日本で黒子ビジネスが成り立つか

(2019年4月30日 11:12)

 自動運転や、事故のないクルマ作りに欠かせないLiDARの最大手であるVelodyne Lidar社とニコンがLiDARの製造契約を交わした。ニコンの子会社である仙台ニコンがVelodyneLiDAR(1)を量産し、Velodyneに納入する。これは、日本の大企業(ニコン)が台湾企業のようにEMS(製造専門の請負業者)として、ノンブランドで製品を製造し、OEMに納める、というもの。製造が得意な日本企業がハイテクEMSとして生きるモデルといえる。

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1 Velodyne社のLiDAR 出典:Velodyne Lidar

 

 これまで日本の大手企業は、自社ブランドを売り込むことを最優先し、EMSや半導体ファウンドリ(半導体製造専門の請負業者)を嫌ってきた。製造(ものづくり)が得意な日本なのに、自社ブランドなら製造するが、他社のブランドなら製造しない、という態度を続けてきたために業績が悪化し、世界から取り残されてきた。

  半導体の世界では、2000年の頃から日本は製造技術がモノをいうDRAM製品を一斉に捨て、システムLSIという訳の分からない製品にシフトした。つい最近までシステムLSIを理解せずにやってきたものだから、まともな経営判断できずに半導体は低迷を続けてきた。DRAMと同様、大量生産型の単一製品であるNANDフラッシュ、CMOSイメージセンサにそれぞれ特化する東芝メモリとソニー半導体だけが、いまだに大量生産を続け成功している。DRAMの成功体験のために、大量生産できる製品しか日本の大手企業は考えられなかったのである。

  だったら製造技術を生かし他社製品も製造してラインを埋められる量産型のファウンドリやEMSに舵を切るべきだったが、自社ブランドが前面に出ない黒子ビジネスを日本の大企業トップは嫌った。製造技術を捨て、システム技術へと変えたのだが、システムを理解できない半導体経営者だったため失敗した。少量多品種のシステムLSIで重要な投資先は、大量生産工場への設備投資ではなく、人やソフトウエアであるのにもかかわらず、工場へ投資を続けた。これで体力を失い、没落していった。

  結局、電機も同じ。モノづくりを主力とする場合でも少量多品種時代を乗り切るためには、工場の一部をEMSにするか、売却・消滅しかない。工場を残したまま、事業を継続してもリストラで利益は出ても売り上げは増えない、という無成長時代が続いてきた。

  今回のニコンの決断は、EMSとして仙台ニコンを使うことになる。ただし、積極的にEMSを事業の柱にするのか、Velodyneから依頼され生産ラインも余っているから製造するのか、EMSに対する積極性が問われることになる。「余っているから使わせてあげる」的態度なら実は今回限りのビジネスで終わってしまう。これからのニコンのビジネス態度が未来を決めることになる。

 LiDARとは?

 Velodyneが世界をリードするLiDARは、これから必要になる技術である。レーザー光を発射して対象物からの反射光を測定することで、対象物との距離を測ろうという技術だ。グーグルカーの屋根の上に設置されぐるぐる回っている円柱形のモノがLiDARだ。自動車の周囲には、動く人も自動車も自転車もあり、止まっている街路樹や建物もある。それらとの距離を絶えず測定するためには、空間的にスキャンしなければならない。そのためにはポリゴンミラーを回転させたり、多数のレーザー光を発射したりする必要がある。Velodyneがニコンに目を付けたのは、ミラーやレンズで実績のある企業だからだろう。

  このLiDARは屋根の上に設置するのはいかにも試作車であり、商用のクルマとしてはカッコ悪い。このためクルマの4隅に設置することになる。最低でも4個のLiDAR1台のクルマに搭載されるのなら、市場は小さくない。しかも大量のドローンを飛ばす場合にもLiDARは要る。ドローンが本格的に使われる時代には互いに決してぶつからない技術、すなわちLiDARが必要になる。

  またLiDAR装置が現在の円柱形からもっと小型になるのであれば、もっと多くのLiDARを設置できる。安全のために死角を作らないように設置しなければならないからだ。もちろんLiDARの他に、カメラやレーダーも使って人間の眼以上の能力をクルマに付けることになる。LiDARの小型化には、半導体技術を使ったMEMSミラーの開発が望まれており、ティア1サプライヤの大手のBoschやデンソーは開発中だ。

  空間のスキャンには、多数のレーザーを同時に発射できる面発光レーザーも可能性を秘めている(参考資料1)。ただ、いずれの技術もLiDARの小型化に適しているものの、そのような部品だけではLiDARは製造できない。何らかのレンズやプリズムなどの組み合わせが必要になるだろう。ニコンが得意な光学部品はLiDARビジネスで生かされるに違いない。

 2019/4/30

 

参考資料

1.     顔認証でブレークした面発光レーザー(2019/2/8

   

Intelが5Gモデムから撤退した理由

(2019年4月28日 21:09)


 さすが、引け際が立派、ともいえるようなIntel5Gモデムビジネスからの撤退だった。AppleQualcommの和解発表と同じタイミングでの5Gからの撤退だった。この一連の発表は、Intelが嫌ってきたスマホビジネスからの完全撤退を意味する。

  Intelはなぜスマホビジネスを嫌ってきたか。その源流は、アプリケーションプロセッサを手放したことにある。iPhoneが登場した2007年から1年前のこと。Intelは、Marvellにアプリケーションプロセッサと通信ビジネスを売却してしまった。この売却にはIntel社内でも賛否両論が巻き起こり、この決定に立腹しIntelを退社したエンジニアもいた。

  当時IntelにはAtomプロセッサがあり、これをコアとしたアプリケーションプロセッサで、組み込みシステムへの応用を模索していた。しかし、組み込みシステムで大当たりするような応用はなく、しかもArmプロセッサほど低い消費電力を実現できていなかった。Intel40044ビットマイクロプロセッサの発明以来、性能向上に力を注いできた。対してArmは、性能はある程度確保しながら、消費電力を下げることに注力してきた。CMOSの消費電力がクロック周波数をもはや上げられないほど高まってきたころに、Intelはマルチコアによって消費電力を維持しながら性能を上げるという方向に変わった。一方のArmは消費電力を維持しながら性能を上げるという方向に力を変えていく。共にマルチコア、マルチスレッドという方向ながら、性能・消費電力の絶対値はやはり違っていた。

  スマホ全盛になると、もはやIntelの出番はなくなった。Intelはアプリケーションプロセッサを売却してしまったという「トラウマ」から抜け出せず、GPUなどを集積したCPUプロセッサをモバイルプロセッサやSoC(システムオンチップ)と呼び、アプリケーションプロセッサとは決して呼ばなかった。

  Intelの性能重視指向は、スマホビジネスに向かうのではなく、ハイエンドのコンピュータシステムを使うデータセンター応用へと移ってきた。Armも脱スマホというか、スマホ以外の応用を広げる方向へとシフトしてきた。クルマ市場もその一つ。さらにデータセンター市場へも乗り出している。今や、データセンター市場でIntelの牙城を崩すのは、Armかもしれないが、Armはチップを作る業態ではない。チップを作るのはQualcommであり、ファブレス半導体、あるいはコンピュータメーカーである。ArmIPコアはメモリと一体化しやすいというメリットを活用できるため、Intelの牙城に食い込むことができないことはない。

  そもそもIntelがモデムビジネスを強化したのは2011年にドイツのInfineon Technologiesから無線事業部門を14億ドルで買ったことに端を発する。Infineonは分社化したDRAMメーカーQimondaの倒産により、多額の借金を抱えながら再構築と成長を同時進行させながら成長してきた企業である。経営のプロともいうべきPeter Baur氏と、2012年にCEOを引き継いだドクターReinhard Ploss(1)が率いたInfineonは、ある意味、半導体経営のお手本のような会社といえる。以来、モデム部門を売却し、自動車、産業機器、セキュリティにフォーカスしている。

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1 InfineonトップのDr. Reinhard Ploss社長() 右は日本代表の川崎郁也社長

 

 Intelは当時、インターネットとのコネクティビティが重要との認識が半導体業界に広まっており、コンピュータとインターネットを結ぶ無線部門が欲しかった。モデム開発部門は、ミュンヘンにあるInfineonのキャンパスの一角にあった(2)

 

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2 Infineonのミュンヘン・キャンパスにあるIntelのモデム開発部門

 

 そしてIoTがブームになった2013年頃にはIntelIoT事業部をスタートされるという記者会見が東京で開かれたが、IoTデバイス(センサ)を手掛けるわけではなかった。彼らの狙いは、少なくともゲートウェイより上のレイヤーのサーバやデータセンターにあった。しかもソフトウエアも販売し、その記者会見ではデジタルサイネージの番組プログラムのソフトウエアも発表した。にもかかわらず、記者からの質問はArmとの競合をどうするのか、というIoTデバイスに関する質問であふれた。IoTデバイスのコントローラやプロセッサはArmで決まりだったから、それらの質問は筆者には奇異に映った。

  最近のIntelはデータカンパニーになると宣言しており、まさに力の入れようはデータセンターである。ここでは、CPUだけではなく、もっと自由に専用コンピュータを設計できるFPGAも持ち、さらにAIに特化したプロセッサIPコア(MAC演算とメモリのセット)も用意した。GPUはどちらかというとディープラーニングの学習には使われてきたが、最適ではないため、AI専用の推論プロセッサはFPGAで設計する。

  新型メモリ3D-Xpointチップも開発、それを搭載したメモリシステムOptaneを製品ラインアップとして拡充している。Optaneを二つに分け、SSDより速い高速SSDと、DRAMより遅いが高速SSDよりも速いパーシステントメモリ(Persistent memoryIBMはストレージクラスメモリと呼ぶ)というDIMMの形のメモリ製品を作った。

  汎用プロセッサと専用プロセッサ、さらに階層的メモリを用意しておけば、データセンターとしてのクラウド機能は十分達成できる。こういったデータセンターを充実すれば、コネクティビティチップはもはや、コモディティとなる、と読んだに違いない。Wi-FiBluetooth、セルラーネットワークなどコネクティビティで他社と競争する意味がもはやIntelにはなかった。それは5Gといえども、QualcommHiSiliconMediaTek、そしてSamsungが競争する世界にIntelが飛び込むことはありえなかった。つまり、データを中心とする企業ではモデムはもはや要らない。

2019/4/28

   

日本半導体の凋落を救えるか、VLSI Sympo 2019

(2019年4月21日 16:11)

 通称VLSIシンポジウム(正式名称Symposia on VLSI Technology and Circuits2019では、日本からの投稿数も採用数も激減した。日本の電機経営者は半導体を斜陽産業と考え、半導体部門を切り離すことに終始してきた。2018年のガートナーが発表した世界半導体メーカートップテンランキングから日本の企業はとうとう姿を消した(参考資料1)

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1 ハワイで開催された2018 VLSI Symposiumの一幕 出典:Symposium on VLSI Circuits

 

 VLSI シンポは、もともと1980年代後半から1990年代前半にかけて日本の半導体がまだ強かった時代に日米半導体摩擦を解消して一緒に半導体技術をディスカッションしよう、という意図で生まれた国際会議である。最初は、日本と米国からの発表が多かった。それも大学よりも企業からの講演が多く、半導体技術の方向を活発に議論してきた。そのうち、日米以外の国の半導体技術者も興味を示すようになり、次第に増えていき、本当の国際会議になってきた。

  2019年のVLSIシンポジウムは、201969日~14日、京都のリーガロイヤルホテル京都で開催される。会議は主に製造技術を中心とするTechnologyと、ICの回路技術を主とするCircuitsに分かれているが、現実には両方の知識と理解が必要なため、両方の会議に出席しやすいようなプログラム構成になっている。

  Technology部門での投稿論文数は187件、うち採択された論文は74件となっており、採択率は40%である。この会議では投稿(応募)しても必ずしも採択されるという訳ではなく、40%しか通らない。これは例年とさほど変わらない。しかし、日本の存在感が激減しているのだ。投稿論文数では、米国の49件に対して日本はわずか16件しかなく、それ以上に多いのが台湾37件、韓国22件、中国(香港・マカオ含む)28件、欧州24件となっている。採択された論文数でも日本は少なく、米国の24件に対して9件しかない。日本以上に多い地域は台湾16件、欧州10件だが、韓国は8件となっている。日本は何とか質の高い投稿が多いものの、いかんせん投稿の絶対数が少ないため、存在価値が激減している。

  もう一つ大きな違いは、日本は企業からの採択数が大学からのそれよりも少ないことだ。他の地域では、大学と企業はほぼ同数だが、日本だけが大学7件に対して企業はわずか2件しかない。

  Circuit部門ではもっと日本企業の存在が薄い。全投稿数299件、うち採択論文数は108件で、採択率が36%であった。採択率は毎年ほぼ変わらないため、投稿論文数が少なければ採択論文数も少なくなる。今回日本の採択数は108件の内、わずか6件しかない(2)

 

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2 Circuit部門の採択論文数は日本が最低 出典:Symposium on VLSI Circuits

 

 世界中で、これまで半導体を手掛けてこなかったグーグルやフェイスブック、アマゾンなどが半導体チップを持ち始めたのに対して、日本の電機の経営者は半導体の価値を未だに理解できていないのである。だからこそ、半導体を捨てたり売却したりしてきた。これは、電機会社の一部門としての半導体があったからだ。半導体の価値を理解していなくても、P/Lだけを見ていても収益が上がっていないから切り離すことをしてきた。

  だったら、半導体部門を完全に切り離して、自由に経営させてあげればよかった。海外の半導体メーカーはどこもそのようにしてきた。フィリップスから独立したNXP セミコンダクターズ、ジーメンスから独立したインフィニオンテクノロジーズ、H-Pからアジレントを経て独立したアバゴ(現在ブロードコム)、モトローラから独立したオン・セミコンダクターやフリースケール・セミコンダクタなどは親会社の株式はほとんどなかった。リソグラフィで世界トップのASMLもフィリップスから独立し、親会社の株式はなかった。日本では、子会社として切り離しても100%近い株主構成のため、人事権を持っていた。これでは子会社を見下す人事権を持ち、半導体経営者の自由を奪うようなもの。

  もちろん日本の半導体部門のトップも世界の動きを理解できなかったというまずさはある。世界がメモリ以外はファブレスとファウンドリに分化していく中で、それでも垂直統合の方が良いものを作れる、とこだわってきたからだ。最近注目を集める世界の半導体メーカーのエヌビデアやクアルコム、ザイリンクス、ブロードコムなどは全てファブレスである。日本がこだわる垂直統合は、設計と製造を一体化してきたものだ。一つの製品を大量生産するようなメモリだと設計と工場を一体化してもペイできた。しかしASICやロジックは少量多品種の製品である。DRAMというメモリを捨てた日本は、少量多品種の製品を扱う時代に入っても、垂直統合にこだわったために工場の生産能力(キャパシティ)が余ってしまっていた。

  このような時、米国のAMDはファブレス(AMD)とファウンドリ(グローバルファウンドリーズ)に分けた。製造工場がファウンドリとなれば、元の自社だけではなく、他社やファブレス半導体、半導体を使う顧客などからの注文も受け付けられる。すなわち工場は埋まるのである。ところが、日本はファウンドリを事業化できなかった。別の企業が工場を使わせてくれと依頼した時だけ、使わせてあげる、といった、顧客を待っているだけの消極的なタバコ屋経営をファウンドリと称していた。積極的に顧客をとってくるという営業活動を全くしなかった。これでうまくいくはずはない。

  ファウンドリをビジネスとして成功させるためには、プロセスのプラットフォームともいうべき標準となるPDK(プロセス開発キット)を数種類用意し、営業には設計フローを理解できる設計者をつければならない。顧客によっては、最初の論理設計だけ、あるいはネットリストも含めた回路設計まで、あるいは配置配線のレイアウトも済ませたマスクまで、とさまざまな段階があり、どの段階の顧客でも扱うことが出来なければビジネスにならない。ファウンドリは製造さえ理解していればビジネスできる、とこれまでの日本の半導体製造エンジニアは誤解していた。

  わずか7~8年前に、日本の半導体メーカーにファウンドリだけ独立させてビジネスしないのか、を問いた時も垂直統合にこだわると答えた。結局、工場が余った。ルネサスが工場を停止した背景には、工場に未だにこだわっているという面もあった。正直言って筆者は、ルネサスは工場をとっくに処分してファブレスに近い形態になったものと見ていたが、これほど多くの工場がまだ残っていたとは知らなかった。工場を処分しないのであればファウンドリとして独立させない限り、ルネサスの明日はない。

  話は横道にそれたが、VLSIシンポジウムの基調講演やパネルディスカッション、フォーラムなどでは、AIVR/AR、量子コンピューティング、3D集積化やパッケージ技術、自動運転、5GIoTなど先端技術に必要な半導体技術が集まっている。このような機会では図1のように、世界中から半導体関係の研究者やエンジニアが集まり、互いにディスカッションする。ここに日本のエンジニアが来ないのであれば、ますます産業は没落する。この会議の雰囲気は、まるでシリコンバレーそのものだ。図1のように見知らぬエンジニア同士がディスカッションし始め、技術の方向や製品、市場に関しても何かしらの情報が入る。この場に日本のエンジニアが参加しなければ、経営者だけが悪いのではなくエンジニアもダメということになる。

2019/04/21

 

参考資料

1.     Gartner Says Worldwide Semiconductor Revenue Grew 12.5 Percent in 20182019/4/11

   

ソフトもハードも分ける時代ではない

(2019年4月14日 21:20)

 機械産業のトップに君臨するトヨタ自動車がソフトウエアエンジニアを強く求めている。一方、インターネットサービスやソフトウエアのGoogleFacebookがハードウエアエンジニアを求めている。自動車産業は、機械の塊からコンピュータ制御による低燃費化、排ガスを抑えたクルマ作りへと進化し、さらに短期間・低コストでクルマを出荷できるようにするためソフトウエアも導入してきた。インターネットサービス会社は、AIスピーカーやそれを搭載したスマートディスプレイといったハードウエアを設計・販売するようになった。今は、ハードもソフトも一緒にした製品やサービス作りが華やかになってきている。

  こうなると、ハードウエアしか知らない、ソフトウエアしか知らない、ではすまなくなってくる。なぜ、ハードもソフトも必要になるか。自動車やAIスピーカー、スマートフォンなどコンピュータを使ったさまざまな製品が出てきたからだ。コンピュータとは単なる計算する機械ではない。ある特定用途の機械を作っても、汎用性はなく、別の機械が欲しくなるとゼロから作り直さなければならない。しかしコンピュータは、一つのハードウエア(機械)の上で、ソフトウエアのプログラムによってその機械を動かすようにしたものである。ソフトウエアを代えれば別の機能の機械になる。いちいち機械を作り直す必要がなくて済む。

  この考えは、チューリングマシンで有名なアラン・チューリングから来ている。彼は、ナチスドイツの暗号を解読するための機械を作らされたわけだが、アラン・チューリングをモデルにした映画「イミテーション・ゲーム~エニグマと天才数学者の秘密」の中で、彼は本当に自分が作りたかったのは、ソフトウエアを使って他の暗号も解けるようにする万能解読器だ、と述べている。そのために演算器と記憶装置を備え、命令とデータを記録装置から取り出す方式の計算装置、すなわち現在のコンピュータを考え出している。この考え方を突き詰めれば、コンピュータではないマシンでもソフトウエアを変えるだけで別のマシンに変身できるものが作れる、ということになる。これは組込みシステムと呼ばれている。

 

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1 アラン・チューリング研究所 手前の広い建物は大英図書館で、その右の建物がアラン・チューリング研究所 正面奥の白と黒の魚のような形のビルは、DNAの二重らせん構造を提案したワトソンとクリックで有名なフランシス・クリック研究所 撮影:津田建二


 今は半導体技術のおかげで、コンピュータチップが安く手に入るようになった。マイクロコントローラ、いわゆるマイコンを使ってセンサデータを意味のある情報に変えて、インターネットの向こうにあるクラウドコンピュータに送るIoTセンサや、スマートフォン、AIスピーカーなどのハイテク商品だけではない。電気釜や洗濯機、冷蔵庫でさえ、マイコンが入っている。もちろんロボット掃除機も、身の回りの電気製品のほとんどにマイコンが入り、設定やプログラムを変えるだけで自分の仕様に変えることができる。クルマでは、ボタン一つでクルマの窓を開閉できるECU(電子制御ユニット)にもマイコンが入っている。

  トヨタがソフトウエアエンジニアを強く求めているのは、1台のクルマにECUが大衆車で20~30個、高級車だと100個近く搭載されており、ソフトウエアのプログラム行数は、高級車だと1億行にも上ると言われている。このため、ソフトを書くエンジニアはいくらいても足りないくらいになる。

  これまで、コンピュータの開発にはハードウエアとソフトウエアをそれぞれ別のエンジニアが開発していた。このため、ハードのエンジニアはソフトを知らず、ソフトのエンジニアはハードを知らない、という事態が起きていた。それでもコンピュータそのものを追求していた時代はまだよかった。しかし、電気釜や、エアコン、洗濯機などコンピュータではない製品を開発している人たちは、コンピュータよりは、もっとおいしいご飯の炊ける電気釜をどう設計するか、に集中したい。そのために使える技術の一つがやはりマイコンである。レシピのようなシーケンスはマイコンの得意とするところだ。すると、ハードもソフトも少しかじる程度でもよいから理解しておく必要はある。

  マイコンが身近な製品に入ってくるようになった現在、コンピュータを少しでも理解していることが産業界では必要になる。社会インフラやオフィス中心の企業では、デジタルトランスフォーメーションが叫ばれている。デジタルトランスフォーメーションとは、働き方をもっと効率よく変えて、長時間残業を減らし、生産性を上げるための手法である。具体的には、センサを使って働く職場全体を可視化し、効率の悪い部分を見える化することで改善し、生産性を上げようという考え方だ。

  20年くらい前なら、デジタル化とかデジタル変革という言葉ではなく、エレクトロニクス化、と呼ばれていた技術そのものだ。e-メールのeはエレクトロニクスの頭文字を表している。エレクトロニクスでは、何かをセンス(検出)し、高くなりすぎれば下げるように制御する、といった作業を電子回路の中で行っていた。この作業をオフィスや社会システムで行おうというのがデジタルトランスフォーメーションである。

  どのような作業を行うべきかをフローチャートに書いて、流れに沿って作業を進めていく。分岐点があればもちろん、元に戻したり前に進んだりする。この作業をアナログ回路でも、デジタル回路でも設計することができる。

  しかし、さまざまな作業が出てくるようになれば、この作業を最初から設計するのか、途中の一部だけ変えるだけで済むのか、それを電子回路だけで実現するのか、あるいはソフトウエアを使ってハードはほとんど変えないのか、という命題をシステム的な視点で考えなければならなくなる。低コストであり、作業を短期間で終わらせるものであり、かつ次の要求に備えて拡張性を持たせるものであり、いろいろな選択肢が出てくる。

  こういったシステム的な考え方は、もはやハードもソフトも分けては考えられなくなっている、ということに他ならない。これはAI(人工知能)やIoTシステムなどこれから成長するであろう分野にも通じる。AIだけ勉強するよりも、コンピュータ科学を勉強する人材の方が今のAI(特にディープラーニング)後の新しいアーキテクチャの開発に向くと言われるゆえんだ。

  これからはシステム的な考え方こそ、将来の新しいコンピュータの創造に必要となる。今、日本だけではなく米国、欧州、アジアで、従来のノイマン型コンピュータに代わり、もっと高性能・低消費電力のコンピュータアーキテクチャを、国を挙げて開発に取り組もうとしている。AIはその一つであり、量子コンピュータや量子アニーリングなども候補の一つだ。そして、新しいアーキテクチャを動かすための半導体あるいは、半導体ではない高機能な素子の開発も必要とされる。

2019/04/14

 

   

私はなぜグローバル企業を取材するか

(2019年4月 6日 12:22)

 日本企業がグローバル化あるいは国際化を声に出して言うようになったのは、わずか10年くらいしか経っていない。2002年まで在籍していた日経BP社(入社したときは日経マグロウヒル(McGraw-Hill))時代に、日本がグローバル市場で勝つためのアイデアをブログ(記者の眼)に書いたとき、「何でグローバル化が必要なのか、本当に取材したのか」といったコメントをいただいた。つまり読者はグローバル化を全く意識していなかった。その後、2008年にセミコンポータルでセミナー「グローバル化をどう進めるか」を開催したときも、なぜ今、このテーマでセミナーを開くのか、という声も聞いた。

  今から10年ほど前までは、グローバル化という言葉はほとんどなく、海外進出、という言葉が新聞などのマスメディアを飾っていた。私は、1992年から2002年までNikkei Electronics Asiaという英文雑誌を担当しており、アジアへの取材、アジアの企業の眼で日本を見るという仕事をしていた。韓国、台湾、香港、シンガポール、さらにマレーシア、インドネシア、フィリピン、タイ、ベトナム、インド、オーストラリア、中国を含めたアジア太平洋の地域・国を読者対象としていた雑誌である。


現地と付き合わなかった日本企業

  当時、多くの日本企業がこれらの国や地域に進出し、日本のプレゼンスを上げていたのだろう、と勝手に想像していた。ところが現地のエレクトロニクス企業に取材してみると、日本企業をほとんど知らない。付き合いもない、ということだった。唯一、韓国のサムスンは日本の半導体製造装置を導入していたため、日本とはなじみがあったが、韓国内のLGや現代は日本との付き合いも日本企業もほとんど知らなかった。ましてやマレーシアやインドネシア、中国の地元企業は日本企業についてほとんど知らなかった。

  日本企業はずいぶんアジアへ進出していたのに、一体なぜか?エレクトロニクス企業だけを取材していた私は長い間疑問に思っていた。オーストラリアからの帰国便で隣に居合わせた東京銀行の方と話をしていて、ようやく疑問が解けた。日本の銀行がなぜアジアへ行くのか。日本の大手企業がアジアに工場を立てて操業するとなると、部品や部材などのサプライチェーンが構築できなければ工場を稼働させられない。このため、1次下請け、2次下請けも一緒に現地で工場を立てた。そこで働く日本からの従業員も数十名から数百名に上るようになると、日本の銀行も必要になる。大手企業の海外進出とは、海外で単なる「日本村」を作っていただけにすぎなかった。だから、地元企業との付き合いはほとんどなかった。

  アジア向けの雑誌を担当する前は、日本語のエレクトロニクス雑誌を担当し、米国を中心に取材・出張することが多かった。1980年代当時のコンピュータや半導体、通信などテクノロジーは、未熟だったため、IEDM(国際電子デバイス会議)やISSCC(国際半導体回路会議)などのIEEE学会会議の取材が多かった。この当時、私の英語は未熟だったが、学会発表では分厚い丁寧な論文が掲載されており、英語を話せなくても論文から記事を書くことができた。ところが、学会資料だけでは米国企業の本音がわからない。米国企業を取材して、しっかりした考えを伝えるために、私も英語の会話を国内で勉強した。

 

今だからわかったことも

 2002年に日経BP社を離れ、リード・ビジネス・インフォメーション(旧カーナーズパブリッシング)に入社し、日本のエンジニア向け新雑誌を発行するために、かつてのDRAMエンジニアに取材して話を聞いた時のことだ。彼は「ミスリードしない雑誌を作ってくれ」という注文をつけた。かつて日経BP社で「メモリからASICの時代へ」という特集記事を出したが、これがミスリードした、というのである。「日本は結局メモリに強い企業が多かったのに、こんな記事を経営者が読み、DRAMを放棄した」、と彼は続けた。だから日本の半導体がダメになった。

  この話には二つの教訓がある。一つは自分が納得できない疑問が残り、彼とは論争になった。商業誌の記事で経営者が意思決定するのか、という疑問であり、そんなはずはない、と私は反論した。今になってみると彼は正しかった。事実、日本の電機経営者の多くは経営判断能力に欠けていた。当時若かった私は、電機の経営者を「立派なえらい人たち」、とみていた。もう一つの教訓は、当時の特集には間違いを含んでいた、ことである。海外取材をたくさん重ねるうちに気がついたことであるが、「メモリからASICへ」という流れは、米国だけだったのである。それを世界的なトレンドとみて、米国のトレンドはいずれ日本にも来ると見ていたが、これが間違いだった。米国の半導体業界では、多くの企業がDRAMで日本に負けたから自分たちを見つめ直して、自分の得意なところを探した結果、メモリ以外の半導体を追求するようになったのだ。

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図 リードで発行していたEDN Japan別冊では国内外企業のトップを取材、新発見が多かった 

 自分の間違いの元は、米国企業を取材せず、単なる学会発表だけを取材していたことにあった。だから海外企業の本音を聞こうと努めるようになった。今になってからわかった事実もある。1980年代後半の日米半導体戦争の時のこと。米国は日本に対して「外国製半導体の日本市場シェアを20%に上げよ」という市場経済に反するような要求をしてきた。この要求を日本の霞が関は丸呑みした。ところが1~2年前、「まさか、日本がこの無茶な要求を丸呑みするとは思わなかった」という声を米国で聞いた。通常、交渉事では、最初に20%と吹っ掛けておき、他方は10%と主張し、最終的に15%くらいで手を打つのが本来の交渉である。このようにならなかったということは、霞が関の役人には交渉能力が全くないことが暴露されたといえる。

 

トレンドをフォローするグローバル企業

 米国企業をきちんと取材していれば、日本の経営にも役に立つ事実が多くあることがわかる。それらをこれまでNews & Chipsなり、セミコンポータルなりで伝えてきた。しかし、日本企業の経営者がそれを参考にしたという形跡はない。ただ、ありがたいことに外資系企業の国内の経営者からは多くのコメントをいただいているので、読まれているようだ。最近、日本の研究者から、ある米国企業が立ち直った戦略を知りたい、という声があり、ボランティアで対処している。

  海外企業の取材で最も面白いことは、この先のトレンドを常にフォローしていることだ。かつての日本はトレンドを見てこなかったために、井の中の蛙、あるいはガラパゴス、という状態に陥った。海外企業のトップも将来に向けたトレンドは、企業の将来を左右するため極めて敏感である。逆に、トレンドに鈍感な経営者は企業の命が危ない、ということになる。

2019/04/06

   

ルネサス社員のやる気を奪う社長

(2019年3月30日 16:04)

 企業の業績が上向くかどうかは、社員が自主的に率先して仕事できる環境になっているかどうかと深く関係する。経営者は社員のやる気を引き出す能力を持たなければならない。ファシズムのように強制的に労働させても、生産性は上がらない。社員のモチベーションを上げるように各部門の社員を鼓舞する能力こそが経営者に求められる。

  かつて、富士通は、IBM互換機のコンピュータを設計製造していたことから、常にIBMをフォローしていたが、ある時IBMがサービス部門を強化する方針を発表した。富士通のトップは、これからはサービスの時代だから、もうハード、中でも半導体部門は要らないとして、かなり縮小した。

  こんな乱暴な組織改革をしたのは、なぜIBMがサービス部門を強化しようとしたのか、富士通のトップは理解していなかったからだ。IBMを取材してわかったことだが、IBMはこれまでハードといってもコンピュータ、プリンタ、ネットワーク機器などそれぞれの事業部門が単体で売っており、それに応じたソフトウエアも単体で売っていた。顧客はそれらをつないでコンピュータネットワークシステムを作りたかったのだが、自分でやってみなくてはならなかった。このことを知ったIBMは、自分たちのハードとソフトを生かして、顧客の望むシステム作りまでサービスしようとしたのである。だからサービス部門を充実させたかった。IBMはもちろん、ハードもソフトも力を入れ続けている。

  富士通の経営者の頓珍漢(トンチンカン)な判断で、ハードでこれまで頑張ってきたエンジニアはやる気を削がれた。また、別の経営者は、半導体はもう微細化をしないから、これ以上の先端技術を開発するな、とも言った。エンジニアたちのやる気は失われた。


 外資に買われて良かった

 しかし、半導体では救世主が現れた。富士通のマイコンとアナログ部門を買収したスパンション(現在サイプレス)のCEOは、取材するたびに旧富士通のエンジニアを誉めたたえ「tremendously excellent engineers(飛びぬけて有能なエンジニアたち)」という言葉を何度も使った。エンジニアのやる気を引き出すのが経営者の仕事の一つとも言った。そのジョン・キスパートCEOとは電話でもインタビューを何度も行ったが、この言葉をよく使った。実際、富士通でもう65nm未満の微細化プロセスを開発するな、と言われたエンジニアたちは、スパンションに買収されて40nmでも28nmでもどんどん開発してくれ、と言われ、やる気にがぜん火がついた。「買収されて良かった」と述べたエンジニアが多数いた。

  旧三洋電機半導体の新潟工場は、地震によって一部破壊され、工場として復活させないという方針だったが、ON セミコンダクターに買収された結果、工場を回復させ、今やON セミの中核工場となった。ON セミの経営陣は、新潟工場のエンジニアをほめたたえ、日本は製造が得意なエンジニアが多いことを知った。やはり、富士通同様、「買収されて良かった」という声を聞いた。

 

一人の首も切らなかったことを自慢

 さまざまな米国企業のCEOにインタビューすると、エンジニアをいかにエンカレッジ(鼓舞)するか、やる気を出させるかが大きな仕事の一つだ、とよく聞かされた。優秀なエンジニアを見つけたら、まずは手放さないようにするための方策を考える。2000年頃、リニアテクノロジー(現アナログ・デバイセズ)のボブ・スワンソン会長にインタビューしたとき、「見つけたエンジニアが(本社がある)シリコンバレーに来たくなければ、そのエンジニアのいる場所をリニアテクノロジーのデザインセンターとする」、と語った。

  1980年代のシリコンバレーではリストラ、レイオフが盛んにおこなわれた。しかし、景気が回復すると、優秀な人材が見つからなかった。彼らを確保することの難しさを痛烈に感じた。このため、そう簡単には首を切らなくなった。ボブ・スワンソン会長は「2008~2009年のリーマンショックの頃の会社はとても厳しかったけど、リニアは一人も首を切らなかった」と胸を張って自慢した。こういった米国ハイテク企業の経営者は、優秀な人材の確保に金も時間もかかることをよく知っている。ハイテク企業では、社員のやる気を引き出し、優秀な力を発揮できるようにして業績を上げるように仕向けることこそCEOの仕事の一つである。

  日本にも社員のやる気を出すことに努力している経営者はいる。営業担当者が「もう少し攻めれば契約できそうだ、しかし出張経費の制限でこれ以上顧客の元に行けない」、と言う社員の話を聞いた経営者は、そのような出張稟議書の提出をやめ、課長の自由裁量で出張に行けるようにした。経費節減はもちろん重要だが、お金は出すべき時には出さなければならないからだ。「やれといってもやらない社員には顧客の元に行かせる。そこでその社員は顧客の話を直に聞き、それならとアイデアを提案し、想定していた以上の力を発揮する」。このように話をしたのは2012年度に社長に就任し2017年度まで6年連続増収増益で会社を立て直した新日本無線の小倉良代表取締役社長(2018年度の途中から会長)だ。もっと詳しい具体例は参考資料1を参照してほしい。


ルネサスのCEOは逆を行く 

 翻って、ルネサスエレクトロニクスの最大の問題は、呉文精CEOがルネサス社員の気持ちを全くくみ取らず、独断でIntersilIDTの買収を決めたことだ。もちろん、買収案件は限られた人数のチームで行う業務ではあるが、ルネサスと全くシナジー効果を生まない製品ポートフォリオを持つIDT企業を買収するということは、初めに買収ありき、だったということを示す。IDTの製品ポートフォリオを見る限り、シナジー効果はほとんどないからだ。

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1 IDTの製品ポートフォリオ 出典:IDT2017 Annual Reportを元に津田建二がグラフ化 

  1で見るように、IDTの主力製品(62%)はデータセンターや通信インフラのコア基地局向けの正確無比のタイミングコントローラやRapidIOPCIeのような高速シリアルインターフェース製品である。ここで百歩譲って呉CEOが言われる、シナジーを生むセンサがどの程度のシナジーを生むか計算してみよう。センサ部門は、全社売り上げの14%しかない「クルマ+産業機器+センサ」分野の中の一部となるセンサである。この3分野合計で2018年売上額900億円の中の14%、すなわち126億円しかない。この中の一部がセンサである。シナジー効果は数10億円にしかならないが、これでシナジー効果があるといえるだろうか?苦し紛れのシナジーとしか言いようがない。

  本来の買収なら、自社の強みを伸ばすことを考え、そのために弱点を補うために買収する。ルネサスが手本とするTexas Instrumentsは、1995年に大方針転換でアナログにフォーカスすることを社員と共に決めた(参考資料2)。するとアナログ分野の中で弱い部分を補うことを考えた。高精度アナログのBurr-Brown、低消費電力のRFに強いChipcon、パワーマネージメントが強いNational Semiconductorなどを買収してきた。アナログにフォーカスしているため、方針はぶれない。社員ともディスカッションして決めた方針だから社員は理解している。だから確固たる地位を築けた。

  さらに、ルネサスの新しい人事を見ると、もともとルネサスにいた幹部人間を追い出し、IDTの幹部だった人間を全体の執行役員に任命している。元のルネサスの社員に対してどのようなインセンティブを与えるのか、ルネサス社員のモチベーションを下げることばかりの人事を行い、どうやって士気を高めるのかについて全く言及がない。元々のルネサス社員のやる気を削ぐ愚策を行い、どうして社員がついていけるのか、先日の株主総会でも社員に対する言及は全くなかった。

  現実にIDTの売り上げは2018年度に84280万ドル(約900億円)であり、売り上げ7500億円のルネサスの1/8しかない。にもかかわらず、IDTの役員を優遇し、もともとのルネサス役員を追い出す、という人事を行っているのである。元々のルネサスの社員のモチベーションは下がるしかない。これでは企業は元気にならず、業績は落ち込むばかりである。呉CEOはどれだけ国内の社員と話をしたのだろうか。社員はどれだけ彼の方針を理解したのだろうか。このままでは社員は疑心暗鬼になり、たとえ今は良いポジションでも明日は我が身か、と暗い気持ちになり、次の就職先探しに一生懸命になる。これでは1980年代後半のシリコンバレーと同じだ。

  「企業は人なり」という言葉を最近のシリコンバレーや欧米の企業から聞くことが多い。強い時代の日本もそうだった。優秀な人を育て、ロイヤルティを高め、業績を上げてきた。しかし、中途半端な非日本的経営は、経営層(取締役)だけ1億円以上の年俸をもらい、減収減益になっても報酬を下げないという日本独自の甘やかし体質を強める結果になった。この体質にどっぷり浸かったルネサス。かつてのソニーもそうだった。このような経営陣に社員はついていけるのだろうか。

 

参考資料

1.     社員の心をつかみ4年連続、増収増益の道を歩む新日本無線(2016/07/01

2.     EDN Japan「エレクトロニクスの50年と将来展望」、EDN 50周年記念特別号、20071月、リード・ビジネス・インフォメーション発行(筆者注;リード・ビジネス・インフォメーションが解散され、この特別号は絶版になった)

 

   

軍事技術は民間技術と区別できるのか

(2019年3月29日 19:13)

 2019325日、国立茨城大学は、軍事研究に対する基本方針を定めた。ここでは、「研究者の自主性・自律性を尊重した研究環境を整えるとともに、世界の平和、人類の福祉、ならびに自然環境の保全を脅かすことにつながる軍事研究は行わないこととします」と述べている。

  大学における軍事研究に関する論争は、過去に何度も行われてきたが、今回の動きは、2015年に防衛装備庁が「安全保障技術研究推進制度」を創設し、防衛技術にも応用可能な民生技術の開発に係る研究助成公募を始めたことをきっかけにして起こった。日本学術会議は1年間議論し、2017年の春、軍事目的の研究を行わない従来の姿勢を継承する方針を固めた。ただし、軍事目的の研究の定義は依然としてあいまいだった。

  軍事目的の研究は、第2次世界大戦ではさまざまな殺傷兵器の開発を中心に行われた。当時のような軍事研究は禁止すべきであろうが、戦後でも1980年代後半から1990年代にかけてオーム真理教のような新興宗教教団がサリンやVXガスという化学兵器を製造していたことがあった。軍事目的の研究とは、こういったテロリスト集団や国家が兵器開発のために行う研究であり、それらから身を守る防衛技術とは別物ではないだろうか。

  例えば迎撃ミサイルは、敵の都市を攻撃するものではなく、飛んでくるミサイルを打ち落とすものである。このため、使われるテクノロジーは似て非なるものだ。迎撃ミサイルは、高性能なコンピュータを積んでおり、敵のミサイルの位置、速度、向きを常に計算し、得られた結果を進んだ距離ごとに計算し直し、打ち落とせる距離に近づくまで計算を何度も繰り返す。しかし、攻撃のミサイルでさえ、高速コンピュータを搭載しており、常に自分の位置を計算し標的の都市に正確に爆撃できるほど近づくまで計算を繰り返す。

  では、高性能コンピュータは軍事技術だろうか、という議論になる。かつては、大陸間弾道弾を製造するための軌道計算用にコンピュータが発明された。しかし、多くの人がパソコンやスマートフォンのようなコンピュータを持つ時代になると、コンピュータを軍事技術という人はもういないだろう。

  もっと別の用途もある。例えばソーラー発電機を軍事技術と思う人はいないだろうが、GaAs(ガリウムひ素)半導体を利用した超高効率のソーラーパネルは、高コストだが米国陸軍が使用している。携帯電話のCDMA(Code Division Multiple Access)技術は、軍事で開発された拡散スペクトル通信技術をクアルコム社が民間の携帯電話に使えるように改良した技術である。材料の分野でも、水を100%近くはじく特殊な繊維でできた服を英国陸軍が防水用に使っている。カーナビゲーションシステムに使われているGPS (Global Positioning System) は、軍事衛星を使って自分の位置を知るための技術を利用している。自動運転や自動ブレーキに使われるレーダー技術は、もともと敵の位置を知るための技術だった。5G通信で使われるMIMO (Multiple Input Multiple Output) アンテナは、軍事用のフェーズドアレイレーダー用のアンテナである。

 こうなってくると、何が軍事研究で何が非軍事研究といえるのだろうか。軍が使っているからといって、それを軍事技術とはいえない。

  防衛装備庁の研究助成公募を始めたことが即、軍事研究ではない。この助成制度に採用された防毒マスク用の繊維の研究は、明らかに軍事研究ではない。きめ細かい繊維のマスクはインフルエンザ対策にも農薬散布用のマスクにも応用として考えられる。

  その意味で、茨城大学が、世界の平和、人類の福祉、並びに自然環境の保全を脅かすことにつながる軍事研究は行わない、とする規定は、軍事研究を明確に定義している。こう定義してさえいれば、防衛装備庁の研究助成公募は、大学の研究者にとって新たな研究資金源となり、軍事研究とは別物だと言えよう。逆に防衛装備庁の研究助成金にも待ったをかけるようでは、米国やイスラエルのようなハイテク技術で日本が遅れをとるようになる可能性も高まる。

  また、国家が大学に対して軍事研究をせよという指令が来た場合に備えて、「研究者の自主性・自律性を尊重した研究環境を整える」と述べており、大学が自主的に軍事研究か否かを判断できる仕組みを訴求している。

 

   

ルネサスがますます危ない

(2019年3月 9日 15:07)

 昨年9月にルネサスエレクトロニクスが全く相乗効果を生みそうもないIDTの買収を決めたとき、「危ない、ルネサス」という記事を書いた(参考資料1)。もう半年になる。その後、買収のために7000億円を超す銀行からの借金を背負い、先月は電話会見という変則的な手法を使い、2018年第4四半期の決算報告を行った。その報告をさまざまなジャーナリスト、業界関係者らと議論し、その後のルネサスのプレスリリースを読んだ結果、やはりルネサスは危ない、という結論にたどり着いた。いや、もっと危ない、とした方が正確だろう。

  37日には、日本経済新聞が「ルネサス、国内6工場を2カ月停止、車載半導体、中国需要減で」という見出しの記事を掲載した後、ルネサスは「昨日より、一部報道機関において、当社工場の一時生産停止に関する報道がなされておりますが、本件は当社が発表したものではありません。(改行して)当社工場においては、今後の需要に応じて当社工場の一時生産停止の実施を検討しており、前工程は最大2か月、後工程は週単位で複数回一時生産停止することについても選択肢としております。具体的な一時生産停止日数については、今後の需要動向およびお客様への供給状況に沿い決定していきます」というプレスリリースを同日に発表している。

表1 ルネサスの2018年通年と第4四半期のP/L 出典:ルネサスエレクトロニクス

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  ルネサスがメディアに公式に発表したものではなく、また決定したわけではないが選択肢の一つと述べていることは、否定していないという意味で、記事が間違っていたのではなく、ルネサスの公式発表ではない、というだけのこと。最大2カ月間も工場を止めるということは、半導体工場の立ち上げに時間がかかりウェーハプロセスを安定化させるための立ち上げ時間を考えると、2.5カ月は稼働が無理と見てよいだろう。

  その前に事実を整理すると、決算報告では2018年通期も第4四半期も減収減益である。2018年の半導体産業がメモリバブルという側面があり、ルネサスはメモリを作っていないという意味から割り引いて考えるとしても、減収減益はよほどのヘマをしない限りありえない。2018年に世界の半導体産業は13%成長したのである。第4四半期は景気が落ち込んだと言われているが、それでも1.1%のプラス成長したのである。メモリを全く生産しないインテルでさえ、2018年通期には13%成長、第4四半期でさえ9%成長している。

  もう一つの疑問である、中国需要の低迷により業績が悪かった、としているが、ルネサスの売り上げに占める中国の割合はそれほど多くない。いまだに売り上げの過半数が国内売り上げだという。確かに中国需要は低迷していることは事実であるが、ルネサスへの影響はそれほど大きくない。2018年通期で買収したインターシルの売り上げも含んでいるのにもかかわらず、2018年通期売り上げは3.3%減少、第4四半期は11%減となっている。つまり、減収減益の理由を中国経済の失速のせいにしているだけだ。

  別の指標で見てみよう。一昨年買収したインターシル単独の売り上げはプラス成長を持続している。このデータを電話会見では見せたが、本日、ウエブからダウンロードしたpdfプレゼンテーション資料からインターシルのデータは抜け出ていた。インターシルは成長したがルネサス本体がマイナスになった。インターシルにとってルネサスに高く買ってもらったことは良かったが、ルネサス本体がダメになったのだ。

  さらに、また頓珍漢(トンチンカン)な人事をしている。28日に業績を発表した後の19日には「役員の異動に関するお知らせ」と題して、取締役の数を増やしている。それも弁護士や他社の人事部門の人間を社外取締役として増やしている。現在取締役は5名だがこれが7名になる。ルネサスが取締役と執行役員を分けていることは企業のガバナンスの立場から言えば悪いことではない。しかし、半導体というテクノロジー企業なのに取締役にエンジニアリングのバックグランドを持たない取締役ばかり増やして、執行役員が先頭で行っている事業が適正かどうかを判断できるのであろうか。海外のテクノロジー企業の多くは、エンジニアリングのバックグランドを持たない人間を大量に揃えることはありえない。

  このような役員構成を見ると、かつて銀行同士が対等と称して合併したときに強い派閥が弱い派閥の人間を追い出し、結局相乗効果を何も生まない体制に終わったことを思い出す。呉CEOはもともと銀行出身だけに、銀行マインドから抜けられないのではないか、とさえ疑ってしまう。ルネサスの進むべき道を議論してきた役員を追い出し、かつての部下や関係者をルネサスに入社させ、配下に置くという体制を築きつつあるルネサス。このような派閥体制のテクノロジー企業が世界のコンペティターと競争して勝てるわけがない。経営者の最大の課題は、実際に働く社員のモチベーションをいかに上げられるか、にかかっている。ルネサス経営者のやっていることは、これに逆行する。社員のモチベーションがますます下がるため、売り上げはますます減少することになる。社員の立場に立てば、早く次の職場を探せるかに関心が移っている。これでは会社が活性化しない。

  テクノロジー企業のあるべき姿が議論されている様子は会見からも全く見えなかった。例えばIDT買収を決めたことを2月の電話会議で、IDTとシナジーを生み出す、とまるで一つ覚えを繰り返していたが、IDTのどのような製品とルネサスのどのような製品あるいは技術がどのような応用でシナジーをどの程度生み出すのか、について全く聞かされなかった。HPC(スーパーコンピュータや高性能サーバーなどHigh Performance Computing)やデータセンターへの高精度なクロックコントローラ/タイミングコントローラと、ワイヤレス給電が得意なIDTとの相乗効果について、さまざまなシーンを想像してもルネサスの製品や技術との補完関係を見出すことはできない。もちろん、この想像は私一人ではない。半導体業界の関係者もそのように言っている。

  むりやりセンサで相乗効果があるとしても、その売り上げ規模は針の穴のように小さい。というのは、IDTが設計販売しているのはフローセンサであり、室内気体用ガスセンサ、位置センサである。MEMSやセンサの専門家なら、この種類のセンサで、ルネサスの得意な車載や産業機器を想像しても、相乗効果の小ささを実感できるはずだ。

  いわばIDTの買収はやはり、頓珍漢な買収なのである。つまり1+1<2になることが目に見えている。このことはルネサスを知っている半導体関係者なら誰もが心配していることである。今のところ、世界の国々でルネサスのIDT買収は全て認可されたわけではないが、買収が決まると不安がさらに増幅されるだろう。

 

参考資料

1.     危ない、ルネサス(2018/09/01

 

   

IBMのAIチップ開発エコシステムとニッポン

(2019年2月17日 12:14)

AI、特にディープラーニングの実行を目的とするAIチップの開発が世界中で活発になっている(表1)。これまでマイクロプロセッサPowerPCをベースにした機械学習マシンであるWatsonを構築してきたIBMがいよいよ、AI専用チップの開発に力を注ぐ。一方国内では、東京大学が産業技術総合研究所と共同でAIチップ開発拠点を武田先端知ビルに構築した。

 

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1 主なAIチップ 網羅しきれないほど多い 作成:津田建二

 

 IBM Researchは次世代AIチップ開発のための研究拠点IBM Research AI Hardware Centerを立ち上げ、コラボレーションパートナー数社も参加する、と発表した。AI時代のあるべきハードウエアを求めて、これまでのシステムの基本から見直し、コンピューティング設計をゼロベースから構築していく。

  その拠点は米ニューヨーク州アルバニーのニューヨーク州立大学のキャンパス、SUNY Polytechnic Instituteに置き、創設パートナー会員の協力の下で研究開発を進める。IBM Research AI Hardware Centerにおいて、研究およびビジネスパートナーと共にAIに最適化された次世代AIチップを開発する。

  パートナー企業として、すでにメモリとファウンドリのSamsungHPCの高速バスや配線が得意なMellanox TechnologiesAIチップを設計するためのツールと豊富なIPを持つSynopsysがメンバーに加わっているほかに、新材料と製造装置の開発にApplied Materialsと東京エレクトロンも参加している。加えて、大学関係ではSUNY Polytechnic Instituteと、近くのRensselaer Polytechnic InstituteCCICenter for Computational Innovations)が協力する。IBMとそのパートナーは、チップレベルのデバイスと材料、アーキテクチャ、そしてAIが動作するソフトウエアを実現に向けていく。

  設計のツールベンダーであるSynopsysが参加したのは、同社の持つ強力な設計ツールDesignWaveを用いて、イスラエルのファブレス半導体メーカーHabana Labsが、推論用のAIチップをすでに開発したという実績があるからだ。Habana社は現在、学習用のチップも開発中である。

  技術的なロードマップとして、近似コンピューティングのデジタルAIコア技術および最適化材料を使ったアナログAIコアを開発して現在の機械学習の限界を突破していくという。

  新規材料開発は、不揮発性のクロスポイントメモリにDNN(ディープニューラルネットワーク)の重みを記憶するために必要になる。このセンターでは、新しいAIコアの研究開発を指揮し、試作、テスト、シミュレーション、エミュレーションなどを含み、学習および推論マシンのAIモデルを作る。ウェーハプロセスはアルバニーのこのセンターで行うが、同州ヨークタウンハイツにあるT.J. Watson研究センターでもサポートを行う。

 

国内は東大と産総研が中心

  国内でもAIチップの開発機運がようやく出てきた。東大の本郷キャンパスで先週、「AIチップ設計拠点活動開始記念公開シンポジウム」が開催され(図1)、祝辞のあいさつとして、産総研、経済産業省、内閣府という官公庁に加え、ルネサスエレクトロニクスとプリファードネットワークス、そして昨年東京工業大学を定年になった松澤昭氏が設立されたテックイデアという3つの民間企業の代表もあいさつに加わった。東大に設計ツールを揃え、チップ製造は東大のVDEC、産総研の300mmウェーハラインなどを使うという。

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1  AIチップ設計拠点活動開始記念公開シンポジウム 写真撮影:津田建二

 

 AIチップの設計を検証するハードウエアツールであるエミュレータはCadenceParadium Z1を利用する。23億ゲートの規模の回路まで、4MHzのエミュレーション速度で検証演算する。東大と産総研は中小のベンチャー企業に使ってもらいたいとしているが、半導体設計では、VHDLVerilogといった半導体専用のプログラミング言語を習得しなければ、最初の論理設計でRTL形式を出力できない。しかし、幸運なことに半導体にしか使えないプログラミング言語を学ばなくても、論理回路を設計できる。デザインハウスというRTL専門の業者がいる。彼らを使えばだれでも半導体AIチップの設計データを得ることができる。

  ところが、設計ツールなどはアカデミックディスカウントの料金で導入したため、外部のデザインハウスが、揃えたツールで実際にプログラミングができない恐れがあるようだ。もしAIのアルゴリズムを考え出した中小のベンチャーがいても、設計ツールの使い方、プログラミング言語をゼロから習得しなければならないのなら、実際に使う企業は限られてしまう。LSI設計のプロであるデザインハウスに使ってもらえないのであれば、このセンターは宝の持ち腐れに終わってしまう恐れがある。

  国家プロジェクトの弱点であるさまざまな制約を取り除かない限り、国家プロジェクトはまたしても失敗という結果になりかねない。誰でもが制約なしに利用できる仕組み作りが結局は産業の活性化に結び付く。かつて、技術もないのに技術が流出するという名目で制約をかけてきたことがあった。国家プロジェクトや国家ファンドなどによって結局、半導体産業が活性化しなかったことを真剣に反省し、もっとオープンに利用できるような仕組みを作ることが霞が関の役割ではないだろうか。世界で使われているオープンイノベーションとは、誰でも自由に参加できるという「門戸開放」の意味である。技術を開放することでは決してない。

 (2019/02/17)

   

顔認証でブレークした面発光レーザー

(2019年2月 8日 18:05)

 AppleiPhone Xで初めて導入された顔認証システムがどうやらアンドロイドにも搭載されそうだ(参考資料1)。半導体メモリ価格の高騰が続いていたため、iPhoneの価格も高くなりすぎて売れなくなり、iPhone以外のスマホにも顔認証システムを使うようになり、顔認証を広げる狙いだ。

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 図 iPhone Xの顔認証で外れたロック 撮影:津田建二

 この顔認証システムのキーコンポーネントは、またもやニッポン半導体の「残念」に結び付いている。iPhone Xでは、所有者がこのデバイスを正面に向けた途端にロックが外れる。即座に所有者だと認識するからだ。所有者以外がiPhoneを覗いてもロックは外れず中身を操作できない。もちろん所有者の写真をかざしても認識しない。もはや当たり前の機能だと、ユーザーは言うだろうが、このカギとなる面発光レーザーが日本人の発明によるものだと知っている専門家はどれほどいるだろうか。

  iPhone Xの顔認証システムは、単なるAIだけの技術ではない。ハードウエアとして数十個の赤外線レーザーが顔に向けて発射されているのだ。もちろん弱い出力だからやけどするとか、目に悪いという訳ではない。面発光レーザーは、数十個の小さなレーザーを1チップ上に集積したもの。1辺が2~3mmしかない面発光レーザーのチップがあるからこそ、スマホのような小さなモバイルデバイスに搭載できるのだ。

  数十本のレーザー光が顔の特徴を3次元的に捉え、目と鼻の距離や耳までの奥行、おでこの広さなどさまざまな顔を表すパラメータをベクトルとしてとらえ、それらを個人の特長としている。スマホ自身でAI(ディープラーニング)を使っている訳ではない。ただし、クラウド上でとらえたカメラ映像の物体が人間であるか、他の動物であるかどうかをまず判別しなければならないが、その学習データはクラウド上に保存しておき、それをスマホ側で利用することはある。その場合、特徴抽出する場合に特徴量を参照データベースとして保存しておく場合や、あるいはベクトル量をクラウド上の学習データとして保存し、スマホ側で推論を行うこともできる。その場合は軽い推論専用のAIチップやIPを使う。

  顔認証システムのカギは、この演算を行うAI機能、あるいは特徴抽出機能を担うプロセッサと、面発光レーザーである。プロセッサは各社から市場に出ているが、面発光レーザーを出荷している企業は米国2社しかない。FinisarLimentum社である。これまでは量産するほどの量が出なかった面発光レーザーだが、iPhone Xで初めてブレークした。Finisar社はAppleからの資金援助を得て量産体制を敷き、これまで3億個というレーザーを出荷している。

  面発光レーザーを発明したのは実は、東京工業大学の教授と学長を経験された伊賀健一氏だ(参考資料2)。このレーザーはVCSELVertical Cavity Surface Emitting Laser)レーザーと言われており、いわばレーザーの集積回路あるいはモジュールというべきものだ。伊賀氏が発明した当時は何に使われるのか明確ではなかったが、光マウスやデータセンター内の光ファイバ配線などに少量使われてきただけに過ぎなかった。ところが、iPhoneの顔認証システムに使われるキーデバイスになって初めて大量生産されるようになった。せっかく日本人が発明したのに、米国の半導体メーカーが量産しているという事実は、極めて残念と言わざるを得ない。

  面発光レーザーが生まれたのは、レーザーの集積化を伊賀氏が考えていたからだ。従来のレーザーがチップの横(端面)から発光しているのに対して、チップの表面から発光させようと彼は考えた。レーザーは、LEDと同じようにpn接合に順方向に電流を流し、発生した光を閉じ込め共振させるためのキャビティ(共振器)を作りつけたもの。光を共振・増幅させることでQ値の高い(狭い波長)強い光を発射することができる。従来はこのキャビティをチップの横方向のチップ端面を鏡として使うことで共振器を構成していたが、伊賀氏はこの共振器をチップの表面-裏面間の鏡を利用することで集積化した。もちろん結晶性の改善や欠陥の抑制などのたゆまない努力で、開発できた。

  これからは、顔認証システムだけではなく、シリコンフォトニクスの代替や、LiDAR光源などへの応用も期待されている。市場調査会社のYole Developpement社は、2017年の3.3億ドルに市場から2023年には10倍以上の35億ドルに成長すると予測している(参考資料3)LiDARでは、これまでせいぜい数本のレーザーとポリゴンミラーなどを使って水平・垂直にスキャンしていたが、3万個の大出力集積化レーザーだと、大きなポリゴンミラーもMEMSミラーも使わずに、周囲3万点の距離を測定できるようになる。つまりコストダウンでき、LiDARシステムの小型化が図れることで、ここに大市場が生まれるという訳だ。

  悔しいが、米国のApple社をはじめとして世界各地の情報を得ていなかったことが日本半導体の最大の敗因だろう。つまり、世界の情報に目を向けてこなかったガラパゴス的姿勢に問題があったといえる。GaAsメーカーが次のアンドロイドメーカーに面発光レーザーを提案してイニシアティブをとることは、日本半導体業界にとってチャンスとなる。友人のEd Sperling氏が編集長を務めるSemiconductor Engineeringでは、「VCSEL技術が離陸する」と題した記事を掲載している(参考資料4)。ここでも将来のVCSEL技術のアプリケーション情報が得られる。 

参考資料

1.      Lumentum expects Android devices with Apple-like 3D sensing tech in 2019, Reuters 2019/02/05 

2. 伊賀健一「横のモノを縦に-常識をくつがえした面発光レーザの着想と実現への道-」、(2005/10/07

3.  We are only scratching the surface of potential of optoelectronics - Industry trends2019/01/31

4. VCSEL Technology Takes OffSemiconductor Engineering2019/02/07