半導体業界の最近のブログ記事

アラン・チューリング博士の考えは生きている

(2015年5月29日 00:39)

コンピュータは、メモリに命令とデータを蓄積し、それらを読み出して、「1番地のデータを5番地にコピーせよ」というような命令を実行することで、制御や演算を行う。メモリに格納する命令やデータをソフトウエアで書き換えるだけで、さまざまな制御や演算を行わせることができる。こういった汎用の演算器、すなわちコンピュータの概念を生み出したアラン・チューリング博士の生き様を描いた映画「イミテーションゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」を見た。

 

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図 アラン・チューリング博士が描いた抽象画 エジンバラ大学にて筆者撮影

実用的なコンピュータを作り上げたのはモークリーとエッカートだと言われているが、コンピュータのすごいところは計算が速いことではない。ソフトウエアを書き換えるだけで、いろいろな業務を行うことのできる汎用性だ。例えば、地球の軌道計算や無理数のπ(3.14159....という数字)の計算だけなら、ロジック回路だけで計算させる専用計算機の方が計算速度ははるかに高い。

 

天才、アラン・チューリングは、映画の中で「専用の暗号解読器を作るのではなく、プログラムを変えるだけでいろいろな計算ができるマシン(エニグマ)を作る」と言っていた。彼が生み出したフレキシブルなコンピュータの概念こそ、現在のデジタル機器の基礎になっている。ほとんどのデジタル機器は、CPUとメモリ(主にデータを出し入れするRAMと、命令を格納するROM)、その他外部へデータを入出力するI/Oインターフェース、独自の周辺回路、で出来ている。パソコンはもちろん、デジカメもスマホもテレビもプリンタもカーナビも、デジタル機器と言われるモノの基本は、このCPUとメモリ、周辺回路、I/Oインターフェースである。ここにソフトウエアを載せることで、違う機能を実現する。

 

ソフトウエアは、全てゼロから開発しなくても済むように、基本的なOS、ミドルウエア、アプリケーションという階層構成になっている。それぞれのソフトウエアをそれぞれの専門家が開発することで、ソフトウエアはつながっていく。例えば、ゲーム用のソフトウエア(アプリケーション)開発では、アプリだけを開発し、OSは出来合いのものを使う。

 

今の半導体産業・電子産業は、それぞれの回路をそれぞれの専門企業が担当している。だから全てを1社が開発する必要がない。CPUならインテルやアーム、ミップスなどの回路を購入し、メモリだとサムスンやマイクロンの製品が秋葉原で手に入る。インターフェースは共通化・標準化されているから、これも簡単に手に入る。ソフトウエアでさえもOSだとアンドロイドやマイクロソフトのウィンドウズなどを導入すればよい。

 

では、何を持ってデジカメやスマホなどの製品ができ、他社の製品と差別化できるのか。それこそがアプリケーションやミドルウエアであり、周辺回路である。つまり、ここに注力して、それ以外の部品や回路は市販のモノで済ませる。これが、良いものを安く、早く作るコツである。

 

以前、1000億円しかないスーパーコンピュータ市場で、1000億円もの国家予算をかけるスーパーコンピュータの国家プロジェクトは、全てゼロから開発しようとしていた (参考資料1)。だから、このやり方はおかしくないか、と問いかけた。国から予算をいただいて仕事している人たちだと思うが、ブログが炎上するほど非難を受けた。

 

しかし、同じスーパーコンピュータでも東京工業大学の「つばめ」は、「京」の1/10のコストで同様な性能を得ている。もちろん、ソフトウエアによって、それぞれ得意・不得意の計算があるから一概には言えないことは重々承知の上だ。東工大の方法は、CPUを外から買い、他の差別化すべき回路、ボトルネックとなっている部分だけにフォーカスして開発してきたからこそ、安いコストで高性能なスーパーコンピュータを実現できたのである。この手法こそが、世界の勝ち組企業が使っている手法に他ならない。日本の電子産業が没落したのは、何でもかんでも自前でやろうとしてきたからだ。

 

今でも日本製のOSCPUを開発しようという時代錯誤の発言を未だに聞くことがある。もうOSCPUは差別化できる部品ではない。そのようなところにこだわっていると世界から取り残されてしまう。だからこそ、何を開発して、何を開発すべきではないのかを明確にして、ハードあるいはソフトの開発に力を入れるべきだろう。

 

では、すでに「京」の渦中にいるエンジニアが世界にコスト的にも、Time-to-market的にも負けないスーパーコンピュータに仕上げるためにはどうすればよいか。これが、参考資料2で提案した、プラットフォームとしてのスーパーコンピュータである。下位展開できるように、まるで、「レゴブロック」のように簡単に取り外しできるような仕組みのシステムを作ればよい。いわゆる「専用」のスーパーコンピュータを作っても絶対にコスト競争力は付かない。「超汎用」のスーパーコンピュータを作ることこそ、コスト競争力が備わる開発手法、すなわちプラットフォーム戦略だと言える。

 

専用の計算機ではなく、汎用の計算機を作ろうと考えた、アラン・チューリング博士の考え方は、さまざまな少量多品種、さまざまな応用に適用できる手法である。日本がキラーアプリの開発、という考えに凝り固まっていては、いつまでたっても世界の勝ち組の仲間入りはできないだろう。どのような応用にも柔軟に対応できるモノ(プラットフォーム)を作ることが変化の激しい時代に生き残れる考え方だといえる。

 

参考資料

1.    世界と比べて常識はずれな1000億円という高額のスーパーコン補助金2013/05/10

2.    スーパーコンピュータの補助金1000億円をジャスティファイする方法2013/06/18

日本半導体が成長するために必要なこと

(2015年5月14日 23:45)

先日、久しぶりに、デザインセンターを開設するという発表を聞いた。何年ぶりだろうか。欧州オーストリアをベースとする半導体メーカーams社が東京・品川にデザインセンターを開設、そのために必要な優秀な(talented)アナログ回路設計者を募集している。かつて日本の半導体メーカーは、ICチップを開発・設計するためのデザインセンターを各地に開いた。外資系半導体企業も東京や関西、名古屋にデザインセンターをよく開いた。

 

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図 amsが東京・品川にデザインセンターを開設、テープカット儀式

しかし、最近では、「半導体=落ち目の産業」、という図式が経済産業省や産業界にあるようだ。半導体産業の本質を理解していない人間ほど、この傾向が強く、我々メディアの記者も同様だ。日本の半導体が製造を手放していくのに反して、編集コンテンツを製造にこだわり続けた「電子ジャーナル誌」は3月末に廃刊した。

 

昨年、世界の半導体産業は10%成長したが、日本だけがマイナスだった。日本が世界の成長の足を引っ張らなかったなら、もっと高い11~12%くらい成長していた可能性がある。円安の影響は、ドルベースで外国企業と比べると低い数字になることを考慮すると、日本市場がたとえ横ばいでもマイナス成長となってしまう。

 

しかし、半導体産業の本質は、今や製造ではない。半導体チップにソフトウエアを組み込むことができるようになったこと、それによってシステムを半導体チップに組み込むことができるようになってきたことだ(参考資料1)。たとえ微細化技術が止まったとしても、ソフトウエアという人間の知恵を組み込むわけだから、その成長の可能性は無限にある。

 

外国の半導体がいまだに成長できているのは、チップに埋め込むソフトウエアの開発に力を入れ、そのソフトウエアを差別化技術(コアコンピタンス)にしているからだ。

 

日本の半導体産業は、得意だった製造技術を放棄し、ファブライト・ファブレスに向かってきた。その割にシステム設計できるエンジニアを養成してこなかったツケが不振を増長している。製造工場が必要なのは、大量生産が未だに強く求められるメモリ(NANDフラッシュやDRAM)とCMOSセンサくらいなもの。それぞれ東芝、マイクロン(旧エルピーダ)、ソニーが自前の工場を持っているのは、20世紀型の(ソフトウエアを必要としない)大量生産方式が必要な製品だからである。NANDフラッシュメモリとCMOSセンサはこれからも市場があるから大量生産が求められる。だから当分はしのげる。しかし、メモリもイメージセンサも十分足りるという時代が来ると、さあ大変になる。

 

韓国のサムスンは、NANDフラッシュもDRAMも大量生産しているメモリメーカーであるが、製造だけを請け負う「ファウンドリ」事業も持っている。ファウンドリ事業は自社のブランドを持たない、「黒子ビジネス」である。サムスンに続きインテルもファウンドリに力を入れ始めた。しかし、日本は得意な製造を捨て、ファウンドリビジネスに切り替えることができなかった。自社ブランドにこだわり続けたからだ。

 

一方の台湾は、昔から自社ブランドよりは「実」を取る企業文化がある。古くはパソコンの請負製造をエイサーやマイタック、エリートグループなどが請け負っていた。次に半導体ビジネスを始めた時、製造だけの請負というビジネスを選び、TSMCUMCという世界的な企業を生み出した。かつてはパソコンのケーブルやコネクタを生産していた鴻海精密工業は今や、iPhoneの製造を請け負う企業として世界一になった。いずれも自社ブランドを持たない。エイサーは今でこそ自社ブランドのパソコンを持っているが、ブランドにこだわらない。この柔軟さが台湾を一大IT/エレクトロニクス製品の巨大基地にのし上げた。

 

では、製造を捨てたこれから日本のファブライト半導体が生きていくためにはどうすべきか。システムソリューションを提案できるような、ソフトウエアとハードウエアを理解できる能力を持つことである。外国のファブライト/ファブレスメーカーは、これができるから成長できているのである。

 

幸い、ルネサスは512日の決算報告会で、ルネサスはこれからシステムソリューションを提案できる会社に脱皮する、と作田久男CEOが語っていた。もう、石(シリコン)の時代ではない。システムソリューションを握る企業が勝つ時代だ、という認識を持っている。だから、元日本オラクルの社長であり、長年IBMで活躍された遠藤隆雄氏を次期CEOに推薦した、と述べた。クアルコムやメディアテック、ブロードコム、ザイリンクスなどの成長するファブレス企業と同じようにシステムソリューションを提案できる企業を目指すのである。日本の半導体企業でここまで言い切った経営トップはいない。非常に頼もしい。筆者は、「システムソリューションの提案には優秀な人材が欠かせない。どうやって確保するのか。その選択肢の一つに企業買収は視野に入れているのか」と質問すると、作田氏は「企業買収の可能性はある」と強く答えた。エレクトロニクス業界にいる外資系のエンジニアも私と同様なことを言う。ルネサスのエンジニアと話をしている彼は「最近のルネサスは変わった。日本の半導体の中で最も将来成長できる要素を持っている企業だと思う」と言っている。

 

アナログとミクストシグナル半導体を手掛けるamsが日本にデザインセンターを開いたのは、日本市場が自動車製造と、産業機器の製造の大きな市場があるからだ。これまでの日本の半導体がだめだったのは、日本の民生エレクトロニクス業界を相手にしてきたからだ。日本の民生が沈みゆくから半導体も引きずられたのである。今のソニーやシャープが好例だ。だから強い半導体メーカーは海外市場を見る。国内なら民生ではなく自動車と産業応用を見る。むしろ、民生なら外国市場を狙うべきなのだ。

 

世界をよく見て、日本をよく見て、自社の強みを伸ばし、顧客のシステムを理解し、世の中の動向(メガトレンド)をつかめば、日本の半導体は必ず復活する。30年以上も前にディスクリートのマイクロ波ダイオードを開発していた時、上司から「君たちはもう、半導体の勉強はやらなくていいから、システムの勉強をしろ」と言われた記憶が鮮明によみがえる。SoC(システムLSI)は今その時代に来ている。

 

参考資料

1.    津田建二「知らなきゃヤバイ! 半導体、この成長産業を手放すな」、日刊工業新聞刊、20104

米企業に買収されて復活する日本半導体

(2015年1月 3日 22:00)

明けましておめでとうございます。今年もご愛読、よろしくお願いします。

 

国内半導体産業は、ようやく復活する気配が見えてきた。エルピーダメモリ、ルネサスエレクトロニクス、旧三洋電機半導体、富士通セミコンダクターなど今年はさらに伸びそうだ。

 

20122月に会社更生法の適用を申請したエルピーダは、米マイクロンテクノロジーに買収され、復活した。マイクロンテクノロジーは2014年に16%増の成長を遂げた。この数字は、2013年にマイクロンとエルピーダを合算した数字よりも16%も伸びたという意味である。世界の半導体市場の伸びが9%程度だったから、エルピーダを合併したことで相乗効果があったと見るべきだろう。

 

ルネサスエレクトロニクスは、2013年にオムロンからCEOとして作田久男氏を招へいし、企業改革を実行させた。まずは売り上げ比べて多すぎる人員と工場削減によるCOOCost of ownership:いわゆる工場の運転稼働コスト)をカットし、固定費を減らした。そのリストラコストに数百億円を使った。それを見越して、親会社3社からの出資と顧客(自動車関連企業)、産業革新機構からの出資を仰いだ。中でも革新機構は2014331日現在、同社への出資比率は69.15%と桁外れに高い。つまり政府系ファンドがルネサスを支配した。

 

ルネサスは、財政支援だけではなく、成長戦略も実行した。ルネサスの成長戦略は、これまでのメーカー視点による製品ごとの事業部から、アプリケーションごとの事業部へ変えたと同時に、成長分野にフォーカスした。具体的には、自動車ビジネスを主体とする事業部と、IoTInternet of Things)などの工業用市場を対象とする汎用事業部に分けた。この結果、7四半期連続の利益を挙げた。

 

富士通はマイコンとアナログ部門を米スパンションに売却した。スパンションは、富士通が休止した45nm28nmなどの最先端技術の開発を明言している(参考資料1)。旧富士通セミコンダクターのエンジニアは、合併前は戦々恐々としていたが、スパンションが示した先端技術の開発はエンジニアにやる気を惹起させた。スパンションのジョン・キスパートCEOはインタビューの時は、日本法人のエンジニアをいつも「Excellent tremendously」と表現している。日本人エンジニアの優秀さを常に評価する姿勢を見せていた。「企業は人なり」を実践しているのがキスパートCEO(写真)といえる。

 

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三洋電機の半導体部門はオン・セミコンダクタに組み込まれた。パナソニックが買収しなかった三洋電機の半導体部門をオンセミが買収した。オンセミは、かつてモトローラから独立したディスクリート主体の半導体メーカーから出発した。同じモトローラから独立分離したフリースケールは、単価の大きなマイクロプロセッサやSoCなど差別化できる製品を持っていたため、売り上げはオンセミよりも大きかった。オンセミは、これにめげず、アナログにフォーカスしながらアナログの強い企業や企業内の部門を買収し続け成長してきた。三洋半導体はアナログの中でもパワーマネジメントやミクストシグナル製品に定評があった。

 

オンセミは旧三洋半導体部門をSSG(システムソリューショングループ)として、組み込み、さらに元々あったオンセミの日本法人と協力して相乗効果を上げている。FAE(フィールドアプリケーションエンジニア)や営業、デザインセンターとのコラボを通して、デザインインの件数は前年同期比2~3倍、新規製品提案金額は同5倍となり、新規案件獲得金額は同70%増と増えた。提案金額の伸びが大きいのは、旧三洋電機ではほとんど提案がなかったからだ。半導体ビジネスは今や、ソリューション提案できるところが勝ち組となるビジネスに変わっている。オンセミのやり方は世界の時流に乗っているといえる。旧三洋の新潟および群馬の工場は、オンセミ全体の製品も製造する社内ファウンドリとして使われている。

 

米国企業に買われたおかげで、旧三洋半導体部門の海外売上比率は、三洋時代の10%前後からわずか3年で50%を超えるようになった。これは、日本の顧客が海外進出したり、海外に販売したりする場合にでもオンセミの販売ネットワークを利用できるようになったためだ。

 

これらの例は、米国企業に買収されたことで、日本の半導体は復活し、業績を伸ばし始めている。日本だけでは生き残ることはできなかった。このことは、海外の半導体と比べ日本の半導体がいかに歪(いびつ)で、世界との競争に勝てる体質を構築できなかったことをよく表している。

 

日本の半導体が世界とは全く違い歪であることの一つに、親会社との従属関係がある。例えば東芝やパナソニックの半導体事業は今でも一事業部門である。また、富士通セミコンダクターは100%富士通の子会社だった。ルネサスは日立と三菱、NECとの3社による合弁会社であった。

 

これに対して、海外では電機メーカーから独立した半導体メーカーは子会社ではなく、自立した会社である。ドイツのシーメンスから独立したインフィニオンテクノロジーズも、フィリップスから独立したNXPセミコンダクターズも、ヒューレット-パッカード(正確には先にスピンオフしたアジレントテクノロジーズから独立)を源流とするアバゴも、親会社からの出資比率は最初から10%以下だった。どれも現在は共にゼロ%である。モトローラから独立したフリースケールやオンセミも親会社の出資はすでにない。

 

完全独立の海外の会社を取材すると、自分の責任で自由に経営できるという喜びを社員みんなが共有していた。企業としてのリスクは高まるが、自由度がそれに勝り、社員のモチベーションは非常に高い。

 

これに対して、日本の半導体メーカーの経営陣には、親会社にいつでも帰れるという甘えが生まれる。しかも日本企業特有の雰囲気として、子会社の経営陣は親会社の顔色ばかりうかがっていることが多い。これでは世界の競争に全く勝てない。霞が関も親会社も最初から排除する組織こそ、日本の半導体メーカー復活の第一歩になろう。

 

参考資料)

1.    買収されて良かった~日本企業では先端技術を開発させてもらえなかった

 

[速報]クアルコムが600人をレイオフ

(2014年12月12日 21:31)

ファブレス半導体のトップメーカーであり、世界第3位の半導体メーカーでもある米クアルコム(Qualcomm)が600名のレイオフに踏み切るというニュースが流れた。米国で300名弱、海外で300名をレイオフするという。

 

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クアルコムは2014年の売り上げが11%増の191億ドル(2兆円強)を見込まれる優良企業である。世界の半導体産業全体が9%の伸びを示しそうだから、クアルコムの業績が決して悪い訳ではない。そのクアルコムがなぜレイオフに踏み切るのか?同社のスポークスパーソンは多くを語りたがらない。「定期的に自社ビジネスを見直しており、効率の良さを求め優先順位を付けている。社内のスキルやサイズを調整して、プロジェクトを辞めたり新規プロジェクトを開始あるいは伸ばしたりしている」と語るのにとどまっている。

 

しかし、これまでのクアルコムの動向を見ていると、理解できない訳ではない。クアルコムは3G通信のデジタル変調方式であるCDMAの基本特許を持っていた。3G通信は、ノキアやNTTドコモなどが使ってきたWCDMAと、クアルコム自身が使っていたCDMA 2000 1xという主として2方式が使われた。KDDIが採用していたCDMA2000は、クアルコムのチップを買うことで使えたが、WCDMA方式の携帯電話を作るとその特許料を携帯電話メーカーあるいは半導体メーカーが支払ってきた。クアルコムにとって3Gビジネスはどちらの方式でもお金が入る仕組みになっていた。

 

ただし、唯一の例外がメディアテック(MediaTek)だった。台湾のメディアテックは自社のチップが中国で偽物携帯電話機に流れてしまったことへの反省から、流通経路を見直し、偽物機メーカーが入手できないようなルートを確保することをクアルコムに約束し、ライセンス料を無料にしてもらったらしい。このため、メディアテックは、WCDMAモデムのライセンス料を支払わない分安く提供できた。これによって急成長を遂げた。

 

3Gモデムチップは、実はLTEになっても音声データのモデムに使われてきた。このためクアルコムはLTE時代でも繁栄できた。もちろん、クアルコムは、LTEに関する特許を持っている。しかし、同社以外の多くのモデムメーカーもLTE技術の特許を持ってはいる。このため、クアルコムにとって、LTEは基本特許ではないため、必ずIPRで稼げるという訳ではなくなった。しかもLTEでは、音声データもLTEネットワークを使うVoLTEVoice over LTE:ボルテと発音)技術が普及するようになれば、音声用の3Gモデムチップは要らなくなる。

 

さらにクアルコムにとって、メディアテックという存在が大きくなりすぎた、という不運も重なってきた。メディアテックは売り上げがルネサスエレクトロニクスとほぼ並ぶ、第11位の企業に成長した。コスト競争力では、クアルコムはメディアテックにかなわない。中国市場ではメディアテックの方が強い。

 

LTE時代はクアルコムにとってマイナスの材料が並ぶ時代になってきたのである。だからこそ、スマホの急速充電規格である、Quick Charge 2.0や、クルマのワイヤレス給電技術に力を入れ、Wi-FiIEEE802.11ac技術のアセロスと802.11adのウィロシティを買収した。11月にはBluetoothの老舗CSR社を買収提案するなど、ワイヤレス技術の全てを取ろうと必死である。

                                                                                   (2014/12/12)

「青色LEDは誰の発明か」議論が盛んな米国

(2014年10月27日 23:58)

米国で電子技術者の学会組織であるIEEESpectrum誌や、半導体のウェブサイトSemiconductor Engineeringなどで、誰が本当に青色LEDを発明したのか、という議論が活発だ。2014年のノーベル物理学賞に3名の日本人が受賞したことに対して、この3名がふさわしいのかどうかの議論もある。

 

IEEE Spectrumのウェブ版では、「青色LEDの特許は実に多い」、「ノーベル・ショッカー:RCA1972年に最初の青色LEDを光らせた」、「LEDの父はノーベル賞を受賞しない」などの話が詰まっている。Semiconductor Engineeringでは、「誰が真の青色LEDの発明者か?」というストーリーを掲載している。

 

青色LEDがノーベル賞のテーマになる2年も前の2012年に、米国カリフォルニア州のシリコンバレーの街の一つ、マウンテンビューにある「コンピュータ歴史博物館(Computer History Museum)」において、ダグラス・フェアベイーン氏がメンターグラフィックス社CEO兼社長のウォリー・ラインズ氏にインタビューしている物語が記録されている。ラインズ氏の生い立ちからエンジニア、そして経営者になるまでのインタビューだ。

 

この中に、修士課程のスタンフォード大学の研究室で、RCAからPh.Dを取得するためスタンフォード大学に来ていたハーブ・マルスカ氏と一緒に机を並べてラインズ氏は研究していたことが述べられている。ラインズ氏はGaAsを、マルスカ氏はGaNLEDの材料として選んだ。マルスカ氏はまだ誰も手掛けていなかったMg(マグネシウム)ドープのGaN結晶を作った。p型の半絶縁性GaN結晶に電極を付けたMIS構造ダイオードで青色の光を放ったという(図1)。そして1974年に特許を取得した。学生時代はnGaNを作れなかったため、pn接合にはなっていなかったとラインズ氏はそのインタビューに答えている。しかし、マルスカ氏はRCAn型のZnドープのGaNの作製に成功し、p型はできなかったと述べている。

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図1 1972年RCAでハーブ・マルスカ氏が試作した青色LED

 

最初に青色LEDを発明したのは、ハーブ・マルスカ氏であることは間違いないようだ。しかし、同氏は今回受賞しなかった。マルスカ氏にとって、青色LEDを実用化できなかったことの方が悔しいようだ。RCAは社長のデビッド・サーノフ氏が死去した後、息子が後を継いだものの、コンピュータ事業に手を出し、失敗に終わり経営がガタガタになった。そして1974年に青色LEDのプロジェクトは解散させられた。

 

マルスカ氏は赤崎勇氏にも会っており、彼が1990年にあるホテルの部屋にいた時、ノックする人がいたが、それが赤崎氏だったという。赤崎氏は青く光るLEDをマルスカ氏に見せ、マルスカ氏は興奮したと述べている。

 

赤崎氏がいつからGaNを手掛けたのかははっきりしないが、Wikipediaには1986年に低温堆積緩衝層技術による高品質GaN結晶の作製に成功とある。当時の青色LEDあるいはレーザーの開発にはZnSeGaNか、という競争をしていた。1989年にpn接合のGaNの製作に成功、青色LEDを実現した。中村修二氏は赤崎氏とは別にGaN結晶成長を手掛けていたが、1993年に高輝度の青色LEDを開発したとWikipediaには述べられている。中村修二氏は日亜化学工業の社長に3億円もの開発費を認めてもらい、青色LEDの実用化に成功したと言われている。

 

そのマルスカ氏は3名のノーベル物理学賞受賞のニュースを聞いて、次のように述べている。「3名の受賞者は本当に称賛に値します。私はよく言うのですが、蒸気機関の開発に携わってきた人たちは何人もいます。しかし、ジェームズ・ワットが実際に動く機械を作るまでは誰も実現できませんでした。ノーベル賞に値する人は本当に動くものを作った人たちに与えられるべきだと思います。受賞者3名は称賛に値します」。

 

マルスカ氏のこのコメントは大人の言葉である。自分が最初に青色LEDを光らせたのだから、ノーベル賞は自分がもらうはずだ、とは決して言わない。

 

しかし、赤崎勇氏と天野浩氏のグループは、中村修二氏とは互いの仕事について決してコメントも引用もしないようだ。文部科学省傘下のJSTが制作したビデオ、「青色発光ダイオード開発物語~赤崎勇 その人と仕事~」を見て、中村氏の名前が決して出てこないことは異常である。青色LEDの実用化に大きな寄与を果たした一人が中村修二氏に違いないことに疑問の余地はない。しかし、このビデオには一言も出てこない。赤崎氏と中村氏が犬猿の仲であることは業界では公知の事実だ。だが、マルスカ氏の大人の態度と比べると、日本のノーベル賞受賞者は大人になり切れていないと思ってしまう。こう思うのは私だけだろうか。

                                                         (2014/10/28)

ユーザーエクスペリエンスが重要な時代を生きる方法

(2014年7月21日 13:55)

半導体を中心に、その応用であるモノづくりやITなどのシステムを見ていると、半導体陣営とITや産業機器関係者との将来の見方に温度差を強く感じる。ざっくり言えば、半導体関係者は悲観的、IT関係者は楽観的だ。ITでは、2020年には500億台のマシンやデバイスがインターネットとつながる時代になり、データレートはギガビットからテラビット単位に高速になるというような明るい未来を描く。半導体エンジニアは現在最先端の20nmプロセスの先には14/16nmプロセス、さらに10nm7nmまでくると、もう限界ではないかとささやいている。

 

この温度差は何か。半導体エンジニアはハードウエアのことしか考えていないからではないだろうか。半導体だけしか知らない者は、原子レベルと微細化を比較し、微細化のレベルがそろそろ原子レベルに到達していくことを知っている。量子論的な不確定性原理やトンネル効果、電子の波としての性質などが見えてくる。だから限界がくる、とすぐに結論付けるのであるが、もっと目を開けて応用面を見てほしい。

 

AMD28nmプロセスの新型プロセッサ(図1)を発表していた時に、記者から「インテルの22nmプロセスのHaswellと比べて、28nmプロセスでは性能が見劣りするのではないか」という質問が出た。その問いに対してAMDは「今のプロセッサは性能を争う時代ではありません。ユーザーエクスペリエンスが競争力になっています。このアプリケーションプロセッサに集積しているGPUCPUをうまく使えば、これまでにないユーザーエクスペリエンスを提供できます」と答えた。つまり時代は、性能から、ユーザーエクスペリエンスつまりユーザーが楽しいと驚く体験を提供できるかどうかにカギがある方向に動いている。だからこそ、半導体の限界を追求することも重要な技術の一つだが、それが全てではないのである。

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図1 AMDのアプリケーションプロセッサ「Bald Eagle」 

こういった兆候は数年前から見られた。2009年の電子情報通信学会のMEMS研究会で招待講演の機会をいただいたときにお話させていただいたが、その時はユーザーエクスペリエンスという言葉がなかったために、MEMSを使って楽しさを表現するデバイスがこれからも伸びると述べた。iPhoneと任天堂のWiiが登場していた。どちらもMEMSセンサを使って楽しさを表現していた。MEMSセンサがこの頃から急速に伸びていく。

 

この講演で、MEMSチップはセンサ部分とCMOS信号処理回路を無理に集積しなくてもコストが見合う方法でやるべきだと述べたら、大学の先生からお叱りを受けた。「僕らはCMOSMEMSの集積化を研究しているのに」と言われた。研究は進めれば良いのだが、生産性や歩留まりが悪くてコストを安くできないのであれば最初から使われない。低コスト化には設計段階からの関与が必要だからである。

 

ただ、低コストでしかも楽しさを表現できるデバイスにMEMS技術が数多く使われている。スマートフォンやタブレットには3軸加速度センサや3軸ジャイロセンサ、3軸磁気センサなどMEMS技術を使った機能が多い。ただし、MEMS研究者・開発者はとかくMEMSセンサ部分しか見ないことが多い。重要なことはMEMSの出力信号を楽しさに変換して表現するためのアルゴリズムの開発とセットだということ。このためにはアルゴリズム開発者と手を組んで共同開発することを考えなければ、売れるような商品にはなりえない。アルゴリズムと商品開発からコストに見合う技術を選ぶのである。エコシステムはここでもとても重要になる。

 

CMOS半導体を見ると、製品に使われる最先端プロセスは20nmMOSFETのゲート長、ゲート幅を20nmとすると、チャンネル内表面には、20nm×20nmの面積しかない。この面積内に電子を発生させるドナー不純物がいくつあるか、数えてみよう。シリコン結晶は1立方cm当たり1024乗個あるとして、ドナーは5×1017乗個で電流をオンさせると考えると、20nm×20nm×5nm(チャンネル深さ)の体積は2×10-18乗であるため、この中にドナー不純物は1個しか含まれない。つまり、1個あるかないかという数字が出てくる。ゲートしきい電圧Vthは不純物濃度ともろに関係するから、Vthは不純物の有無で大きく揺らいでしまうことになる。つまり、現在でもすでにMOSトランジスタの動作限界に近づいているのである。それでも半導体エンジニアは、ドナー不純物の影響をチャンネル領域で受けない構造を提案するなど、技術は進む。

 

一方、性能がかなりのレベルにまで上がってくると、半導体チップの競争は機能で勝負することになる。機能の中でもユーザーエクスペリエンスが最も重要な要素になってきたのがここ最近のこと。だからこそ、半導体を使ったシステム開発者やサービス提供者は、半導体の機能に期待する。機能には限界がない。

 

もう一つ、半導体エンジニアの認識が低いことに、半導体にソフトウエアをインプリメントできるという意識が薄いこと。ソフトウエアで機能やユーザーエクスペリエンスを表現できれば、価値ある半導体チップになる。だからこそ、微細化を進めて限界を極める必然性が薄れてきているのである。

 

では、半導体エンジニアがとるべき道は何か。機能を実現する手法を応用面からユーザーと共同で開発することに尽きる。だからこそ、ユーザーと、ソフトウエアからハードウエア、特にデジタルだけではなく、アナログ技術も含めてディスカッションでき、ユーザーが数年後に望むチップをイメージする能力が求められる。半導体エンジニアにとって、半導体の勉強よりもシステムの勉強の方が重要な時代に来たといえる。

                                (2014/7/21

富士通が撤退する半導体になぜIBMが30億ドル投資するのか

(2014年7月19日 20:06)

718日の日本経済新聞では、富士通が半導体工場を台湾のUMCと米国のON Semiconductorに売る、という話が1面トップを飾った。富士通は半導体の生産から完全に手を引くことになり、クラウドなどITサービスに集中する、と日経は報じた。かつての富士通はIBM互換機を作るため、IBMが何をしているのか、という情報を集めることに必死だった。

 

この富士通のニュースの10日ほど前、IBMが半導体に30億ドルを今後5年間に渡り投資するというニュースが世界の業界を駆け巡った。IBMと富士通のアプローチは全く対照的だ。富士通は半導体を捨て、IBMは半導体ライクの新素子を追求する。富士通はハードウエアを捨て、IBMは新しいハードウエアを求める。

 

富士通は決算発表などで社長の話を聞くと、ハードは要らない、と考えている。これからはサービスだけで行くつもりのようだ。今から10年前も富士通は、IBMがサービスを進めるからこれからはサービスの時代だと言いきって、ハードを弱体化させた経験を持つ。今回は半導体を完全に捨ててしまうようだ。本当に大丈夫か?


続く

(2014/07/19)

ルネサス子会社を買ったSynapticsとは何者か

(2014年6月16日 23:12)

ルネサスの子会社ルネサスエスピードライバ(RSP)を485億円で買ったSynaptics社についてほとんど日本のメディアは報じなかった。しかしてその実態は、世界的にも著名な2人のエンジニアが創業した会社である。元Intelでマイクロプロセッサを発明した3人の設計者の内の一人が共同創業者の一人であり、もう一人はVLSI設計ソフトウエアを最初に発明したカリフォルニア工科大学のカーバー・ミード(Carver Mead)教授だ。

 

マイクロプロセッサは1971年、Intelのフェデリコ・ファジン(Federico Faggin)氏とテッド・ホッフ(Ted Hoff)氏、そして日本人の嶋正利氏の3人によって発明された。これは4ビットの4004であった。シリコンゲートプロセスを最初に導入したIntelが集積度の高いマイクロプロセッサを作ることになった。2300個のpMOSトランジスタを10µmプロセスで作ったプロセッサであった。

 

ファジン氏はIntelを退社後、Zilogを創立した。嶋氏ものちにZilogに移っている。ZilogのマイクロプロセッサにはDRAMのリフレッシュコントローラを集積しており、マイクロプロセッサとDRAMをセットで使うという考えがそこにはあった。

 

もう一人の共同創業者であるカーバー・ミード教授は、VLSI設計用ソフトウエアを発明しただけではなく、MOSトランジスタの限界論やガリウムヒ素トランジスタの発明など、エレクトロニクス、半導体に極めて大きな功績を残した。

 

ミード教授は、ゼロックスのパロアルト研究所にいたリン・コンウェイ(Lynn Conway)さんと共に著した「Introduction to VLSI Design」は、今でもVLSI設計の教科書として残る名著である。

 

実は私は一度、ミード教授とコンウェイさんに会ったことがある。場所は、米国ニューヨークにあるマグロウヒル本社の会議室だ。1981年ごろ、日経マグロウヒル(McGraw-Hill)社(現在の日経BP)の日経エレクトロニクスの編集記者だった私は、ワシントンDCで開催されたIEDM(国際電子デバイス会議)を取材するため、米国に出張していた。IEDM終了の翌週、ニューヨークのマグロウヒルを訪れた。

 

当時マグロウヒルが発行していたElectronics誌のエディターたちとのIEDM等意見交換と称して、表敬訪問がメインだった。まだろくに英語を満足に話せない私に対して、Electronics編集長は親切に振る舞ってくれた。彼が後で会議室に来てくれと言われ案内されると、そこにミード教授とコンウェイさんがいた。その年エレクトロニクス産業に貢献したエンジニアを表彰するElectronics Awardを二人が受賞した。上述のVLSIの教科書がエレクトロニクス産業に貢献したことに対して二人を表彰し、その祝賀ランチをとっていたのだ。ランチが終わり、両氏に挨拶することができた。

 

日経エレクトロニクスは、Electronics誌の日本版という形で1971年に創刊された。もともと日経マグロウヒルは、米国McGraw-Hill(マグロウさんとヒルさんが作った出版社)のラッセル・アンダーソン社長が日本の出版社や新聞社に呼びかけ設立した合弁会社だ。日経しか興味を示さなかったため日経マグロウヒルになった。1960年代の終わりころは通産省(現在の経産省)が外資の上陸を嫌ったために、合弁それも日本企業がマジョリティを握るような企業しか許さなかった。このため、日経51%、マグロウヒル49%の日経マグロウヒル社が生まれた。日経ビジネスもマグロウヒルのBusiness Weekの日本版として創刊された。

 

そしてファジン氏とミード氏がニューラルネットワークチップをビジネスとする会社を1985年に設立したのがSynapticsであった。残念ながらニューラルネットワークの考えは時期尚早だったのか市場がなかった。このため、製品をニューラルネットからタッチセンサコントロールに替え、1995年に製品化した。タッチコントローラ製品はアップルのiPhoneに採用され、Synapticsは今やタッチセンサコントローラの有力企業となった。

 

SynapticsRSPを買収したのは、LCDドライバとタッチコントローラを1チップに集積するためだ。今でもタブレットやスマートフォンだけではなく、ウルトラブックのようなノートパソコン、工業用ディスプレイなどにもタッチパネルインターフェースが使われている。これまではタッチコントローラとLCDドライバは別々のチップで、液晶画面の額ぶちに沿って二つのチップが搭載されていた。しかし配線が複雑になっているのに加え、液晶メーカーは別々のサプライヤから調達しなければならなかった。このため次世代のタッチコントローラにはLCDドライバもシングルチップに集積することになる。

                                                (2014/06/16)

次世代半導体、14/16nm FinFETか20nmFD SOIか

(2014年5月29日 23:42)

インテルは22nm FinFETプロセスで製造した高性能マイクロプロセッサHaswellなどを1億個出荷したと言ってきた。ところが、その次の14/16nm FinFETプロセスでは生産を遅らせるという決定を最近行ったらしい。TSMCでも14nmFinFETプロセスはかなり苦労しているようだ。FinFETプロセス技術は歩留り良く製造できるのだろうか。懐疑的な見方が広がっている。

 

対抗馬として浮上してきたのが、STマイクロエレクトロニクスが力を入れている20nmのプレーナ型FETを用いたFD SOIFully Depleted Silicon on Insulator)技術だ(写真)。今月14日にはサムスンがSTからライセンスを受け、28nm FD SOI技術のマルチソース製造協力に関して提携合意した。ケイデンスは16日、自社のIP28nm FD SOIプロセスでも動作することを発表した。

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FinFETは、ドレイン-ソース間のリーク電流を下げるため、3方向から空乏層でパンチスルーさせた構造を持つ。従来のプレーナ型MOSFETでは、空乏層はゲートから伸びるだけの1方向しかなかったため、十分に閉じられない場合には、ドレインからソースにかけてリーク電流が増大した。十分に広げられるように不純物濃度を下げるとゲートしきい電圧Vthが変わるため下げられない。

 

基板バイアスを印加して空乏層を広げるというアイデアもある。しかし、トランジスタをオンさせる場合には電流はたっぷり流れてほしいから、基板バイアスもゲートと同時に戻さなければならない。つまり使いにくい。CMOSチップでは、できるだけ単純にオンオフさせなければ、ただでさえ複雑な設計回路は動作しなくなる。この結果、基板バイアスもかけにくい。

 

FD SOIは基板下に酸化膜があり、その空乏層を利用できる。つまり、ゲート電圧で上から空乏層を広げ、下の酸化膜側からの空乏層とパンチスルーさせて十分な高さの空乏層バリアを設けることでリーク電流を減らすというもの。いわば2方向からの空乏層でリーク電流が流れないように止めてしまうのである。

 

これまでSOIウェーハは価格が高く、バルクCMOSほど安くはできないと言われていた。SOIウェーハは2枚のウェーハを張り合わせて作るため、コストが1枚のバルクCMOSよりも高くなってしまう。

 

ところが、バルクCMOSは、HKMG(ゲート絶縁膜に誘電率の高い材料を用い、ゲート電極に従来のポリサイドとは異なる金属を用いるMOSFET)プロセスやFinFETというこれまでとは異なる材料や3次元構造を利用するため、コストがこれまでと同じという訳にはいかなくなった。しかも14/16nmFinFETだと、Finが高くなり加工は難しくなる。インテルが22nmで用いていたFinFETFinの高さはそれほどでもないと思われるが、14/16nmだと深くしなければ、空乏層の効果が効かなくなる。恐らく、このアスペクト比の高いFinを作る技術で難航し、インテルは製品化を遅らせたのではないだろうか。

 

これに対して、FD SOIは基板材料こそ、高くついていたが、ゲート構造やMOSFETそのものは従来方式をそのまま使えるため、トランジスタの歩留まりを確保しやすい。つまり、SOIでトランジスタを作ってもトランジスタ歩留まりは落ちない。

 

市場調査会社のIBSInternational Business Strategies)は、28nmHKMGHigh Performance)プロセスによる100mm2および200mm2のチップと、28nmFD SOIプロセス(HP)による100mm2および200mm2のチップのコストを調べると、どちらもFD SOIの方が少し安いというシミュレーション結果を示している。

 

プロセスがさらに複雑になる14/16nm FinFETでは、このコスト差はもっと大きく開いていくことになることは容易に想像できる。となると、FinFETプロセスは、本当は10nm以下から使われるべきだという意見も出てきそうだ。ただ、どうせなら14/16nmプロセスから習熟するという意味で始めるという考えもある。その場合には習熟によって歩留まりを上げることが前提となる。

 

しかも、28nmから20nmではなく、14/16nmへスキップすることが当たり前の認識になりつつある。今になって、14/16nm FinFETプロセスは意外と難しいぞ、という感覚を持つようになった。その先頭がインテルである。20nmプロセスは28nmプロセスと比べると性能や消費電力でそれほど大きなメリットを持たないことがわかってきた。だから14/16nmへのスキップすることが言われるようになった。しかし、そう単純ではなくなった今、FD SOIは急浮上する可能性も出てくる。そうなるとSTマイクロが先端プロセスで主導権を握るようになるかもしれない。先端半導体は、目まぐるしく動いている。日本はいったいどうするのか?

2014/05/29

自前主義だから、ファウンドリ事業をできないニッポン

(2014年5月29日 00:17)

日本のエレクトロニクス産業も半導体産業も、設計から製造・販売まで垂直統合方式で今日までやってきている。商品のライフが長い時代(1990年代半ばくらいまで)は、モノづくりに長い時間がかかってもやっていけた。2番手戦略でも十分に追いつけた。ソニーが画期的な製品(ウォークマンやカムコーダー、CD-ROMMDドライブなど独自の発明商品)を発売しても、2~3年で松下電器産業が追い付いた。商品ライフは長かったから、最初にリスクを負いながら開発せずに最初の商品を見た後に、残業・徹夜で追いつけば十分に利益を出せた。

 

今日、アナログからデジタルに進み、特に民生品の商品寿命が短くなると、これまでの2番手商法はもはや使えない。ここに日本の悩みがある。民生品はデジタルのモジュール方式になり、アナログの擦り合わせ方式は必要ではなくなった。東京大学のものづくり経営研究センターの藤本隆宏教授のグループは、日本が得意なのは擦り合わせ方式だと主張する。デジタル化はモジュール方式になり、レゴのようにモジュールを組み合わせれば深いノウハウがなくてもデジタル民生品を作れるとする。

 

日本の擦り合わせ方式は、垂直統合の良さを追求し、阿吽(あうん)の呼吸で設計から生産まで詳細な契約マニュアルを書かなくても製品を流すことができた、と言われている。全部が全部この通りではないが、一理ある。

(続く)