらい低いからだ。

 

アップルだけではない。インテルやTI(テキサスインスツルメンツ)なども製品を手ごろな価格(決して安くはないが手の出ない価格でもない)で製造するために、製造原価の徹底的なコストダウンを行っている。それは設計段階から始まっている。いかに無駄な設計をしていないか、ソフトウエアの行数を減らす技術を採り入れているか、製造工程でも無駄な工程はないか、独自の工程をできるだけ減らし、共通化できる工程を増やしていく。製品の設計からテスト方法、製造方法、生産管理方法、共通化するための標準化、など商品のシステム設計から生産工程、流通工程に至る全てのコストを常に見直し、低コスト化を追及している。

 

日本のモノ作りはまず、いいものを作ることから始まる。作れるかどうかわからないからコストは関係せず、まず作ってみるという姿勢だ。海外はいいものを低コストで作ることから始まる。限られた費用の中でいかにして仕様を取り込み、製造上でも低コスト化できないかどうかを探りながら製品を開発する。低コストで作るために設計から販売チャネルに至るあらゆる工程と手段に知恵を絞る。この差がコスト競争力となって後で現れてくる。標準化や工程や設計などの共通化はコストダウンの一環である。安く作るために共通仕様で標準化する。だから利益を生み出すための標準化には力を入れている。

 

新聞などでは「日本発の世界標準を作ろう」と政府が旗を振っている記事をよく見かけるが、ピント外れも甚だしい。企業にとって日本発であろうが世界発であろうが、どうでもよい。標準化仕様を誰よりもいち早くキャッチして採り入れ、手ごろな価格の製品をいち早く作り販売することが最も重要なのだ。これこそが世界の勝ちパターンである。そのためには、海外における標準化作業に一緒に取り組み、その最新情報を常に会社に伝え、製品開発に欠かせないディスカッションをする必要がある。成功例として、旧NECエレクトロニクスは世界で最初のUSB3.0インターフェース準拠の半導体チップを開発したが、これは標準化委員会に最初から参加し、その製品仕様情報を会社にフィードバックしていたからだ。

 

低コスト化は、早く開発して世に出すことともつながる。つい最近まで言われていたことだが、日本のメーカーに新技術を持って訪問すると、その技術を買おうとせず、対応した部長は「この技術ならウチでも開発できる」と自信満々に上層部に伝える。上層部は、デキる部長の言うことだからウチで開発しようということになる。これが負け組につながったのである。なぜか。その部長や上層部にはTime-to-marketの概念がなかったからだ。ある時期の内に発売しなければビジネスチャンスを失ってしまうことに気がついていなかった。日本のメーカーが自分の得意な技術に集中し、持っていない技術はたとえ自社開発できるとしても、その技術を外部からさっさと買わなければ、良い製品を良いタイミングで発売できない。製品トータルのコストを考えると、自社で開発するために必要なリソースをつぎ込む方が結果的にコスト高になってしまうことが多い。しかも決まった時期内に製品を出すことができずライバルに負けてしまう。機会損失、機会チャンスという考え方を導入しなければ競争には勝てない。

 

日本のメーカーは、最近ようやくこのことに気がついたようだが、海外勢とはもはや大きな差がついてしまっている。詰まる所、経営判断の遅さが招いた差である。コストを二の次にしたモノづくりをやっている限り、日本の競争力はいつまでもつかない。コストを念頭に入れた設計・製造の技術開発こそ、海外の勝ち組、インテルやクアルコム、TIなどが採り入れてきたモノづくりの手法である。日本の企業がこのことに早く気がついてほしい。

2012/10/09

   

ITジャーナリストは有象無象か

(2012年10月 6日 10:51)

ここ数日、日経ビジネスの小板橋太郎記者の書いた「『声なき声』に耳を傾けているか」というブログが波紋を呼んでいる。ITジャーナリストを有象無象と述べたことに噛みついた、あるITジャーナリストがつぶやいていたのである。

 

小板橋記者は、ITジャーナリストはIT企業の「ご招待」によって、スマートフォンを発表前に触らせてもらい、その引き換えに提灯記事を書く、というような意味のブログを書いた。彼の指摘はある意味では正しい。かつては、オーディオ評論家がそうだった。AV機器メーカーから招待・接待を受け、新商品を発売前に評価する立場にあった。当然、筆は鈍るだろう。悪いことは書けない、書かない。だから提灯記事となった。

 

だが、待てよ。かつて日経BP社にいた私は、利益媒体と赤字媒体の両方を経験し、記者としての心構えに大きな戸惑いを感じたことがあった。日経BPでは、「武士は食わねど高楊枝」という精神で記者は取材に当り、招待取材は受けないことが原則であった。利益媒体にいた時は、招待取材の場合でも、出張旅費は出版社が払っていた。一方、赤字媒体にいた時に招待取材の案内を受け取っても出張旅費を媒体予算で出せないため、招待をお断りした。その後、その招待した企業からプレスリリースをはじめ情報が全く来なくなった。情報過疎に置かれたのである。記者としてこのスタンスはおかしいと思った。利益媒体は出張取材に行けて赤字媒体は取材に行けないのである。

 

「高楊枝」の精神は評価するものの、媒体ごとにスタンスが違うようでは、いま利益の出ている媒体が赤字に転落した時は、ジャーナリストとしての心構えが変わってしまう恐れがあるのだ。ITジャーナリストは、私と同様、フリーランスが多い。フリーランスのジャーナリストは記事を作成することで生活の糧を得ている。そのために筆が鈍ることを、収入の安定した出版社社員が非難はできまい。生活の糧を心配することのない日経ビジネスの記者とは違うのである。親方日の丸ではないが、しっかりしたバックを得て書けるジャーナリストとフリーランスのジャーナリストとは基本的な立場が違うと言ってよい。

 

私は今、基本的に招待取材を受ける人間である。招待取材を受けても情報が得られる方が読者のためになると思うからだ。とはいえ、提灯記事は書かないように一線を張っている。そのために、「書けというオブリゲーションがあるのであれば、招待は受けません」とひとこと言っておく。オブリゲーションがないのであれば招待を受ける、というスタンスである。書く、書かない、あるいは第3者的に冷静な分析を入れて書くことは、あくまでもジャーナリスト側の判断によるからだ。取材した企業の内容がすでにどこかで発表したものであれば書きたくても書けない。あるいは何のニュースもない記者発表なら書けない。だから「書く」という約束はできないのである。

 

もちろん、ジャーナリストが海外出張など数日間を費やす以上、何か新しい視点を見つけて書くように努めることは言うまでもない。だから、新製品や新技術の発表でなければ書けないようではジャーナリストとはいえない。新しい視点を自分で見つけ、その視点で見ると今までにない新鮮な切り口のニュースになる、と思ったら書く。その場合には媒体の持つ想定読者を念頭に入れて視点を探す。想定読者の役に立つ切り口を模索するという作業に私は時間を費やす。そのためには、設計技術・製造技術・製品・応用・市場・ビジネス戦略などあらゆる角度から切り口を検討する。だから日々の取材・勉強が必要なのである。幾何学の補助線を見つけてきれいな解を見つける作業と同様、新鮮な切り口が見つかったときは、やった!という気持ちになる。

 

ジャーナリストは情報を集めることがまず大きな仕事であるから、取材しないのならジャーナリスト失格である。取材して知らない話を聞けるのであれば、基本的に取材は受ける。海外からの電話取材の依頼もしょっちゅうある。ただし、書けというオブリゲーションがあるのであればお断りする。できるだけ書く努力は当然ながらするが、書けという約束はできない。オブリゲーションがなければ喜んで取材を受ける。

 

実は、こういった私のスタンスは海外メディアから学んだものだ。海外のB2Bメディアはやはり日本のメディアよりも一日の長がある。かつてのEDNDesign NewsSemiconductor Internationalの編集長や記者たちとのディスカッションはとても役に立っている。利益媒体なら取材に行き、赤字媒体なら取材に行かないという態度はジャーナリストとして矛盾している。

 

13日からの米国出張取材はPR会社の招待で行くが、やはり「武士は食わねど高楊枝」の精神は伝え、理解してもらっている。どのような視点を探してもニュースにならない場合には書かない。もちろん、ニュースとして記事を書いた暁には、記事のURLあるいはpdfを相手に送っている。ジャーナリストのスタンスがぶれてはならない。

(2012/10/06)

   

黄昏CEATECの中に一条の光が見える

(2012年10月 5日 22:50)

CEATECにやってきた。102日はメディアをはじめ特別招待日であった。今年は残念ながらこれまでになく記者の数は少ないように見えた。いつもなら初日にはメディアの仕事場であるプレスセンターは満員だが、今回は場所取りに苦労することはない。知り合いの記者も少ない。半導体、エレクトロニクス関係の記者はどこへ行ったのか。5日はもっと少なかった。事務局の調べでは102~4日までの3日間の来場者数は90,548名である。5日間で20万人を目指すと言っていたが、目標達成は難しそうだ。

 

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図1 2012105()のプレスセンター 記者の数はまばら

 

このプレスセンターの状況は、現在の日本の電子産業をよく表してしている、と複数の参加者から言われた。日本の電子産業は縮小均衡を図ろうとして縮まる傾向が強い。昨年は、インテルとマキシム、国内のロームの3社の半導体メーカーが出展したが、今年はローム1社だけだった。家電のブースはもっとひどい。未来を感じさせる展示物やパネルが少ない。ただ単に高精細にしただけの4K2Kのテレビ、ジェスチャー入力、スマートホーム、どれもすでに発表されたものばかり。すでに今年1月のCESConsumer Electronics Show)で見たものばかりですね、と業界のベテランの方から言われた。

 

ところが、大手セットメーカーのつまらなさに対して、意外と部品メーカーが面白いという声を聞いた。例えば、かつてコンピュータアーキテクチャを研究していた元エンジニアの人は、部品が面白いですね、と言っていた。確かに、村田製作所やアルプス電気、ミツミ、京セラ、TDK、太陽誘電などには人だかりがあった。海外では半導体メーカーがソリューションを顧客に提案するソリューションプロバイダに変身してきているが、日本では部品メーカーが提案型になってきている。村田製作所がジャイロスコープの制御技術の一つとして、自転車や1輪車の自動操縦を行う、「ムラタセイサク君」「セイコちゃん」は部品で何ができるかを見せた例である。今年も彼らを見ようと詰めかけた人たちは多かった。

 

私が最も面白いと感じた技術は、地方の中堅企業の技術だった。空間に静止画や動画を映す技術を広島市の株式会社アスカネットが開発したのである。これまで水の流れる滝や霧、煙など光が反射する空間にレーザー光を当てて映像を見せるという手法はあった。シンガポールのセントーサ島で見せるレーザーショーはこの原理を応用したものだ。しかし、全く普通の空間に映像を映し出す技術は今まで見たこともなかった。

 

このブースに集まる人たちは一様に、驚きの声を上げていた。これは微細なミラーを格子状に並べたもので、鏡の反射を利用しただけの光学系には違いないのだが、空間のある平面に映像を映し出し、その面に焦点を結ぶというものらしい。空間だからこそ、その画像に触ろうとすると手はすり抜けてしまう。だが、3次元テレビや3次元ディスプレイで見える虚像とは違い、写真が撮れるのである。出展社のアスカネットは実像だという。

 

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2 写真で捉えた空間面の画像

 

他にも、球状のインダクタと呼ばれる丸いコイルやトランスなども展示されている。ここも中堅企業の部品メーカーが作製したもので、二つの半球状のフェライトを合わせて球状にし、その中にコイルやトランスを入れている。フェライトでシールドしているため半導体トランジスタなどでスイッチング動作させてもノイズを出さない。これもアイデア商品だ。

 

これらに共通するのは、大手企業ではなく中堅企業のアイデア商品だということ。大手企業のセットメーカーからは新しいアイデアはもはや出てこなかった。この現象は何を意味するのであろうか。日本のモノづくり産業のイノベーションは大手から中小にシフトしているのではないだろうか。大手セットメーカーは毎日、リストラの話で終始していると言われている。もはやイノベーションは期待できない。でも中堅・中小企業にイノベーションを期待できるのなら、日本のモノづくり産業はまんざら悪くはない。むしろ、未来が見えてくるといえよう。

 

このことは、大手企業、下請け企業、孫請け企業、ひ孫企業、というように階層を構成してきた日本のモノづくり産業構造が崩れつつある時期に来ていることを意味するのかもしれない。海外では、大手よりも中小、あるいは中堅企業がサプライチェーンから顧客に至る企業までパートナーシップを結ぶエコシステムを構築することでモノづくりを成功させている。日本の大手セットメーカーや半導体メーカーなどは垂直統合にこだわり過ぎて、スピード経営、スピード決定ができない、ことが敗因となっている。大手セットメーカーに期待するのではなく中小、中堅企業が世界と戦えるようなインフラを整えることが日本のモノづくり産業を救う道になるのではないだろうか。

 

日本で独立した半導体専業メーカーはローム1社しかいない。残りは全て親会社の干渉、庇護の元で運営されており、独自に経営することが許されない。中小、中堅企業の元気のいいイノベーションを見る限り、一刻も早く親会社、旧財閥系銀行などからの独立を図る経営が求められる。いつまでも放置しておけばますます世界との競争に敗れ、社会主義的環境から抜け出すことはできなくなる。もちろん、霞が関からの影響を排除し、自由に市場へ参入して競争できる環境が産業にとっては望ましい。政府は自由競争するため世界と同じ土俵(税制・関税・優遇措置など)を整備することが日本の産業のためになる。補助金を配ることだけが能ではない。

2012/10/05

   

進歩するための二つの言葉

(2012年10月 3日 21:59)

8月に米国のソフトウエアベースの計測器や組み込み設計システムを開発しているNational Instruments社主催のNIWeekへ行って、書き足らないことがまだある。プレゼンが始まる前にスクリーンに流れるいくつかの言葉の中には、今の日本に役に立つものが多い。印象に残った二つの言葉を紹介しよう。

 

学ぶことをやめる者は年寄りだ。たとえ20歳であろうと、80歳であろうと

 人生いくつになっても学ぶという姿勢が大事なのである。以前NHKテレビで見たのだが、92歳のお年寄りの脳が成長していることが見出されたという。その方は、90歳になってから中国語の勉強を始め、学ぶことが楽しくて仕方ないと語っていた。

 

脳内にあるニューラルネットワークの神経細胞のつながりは、脳を使わなかったり、酒を飲んだりすると確実に切れていくと言われている。酒は飲んでも翌日また頭を使って仕事をすれば神経細胞はつながるため、若いうちの脳は退化しないように見える。ただ、その生活を60歳~70歳になってあまり脳を使わない生活を送っている状態で酒を飲み続けていると退化する恐れが十分ある。

 

酒はともかく、脳を使うというか、常に学ぶことをしていると新しいアイデアが次々と沸いてくることは確かだ。とかく若い柔軟な頭脳の時に勉強すればその勉強が身につくと言われるが、歳とは関係ないだろう。日本航空を立て直した稲盛和夫さんは今年80歳だ。日航の問題を把握し、解決案を考えさせると同時に的確な指示を与えてきた。考え、学ぶことができた。実際には大変お疲れになられたことだろう。

 

逆に若者が考え、学ぶことをやめたら、絶対に年寄りには勝てない。そのような若者だらけになったら国は衰退していく。若者の特権はやはり体力である。体力にモノを言わせて年寄りに負けないほど一所懸命勉強し、アタマを使って常に考える習慣を身につければ年寄りには勝てる。次の日本をリードできるのはやはり若者だ。学ぶことをやめたら年寄りだという言葉は真実をついている。



リスクを採らないというリスクほど大きなリスクはない

 リスクを採らないように採らないようにとして穏便に済ませようとすればするほど、それが積み重なっていけば大きなリスクになってしまうという意味である。問題を先送りすればするほど次第に経費がかかったり、却ってリスクが高まったりする。特に、日本の官僚機構、大企業の仕組みなど、出世した者ほどリスクを採らずに先延ばしにしようとする傾向が強い。2~3年で任期を全うすれば手厚い退職金や年金が待っているからだ。官僚や経営陣はリスクを採らない方が得する仕組みになっているのである。ここにメスを入れなければいつまでたっても借金は膨大になり、子や孫の世代が借金を払うことになる。払えなければ国家や会社は倒産の危機を迎える。

 

会社の方が国よりもまだましだ。資金を提供した銀行や株主が黙っていない仕組みを持っているからだ。今の日本国家にはそれがない。それでも、あとになってリスクを採らなかったばかりに現状の経営が悪化しどうにも手をつけられなくなった時のリスクの方がよほど大きい。売却したい部門は安く買いたたかれる。残った部門でさえも足元を見られ買いたたかれる。日本の借金である国債の問題も実はこういったリスクを負っている。

 

リスクは資金が豊富にあるうちに評価し、リスクを見込んだ原価計算をし直し、万が一のことがあっても組織を維持できるように正しい評価と計算をしておく必要がある。例えば、原子力エネルギーは安いという宣伝文句が嘘であることが3.11でわかった。安全を確保するための技術を使い、リダンダンシー(冗長構成)や誤り訂正技術、フォールトトレラントなどを駆使し、万が一の場合に備えて保険を強固にすると、実は決して安くはない。

 

IBMが環境対策に資金を投入し、工場内から有毒物や外のありそうな物質を絶対に出さないという方針で工場管理をしていた、という話をIBMの方から聞いたことがある。なぜコストのかかる環境対策にそれほど一所懸命になるのか、伺った。IBMは有毒物を工場外に出してしまった時のリスクを考慮したコスト計算を行っていた。そのリスクは、場合によっては会社の存続にかかわるリスクかもしれない。それよりも環境対策を万全にして有害物を工場敷地から出さない、ということにコストを費やす方が結局は安くなる、ということだ。

 

残念ながらわが国の原発の安全対策は不十分であり、今回被害に遭われた方々に対する補償なども原価計算に含める必要がある。これがリスクを採る安全対策になる。つまり、リスクを含めた原価計算をしなければ企業として存続できないはずなのである。それ抜きでコストを出すことには全く意味がないのである。このように計算し直すと、原子力の1kW当たりの電力はこれまでの計算値よりもずっと高くなるはずだ。それを国民に示すべきであり、それがないからいつまでたっても政府・行政不信になる。

 

リスクを採らないビジネスというものは本質的にあり得ない。ベンチャーを起業するリスク、企業を存続させるためのリスク、何にでもリスクはある。リスクを考えずに何かを事業を起こしてトラブルに見舞われると想定外という言葉で逃げる。リスクがあるからと言って問題を先送りしてはいつまでたっても解決しない。問題を先送りすることを英語で、Japanize(ジャパナイズ)というらしい。日本政府のやり方を指した皮肉である。

(2012/10/03)

   

米系ファンドは敵か味方か

(2012年9月28日 22:24)

ルネサスに対して、産業革新機構が中心となって、ルネサスの顧客も含めて出資しようという提案が先週の日本経済新聞1面を賑わした。9月はじめに米系ファンドKKR(コールバーグ・クラビス・ロバーツ)がルネサスに対して1000億円を出資して、経営を立て直そうと提案したところ、革新機構が後出しじゃんけんのように1000億円を出資しようと提案したというのである。まるで子供のゲームを見ているようだ。

 

KKRはこれまで半導体産業には、NXPセミコンダクターズに出資してきた実績がある。フリースケールセミコンダクタにはブラックストーン・グループとカーライル・グループが出資、コバレントマテリアルズ(旧東芝セラミックス)にはカーライル・グループなどが出資した。コバレントの業績は今一つでしんどいところだが、フリースケールはようやく良くなってきたところだ。

 

カーライルについては良くない評判を聞くこともあるが、ブラックストーンの評判はよくわからない。NXPセミコンダクターズに出資してきたKKRの評判は悪くはなさそうだ。NXPは、もともとオランダのフィリップス社から半導体部門がスピンオフして2006年に生まれた会社である。設立した当時、取材してみると、NXPの経営陣はみんな一様に興奮した様子で、自分の自由に会社を運営できるという喜びを感じており、取材した私もその興奮を感じ取った。アジレントテクノロジー(ここもヒューレット-パッカードから計測器部門が独立した企業)から独立したアバゴテクノロジーを米国で取材した時は、経営陣だけではなく、従業員もみんなが自分の方向を自分で責任を持って決められるようになる、と喜びで興奮していたことを覚えている。

 

ドイツのシーメンスから半導体部門を独立させたインフィニオンテクノロジーズやNXPなど、大きな親会社から独立した欧州の半導体メーカーは日本の旧NECエレクトロニクスとは違い、親会社の出資株式は10%程度しかなかった。しかし、親会社から干渉を受けたという話を、欧州を取材した時に聞いた。NXP2年前には親会社はその10%の株式さえも売却し、文字通り完全独立を果たした。その直後に取材したNXPの人たちはそのことを素直に喜んでいた。KKRに支配されることよりも親会社からの独立を社員みんなが喜んだのである。

 

翻って我が国の半導体メーカーを見てみると欧州メーカーとの大きな違いは、親会社から独立していないことである。ルネサスエレクトロニクスは、親会社である日立製作所と三菱電機、NEC3社が所有する株式は90%を超えている。にもかかわらず上場企業である所がおかしい。一般投資家がルネサスの株式を買えないのだから。親会社が90%を超える株式を所有していることは親会社の干渉、人事権、その他全て半導体メーカーとしては自分の責任で思い通りの経営ができないという意味だ。

 

子会社の経営トップでさえいつでも親会社に帰れるという思いがある。このような甘えの構造を長い間放置したままでは、子会社のトップは親会社の顔色をうかがうばかりで、本気で経営などはできない。親会社のトップが企業改革を実行しようとしても、実は子会社の経営陣が理解せず、親会社の顔色ばかりをうかがっているという話を何度となく聞いてきた。一方で、子会社が本気で改革を進めようとすると子会社の社長を更迭したという話も幾度となく聞いてきた。国内半導体メーカーの弱点は、こういった日本独特の親会社支配にもある。

 

こういった状況でKKRがルネサスに出資するという情報を知った社員の中には、KKRに支配される方が良くなるかもしれない、と考える者もいるという。革新機構=政府経済産業省がルネサスを救おうとしている状況は、半導体産業の弱体化を促進しているのかもしれないのである。そもそもハイテクのIT業界でライバル企業同士をくっつけようとした経産省と古い体質の大企業トップが半導体産業を最も理解していない。半導体の世界の流れはくっつけるのではなく、分離させる方向だ。AMDから分かれたグローバルファウンドリーズは昨年までの苦労を乗り越え、最近になってどのメーカーよりも最先端の14nmfinFETプロセスの量産化にメドを付けた。AMDにくっついていたら倒産していたかもしれなかったのである。

 

ルネサス経営陣は、すぐにでもオランダへ飛び、NXPの経営陣に会って直接話を聞き、KKRが経営陣に対してどのようなアドバイスなり経営指針なりを提供してきたのか、この目で確かめることが望ましい。そしてKKRの本部とも会ってポリシーなりミッションなり話を聞くことがルネサス復活の本当の入口となる。親会社から本当に独立し、自分の責任と経営理念で半導体企業を運営し、資金調達をはじめさまざまな経営努力により、世界と勝負できる半導体企業を目指してほしい。そうやって覚悟を決めてほしい。経営者が首になる覚悟を決めると、社員はついて行く。日産自動車のカルロス・ゴーン会長がそうしたように。

2012/09/28

   

10月13日から1週間、米国行き

(2012年9月23日 20:41)

次の海外出張では、1015~19日、GlobalPress Connection主催EuroAsia Pressセミナーに出席する。このセミナーは、さまざまな企業の講演やデモがあり、日本にいては聞けないような話が山のようにある。中には、企業を訪問し、半日の説明やデモなどを見せていただくこともある。魅力的なことは、日本に現地法人のない、ちっぽけなベンチャーの話がきけることだ。また、日本に現地法人があっても本社のCEOCTOから直接、話を聞けることもメリットだ。11のインタビューも可である。

 

米国のベンチャー企業は、すごい技術を持っている所が多い。というのは、1歩先んじた技術を持っていなければベンチャーキャピタル(VC)は出資してくれないからだ。最初の出資である程度、成功の道筋が描かれるかどうかを確認、調査し、うまくいきそうになると、最初のVC(エンジェルともいう)はさらに追加投資を行うと同時に、別のVCや業界企業を紹介し、彼らからも出資してもらう。だから、2回目、3回目の資金調達となるといよいよ製品の試作が始まると同時に、潜在顧客にもアプローチし始める。複数のVCから資金を調達できれば、そのベンチャー企業の成功確率は高まる。われわれジャーナリストにとっては、日本でまだ誰も報じていない企業のすごい技術の話はまさにテクノロジーの特ダネとなる。

 

また、日本の現地法人があっても、CEOの生の声を聞けることは別の情報を仕入れることに等しい。例えば、2年前のGlobalpressのコンファレンスにおいて、元ザイリンクスのシニアVP(バイスプレジデント)からMIPS TechnologyCEOになった、Sandeep Vij氏のスピーチは、極めて印象的だった。スタンフォード大学の現在学長であるヘネシー教授のもとでRISCコンピュータの開発をやってきた彼は、MIPSで再びRISCに係わりを持つようになったと喜びのメッセージを発した。こういった生の声を聞けるのである。

 

シリコンバレーのミルピータスにあるリニア・テクノロジー本社を訪問して、たくさんの新製品のプレゼンを聞くこともあった。リニアは高性能ながら汎用の製品を設計製造することが上手な企業で、製品の価格は少々高いが、性能を得るためあるいはシステムコストを下げるためには購入せざるを得ないものが多い。夜になると、リニアの招待で街の中華レストランへ行き、シニアエンジニアの方たちと日本、欧州、米国、アジアなどさまざまな顧客との付き合いやビジネス情報を議論し合うこともある。日本にいてはとてもできないような取材である。

 

さらにシリコンバレーはいまだに新しい情報の宝庫だ。かつてのシリコンバレーはもう半導体はダメだ、これからはナノテクだ、バイオだと言われた時期があった。しかし2000年代に入ってからは転入人口の方が転出人口よりも多くなり、住宅を求める声は再び強くなっている。現実に、電気自動車はデトロイトではなくシリコンバレーから始まり、ソーラー技術もシリコンバレーから起きている。Facebook創業者のザッカーバーグ氏は東海岸ボストンにあるハーバード大学を出てシリコンバレーに本社を構えた。半導体では仮想3FPGA の Tabula 社、MOSトランジスタの電流バラつきを減らせることで低消費電力を実現する Suvolta社など、新発想の半導体技術ベンチャーが現れてきている。

 

ちなみに日本語のベンチャー企業は、英語ではスタートアップ(startup)あるいはStartup companyと言う。ベンチャーと言うと、「あなたの言っていることはベンチャーキャピタルのことか?」と聞き返されることが多いので注意が必要だ。

 

一つの気がかりは、社長のIrmgardからくるTwitterによると、チームのメンバーの一人であるPatriciaが病気になったことだ。E-チケットは頂いたが、サンフランシスコ空港からのロジスティクスに関する情報が全くこなくなった。ブラジル出身のPatriciaは、非常に賢い(smart)働き者の女性であり、Irmgardの良いサポータだ。一刻も早い回復を祈る。

(2012/09/23)

   

エンジニアよ、システムの勉強をしてほしい

(2012年9月20日 22:57)

10日ほど前、メンター・グラフィックス・ジャパンが主催するTech Design Forum 2012に参加した。この基調講演の中で、MITメディアラボ副所長の石井裕氏は、さまざまな対立概念を紹介した。止揚(aufheben)することでより上位の概念にたどりつき、最終的に人類の幸せにつながっていくことをさまざまな視点から紹介した。

 

面白かった話の一つとして、技術が全てだと思うと問題が出てきて見えなくなることがある、と述べたことだ。この話では、システムと部品の関係を示すことで問題の所在を明らかにしようとしている。まず、戦闘機とジェットエンジンの関係では、戦闘機がシステムであり、エンジンが部品である。しかし、その戦闘機でさえ空母から見ると部品になる。空母には数十機もの戦闘機を収容できる。空母というシステムをうまく動かすために戦闘機という部品をうまく配置しいつどのタイミングで動作させるかという管理を行う。

 

ところが、その空母でさえ部品扱いになる。艦隊というシステムから見ると1隻の空母は部品にすぎない。艦隊は、いつどのタイミングでどの空母をどのような手順で動かすか、というシステム的な観点から管理する。

 

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図 空母に載った数十機もの戦闘機 出典:米Navyホームページから

 

その艦隊でさえ、国家的な戦局という視点から見ると、部品となる。戦局は、いつ艦隊をどのような状況でどのような手順で動かすか、という視点で艦隊を一つの部品のように動かす。

 

この話と同様に、「デバイス」という言葉は部品屋から見ると、半導体チップであり、トランジスタである。しかし、コンピュータ屋は、マウスやディスプレイモニターをデバイスと呼ぶ。かつてこの違いはなんだろうと悩んだ時代があった。当時の私はシステムが理解できていなかった。半導体屋にとってシステムはそれを使った装置であるから、マウスのようなちっぽけな装置もシステムという。しかし、コンピュータシステム屋からみると、コンピュータと周辺のプリンタやマウス、モニターなどはシステムを組む上での部品、すなわち「デバイス」なのである。

 

結局、部品とシステムを考える場合、システム的な視点とは部品をどのように組み合わせて、ハードウエアを形作り、それを柔軟に動かせるようにソフトウエアで調整する。では何をハードウエアとして作り、ソフトウエアはどのような役割を持たせるか、というシステム的な視点が求められる。ここには、モノを抽象化してみるという訓練が必要であり、部品や装置だけを見ていてはシステム全体を鳥瞰することができなくなる。

 

日本のモノづくりは半導体に限らず、システムという視点が欠けていたのではないか。技術という細かいところにだけ目が行って全体を鳥瞰できなくなると、システムや相手が見えなくなってしまう。技術は素晴らしい、ここに技あり、という一つの技術だけを見ていては、システムとしてのバランスを見失ってしまう。性能、機能、品質、コスト、信頼性などのバランスが商品としての魅力になる。

 

ユーザーが求めるものは、部品ではなくシステムである。どのようなシステムが欲しいのかを見極めたうえで製品設計に入る。そのためにはユーザーのシステムに熟知していなければならない。それが理解できるようになると、どのような部品が必要になるのかがわかる。さらにその製品を広く展開したい場合や将来に渡り発展させたい場合には、ソフトウエアを導入しプログラムできるように考慮する。ユーザーには拡張性を持たせることで手ごろな価格で求められる製品になる。こうなると、ユーザーはサプライヤから離れなくなる。

 

半導体のような部品の世界では、システム=装置という考えしかなく、ユーザーがどのような装置を望んでいるかを半導体屋は求めていた。しかし、ユーザーが望むシステムはさまざまな装置を組み込んで一つのシステムを作ることかもしれない。そうなると部品屋は装置だけを見てもユーザーの意図をくみ取ることができないのである。

 

日本の半導体産業がシステムLSIとか、SoC(システムオンチップ)と呼ぶ半導体チップをビジネスとして成立させられなかったのは、システムを本当に理解していなかったからだ。ではシステムLSIを止めて未来は来るのか。実は、アナログやミクストシグナルの世界もデジタルやマイコンを集積しており、システムLSIとなっている。スマホの心臓部に使われるアプリケーションプロセッサ(別名モバイルプロセッサ)もシステムLSIといえる。つまり半導体ビジネスで勝つためにはシステムLSIを捨てるわけにはいかない。いろいろな半導体チップがシステムLSIになってくるからだ。

 

だから半導体屋はシステムを勉強しなければならないのである。今からでも遅くはない。半導体の勉強はもうほどほどにしてシステムの勉強をしてほしい。これが世界でも通用する半導体メーカーになるための第1歩である。

(2012/09/20)

   

NFCが広がる自動認識展とiPhone5に思う

(2012年9月14日 00:32)

昨日、自動認識展をのぞいてみた。ここでは、NFCNear field communication)のパビリオンが初めて登場した。また、パビリオン以外でもNFCを用いた決済システムをデンソーウェーブが展示するなど、NFC技術の広がりを強く感じた。

 

NFCは日本のFelicaと同じではないか、という声をよく聞く。実際、私もしばらく前まではそのように思っていた。しかし、NFCを取材して感じたことは、NFCは標準化された基本技術だが、Felicaは専用技術だということが最大の違いであり、日本にとって最大の問題である。つまり、IDや認証システム、決済システムなどを手ごろな価格で提供できないという問題が日本にはある。日本は相変わらず独自仕様のため高価で、世界には普及しないものを作っていることがここでも当てはまる。

 

Felica技術は、大きく分けてRF+モデム回路(ワイヤレス技術の基本)とセキュリティ回路からなる。NFCは前者と後者を分け、前者を標準化し、さらに後者のインターフェース部分も標準化したものだ。分けることによって、これまでカードにしか使えなかったFelicaの応用を携帯電話機やスマートフォン、タブレット、パソコンなど電子機器なら何にでも使えるようにした。専用部分はセキュリティ回路のセキュリティ部分だけだ。応用ごとにここだけソフトなどを書き直したりハードを追加したりすれば、応用範囲は格段に広がってくる。

 

NFCは、電子マネーの決済や交通の乗車券や航空券、入退室管理などセキュリティに係わる所だけをしっかり守ることで、世界中で使える規格となってきた。クレジットカードの延長として今後はNFCカードが世界中で使えるようになる日はそう遠くない。かつて、クレジットカードはお店でカード番号を写していた。そのうち、エンボスカードとなって、凸凹の部分を機械的にガシャガシャとスキャンすることで間違いなく番号を入力できるようになった。今は、カードリーダーによって決済機関およびカード会社の認証をとることで、数秒で確認できるようになった。NFCが金融、カード業界に普及すれば、スマホでどの店もカードを読み取るだけで決済できるようになる。私たちが気がつかないうちにスムースにそのように移行するだろう。

 

NFCの登場によって、スマホにも入るようになり、これまでの単純なお財布ケータイだけではなく、スマホが読み取り機・書き込み機(リーダー・ライター)になる。これまでのお財布ケータイは読み取られるだけのタグの役割しかなかった。ところが、スマホにはディスプレイもキーボードもある。タグだけに使うのはもったいない。リーダー・ライターとして使えれば用途は格段に広がる。NFCがすでにスマホに入った機種は50以上になるという。専用のカードリーダーは数1000台しかなかったが、スマホにNFCが入るようになり数十万を超えるカードリーダー・ライターの台数が世界中に普及していることになる。

 

iPhone5でがっかりしたのはNFCが入っていなかったこと。もともとアップルはNFC Forumのメンバーに入っていないため、iPhoneNFC認証されたチップが入ることはないだろうと思ってはいた。しかし、アップルのことだから、何かサプライズがあるかもしれないとiPhone5に期待した。結果は皆さんも知っての通りだ。残念に思う。アプリケーションプロセッサがA6になり、LTEが使え、画面サイズが少し大きくなり薄くなっただけだと、さほど代わり栄えはしない。これまでにもアンドロイドで似たような機種はある。アップルへのワクワク感が今回は裏切られた。

(2012/09/14)

   

MEMSベンチャーが装置まで作ってしまう時代に

(2012年9月12日 00:25)

先週、千葉市幕張で開かれたJASIS(旧分析機器展)2012において、手のひらサイズの超小型IR(赤外線)スペクトロスコピーを製作した英国のPyreos社を取材した。スコットランドのエディンバラに本社を置く同社は、小さな設備を持つMEMSチップの開発企業である。半導体のプロセス装置を使ってMEMSをこれまで作ってきた同社が手のひらサイズのIRスペクトロスコピー装置を作ったのである。

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図 右端の手のひらサイズのIRスペクトロスコピーで古いウィスキーと新しいものを識別


東芝やルネサスエレクトロニクス、富士通セミコンダクターのような日本の半導体チップメーカーは装置まで作ることはほとんどない。半導体チップを設計・製造、パッケージして販売するだけだ。しかし、今年のCESでは、半導体メーカーであるはずのインテルがウルトラブックパソコンやタブレットまで作ってアピールした。もちろん、インテルはパソコンメーカーを顧客とする半導体メーカーであるからこそ、パソコンを製造販売することはしない。パソコンやタブレットを作る実力があることを示したのでもない。パソコンやタブレットを顧客がカスタマイズするための開発ツールという位置付けで作ったのだ。

 

昨今の日本の半導体メーカーと海外の半導体メーカーの最大の違いは、水平分業か垂直統合かではない。新しい半導体チップを使って何ができるかを示せるか、示せないかである。半導体チップを使えば顧客は新しい未来のシステムを手に入れることができる。そのことを半導体メーカーが自ら顧客に示すのである。

 

今、日本の半導体メーカーはIDM(垂直統合型デバイスメーカー)からファブライトへシフトしようとしているが、残念ながらそれだけでは成長していくことは難しい。新しい商品を企画していく力が伴っていないからだ。結局、インテルやクアルコムのような大手半導体メーカーは商品企画力が優れているために独自ブランドの半導体企業としてやっていけるが、日本のメーカーがファブライト戦略を採っても商品企画力が伴わなければ、ファブレスやファブライトのビジネスモデルではなく、単なるデザインハウスにすぎないのである。

 

デザインハウスというのは、顧客の言う通りの製品を設計する企業である。本来なら顧客の名前のブランドで収めてもよいのであるが、顧客ごとに個別対応しながら半導体メーカーのブランド名を付けている。しかし、その実態は顧客の言う通りの設計図を書いてあげるデザインハウスである。これに対してファブレス半導体メーカーというのは、自ら商品を企画して自社ブランドで売り出す能力のある企業のことをいう。だから、自ら企画し設計した半導体を使えば、こんなことができる、あんなことができる、と顧客に対して訴求できる。このためファブレス半導体メーカーは顧客の先を行くのである。

 

ファブライトと称しながらデザインハウスと同じ設計をするだけなら、インドのIC設計者に設計を依頼する方が安くて良いものができる。日本の半導体企業が大きな間違いをしているのは、ファブライトと称しながら、簡単な製造は自社で行い、難しい製造は台湾に依頼する。そして設計力を強化している訳ではない。これでは世界とは互角に戦えない。商品企画力にかけているからだ。

 

商品企画力があるということは、自分たちの新しい半導体を使えば、こんなこと、あんなことができる、と訴える能力があることを意味する。しかも実際に作って見せる。顧客のいいなりで作るだけのデザインハウスなら、もはや世界との競争力が全くないということになる。

 

半導体メーカーのエンジニアよ、少なくとも半導体の勉強はもうしなくていい、システムの勉強をしてほしい。システムの勉強をしてシステムを理解し、それを顧客に提案できるくらいにシステム力を付けてほしい。これが世界の半導体メーカーに勝てる唯一の道である。システム力が出来て初めて、顧客への商品企画力もつく。

(2012/09/12)