ITジャーナリストは有象無象か
2012年10月 6日 10:51

ここ数日、日経ビジネスの小板橋太郎記者の書いた「『声なき声』に耳を傾けているか」というブログが波紋を呼んでいる。ITジャーナリストを有象無象と述べたことに噛みついた、あるITジャーナリストがつぶやいていたのである。

 

小板橋記者は、ITジャーナリストはIT企業の「ご招待」によって、スマートフォンを発表前に触らせてもらい、その引き換えに提灯記事を書く、というような意味のブログを書いた。彼の指摘はある意味では正しい。かつては、オーディオ評論家がそうだった。AV機器メーカーから招待・接待を受け、新商品を発売前に評価する立場にあった。当然、筆は鈍るだろう。悪いことは書けない、書かない。だから提灯記事となった。

 

だが、待てよ。かつて日経BP社にいた私は、利益媒体と赤字媒体の両方を経験し、記者としての心構えに大きな戸惑いを感じたことがあった。日経BPでは、「武士は食わねど高楊枝」という精神で記者は取材に当り、招待取材は受けないことが原則であった。利益媒体にいた時は、招待取材の場合でも、出張旅費は出版社が払っていた。一方、赤字媒体にいた時に招待取材の案内を受け取っても出張旅費を媒体予算で出せないため、招待をお断りした。その後、その招待した企業からプレスリリースをはじめ情報が全く来なくなった。情報過疎に置かれたのである。記者としてこのスタンスはおかしいと思った。利益媒体は出張取材に行けて赤字媒体は取材に行けないのである。

 

「高楊枝」の精神は評価するものの、媒体ごとにスタンスが違うようでは、いま利益の出ている媒体が赤字に転落した時は、ジャーナリストとしての心構えが変わってしまう恐れがあるのだ。ITジャーナリストは、私と同様、フリーランスが多い。フリーランスのジャーナリストは記事を作成することで生活の糧を得ている。そのために筆が鈍ることを、収入の安定した出版社社員が非難はできまい。生活の糧を心配することのない日経ビジネスの記者とは違うのである。親方日の丸ではないが、しっかりしたバックを得て書けるジャーナリストとフリーランスのジャーナリストとは基本的な立場が違うと言ってよい。

 

私は今、基本的に招待取材を受ける人間である。招待取材を受けても情報が得られる方が読者のためになると思うからだ。とはいえ、提灯記事は書かないように一線を張っている。そのために、「書けというオブリゲーションがあるのであれば、招待は受けません」とひとこと言っておく。オブリゲーションがないのであれば招待を受ける、というスタンスである。書く、書かない、あるいは第3者的に冷静な分析を入れて書くことは、あくまでもジャーナリスト側の判断によるからだ。取材した企業の内容がすでにどこかで発表したものであれば書きたくても書けない。あるいは何のニュースもない記者発表なら書けない。だから「書く」という約束はできないのである。

 

もちろん、ジャーナリストが海外出張など数日間を費やす以上、何か新しい視点を見つけて書くように努めることは言うまでもない。だから、新製品や新技術の発表でなければ書けないようではジャーナリストとはいえない。新しい視点を自分で見つけ、その視点で見ると今までにない新鮮な切り口のニュースになる、と思ったら書く。その場合には媒体の持つ想定読者を念頭に入れて視点を探す。想定読者の役に立つ切り口を模索するという作業に私は時間を費やす。そのためには、設計技術・製造技術・製品・応用・市場・ビジネス戦略などあらゆる角度から切り口を検討する。だから日々の取材・勉強が必要なのである。幾何学の補助線を見つけてきれいな解を見つける作業と同様、新鮮な切り口が見つかったときは、やった!という気持ちになる。

 

ジャーナリストは情報を集めることがまず大きな仕事であるから、取材しないのならジャーナリスト失格である。取材して知らない話を聞けるのであれば、基本的に取材は受ける。海外からの電話取材の依頼もしょっちゅうある。ただし、書けというオブリゲーションがあるのであればお断りする。できるだけ書く努力は当然ながらするが、書けという約束はできない。オブリゲーションがなければ喜んで取材を受ける。

 

実は、こういった私のスタンスは海外メディアから学んだものだ。海外のB2Bメディアはやはり日本のメディアよりも一日の長がある。かつてのEDNDesign NewsSemiconductor Internationalの編集長や記者たちとのディスカッションはとても役に立っている。利益媒体なら取材に行き、赤字媒体なら取材に行かないという態度はジャーナリストとして矛盾している。

 

13日からの米国出張取材はPR会社の招待で行くが、やはり「武士は食わねど高楊枝」の精神は伝え、理解してもらっている。どのような視点を探してもニュースにならない場合には書かない。もちろん、ニュースとして記事を書いた暁には、記事のURLあるいはpdfを相手に送っている。ジャーナリストのスタンスがぶれてはならない。

(2012/10/06)