NFCが広がる自動認識展とiPhone5に思う

(2012年9月14日 00:32)

昨日、自動認識展をのぞいてみた。ここでは、NFCNear field communication)のパビリオンが初めて登場した。また、パビリオン以外でもNFCを用いた決済システムをデンソーウェーブが展示するなど、NFC技術の広がりを強く感じた。

 

NFCは日本のFelicaと同じではないか、という声をよく聞く。実際、私もしばらく前まではそのように思っていた。しかし、NFCを取材して感じたことは、NFCは標準化された基本技術だが、Felicaは専用技術だということが最大の違いであり、日本にとって最大の問題である。つまり、IDや認証システム、決済システムなどを手ごろな価格で提供できないという問題が日本にはある。日本は相変わらず独自仕様のため高価で、世界には普及しないものを作っていることがここでも当てはまる。

 

Felica技術は、大きく分けてRF+モデム回路(ワイヤレス技術の基本)とセキュリティ回路からなる。NFCは前者と後者を分け、前者を標準化し、さらに後者のインターフェース部分も標準化したものだ。分けることによって、これまでカードにしか使えなかったFelicaの応用を携帯電話機やスマートフォン、タブレット、パソコンなど電子機器なら何にでも使えるようにした。専用部分はセキュリティ回路のセキュリティ部分だけだ。応用ごとにここだけソフトなどを書き直したりハードを追加したりすれば、応用範囲は格段に広がってくる。

 

NFCは、電子マネーの決済や交通の乗車券や航空券、入退室管理などセキュリティに係わる所だけをしっかり守ることで、世界中で使える規格となってきた。クレジットカードの延長として今後はNFCカードが世界中で使えるようになる日はそう遠くない。かつて、クレジットカードはお店でカード番号を写していた。そのうち、エンボスカードとなって、凸凹の部分を機械的にガシャガシャとスキャンすることで間違いなく番号を入力できるようになった。今は、カードリーダーによって決済機関およびカード会社の認証をとることで、数秒で確認できるようになった。NFCが金融、カード業界に普及すれば、スマホでどの店もカードを読み取るだけで決済できるようになる。私たちが気がつかないうちにスムースにそのように移行するだろう。

 

NFCの登場によって、スマホにも入るようになり、これまでの単純なお財布ケータイだけではなく、スマホが読み取り機・書き込み機(リーダー・ライター)になる。これまでのお財布ケータイは読み取られるだけのタグの役割しかなかった。ところが、スマホにはディスプレイもキーボードもある。タグだけに使うのはもったいない。リーダー・ライターとして使えれば用途は格段に広がる。NFCがすでにスマホに入った機種は50以上になるという。専用のカードリーダーは数1000台しかなかったが、スマホにNFCが入るようになり数十万を超えるカードリーダー・ライターの台数が世界中に普及していることになる。

 

iPhone5でがっかりしたのはNFCが入っていなかったこと。もともとアップルはNFC Forumのメンバーに入っていないため、iPhoneNFC認証されたチップが入ることはないだろうと思ってはいた。しかし、アップルのことだから、何かサプライズがあるかもしれないとiPhone5に期待した。結果は皆さんも知っての通りだ。残念に思う。アプリケーションプロセッサがA6になり、LTEが使え、画面サイズが少し大きくなり薄くなっただけだと、さほど代わり栄えはしない。これまでにもアンドロイドで似たような機種はある。アップルへのワクワク感が今回は裏切られた。

(2012/09/14)

   

MEMSベンチャーが装置まで作ってしまう時代に

(2012年9月12日 00:25)

先週、千葉市幕張で開かれたJASIS(旧分析機器展)2012において、手のひらサイズの超小型IR(赤外線)スペクトロスコピーを製作した英国のPyreos社を取材した。スコットランドのエディンバラに本社を置く同社は、小さな設備を持つMEMSチップの開発企業である。半導体のプロセス装置を使ってMEMSをこれまで作ってきた同社が手のひらサイズのIRスペクトロスコピー装置を作ったのである。

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図 右端の手のひらサイズのIRスペクトロスコピーで古いウィスキーと新しいものを識別


東芝やルネサスエレクトロニクス、富士通セミコンダクターのような日本の半導体チップメーカーは装置まで作ることはほとんどない。半導体チップを設計・製造、パッケージして販売するだけだ。しかし、今年のCESでは、半導体メーカーであるはずのインテルがウルトラブックパソコンやタブレットまで作ってアピールした。もちろん、インテルはパソコンメーカーを顧客とする半導体メーカーであるからこそ、パソコンを製造販売することはしない。パソコンやタブレットを作る実力があることを示したのでもない。パソコンやタブレットを顧客がカスタマイズするための開発ツールという位置付けで作ったのだ。

 

昨今の日本の半導体メーカーと海外の半導体メーカーの最大の違いは、水平分業か垂直統合かではない。新しい半導体チップを使って何ができるかを示せるか、示せないかである。半導体チップを使えば顧客は新しい未来のシステムを手に入れることができる。そのことを半導体メーカーが自ら顧客に示すのである。

 

今、日本の半導体メーカーはIDM(垂直統合型デバイスメーカー)からファブライトへシフトしようとしているが、残念ながらそれだけでは成長していくことは難しい。新しい商品を企画していく力が伴っていないからだ。結局、インテルやクアルコムのような大手半導体メーカーは商品企画力が優れているために独自ブランドの半導体企業としてやっていけるが、日本のメーカーがファブライト戦略を採っても商品企画力が伴わなければ、ファブレスやファブライトのビジネスモデルではなく、単なるデザインハウスにすぎないのである。

 

デザインハウスというのは、顧客の言う通りの製品を設計する企業である。本来なら顧客の名前のブランドで収めてもよいのであるが、顧客ごとに個別対応しながら半導体メーカーのブランド名を付けている。しかし、その実態は顧客の言う通りの設計図を書いてあげるデザインハウスである。これに対してファブレス半導体メーカーというのは、自ら商品を企画して自社ブランドで売り出す能力のある企業のことをいう。だから、自ら企画し設計した半導体を使えば、こんなことができる、あんなことができる、と顧客に対して訴求できる。このためファブレス半導体メーカーは顧客の先を行くのである。

 

ファブライトと称しながらデザインハウスと同じ設計をするだけなら、インドのIC設計者に設計を依頼する方が安くて良いものができる。日本の半導体企業が大きな間違いをしているのは、ファブライトと称しながら、簡単な製造は自社で行い、難しい製造は台湾に依頼する。そして設計力を強化している訳ではない。これでは世界とは互角に戦えない。商品企画力にかけているからだ。

 

商品企画力があるということは、自分たちの新しい半導体を使えば、こんなこと、あんなことができる、と訴える能力があることを意味する。しかも実際に作って見せる。顧客のいいなりで作るだけのデザインハウスなら、もはや世界との競争力が全くないということになる。

 

半導体メーカーのエンジニアよ、少なくとも半導体の勉強はもうしなくていい、システムの勉強をしてほしい。システムの勉強をしてシステムを理解し、それを顧客に提案できるくらいにシステム力を付けてほしい。これが世界の半導体メーカーに勝てる唯一の道である。システム力が出来て初めて、顧客への商品企画力もつく。

(2012/09/12)

   

台湾は「りゅうきゅう」だった―北京歴史博物館にて

(2012年9月 6日 11:54)

このブログで尖閣諸島問題を議論するつもりはないが、1992年に北京・天津を取材に訪れ休日に北京の歴史博物館を訪れた時のこと。ここで、台湾はかつて「りゅうきゅう」と呼ばれていたことを知った。天安門広場に面した歴史博物館は、隣接する革命博物館と同様、中国4000年の歴史を表す展示物を公開している。この博物館で、竹に書かれた象形文字や、古い壺や陶器などと並んで、ある地図に興味を持った。

 

唐の時代、明、清の時代、中華民国、中華人民共和国、それぞれの時代の地図があった。注目したのは、唐代末(874年~880年)に現在の台湾の形の島が「流求」と表示されていたのである。明らかに「りゅうきゅう」と読めるだろう。これが南宋の時代(1127年~1279年)の地図でもやはり「流求」と呼ばれていた。

 

元の時代(1271年~1368年)の末期の地図(1357~1359年と表示)を見ると、台湾を「瑠求」と呼んでいた。これも日本語で読むと、「りゅうきゅう」と読める。このことから、台湾は琉球王国の一部だったのではないだろうか、という推理が働く。琉球とはもちろん、現在の沖縄のことである。

 

さらに、明の時代の1405~1433年の地図を見ると、大陸の福建省と現在の台湾との海峡が「台湾海峡」と表記されていた。そして明代末期の1644年になって初めて、現在の台湾は「台湾」と呼ばれるようになった。つまり、台湾という名称は江戸時代に入ってから使われている。

 

琉球王国は、その後日本の薩摩藩によって支配され、明治に入り征服された、とされている。薩摩藩が支配していた時、琉球王国は清国にも朝貢していた。つまりは二重に支配されていた。その後、沖縄が日本に組み入れられた時には清の力はなく、日本のものになった。現在の台湾は、すでに台湾と呼ばれており「りゅうきゅう」ではなかったようだ。

 

尖閣諸島は琉球王国に組み入れられていたと言われている。だとするとやはり尖閣諸島は日本のものであり、台湾のものかもしれない。しかし、どのように見ても中国のものではない。今の中国の言い分は、尖閣諸島は台湾のものであり、台湾は中国のものだから、尖閣諸島は中国のものだという、三段論法である。極めて無理がある。しかし、台湾のものと言われると、そうかもしれないような気がする。もちろん、日本のものという論理も間違っていない。この辺りはグレーゾーンになっている。だから尖閣諸島問題が東南アジアで起きている。

(2012/09/06)

   

電機メーカーの処方箋

(2012年9月 4日 22:04)

シャープ、パナソニック、ソニーなどの苦境が伝えられている。ソニーは白物家電を持たない家電メーカーだ。家電メーカーでも白物家電を持つ企業はまだましである。白物家電にはMade in Japanの優位性がまだあるからだ。しかしソニーは苦しい。シャープでさえ白物家電比率が低い。どうすれば電機は回復するのか、考えてみたい。

 

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図 CES2012におけるLGのブース スマートハウスでHEMSを提案

 

かつてはソニーのウォークマンやVAIOパソコン、パナソニックのVTR、東芝のDynabookパソコンなど日本製品が世界を席巻し、ブランド力も高かったが、今はサムスンやLGの方が世界的なブランド力は高い。米国の家電分野にも新たな企業が出ている。VizioCobyといったメーカーは、新たに生まれたデジタル家電メーカーであり、いずれも工場を持たないファブレスだ。いずれもテレビ事業を持ちながら米国で成功させるべきビジネスモデルを持っている。日本のパナソニックや、ソニー、シャープのような旧態依然としたテレビ工場を持つやり方ではない。さらに米国ではGEも健在であるが、白物家電が中心で民生エレクトロニクスではない。

 

日本の家電メーカーが強いのは、もはやテレビやビデオ機器ではなく、冷蔵庫や洗濯機、エアコンなどの白物家電だ。冷蔵庫にインバータを導入し、モータの回転数をスムーズに早めたりゆるめたりして、消費電力を減らす。いわゆる惰性運転ではエネルギーをそれほど食わない。昨年の震災によりできるだけ夏休みを長くして1週間工場を止めた工場があった。その企業が空調をはじめ工場全体のスイッチを入れたら、工場を止めなかった年の方が消費電力は少なかったという。エアコンなどインバータ方式のコンプレッサは惰性運転する方が電力は少ない。クルマを時速40~50kmでだらだら運転する方がガソリンは減らないことと同じである。急発進、急加速ほどガソリンをまき散らしているものはない。日本の家電業界は、エアコンにインバータを導入して消費電力を減らしてきた。

 

白物家電が健闘している割にテレビやDVDなどの民生用電子機器は弱体化が激しい。その原因はそれほどの技術を必要としないからだ。液晶の大画面化をハイテクと勘違いしていたのである。液晶テレビは実は構造が単純だ。表示パネルは、液晶の画素と呼ばれるRBG(青赤緑)要素をひたすら並べたものにすぎない。画素数は細かければ細かいほどきれいに映る。しかし1画素を上手に設計すれば、同じ画素を敷き詰める訳だから、さほどの技術ではない。実は半導体メモリも同様だ。だから英語では、こういった産業をゴム印産業(ラバーインダストリー)と呼ぶ。ここにはもはや差別化技術はない。コモディティである。コモディティとなったテレビでアジア勢には勝てない。低コスト技術を開発してこなかったからだ。

 

今や日本製(made in Japan)がもてはやされるのはアニメや漫画など日本の独自性を持つ分野だ。テレビは日本が有利な理由は何もない。ソニーはドイツで行われた家電のショーIFAにおいて、画素解像度4K2Kのテレビを発表したが、テレビの解像度は高まり映像をより鮮明に見えることは見えるだけ。それ以外の機能もビジネスモデルも従来のテレビと何ら変わりはない。

 

では日本のテレビやエレクトロニクスメーカーはどうすればよいのか。モノづくりを捨てて文化や娯楽へ転換するのか。いや、もっと冷静に分析することが重要だろう。現実として、もはやブランド力はない。低コストでモノを作れない。アイデアは貧困。商習慣は日本でしか通用しない。こういった現実を直視し、それを変えていかなければならない。

 

まず、今まで通りの考え方を捨てることから始めよう。そこで、自社の強み、弱み、世の中の流れ、問題、を整理して進むべき道を各社が見つける以外にあるまい。横並びに日本の民生メーカーに並ぶだけでは共に沈んでしまう。各社が各自の道を探ることができなければやがて没落する。それでは従業員が悲しすぎる。経営者の責任で自社をどれだけ変えられるかが勝負となろう。

 

これはほんの一例だが、ドラえもんやハローキティのキャラクタ作者とコラボした商品(テレビやスマホ、スマートテレビなど)を世界へ売るとか、AKB48とコラボする商品を世界へ売るとか、思い切った変革を提案しなければ発展は望めない。いつまでもソニーやパナソニックが世界で望まれているブランドではないことを知ろう。世界における日本のプレゼンスを強調できる娯楽文化と家電メーカーがコラボレーションを図った商品開発は一考の価値があるのではなかろうか。そうすると日本のブランド力をどう生かすべきか、日本の強みをどう生かすべきかが見えてくるはずだ。

 

   

「カワイイ」は英語としてもはや普通に使われている

(2012年9月 3日 22:53)

「カワイイ」という言葉が英語としての市民権を得ていることを8月の米国出張でわかった。ロサンゼルスの飛行場で乗り継ぎ便を待っていたら、近くの椅子に座った親子連れの中国人がいて、その赤ちゃんを見て盛んに「カワイイ」を連発しているアメリカ人女性をみた。中国人はきょとんとして、何を言われているのかわからないままにしていると、米国女性は日本人ではなく中国人であることに気がついた。すぐさま、「失礼、とてもキュートだったので」、と言い訳していたが、本人は日本人の赤ちゃんだと思ったのだろう。

 

日本語の「カワイイ」は日本のアニメやコスプレなどを目にした海外の女性が発していたシーンをテレビで見たことがある。日本の「マンガ」は海外でずいぶん受け入れられている。80年代に来日した外国人が東京の電車内を体験し、日本人は電車の中で漫画を読むレベルの低い民族だと述べたというニュースを見たことがある。昔は漫画に理解を示さなかった米国人だったが、2~3年前に行ったサンフランシスコのBarnes & Nobleという書店には漫画コーナーがあるが、そのコーナーで漫画を立ち読みしていたのは米国人だけだった。

 

漫画の持つストーリー性や絵の忠実さやレベルの高さなどが理解されたのだと思う。漫画やアニメなど日本独特の文化が海外にも浸透しているのは事実だ。漫画という言葉も実はMangaという立派な英語になっている。どうやらメードインジャパンは今や工業製品ではなくアニメや漫画などのエンターテインメント商品やサービスが主力になっているのではないだろうか。

 

2005年ごろDesign News Japanの編集業務をしていた時、米国のDesign News編集長と電話会議をよく行った。その時の話の中で米国のDesign Newsは今後Mangaを採り入れたいという。その心は、一目でテーマを表せるからだという。Mangaは米国でももはや子供の読み物ではなくなった。その編集長は米国人のManga作家を見つけ、2ヵ月先の号ではMangaを使った機械エンジニアのストーリーを描いていた。

 

10年以上までの話だが、Nikkei Electronics Asiaの仕事をしていて、香港のスタッフと話をする機会が多かったが、中には日本のキャラクタ商品「キティちゃん」が大好きなスタッフもいた。彼女がバケーションを兼ねて来日した時、どこか行く目的地があるのかと尋ねたら「サンリオピューロランド」へ行くと言い、逆に私はその場所を知らなかった。また、韓国の若い記者と米国で話をしていた時、日本のある俳優(男性)を知っているかと聞かれたが私は知らなかった。日本人の私よりも韓国人の若者の方がよく知っているのである。日本の娯楽文化はアジアでは極めてなじみ深い。

 

もっと日本人は自分の文化に自信を持つべきではないか。カワイイ、ドラえもん、ハローキティ、AKB48など、日本発のオリジナル文化は世界中の心を捉えつつある。日本人が考える以上に、「あなたのビューティフルな国へまた遊びに行きたい」と考えている欧米人、アジア人は多い。この言葉を何人もの人から言われたことか。

2012/09/03

   

ルネサスを巡る報道のあり方に思う

(2012年8月30日 00:31)

エルピーダメモリが経営破たんした後、買い手を待っている間、次はルネサスか、という報道が出てきた。日本経済新聞や朝日新聞、読売新聞、毎日新聞など一般紙のトーンは「ルネサスも危ない」というネガティブキャンペーンにしか見えない。まるで倒産することを一番に報道する競争をしているかのように、あるいは倒産することを待っているかのように思える。

 

29日もファンドのKKR1000億円を出資するという旨の新聞記事があったが、本当だろうか。出資するとしても1000億円もだすだろうか。デューデリと称して工場をコンペティタに見せることはしないだろうか。お金を基準通貨としてではなく錬金術として扱うファンドはルネサスの何が魅力なのだろうか。この記事の信ぴょう性は?

 

ルネサスが社内のコンピュータ基幹システムを全面入れ替えするために8日間製品を出荷停止した。システム変更による支払い条件の変更を前もって通知すると、ルネサスは資金繰りが厳しいから、「エルピーダの余波で資金繰りに汲々」(東洋経済421日号)という見出しの記事が掲載された。ルネサスの基幹システムの全面変更は、日立製作所と三菱電機が合併してルネサステクノロジができた時もやはり1~2年経ってから行っている。今回もNECエレクトロニクスとの合併後、同様な期間を経ただけなのに、今にもルネサスがつぶれそうだというばかりのトーンだった。

 

悪意を持って記事を書いているように思えた。たとえ倒産の危機に直面していてもつぶれることを前もって報道することにどんな価値があるのか。もちろん、債権者に早めに伝える義務があるというだろう。だとしても死人に鞭を打つような行為はジャーナリストとして慎むべきではないだろうか。しかも今回は、基幹システムの変更という事実を関係企業に伝えただけなのにもかかわらず、ルネサスも倒産か、というような悪意に満ちた表現が舞い上がった。

 

エルピーダはつぶれるべくしてつぶれた。資金繰りが苦しく転換社債の発行のニュースと共に、あたかも大丈夫であるかのように新技術・新製品の発表のニュースも倒産前の半年間まだら模様のように流れた。技術の粉飾とも言えるようなニュース発表が多かったのである。競合相手は、本当にこの技術を開発したのか、と疑うことが多かった。

 

DRAMだけを作っていた半導体メーカーは実はエルピーダだけだった。他のDRAMメーカー、サムスンもSKハイニックスもマイクロンテクノロジーもみんなDRAM以外にNANDフラッシュやファウンドリ事業、CMOSイメージセンサなどの製品も製造していた。DRAMには「32ビットの壁」、すなわち4GB以上はアドレッシングできない(232乗は4GB)という本質的な限界があったからだ。2Gビットまで開発すればもうこれ以上の集積度を上げても使えない。つまりDRAMには未来はなかったのに、DRAMに固執していたのである。

 

ルネサスの場合はエルピーダとは全く違う。親会社の日立製作所、NECなどと霞が関が無理やり半導体部門をくっつけようとしてできた会社であり、それまでの赤字体質を残したまま強引に合併させた会社である。無理やり親同士と霞が関に結婚させられたルネサスエレクトロニクスは、何とかして黒字化しようと懸命に努力してきた。強みを生かしマイコンに注力し、弱い部門を切り離そうとしてきた。今はようやくその成果が見え始めてきた所である。そのような矢先、倒産しそうだという記事が流されたのである。

 

ルネサスはアナログ回路を取り込んだ32ビットマイコン、さまざまなセンサ信号を受けるためのアナログフロントエンドを多数揃え、ユーザーがカスタマイズできるようなハードウエア、ソフトウエアのツールを充実させてきた。32ビットマイコン技術とアナログ回路を集積したICのトップメーカーであることを示したのにもかかわらず、一般紙は採り上げない。

 

5月に行われた台湾TSMCとの共同記者会見の前日は、ルネサスの鶴岡工場をTSMCへ売却するのではないかという憶測記事が流れた。これも悪意に満ちたガセネタだった。ルネサスはひと月以上前からTSMCの持つグローバルなエコシステムを利用したくて、フラッシュマイコン技術との交換を狙った提携にこぎつけたのである。ルネサスのマイコンのデザインイン国内比率は高い。何とかしてグローバル市場にも売りたい。しかし、外国の販路やデザインロジは苦手だ。そこでTSMCのエコシステムに目を付けた。TSMCのエコシステムを通じて海外売上比率を挙げたい、という思いがルネサスの狙いであった。この狙いを理解せずに、工場売却で資金を稼ぐというような憶測記事がまかり通った。

 

記者会見に出ても、ルネサスの経営破綻を待ち望むかのような悪意に満ちた質問が多い。8月はじめの決算発表記者会見でも、工場売却をどこと進めているのかという質問を一般紙や地方紙でさえも行っていた。ルネサスはようやく赤字から脱却できそうな所までこぎつけてきた。基幹システム導入により製品出荷を8日間停止したため、4~6月期(90)の売り上げは約1割低下した。予定通りの数字である。来年3月の2012年度は当然、リストラ費用を特別損失として計上するため営業黒字の見込みでも純損益は赤字になる。受注がじわじわ増えてきているため営業黒字は実現しそうである。予定通りの決算見込みを「ルネサスは赤字に」という見出しの新聞記事もあったが、これも悪意としか思えない。決算発表後、ルネサスの株価はむしろ上昇した。市場の方がルネサスを正しく理解しているようだ。

 

結局、技術を理解できない記者が書く記事は、何とか出し抜こうというジャーナリスト精神が歪んだ切り口の記事にたどりついているのではないだろうか。

 (2012/08/30)

   

携帯無線4Gの次の5Gはどのような姿になるのだろうか?

(2012年8月23日 22:29)

先月、YRP(横須賀リサーチパーク)が主催したWTP(ワイヤレステクノロジーパーク)2012の講師控え室で、他の講師の方と話をしている時に、「歴史を振り返ると、第5世代コンピュータというものは結果的にパソコンでしたね。携帯電話の4Gの次はどうなるのでしょうか?」と質問された。これまで高性能化ばかりに目を奪われてきた第5世代コンピュータの国家プロジェクトは何だったのだろうか。

 

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図 バルセロナで開催されたMobile World CongressのSK Telecomブースは新4Gで話題


コンピュータは最初に生まれてから、第3世代まではメインフレームが主体だった。第4世代は性能的にはスーパーコンピュータだったが、ミニコンあるいはワークステーションだったのかもしれない。そして第5世代は、人工知能やパターン認識コンピュータではなくパソコンだった。この歴史はダウンサイジングというメガトレンドへ向かっていた。

 

半導体の取材を80年代から米国でも始めた時、メインフレームよりミニコンやオフコン、スーパーコンピュータよりミニスーパーコンが欲しい、というユーザーの声が強いと実感した。現実にメインフレームやスパコンは装置そのものの速度は速く高性能であるが、実際のコンピュータ運用では順番待ちをよく食らった。1台数億円もするメインフレームは大企業や大きな組織でみんなが使うため、オペレータにプログラムを手渡しても、3~4日待ってください、と言われるのが常識だった。スーパーコンピュータも同様だ。実際の計算時間よりも待ち時間の方が圧倒的に長かった。だから、コンピュータを使いたい人たちは、性能は少し落ちてもよいからもっと安い手軽なコンピュータが欲しいと思っていた。11000~2000万円程度なら一つの事業部で1台のワークステーションやミニコン、ミニスーパーコンを購入できた。性能はメインフレームやスパコンに比べると遅いが、待ち時間はなくすぐに使えるため、結果的に出力データを手に入れられる期間は早かった。ダウンサイジングはこのようにして80年代から90年代へとじわじわ進行した。

 

同時にムーアの法則に従って、半導体の集積度が上がり半導体プロセッサの能力も上がってくると、フォートランやコボル、C言語で書いたプログラムを走らせるコンピュータはメインフレームよりもずっと安いワークステーションやパソコンでさえも実行可能になりつつあった。こうなるとメインフレームもスパコンも特殊な用途にしか使われなくなり、これらの市場は縮まっていった。今のスパコンの国内市場は富士通のスパコン売上にすぎない。わずか100億円だ。

 

1980年代にコンピュータのダウンサイジングが言われ始めた時、日本の半導体はこういった動向に目もくれずメインフレーム向けのDRAMばかりを開発していた。米国ではインテルやナショセミなどがDRAMから撤退し始めた1984年に米国のマイクロンがDRAMに新規参入したため、取材を申し込んだ。その時、「われわれは日本が強いDRAMをメインフレーム用ではなくパソコン用途に絞って提供する」と開発思想を述べた。コンピュータのダウンサイジングを見越したマイクロン、さらにそこからライセンスを買ったサムスンがパソコン用の低価格DRAMに集中し、日本のDRAMメーカーが、ダウンサイジングというメガトレンドを見ずに高価なDRAMを作り続けていた。その10年後、20年後の勝負は、1980年代ですでに見えていたのである。

 

こういったコンピュータと半導体の歴史をリンクしてみると、日本の半導体メーカーが高価なDRAMをいつまでも追求してきたことが間違いだった。つまりはメガトレンドを見ずにひたすらDRAMの微細化を追求してきたことが間違いだったという訳だ。

 

では、携帯通信規格の4GすなわちLTE-Advancedの次はどこへ行くのだろうか。データレートは数100Mbps1Gbpsにも達するのである。さらに数Gbpsを個人のスマートフォンやタブレットが必要とするのだろうか?ここに第5世代コンピュータの教訓を生かすべきだろう。その答えについてWTP2012でもいくつか芽が出ていたが、ここでは結論めいたことを言うつもりはまだない。答えを得るためのプロトコルを述べるなら、ニーズをつかむマーケティングをしっかり行うと同時に、世界のメガトレンドを把握するというだけは確かだ。

 2012/08/23

   

テキサスはジーンズ、シカゴはチノパン、東京のクールビズは?

(2012年8月21日 00:13)

旧暦のお盆を過ぎたというのに、毎日30℃以上の真夏日が続く。所によっては35℃以上の猛暑日に見舞われる都市もある。電力不足が予想されながらも停電という事態は免れている。シンガポールやクアラルンプールのような赤道直下の熱帯地方と比べても東京の方が暑いような気がする。湿気が多いからだろう。

 

最近はクールビズが当たり前になっているため、ネクタイを締めなくても許される時代になったことはたいへんありがたい。ネクタイを締めるだけで体感温度は2~3℃高まる。クールビズファッションは洋装業界から始まり、一般のビジネスマンにまで広がっている。

 

ただし働く環境で涼しければどのような格好でも良いという訳ではない。最低限のマナーともいうべきルールはあろう。その基準は相手に不快な思いをさせないことだろう。男ならきたない毛脛を出してオフィスで仕事することはご法度だろうし、女性ならへそ出しルックはご法度だろう。

 

カジュアルな服装にもルールはあり、このルールは国や地方によって変わる。以前勤めていた外資系出版社の1拠点であるシカゴでは、社内ではノーネクタイでもかまわなかった。普段はノーネクタイの営業担当者でもクライアントのオフィスを訪問する時は背広にネクタイで行く。女性の営業担当者は口紅程度の化粧をしジャケットを羽織って行く。男性のあるパブリッシャーに聞くと、基本的なルールは襟のあるシャツ以上で、ズボンは、ジーンズはダメだがチノパン以上ならOKだと決めている。

 

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85~10日滞在したテキサス州では、カーボーイハットにジーンズでもよいという。この地方ではジーンズは正装の一部だからだそうだ。ただし、よれよれのジーンズはダメで、ヒザの出ていない新しいジーンズに限るという。

 

日本の記者会見で驚くことは、丸首のTシャツによれよれのジーパンで来ている記者がいることだ。しかも一流ホテルを使った会見でさえも、このような不快な服装で来る。電力事情が切迫している昨今に、背広にネクタイとは言わないが(自分も講演の講師の時以外はネクタイしない)、せめて他人に不快な思いをさせないという気づかいは必要なのではないだろうか。むしろ、女性記者の方がまともな服装で出席している。記者の基本は情報を得ることだ。相手に不快な思いをさせて情報を十分引き出せるだろうか。

 

昨年この世を去ったスティーブ・ジョブズ氏は丸首にジーンズ姿でプレゼンを行っていた。しかし、彼を見ても不快に思わない。なぜか。ジーンズはきちんとした新しいモノを穿いているからではないだろうか。

 

米国の記者会見にも何度か出席したが、よれよれのジーパンにTシャツといった格好の記者はいない。多くの記者がノーネクタイでもウールのズボンにYシャツあるいはジャケット、といったそれなりの格好で来る。むしろ、米国の記者の方が時と場所、シーンを使い分けた服装をしている。

 

私は決しておしゃれを楽しむ人間ではない。妻から「あなたのようなおしゃれをしない人間は見たことがない」とよく言われる。自分は最低限、相手に不快な思いをさせないような服装をすることだけは心得ている。着る服がわからない場合は、Yシャツにウールのズボンにジャケットを着るか、涼しい季節なら背広にネクタイで済ましてしまう。これなら少なくとも相手は不快な思いをしなくて済むだろうから。

2012/08/21

   

ワイヤレスセンサネットワークを再定義する講演

(2012年8月18日 23:48)

高周波シミュレータやノイズシミュレータなどの技術者集団、AETが主催するワークショップ「明日を紡ぐIOTInternet of Things)」(http://www.aetjapan.com/event/workshop.php?AET_WS)で講演することになり、今その準備中だ。IOTという言葉は昨年あたりから米国企業を中心に聞かれるようになった。いわゆるモノにM2M等の通信モジュールやZigBeeモジュールを搭載して、インターネットにつなげてしまおうというもので、何でもインターネットというべき概念だ。

 

このワークショップの中で私は、センサネットワークについてお話しする。実は、数ヶ月前、センサネットワークについて調べていたら、WikipediaではM2Mmachine to machine)のコアとなる技術だとある。これを読んで、あれれ???と思った。M2Mは基本的にはデータ通信モジュールを使ったサービスであり、これをセンサネットワークと呼ぶなら一般的な携帯電話でさえセンサネットワークということになる。携帯電話をセンサと定義すれば3G通信ネットワークもセンサネットワークといえるからだ。

 

センサネットワークの基本はワイヤレスセンサネットワークである。このワイヤレスという言葉に重きを置き、センサの電源コードもワイヤレスとして考えると、M2Mはワイヤレスセンサネットワークの範疇には入らないことになる。ワイヤレスセンサネットワークに使われるセンサは電池で動作するか、自然エネルギーから電源を取り出すエネルギーハーベスティングか、どちらかしかなくなる。ワイヤレスセンサには3年程度は電池を交換しなくて済むようにしてもらいたいからだ。

 

そこで、センサの定義から始まり、これまでいわれているセンサネットワークにM2Mも含めるというWikipediaの説明で疑問を感じたことについても再定義しなければならないな、と考えたのである。そこで、センサネットワークをどのような範疇まで広げて再定義するか、その際センサとは何か、を考え整理してみた。この時以来、通信関連のいろいろな方々にセンサネットワークの新しい定義について聞いてきた。最近になって、自信を持って再定義が必要だと感じた。この講演では、その再定義についても吟味してみる。このワークショップでも再定義についてご意見を伺いたいと思っている。

 

AETが主催するテーマのIOTについて考えると、どのようなモノにもインターネットとつながる時代になる、という前提から出発している。昔のPDAは通信機能がなかったばかりに普及はイマイチだった。iPadやスマートフォンはPDA以上の機能を持ちながら、通信機能もしっかりとい持っている。3GあるいはLTEネットワークの他にWi-Fi通信やBluetoothなどの通信機能も搭載しているからだ。

 

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これからの未来は、カメラにもWi-Fi機能が付き、撮った写真やビデオをすぐにDropboxYouTubeに載せられるようになる。さらにスマホのWi-Fiと連動すれば、仲間みんなで撮影する場合でもセルフタイマーは不要になり、その代わりにスマホでシャッターを切れるようになる。ICレコーダーに通信機能が付けば、録音した対談や取材が自分のPCやメディア企業のPCやサーバーにも即座に記録できるようになる。犯罪防止や公正な裁判にも活用されるかもしれない。これからは、さまざまなモノに通信機能がつき、インターネットを介して生活をさらに豊かにしてくれる。IOTの時代こそ、モノにIPアドレスを付けるIPv6が生きてくる。AETのワークショップから、私たちの未来の生活を豊かにそして公正・公平な社会作りへのテクノロジーがもっともっと生まれてくることを期待する。

 

なお、「明日を紡ぐIOTInternet of Things)」は914日に東京・秋葉原のアキバプラザのアキバホールで行われる。

(2012/08/19)

   

「モノづくり」が英語になった、Thingmakerという言葉が登場

(2012年8月15日 22:40)

「製造業を国内に取り戻そう」。米国ではモノづくり回帰が叫ばれている。先週、参加していた米国の測定器メーカーのNational Instruments社が主催するNIWeek 2012では、日本語のモノづくりに相当する、「Thingmaker」(モノづくりのエンジニアや企業)という言葉が使われていた。辞書をひいても載っていない。まさに日本語のモノづくりの担い手を英語に翻訳した言葉である。

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国内の空洞化を最初に経験したのは日本ではない。米国の方が先駆者である。2004年のシカゴで開催されたManufacturing Weekにおいて、米国のアルミメーカーの社長が海外へ移転したアルミ産業を嘆いていたが、解はこの当時はまだ得られていなかった。

 しかし最近、中国における人件費が広東省をはじめ、上海・蘇州地区、北京・天津地区などで大きく上昇している。2004年に上海を訪れた時、上海のビジネス街におけるカフェテラス風のランチが400円と高くなっていたことに驚いた。中国における平均的な人件費から見ると極めて高い。ビジネス街で働く都会の人たちは、何事もなかったかのように昼食を済ませた。今では大都市における物価は日本並みにさぞ、高いことだろう。 

中国における人件費が高くなるのであれば、中国で生産する意味がなくなる。米国からわざわざ中国へ行く必要が本当にあるか、検討してみる価値がある。このためには製品価格に対する人件費の比率を求めておき、さらに輸送コストも加味する必要がある。例えば、半導体の製造工場における人件費比率はわずか5~8%しかない。だからこそ、半導体前工程は何も中国やアジアへ持っていく必要のない産業である。パソコンメーカーの台湾エイサー社のスタン・シー会長に伺った時も、パソコン産業における人件費比率は10%以下だという。であれば何も中国で作る必要はない。 

日本も米国もムードで中国へ進出したような所がある。中国進出は、本当に原価計算をし尽くして得た結果なのか、怪しい。米国企業はともかく、日本企業は、大手が中国へ行けばその大手に部品を収めているサプライヤも中国へ行き、さらにサブサプライヤもついて行った。その結果、「日本村」ができた。1990年代はじめに私は「Nikkei Electronics Asia」の発行準備でアジア諸国の現地企業を回ったときに、彼らが日本企業と全く取引がないことを私は知った。マレーシアでもインドネシアでもシンガポールでも同じだった。そのくせ、どの国の中心都市にも日本企業の商工会議所があった。つまり日本企業同士の集まりの会はどこでもある。 

日本企業の現地進出は、一緒について行った家族も現地との付き合いが少ない。近所の日本人奥さま同士でショッピングセンターへタクシーで行き、買い物を済ませるとみんなでまたタクシーで帰ってきた、という話を聞いたことがある。マレーシアのクアラルンプールはインフラが整っている割に物価が安く、過ごしやすい街である。現地の人と付き合えば、もっと良く理解しあえるのに残念である。

現地の企業は日本企業と取引したいと思っていた。日本製品は品質が高いと思われていたからだ。日本企業が現地に進出し、部品・材料の現地調達比率を上げるなら現地企業との付き合いは欠かせない。しかし、日本企業は次第に現地調達率を上げていくのだが、これは現地企業から購入するのではなく、現地に進出した日本のサプライヤ企業から買うだけだった。こういった「日本村」構造で製品は本当に安く作れるのだろうか。日本国内の地方の工場でモノを作ることとコスト比較を徹底して行ったのだろうか。 

人件費、流通経費、管理部門のオーバーヘッドなど、さまざまなコストを全て公平に見積れば、答えは出るはずだ。国内での雇用を確保しながら、世界の企業とのコスト競争力をつけることこそ、日本企業が今すぐやるべきミッションではないか。モノづくりに強い日本が民生機器や半導体でダメになっているのは、きちんとした原価計算と低コスト技術の開発を行っていないことも一因だ。なぜ、どうやってモノを安く作るのか、低コスト技術の名人である台湾に学ぶという手もある。現に、エルピーダメモリが倒産する1年半ほど前に、技術提携している台湾の関連会社で生産しているプロセスと全く同じプロセスを広島工場に導入したら、製品コストはわずか5%しか高くなかったという実例がある(参考資料1)。 

原価計算の厳密化と、低コスト技術の開発が日本におけるモノづくりと雇用確保の決定打になるのではないか。

 

参考資料

1.    台湾、日本どこで作っても差は5%のみ、エルピーダが低コスト技術を証明

(2012/08/15)