ルネサスよ、改革の手を緩めるな
(2012年11月 6日 22:18)先日、ルネサスエレクトロニクスの決算発表があった。2012年度第1四半期(4~6月期)は、受注が着実に増えており、今年度は営業黒字を見込めるところまできた。第2四半期(7~9月期)は、営業赤字が前期から119億円も減少し、57億円にとどまった。この分では順調に行くように思えた。ところが、その中身を見ると、、、、。
Q2の赤字減少の立役者になった製品は、カスタムLSI(ルネサスはSoCと呼ぶ)だった。任天堂向けのゲーム機用のチップと思われるが、これがまずい。なぜか。ルネサスはカスタムLSIを売却ないし停止しようとしていたからだ。カスタムLSIはよほどのヒット商品ではない限り数量が限られているため、利益を生みにくい。言葉は悪いが、今期、「まぐれ」でカスタムLSIが売れてしまったために、このカスタムLSI部門の整理しようという動きが止まってしまったらしい。
カスタムLSIは、顧客の希望する仕様、設計通りにLSIを設計・製造する商品だ。融通性は全くないため、他社には売れない。半導体の製造ビジネスは1枚のウェーハも10枚のウェーハも処理する上でさほど大きな差はないため、数量が増えれば増えるほど利益が出るビジネスである。しかし、数量がさほど多くなければ赤字になる危険なビジネスである。このため世界の勝ち組と言われる半導体メーカーは、カスタムLSIはよほど数量の出るチップでない限りやらない。
世界の勝ち組が行っている半導体ビジネスは、共通のプラットフォームとも言うべき基盤を作り、顧客ごとにソフトウエアやわずかなハードウエアでカスタマイズするというモデルである。基本的なハードウエアは1チップで済むため量産が可能で、低コストで作ることができる。顧客が他社と差別化するためにカスタマイズできる開発ツールを提供する。顧客が使いやすい開発ツールを作ることが多くの顧客獲得のカギとなる。
今はLSIに億単位の数のトランジスタを集積できる時代になっている。製造だけではなく設計にも膨大な時間がかかる。できるだけ共通部分を多く用意して、ソフトウエアやわずかなハードウエア回路だけをカスタマイズすることで素早く設計し、より多くの顧客を獲得する。このため半導体チップとしてはカスタマイズ可能なようにプログラマブルなチップが求められる。それもできる限り、カスタマイズに必要なソフトウエアコードが少ないチップをメーカーもユーザーも求める。コストを下げられるからだ。
ルネサスのマイコンはまさにプログラマブルチップの代表だ。ソフトウエアのプログラミングやデバッグ、C言語とアセンブラとのリンカーなどのツールを開発し、第3者(サードパーティ)に顧客のソフトウエアを開発してもらう。こういったツールの開発、ソフトウエア開発、などを半導体メーカー以外の企業に開発してもらい、みんながつながる「エコシステム」(環境に優しいという意味ではなく生態系という意味であり、上流から下流、さらに上流へとみんながつながった一つの生態系と似ていることからこのように呼ばれる)を構築した企業が勝つ。半導体メーカーはチップの企画やシステム設計に注力できるからだ。ルネサスがマイコンでトップを行くのは、旧NECエレクトロニクス系にしろ、旧ルネサステクノロジ系にしろ、こういったエコシステムを持っていたからだ。
インテル、ARM、クアルコム、TSMC、TIなど世界の勝ち組はすべてエコシステムを持っている。これまで全て自社で設計から製造、ツール作成、ソフト開発などを行ってきた日本のメーカーが世界から取り残されたのは、こういったエコシステムを持っていなかったことが大きい。
エコシステムが不要なカスタムLSIで「キラーアプリさえあれば儲かる」、という幻想はもはや通じない。ルネサスは資金的な余裕ができた今こそ、カスタムLSIを捨てる改革を早く進めなければ、必ずまた同じことを繰り返す。10月30日の日刊工業新聞によれば、「ある主力行の幹部は『2000億円という数字が出てきた途端に(ルネサスから)システムLSIの整理という話が聞こえなくなった。それではいけない』と話す」という。
ルネサスは資本を強化できたためSoC(カスタムLSIのこと)という言葉が消えたといえる。改革のスピードが緩んできた。29日の決算発表会見でもSoCを売却、閉鎖するという言葉は全く聞かれなかった。このままでは本当につぶれる。経営陣は1~2年持たせればよいとでも考えているのだろうか。本気で改革する気があるとは思えない。少なくとも任天堂以外のカスタムLSI部門を一刻も早く処分し、任天堂向けのカスタムLSIも1~2年という期間を区切ってやめることを告げるべきである。エルピーダは資本を強化した後1~2年後に倒産した。他山の石とせよ。

写真 ルネサスのロゴ
プログラム可能なSoC技術の開発とビジネスへ早く移行しない限り、世界の勝ちパターンからますます離れていく。会社の存続を第一に、カスタムLSIの停止を即刻やってほしい。各従業員にはそれぞれの家族がいることを忘れないでほしい。私の切なる願いだ。
(2012/11/06)
日本の若者も起業したい気持ちは強い
(2012年11月 4日 18:15)今の若者は起業する意欲が少ない、と何かの記事で読んだことがある。実際に20~30代の若者に聞いてみたら、とんでもない間違いだった。記者か取材先の相手が勝手にそう思いこんでいるだけではないか。彼らは若者の本音を聞いたことがあるのだろうか。取材先の相手はたいていの場合、部長以上の年齢の人たちだが、彼らが上から目線で見下すような質問をしても若者の本音は引き出せない。同じ目線で同じ人間という意識で質問したことがあるだろうか。若者の本音を引き出せる問い方を企業の管理職は本気で考えたことがあるか。
私のようなジャーナリストは、聞くことが商売である。しかも真実はどこにあるのかを知ることが本質的な作業である。もちろん、このためにあの手この手を使うが、最終目的は真実を知ることである。自分が勝手に思い込んだストーリーに合わせるような「ねつ造」などは問題外である。なぜ真実が大切か。真実に届かなければ、この世の中がどう動いているのか全くつかめないからだ。つかめなければ適切な判断はできない。
取材する場合も同じ。仮説は立てるが、仮説はあくまでも仮説であり、聞いた声が仮説と違う場合はいつでも仮説を修正する。マスコミやメディアの中には記者が思いこんだまま記事を書いているように思える場合もあるが、ある意味でこれは「ねつ造」に匹敵する。ジャーナリストの役割は真実の声を反映させることであり、自分の考えを押しつけることではない。
ある記者に、インタビュー記事は最初から8割がた物語りができているもので、なにもない状態から相手の意のままに言われて記事を作るのは宣伝の片棒を担ぐことになる、と言われたことがある。しかし、これは一見もっともらしく聞こえるが、真実を追求するという姿勢からはほど遠い。宣伝の片棒を担ぐかどうかは、記者が判断して宣伝だと思う部分はカットすればよいだけのことだ。仮にインタビュー相手の意のままのことを書いたとしても、それを読む読者は宣伝ばかりする人だな、と思うだけであり、それも真実には違いない。
最近のルネサス報道のひどさは海外にも伝わっている。海外の人は、まるでひどいスポーツ新聞のような感覚で報道を受け止めている。事実を見極めるように注意して日本の報道を読んでいるようだ。真実はルネサス社員やルネサスの顧客がよく知っている。ルネサスは、ようやく製品戦略、ビジネス戦略が固まり、未来に向けたモノづくりに向かっている。このことをまともに報道したメディアが少ない。ただ、キャッシュが足りなくなり自己資本比率が低下したために資本を強化しようというのが正しい姿だ。自己資本比率が10%を割りながらも未来に向けてどう立て直すのかまだ全く見えないシャープや、倒産したエルピーダと同列に議論する企業ではない。
今何が起きているのかを短い言葉で世の中に伝えようとすれば、できる限り真実に迫らなければいえない。自分の仮説を無理やり相手に言わせるという強引な手法は決して真実を表していない。
取材するときだけではない。講演会などで司会やモデレートする時も、大枠(これが取材の仮説に相当)は決めておくが詳細は決めない。参加者の声、それも正直な声を聞くためだ。その時々の議論に応じて、話を変えていく。そうやって大きなテーマからははずれずにいけば、新しい発見が次々と現れる。これが最も楽しい。
若者の言葉が真実だと確信したのは、ワークショップを開催して、誰でも発言できる雰囲気を作ることに成功したからだ。多少アルコールも入れたが、最初はシニア世代が発言し、自由にモノ申した後、若者に振ると、では私にも僕にも言わせてほしい、ということになった。若者は決して気取ったり、心にもないことを言ったりはしない。シニアの前では遠慮するのが普通だからだ。
彼らは、企業で働きながら今すぐ何かを立ち上げようということではなく、いつかは起業してみたいと思っている。ということは、日本を元気にするためには若者が起業できる環境を作ってやることがシニアのやるべき仕事ではないだろうか。エンジェルや本当の意味のベンチャーキャピタルの育成、若者の提案を正しく評価する仕組み作り、ベンチャーを成功させるために起業した仕事内容を定期的にチェックし、適切なアドバイスをし成功へと導くことのできる人材のソース作りなど、起業するためのさまざまな仕組み作りを始めるべきだろう。
(2012/11/04)
半導体産業のゆくえを話し合おう
(2012年10月30日 16:12)日本の半導体はいったいどうなるのだろう。こうやってみたら、ああやってみたら、いろいろな方が意見を述べる。でも日本の半導体産業全体をどうにかすることははっきり言ってできない。半導体メーカー1社ごとにその性質も、得意分野も、市場動向に対する感度も、全て違うからだ。
これまで世界の半導体メーカーがさまざまな変遷を経て現在に至った背景には、1社ごとにそれぞれが努力し、ソリューションを見つけてきたことがある。日本の半導体産業全体を議論すること自体がナンセンスではないだろうか。1社ごとに知恵を絞り、生き残るための方策を見つけること以外にソリューションがないからだ。
米国では1980年代中ごろ、インテルはDRAMを捨て、マイクロプロセッサにフォーカスした。80年代中ごろからコンピュータはダウンサイジングが叫ばれていたからだ。インテルがこの方針を打ち出した時の記者会見には、故ロバート・ノイス社長が来日、その理由を説明した。「DRAMはインテルが発明したものだが、もはやコモディティになってしまった。もはやインテルが扱うべき製品ではなくなった」と。
DRAMをやめたと述べた米国の半導体メーカーはインテルが最初だった。その後、モステック、モトローラ、ナショナルセミコンダクタなど米国メーカーが次々とDRAMを止めていった。そのような1985年にこれからDRAMを生産し始める、と宣言したメーカーが米国のアイダホ州に生まれた。ポテトチップで成功した男が半導体チップも始めた、と現地でいまだに言い伝えられている。マイクロンテクノロジーだ。マイクロンの経営陣の一人が85年に東京にやってくるという話を聞きつけ、取材した。DRAMの市場として日本メーカーが納入していたメインフレームメーカーではなく、マイクロンはパソコン市場に向けると言った。このためにはとにかくコストを下げる設計を行う。デザイン寸法の微細化だけではなく、メモリセルレイアウトに隙間なく配置するコンパクション設計も導入した。このためにメモリレイアウトの天才と言われたエンジニアをモステックから引き抜いた。プロセス上はできるだけマスク枚数を減らし、工程を簡略化した。自然界の放射線物質からのアルファ粒子によるソフトエラー対策はしない。ECC(誤り訂正回路)や冗長ビット構成などのアーキテクチャは採らない。余計なメモリセルを追加して面積が増えることを嫌ったためだ。パソコン応用なら、ソフトエラーが発生すれば電源を切れば元通りに回復するからだ。銀行用メインフレームだとこうは行かない。マイクロンの低コスト技術は徹底していた。現在、そのマイクロンがエルピーダを買収、傘下に収めた。
1990年代に入ってもDRAMに固執したのはTIだった。そのTIも1995年にパソコンがブレークする時にDRAMを捨てた。DRAMを生産できるメーカーが日本と韓国共にコモディティを生産するからだ。TIは全社的にブレーンストーミングを行い、ポストPC時代をどう生きるかをテーマとして未来のTIを議論した。その結果、アナログに特化し、デジタル製品はDSPと標準ロジックだけを残すことを決めた。
米国企業がみんなで何かをやって復活したわけではない。企業1社1社が自分の生きる道を見つけた結果である。日本の半導体産業を考える時、みんなで一斉に何かをやるのではなく、1社1社が自社の得意な製品にフォーカスすることが強くなる早道である。米国メーカーの教訓こそ、今の日本の半導体メーカー1社1社が考え抜くことではないだろうか。

図 シリコンバレーで行われたe-Summit2012 休憩時間に撮影
私が編集長を請け負っているセミコンポータルでは11月2日に日本半導体産業のゆくえと題して、これからの半導体産業の生き残りについて話し合おうという場を企画した。最初に直近のシリコンバレーの現状を紹介し、では日本の半導体はどう向かうべきかについて話し合うきっかけにしたい。各社が各社で議論して自社の進むべき道を模索する手掛かりにしてほしい。シリコンバレーをとっかかりにしたのは、ベルギーのIMECにせよ、英国のARMにせよ、世界トップの半導体企業・研究機関がモデルにした街だからである。スタンフォード大学やUCバークレイなどの大学と起業家、ベンチャーキャピタル、潜在顧客、サプライチェーンがまとまってあり、いつもイノベーションが生まれてくる街である。グーグルもアップルもフェイスブックも電気自動車のテスラもここにある。いつ行っても、イノベーションという刺激を受ける街でもある。
(2012/10/30)
グローバル化対応が産業を活発に
(2012年10月22日 21:42)産業界において現在の日本と、アメリカあるいは欧州、アジアと比べて最も大きな違いは、失われた20年を反省し前向きの戦略を立てられないことではないだろうか。アメリカにやってきて、いろいろな国の記者と話をしているうちに、いまだに失われた20年をきっちり反省していないことに気がついた。失われた20年の反省とはグローバル化への対応である。

図 国内半導体産業はグローバル化対応のまずさで世界から置いてきぼりを食らった 次は民生電子産業だった
1980年代後半のバブル崩壊と共に、日本の半導体産業は徐々に崩れていった。半導体産業だけではない。民生用エレクトロニクス産業、IT産業も実は、じわじわと衰退しつつある。大きな要因はグローバル化に対応できなかったことだ。国内市場中心に製品を開発し、それを海外にもただ売っていただけであった。グローバル化への対応ができていなかったことによって真っ先に衰退してきたのが半導体産業であった。次に民生用エレクトロニクス産業がその影響を受け、ソニー、パナソニック、シャープが沈み始めた。通信産業では国内で極めて強かったNECが下降し始め、続いて富士通、沖電気がグローバル化への対応に出遅れた影響を受け始めた。
グローバル化は否が応でも日本に迫ってきているのにもかかわらずその対応を怠った産業から影響を受け始めているのである。先に影響を受けたのが半導体であり、時代の最先端を行くからこそ、経営のかじ取りを誤ると大きくその影響を受け衰退していくことになる。この傾向は次第に他の産業へも影響を受けていくだろう。B2B(business to business)の素材産業はまだしも、最終製品の産業、例えば農業や水産漁業、土木・建築産業、医療・薬品産業、エネルギー産業、交通産業などへもグローバル化の影響はじわじわと進んでいく。
世界の半導体産業は成長が止まらないのにもかかわらず、日本だけが落ちている、その実情を「知らなきゃヤバイ! 半導体、この成長産業を手放すな」(日刊工業新聞社刊)で報告した(図)。CEATECでの衰退、NECの業績不振、スマートフォンビジネスでの韓国企業の日本での躍進、こういった要素を見ているうちに、「グローバル化に対応していないことに衰退の原因がある」と気がついた。ということは、現在はまだグローバル化が進んでいない分野においてもいずれ同じことが起きることになる。
グローバル化に対応していない、とはどういうことか。一言でいえば、グローバルな視点で自社の強み・弱み・メガトレンドを分析せず受け身に流されその影響に対応していない、ことである。IBMは設計が最も強い場所を本拠地にすると考えインドのバンガロールを全世界のIBMの中で設計拠点に選んだ。マクドナルドは今最も安い牛肉を提供できる所を毎日リアルタイムで探し、オーストラリア、ブラジルなどから大量に仕入れ、世界各地に配送する。いずれもグローバルな視点で自社に最も有利な条件は何か、と考えている。
ところが日本では従来、国内で開発した商品を海外でも売るだけのビジネスをしていた。これをグローバル化と呼んでいた。しかし、日本の商品を海外に押し付けていただけにすぎないのである。海外の人たちが本当に欲しい商品作りになっていなかった。日本の商品が世界をリードしていた時代はこれでよかった。
しかし、世界の技術・文化・商品などのレベルが上がってくると、世界の人たちは日本の商品に満足できなくなった。世界の人たちが欲しい商品をどの企業よりも早く安く届けるために戦略を立て直し実行することが世界で勝てる方法になった。実際、世界の勝ち組を見ているとこのことに尽きる。この方法に対応できないことをグローバル化に対応していない、と私は表現した。
CEATECでの衰退は、日本の民生用エレクトロニクス産業の衰退とリンクしている。「CEATECが象徴する民生機器の凋落」で紹介した図が示すもう一つの意味は、日本の民生エレクトロニクス産業は、リーマンショックの後も回復していない、ことである。これは海外の民生用エレクトロニクス産業が活発になり、例えばCEATECと似たような展示会であるCES(Consumer Electronics Show)が成長し続けていることと全く対照的である。つまり民生用エレクトロニクス産業でも半導体と同様、世界は成長しているのに日本だけが成長が止まっている。
実は、世界のハイテク技術・製品・ビジネスモデルなどが変化しつつあることに日本はまだ対応していない。時代の変化は激しく、例えば商品の定義は変わりつつある。かつてコンピュータや通信機器は産業機器に分類された。ところが、今ではコンピュータはその中心がパソコンになり、通信電話機はスマートフォンになり、しかもどちらも民生機器に分類されるようになっている。では日本企業は、パソコンや携帯電話を民生機器と定義しているか。企業の集まりであるJEITA(電子情報技術産業協会)はこれらをいまだに産業機器に分類している。
半導体も民生機器もグローバル化の波が激しくうねっている。携帯電話は例えばかつて世界第1位のノキアも、2位だったサムスンも日本仕様に凝り固まっていた日本市場に参入できなかった。しかし、スマートフォンは米国のアップルや韓国のサムスンが日本市場でも主流になっている。世界の企業が日本市場に溶け込んできているのである。パソコンはデルやHP、レノボ、エイスース、エイサーなども日本市場にすっかり溶け込んでいる。海外市場に日本のパソコンの存在感はもうなくなった。
米国カリフォルニア州のシリコンバレーに来て、リニアテクノロジーを訪問し、新しい半導体ICのデモをするためのディスプレイモニターがCoby社製であったことに気がついた。Coby社はアメリカで設立された新しい民生用エレクトロニクスメーカーである。ファブレスモデルを使い、消費者が満足できる程度の性能を持つ製品を早く安く作り、最初はフォトフレームから参入し、モニターやテレビも作るようになった。アメリカでは民生エレクトロニクス産業はかつて日本に押され、いったん衰退したが、この10年くらいの間にVizio社やCobyなど新しい米国企業が民生エレクトロニクスで活躍しているのだ。
さまざまな産業がグローバル化を意識し、海外企業に負けないように先駆ける気持ちで製品開発、標準化作り、コラボレーション、企業買収など、グローバル化に必要な仕事を進めていただきたいと願う。半導体産業は他山の石である。
(2012/10/22)
日本の産業を心配する欧米の産業人
(2012年10月18日 22:49)米国西海岸シリコンバレーの(ロスガトスLos Gatos)にやってきた。久しぶりに会った人たちは一様に、日本はどうなっているの?と質問する。これまでにはなかったことだ。ルネサスエレクトロニクスには資金を注入して今にもつぶれそうな報道を読んでいるから、いったい日本はどうなるのか、どうなっていくのか、を心配している。
図 Los Gatosのダウンタウンの一つ Old Town
8月30日のブログ「ルネサスを巡る報道の在り方に思う」において、ルネサス報道問題を議論し、同意していただける人が業界には多いことに改めて確信を持った。経営的に見れば、技術戦略、製品戦略がようやく明確になってきたが、将来に向けて投資するにはキャッシュが足りないという状態であった。今にもつぶれそうという状態ではない。正確な報道がされていないためにルネサスは過少評価されていた。米国の産業人、欧州のジャーナリストたちは心配していた。正しい姿を伝えると、ホッとした様子を見せてくれた。
日本にいると、半導体は斜陽産業、という報道がなされているが、米国へ来るといつものように全く違う話がいっぱいある。活気に満ちている。デジタル電源を低コストで作るための新しいIC技術や、ユニークなMEMSファウンドリとIPビジネス、効率29%のフレキシブルなソーラーパネル(タブレットPC程度の大きさ)などが続々出てきている。
斜陽産業はむしろコンピュータである。サーバ市場は毎年縮んできている。パソコンはこの第3四半期は出荷台数ベースで-8~9%と縮んでいる。スマートフォンとタブレットは急速に立ち上がっているが、このブームは3~4年で終わるだろう。世界同時にブームになっているため、飽和すれば一斉に縮んでしまうからだ。コンピュータの出荷台数が減ることは、メガトレンドとして、仮想化技術とクラウド利用の進展がある。パソコンは、次々と新しい性能を追求する時代は終わったといえよう。
台湾の記者とも鴻海精密工業について、意見交換した。アジアを長いことウォッチしてきた私は、シャープと鴻海とのコンビネーションはうまい相補関係ができることを伝えると同意してくれた。すなわち、技術開発の得意なシャープと低コストで生産することが得意な鴻海との役割分担である。例えば、シャープはIGZO(In+Ga+Znの酸化物半導体)技術を鴻海が盗むのではないかと疑心暗鬼になっているように見えるが、IGZOの量産技術を鴻海に開発してもらえばよい。シャープには月産1000万個の液晶を生産できる能力はない。これまでは100万個レベルしか経験がない。シャープは量産ではなく次の技術を開発する。きちんと割り切った役割分担を行い、2重の開発や生産投資をするのではなく、それぞれが得意な分野に集中すればもっと効率は上がり、すごいチームが出来上がる。
また鴻海は台湾の記者は取材できない、取材したくない、とも言っていた。鴻海は少しでも批判記事が出ると、記者を訴えるという手段を常に駆使してきたからだという。鴻海は言論の自由を奪っているのである。こうも専制的だと将来は明るくない。アップルがサムスンと同様、鴻海を外すことになったら極めて危うくなる。台湾にはEMSやサブコントラクタの業務を喜んで行う文化がある。ブランドよりも実を取る。新しいNexas-7やUltrabook、Windows 8などさまざまなデバイスが今後出るようになると、全て台湾のサブコンが請け負う。アップルが鴻海を外す可能性はサムスンほど高くはないが、ないとは言えない。
原子力発電の見方に対して日本は一体どうするのか、についても聞かれた。原発廃止と容認はほぼ均衡しているか、廃止がやや多い、という国民の声を伝えた。産業界は廃止に反対しているが、原発は廃止してからも30~40年という同位元素の長い半減期があるためメンテナンスが必要であることも伝えた。
どの分野でも日本の正しい姿を伝えることが重要で、私の出張はその役割ではないかと思っている。特に欧州のジャーナリストは、経済効果がはっきり見えない欧州危機よりも日本のエレクトロニクス産業・半導体産業を心配している。日本がコケれば、世界は大きな市場を失うのである。日本につぶれてほしくない。これが海外の人たちの本音である。
CEATECが象徴する民生機器の凋落
(2012年10月15日 21:11)先週、CEATECに行かれた方はいつもと違う様子に気付かれたことだろう。私は、初日の特別公開日とウィークデイ最後の5日の金曜日に行ったが、いつもほどの人通りはいなかった。5日のブログでお伝えしたように、記者が集まるプレスセンターもやはり、まばらだった。昨年は、プレスセンターの机を独占して持ち物だけを置いて行く輩がたくさんいたが、今年はいつでも机を使うことができた。
CEATECが終わってから参加者をグラフ化してみた(図1)。CEATECの来場者数は、民生機器の国内出荷額とほぼ似たような傾向がある。このグラフはJEITAが毎月発表している民生用電子機器製品の出荷額、すなわち売上額を毎年1~7月の累計で表したものだ。今年の数字が7月までしかデータが出ていないため、2000年から2011年までの数字もすべて1~7月の累計数字を集めることで、グラフ化した。この累積統計手法は、季節変動を除外することができる。
図 CEATEC参加者推移と民生機器売上との相関
出典 JEITA、エレクトロニクスショー協会
これによると、ソニー、パナソニック、シャープなど民生用電子機器メーカーの売上の低迷が続いているが、それと共にCEATECの来場者も減っているのである。これは何を意味するのであろうか。
会社の経営が不振になったから、CEATECに来なくなったということは、CEATECで市場動向や技術・製品動向を調べなくなった、という意味である。企業が調子悪いから情報収集さえやめろと指示しているだろうか。YESなら、負のスパイラルに入りこみ、V字回復はさらに難しいだろう。上昇力まで削ってしまう訳だから。R&D経費と同様、情報収集の時間とお金をケチればケチるほど、将来の投資がなされないから、企業は沈む一方になる。
今の総合電機、民生電機がダメなのは、この負のスパイラルに入ってしまったからではないか。V字回復しようという気概が感じられない。研究開発経費や情報収集費用まで削ってどうやって今後の売上を増やしていくのだろうか。R&D経費カットで利益を出せば経営陣が株主などへの言い訳はできる。経営者自身が2~3年つつがなく過ごし首切られないように問題を先送りしたい気持ちが働くのだろう。しかし将来成長するのに必要な経費まで削ってしまえばその会社の将来を切り捨てることと同じである。
展示会での来場者の減少はセミナーへの来客が減少していることとも関係する。最新情報を取りそれを生かして将来の売上アップにつなげていく、ということが出来ていないのだ。最近はどのようなセミナーに参加しても来場者が少なくなっている。有料だけではない。多くの無料のセミナーでさえ来場者は減少している。ますます暗くなるばかりだ。
セミナーは単に技術情報を得るだけではない。人との出会いを通じて、人脈を形成するというかけがえのない仕事でもある。その負のスパイラルを断ち切らなければ、企業の不振はいつまでも続くということを経営者は推して知るべし。ここは経営者が勇気を奮って、巻き返していかなければならない。
日経マグロウヒル設立秘話
(2012年10月11日 21:42)日経マグロウヒル誕生の話を創業者のラッセル・アンダーソン氏からうかがった時、日経BP社は生まれていなかったかもしれない、というスリリングな気持ちになった。B2Bメディアで成長を遂げた日経BP社の前身である日経マグロウヒル社の誕生は、もしかしたら存在しなかったかもしれないのである。歴史に「もし」という仮定はないが、優れた経営判断があったから同社は生まれた。日経BP社には設立当時のいきさつを覚えている人間はほとんどいない。記録にとどめるという意味で、覚えている範囲で述べてみたい。
1960年代、米国ニューヨークを本社とするマグロウヒル(McGraw-Hill)社は、ビジネスウィーク(Business Week)やエレクトロニクス(Electronics)、アビエーションウィーク&スペーステクノロジー(Aviation Week and Space Technology)など数十の雑誌を発行していた雑誌部門、単行本を発行していた書籍部門など複数の事業部門を持っていた。ちなみに、マグロウヒルは、McGrawさんとHillさんが設立した出版社であることから名づけられた。Hewlett-Packard(ヒューレット-パッカード)社の由来と同じである。1960年代終わりごろ、雑誌部門のプレジデントがラッセル・アンダーソン氏であった。マグロウヒルの雑誌の記事は、編集スタッフが執筆するというスタッフライター制を採っていた。
日本は高度成長期を迎え、アメリカスタイルのB2B(business to business)出版事業が日本でも成り立つのではないか、と彼は考え、1960年代後半に日本にパートナーを探しにやってきた。最初は出版社を回って、スタッフライター制の雑誌を発行する出版社を一緒に作ろうと説いた。当時の日本の出版社は、オーム社や工業調査会、講談社、小学館など、記事執筆を外部のエンジニアやライターなどに依頼するというスタイルを採っていた。自社の編集スタッフが記事を執筆することはまずなかった。固定人件費がかかることを嫌っていた。アンダーソン氏は自社のスタッフが記事を書く雑誌は中立なメディアになることを説いて回ったが、訪問した全ての出版社がコストがかかるためムリという返事を返したという。
誰ひとりまともに議論してくれなかった日本の出版業界に失望しながら米国に戻った彼は、再度日本のメディア業界を調査した。行きついた結論が、新聞社ならスタッフライター制度を採っているから合弁事業は可能かもしれない、ということだった。そこで、アンダーソン氏は再度来日し、今度は朝日、毎日、読売、日経など大手新聞社を片っ端から回った。しかし、ほとんどの新聞社の社長は興味を示さなかった。唯一の例外が日経の円城寺次郎社長(故人)だった。円城寺社長は、ラッセル・アンダーソン氏の提案の意味をよく理解し、日経新聞とマグロウヒルの合弁会社を作る案に賛成した。
ところが、当時の通商産業省(現在の経済産業省)は外国資本の国内上陸を嫌い、外国資本との合弁会社でも日本企業の株式比率が多くなることを強要した。結局、51%対49%という日経が少し多い株式の合弁会社に落ち着いた。これが1969年に設立された日経マグロウヒル社である。ちなみに日本テキサスインスツルメンツ社が設立された当時も外国資本の100%現地法人は許されず、ソニーとの合弁会社(やはりソニー51%対TI49%)として出発した。
日経マグロウヒル社第1号の雑誌が1969年に発行された日経ビジネスである。当時はBusiness Weekが姉妹誌であり、翻訳記事も多かった。第2号の雑誌が1971年に発行された日経エレクトロニクスだ。当時の日経エレクトロニクスはElectronicsからの翻訳記事が半分近く占めていた。合弁前の1965年には、ムーアの法則を提案した、インテル社のゴードン・ムーア名誉会長がその法則についての論文を寄稿した雑誌がElectronicsである。スタッフライター制が定着するにつれ、日経ビジネスと同様、内部執筆記事の比率が高くなっていった。
1979年にはElectronics誌は創刊50周年を迎え、私も入社3年目で特集号の編集に係わらせていただいた思い出がある。その時、Electronicsという言葉は、マグロウヒルのこの雑誌名が最初に使われた言葉だということを知った。電子を意味するElectronに学問を意味する接尾語-icsをつけてElectronicsと名付け、日本では電子工学と訳されている。Electronics誌は残念ながら他の出版社へ売却され、その後1980年代に休刊に至った。売却、休刊のいきさつの詳細は知らないが、編集コンセプトについて、技術オリエンテッドを維持するか、ビジネスオリエンテッドにシフトするかについてパブリッシャーとエディターとの間で意見が対立、ビジネスオリエンテッドにシフトすると共に没落していったと聞いた。
その間隙をぬって、1985年に発行されたのがElectronic Engineering Timesだった。同じ年に米国出張へ行き、PR会社の人からEE Timesに載っていたあのニュースを読んだか、と聞かれた。早いニュースをキャッチするメディアとしてEE Timesは話題を呼んでいた。確かに、当時EE Timesに掲載されていた記事では、その技術的な信ぴょう性はともかく、やたらとニュースが速かった。当時はほかにもElectronic DesignとEDNというエレクトロニクス関係の雑誌があり、Electronicsが休刊してもこれら3誌が競い合った。より技術的に深いEDN、動向記事に強いElectronic Design、速報ニュースに強いEE Timesと、それぞれが特長を生かしていた。
日経マグロウヒル社は、1988年に社名変更する。マグロウヒル側が株式を売却したい、との意思を示し、さまざまなメディアが買収案を示した。が結局、最も高い株価を提示した日経が買った。当時の日本では経済バブルの真っ最中であり、円高が進行し、米国企業を買うことが流行した。マグロウヒルが合弁会社から手を引いたため、会社名を日経BP(Business Publications)社と変えた。これが今の日経BP社の原点である。
歴史に「もし」はないが、もし朝日新聞社の社長がラッセル・アンダーソン氏の提案に興味を示したら、朝日マグロウヒル社が生まれ、「朝日ビジネス」や「朝日エレクトロニクス」を発行していたかもしれない。経営者の判断がその後の企業の成長に大きく左右した好事例といえる。では、今の日本企業の経営者は、海外企業との合弁をオファーしたり、されたりする場合に、将来の成長へつなげられる判断ができるだろうか。20年、30年に渡って成長していく企業作りの視点を経営者には是非持っていただきたいと思う。
(2012/10/11)
低コスト技術こそ利益の源泉
(2012年10月 9日 23:06)性能だけを追求してもコストが高ければモノは売れない。競争力はつかない。良いものを安く作る技術が競争力を付ける。日本のモノ作りが今アジア勢だけではなく米国勢、欧州勢に負けているのは、良いものを安く作れないからである。良いものをより良くしても高くなるだけで、クライアントの要求から遠ざかってしまう。海外勢は良いものを安く作ることに集中しており、日本との差がはっきり表れている。
例えば、スティーブ・ジョブズ氏は、かつてアップル社を追われNext Computer社を設立、高性能なコンピュータを世に出した。しかし高性能を追及した結果、百万円以上の価格になった。これでは売れない。このコンピュータは失敗だった。彼がアップル社に戻った時、この失敗を生かした。どのようなカッコいいデザインのコンピュータでも、売れる価格になるように設計しなければ失敗に終わるということを学んだ。戻った後にヒットさせたiMacは斬新なスケルトンデザインながら13万円台と手ごろな価格になるように設計した。iMacは爆発的にヒットした。その後のiPod、iPhone、iPadにおいても手ごろな価格という路線は変わらない。
アップル製品の生産におけるコストダウンの圧力は極めて強いと言われている。これは安売り商品を作るためにコストカットをするのではなく、手ごろな価格で魅力的な商品を製造するためにコストカットする。利益を十分確保するためだ。利益が得られなければ事業は継続できない。社会のみんなに使える商品を提供し続けるためには利益を生み出さなければならない。日本企業は儲かっている時期でさえ、「利益なき繁忙」と言われることが多いが、利益を上げるためのコスト意識がアップルとは比べ物にならないくらい低いからだ。
アップルだけではない。インテルやTI(テキサスインスツルメンツ)なども製品を手ごろな価格(決して安くはないが手の出ない価格でもない)で製造するために、製造原価の徹底的なコストダウンを行っている。それは設計段階から始まっている。いかに無駄な設計をしていないか、ソフトウエアの行数を減らす技術を採り入れているか、製造工程でも無駄な工程はないか、独自の工程をできるだけ減らし、共通化できる工程を増やしていく。製品の設計からテスト方法、製造方法、生産管理方法、共通化するための標準化、など商品のシステム設計から生産工程、流通工程に至る全てのコストを常に見直し、低コスト化を追及している。
日本のモノ作りはまず、いいものを作ることから始まる。作れるかどうかわからないからコストは関係せず、まず作ってみるという姿勢だ。海外はいいものを低コストで作ることから始まる。限られた費用の中でいかにして仕様を取り込み、製造上でも低コスト化できないかどうかを探りながら製品を開発する。低コストで作るために設計から販売チャネルに至るあらゆる工程と手段に知恵を絞る。この差がコスト競争力となって後で現れてくる。標準化や工程や設計などの共通化はコストダウンの一環である。安く作るために共通仕様で標準化する。だから利益を生み出すための標準化には力を入れている。
新聞などでは「日本発の世界標準を作ろう」と政府が旗を振っている記事をよく見かけるが、ピント外れも甚だしい。企業にとって日本発であろうが世界発であろうが、どうでもよい。標準化仕様を誰よりもいち早くキャッチして採り入れ、手ごろな価格の製品をいち早く作り販売することが最も重要なのだ。これこそが世界の勝ちパターンである。そのためには、海外における標準化作業に一緒に取り組み、その最新情報を常に会社に伝え、製品開発に欠かせないディスカッションをする必要がある。成功例として、旧NECエレクトロニクスは世界で最初のUSB3.0インターフェース準拠の半導体チップを開発したが、これは標準化委員会に最初から参加し、その製品仕様情報を会社にフィードバックしていたからだ。
低コスト化は、早く開発して世に出すことともつながる。つい最近まで言われていたことだが、日本のメーカーに新技術を持って訪問すると、その技術を買おうとせず、対応した部長は「この技術ならウチでも開発できる」と自信満々に上層部に伝える。上層部は、デキる部長の言うことだからウチで開発しようということになる。これが負け組につながったのである。なぜか。その部長や上層部にはTime-to-marketの概念がなかったからだ。ある時期の内に発売しなければビジネスチャンスを失ってしまうことに気がついていなかった。日本のメーカーが自分の得意な技術に集中し、持っていない技術はたとえ自社開発できるとしても、その技術を外部からさっさと買わなければ、良い製品を良いタイミングで発売できない。製品トータルのコストを考えると、自社で開発するために必要なリソースをつぎ込む方が結果的にコスト高になってしまうことが多い。しかも決まった時期内に製品を出すことができずライバルに負けてしまう。機会損失、機会チャンスという考え方を導入しなければ競争には勝てない。
日本のメーカーは、最近ようやくこのことに気がついたようだが、海外勢とはもはや大きな差がついてしまっている。詰まる所、経営判断の遅さが招いた差である。コストを二の次にしたモノづくりをやっている限り、日本の競争力はいつまでもつかない。コストを念頭に入れた設計・製造の技術開発こそ、海外の勝ち組、インテルやクアルコム、TIなどが採り入れてきたモノづくりの手法である。日本の企業がこのことに早く気がついてほしい。
(2012/10/09)
ITジャーナリストは有象無象か
(2012年10月 6日 10:51)ここ数日、日経ビジネスの小板橋太郎記者の書いた「『声なき声』に耳を傾けているか」というブログが波紋を呼んでいる。ITジャーナリストを有象無象と述べたことに噛みついた、あるITジャーナリストがつぶやいていたのである。
小板橋記者は、ITジャーナリストはIT企業の「ご招待」によって、スマートフォンを発表前に触らせてもらい、その引き換えに提灯記事を書く、というような意味のブログを書いた。彼の指摘はある意味では正しい。かつては、オーディオ評論家がそうだった。AV機器メーカーから招待・接待を受け、新商品を発売前に評価する立場にあった。当然、筆は鈍るだろう。悪いことは書けない、書かない。だから提灯記事となった。
だが、待てよ。かつて日経BP社にいた私は、利益媒体と赤字媒体の両方を経験し、記者としての心構えに大きな戸惑いを感じたことがあった。日経BPでは、「武士は食わねど高楊枝」という精神で記者は取材に当り、招待取材は受けないことが原則であった。利益媒体にいた時は、招待取材の場合でも、出張旅費は出版社が払っていた。一方、赤字媒体にいた時に招待取材の案内を受け取っても出張旅費を媒体予算で出せないため、招待をお断りした。その後、その招待した企業からプレスリリースをはじめ情報が全く来なくなった。情報過疎に置かれたのである。記者としてこのスタンスはおかしいと思った。利益媒体は出張取材に行けて赤字媒体は取材に行けないのである。
「高楊枝」の精神は評価するものの、媒体ごとにスタンスが違うようでは、いま利益の出ている媒体が赤字に転落した時は、ジャーナリストとしての心構えが変わってしまう恐れがあるのだ。ITジャーナリストは、私と同様、フリーランスが多い。フリーランスのジャーナリストは記事を作成することで生活の糧を得ている。そのために筆が鈍ることを、収入の安定した出版社社員が非難はできまい。生活の糧を心配することのない日経ビジネスの記者とは違うのである。親方日の丸ではないが、しっかりしたバックを得て書けるジャーナリストとフリーランスのジャーナリストとは基本的な立場が違うと言ってよい。
私は今、基本的に招待取材を受ける人間である。招待取材を受けても情報が得られる方が読者のためになると思うからだ。とはいえ、提灯記事は書かないように一線を張っている。そのために、「書けというオブリゲーションがあるのであれば、招待は受けません」とひとこと言っておく。オブリゲーションがないのであれば招待を受ける、というスタンスである。書く、書かない、あるいは第3者的に冷静な分析を入れて書くことは、あくまでもジャーナリスト側の判断によるからだ。取材した企業の内容がすでにどこかで発表したものであれば書きたくても書けない。あるいは何のニュースもない記者発表なら書けない。だから「書く」という約束はできないのである。
もちろん、ジャーナリストが海外出張など数日間を費やす以上、何か新しい視点を見つけて書くように努めることは言うまでもない。だから、新製品や新技術の発表でなければ書けないようではジャーナリストとはいえない。新しい視点を自分で見つけ、その視点で見ると今までにない新鮮な切り口のニュースになる、と思ったら書く。その場合には媒体の持つ想定読者を念頭に入れて視点を探す。想定読者の役に立つ切り口を模索するという作業に私は時間を費やす。そのためには、設計技術・製造技術・製品・応用・市場・ビジネス戦略などあらゆる角度から切り口を検討する。だから日々の取材・勉強が必要なのである。幾何学の補助線を見つけてきれいな解を見つける作業と同様、新鮮な切り口が見つかったときは、やった!という気持ちになる。
ジャーナリストは情報を集めることがまず大きな仕事であるから、取材しないのならジャーナリスト失格である。取材して知らない話を聞けるのであれば、基本的に取材は受ける。海外からの電話取材の依頼もしょっちゅうある。ただし、書けというオブリゲーションがあるのであればお断りする。できるだけ書く努力は当然ながらするが、書けという約束はできない。オブリゲーションがなければ喜んで取材を受ける。
実は、こういった私のスタンスは海外メディアから学んだものだ。海外のB2Bメディアはやはり日本のメディアよりも一日の長がある。かつてのEDNやDesign News、Semiconductor Internationalの編集長や記者たちとのディスカッションはとても役に立っている。利益媒体なら取材に行き、赤字媒体なら取材に行かないという態度はジャーナリストとして矛盾している。
13日からの米国出張取材はPR会社の招待で行くが、やはり「武士は食わねど高楊枝」の精神は伝え、理解してもらっている。どのような視点を探してもニュースにならない場合には書かない。もちろん、ニュースとして記事を書いた暁には、記事のURLあるいはpdfを相手に送っている。ジャーナリストのスタンスがぶれてはならない。
(2012/10/06)
黄昏CEATECの中に一条の光が見える
(2012年10月 5日 22:50)CEATECにやってきた。10月2日はメディアをはじめ特別招待日であった。今年は残念ながらこれまでになく記者の数は少ないように見えた。いつもなら初日にはメディアの仕事場であるプレスセンターは満員だが、今回は場所取りに苦労することはない。知り合いの記者も少ない。半導体、エレクトロニクス関係の記者はどこへ行ったのか。5日はもっと少なかった。事務局の調べでは10月2~4日までの3日間の来場者数は90,548名である。5日間で20万人を目指すと言っていたが、目標達成は難しそうだ。

図1 2012年10月5日(金)のプレスセンター 記者の数はまばら
このプレスセンターの状況は、現在の日本の電子産業をよく表してしている、と複数の参加者から言われた。日本の電子産業は縮小均衡を図ろうとして縮まる傾向が強い。昨年は、インテルとマキシム、国内のロームの3社の半導体メーカーが出展したが、今年はローム1社だけだった。家電のブースはもっとひどい。未来を感じさせる展示物やパネルが少ない。ただ単に高精細にしただけの4K2Kのテレビ、ジェスチャー入力、スマートホーム、どれもすでに発表されたものばかり。すでに今年1月のCES(Consumer Electronics Show)で見たものばかりですね、と業界のベテランの方から言われた。
ところが、大手セットメーカーのつまらなさに対して、意外と部品メーカーが面白いという声を聞いた。例えば、かつてコンピュータアーキテクチャを研究していた元エンジニアの人は、部品が面白いですね、と言っていた。確かに、村田製作所やアルプス電気、ミツミ、京セラ、TDK、太陽誘電などには人だかりがあった。海外では半導体メーカーがソリューションを顧客に提案するソリューションプロバイダに変身してきているが、日本では部品メーカーが提案型になってきている。村田製作所がジャイロスコープの制御技術の一つとして、自転車や1輪車の自動操縦を行う、「ムラタセイサク君」「セイコちゃん」は部品で何ができるかを見せた例である。今年も彼らを見ようと詰めかけた人たちは多かった。
私が最も面白いと感じた技術は、地方の中堅企業の技術だった。空間に静止画や動画を映す技術を広島市の株式会社アスカネットが開発したのである。これまで水の流れる滝や霧、煙など光が反射する空間にレーザー光を当てて映像を見せるという手法はあった。シンガポールのセントーサ島で見せるレーザーショーはこの原理を応用したものだ。しかし、全く普通の空間に映像を映し出す技術は今まで見たこともなかった。
このブースに集まる人たちは一様に、驚きの声を上げていた。これは微細なミラーを格子状に並べたもので、鏡の反射を利用しただけの光学系には違いないのだが、空間のある平面に映像を映し出し、その面に焦点を結ぶというものらしい。空間だからこそ、その画像に触ろうとすると手はすり抜けてしまう。だが、3次元テレビや3次元ディスプレイで見える虚像とは違い、写真が撮れるのである。出展社のアスカネットは実像だという。

図2 写真で捉えた空間面の画像
他にも、球状のインダクタと呼ばれる丸いコイルやトランスなども展示されている。ここも中堅企業の部品メーカーが作製したもので、二つの半球状のフェライトを合わせて球状にし、その中にコイルやトランスを入れている。フェライトでシールドしているため半導体トランジスタなどでスイッチング動作させてもノイズを出さない。これもアイデア商品だ。
これらに共通するのは、大手企業ではなく中堅企業のアイデア商品だということ。大手企業のセットメーカーからは新しいアイデアはもはや出てこなかった。この現象は何を意味するのであろうか。日本のモノづくり産業のイノベーションは大手から中小にシフトしているのではないだろうか。大手セットメーカーは毎日、リストラの話で終始していると言われている。もはやイノベーションは期待できない。でも中堅・中小企業にイノベーションを期待できるのなら、日本のモノづくり産業はまんざら悪くはない。むしろ、未来が見えてくるといえよう。
このことは、大手企業、下請け企業、孫請け企業、ひ孫企業、というように階層を構成してきた日本のモノづくり産業構造が崩れつつある時期に来ていることを意味するのかもしれない。海外では、大手よりも中小、あるいは中堅企業がサプライチェーンから顧客に至る企業までパートナーシップを結ぶエコシステムを構築することでモノづくりを成功させている。日本の大手セットメーカーや半導体メーカーなどは垂直統合にこだわり過ぎて、スピード経営、スピード決定ができない、ことが敗因となっている。大手セットメーカーに期待するのではなく中小、中堅企業が世界と戦えるようなインフラを整えることが日本のモノづくり産業を救う道になるのではないだろうか。
日本で独立した半導体専業メーカーはローム1社しかいない。残りは全て親会社の干渉、庇護の元で運営されており、独自に経営することが許されない。中小、中堅企業の元気のいいイノベーションを見る限り、一刻も早く親会社、旧財閥系銀行などからの独立を図る経営が求められる。いつまでも放置しておけばますます世界との競争に敗れ、社会主義的環境から抜け出すことはできなくなる。もちろん、霞が関からの影響を排除し、自由に市場へ参入して競争できる環境が産業にとっては望ましい。政府は自由競争するため世界と同じ土俵(税制・関税・優遇措置など)を整備することが日本の産業のためになる。補助金を配ることだけが能ではない。
(2012/10/05)