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大雪で見えないLED信号機は改善できる

(2015年3月13日 22:04)

この冬の大雪は、LED信号機にも雪を積もらせてしまい、従来の白熱灯の信号機よりも優れたメリットが仇になった、というような記事を見た。雪が赤、青、黄の信号灯をふさいでしまい、色が認識できなくなったのだ。従来の信号機は白熱灯だったから、無駄に発熱し雪を溶かしてくれた。このため、雪がランプに付着しても熱で溶け、赤、青、黄の色が見えなくなることはなかった。

 

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この記事を読んだとき、まるでLED信号機が悪いように読めた。また、好き勝手に書き込むツイッターでは、雪国にLED信号機を設置したのはバカだ、という口調も少なくない。ではどうすればよいのか?だからと言って消費電力が大きく、明け方・夕方の斜めからの太陽に反射されて青、黄、赤の信号が見えにくかった白熱ランプに戻るのか。そういう訳には行かない。

 

答えは簡単だ。雪に強いLED回路設計をすればよい。むしろ、大雪という災害は、LED信号機にもっと改善の余地のアイデアをくれたと考えるべきではないか。普段のLED信号機は、消費電力が少なく、CO2の排出を減らし環境に優しいだけではなく、視認性が高く、事故を起こしにくい信号であることに変わりはない。だったら、大雪でも雪を解かすような構造にすればよいのである。

 

ここにテクノロジーを活用する。例えば、大雪の時にだけ、電気を無駄に使うように電圧を上げ電流をたくさん流し、発熱を促せばよいのである。LEDは電流を流せば流すほど輝度は増し、発熱する。ただし、発熱しすぎると熱暴走を起こす恐れがある。有名な787機のバッテリ故障と同じように熱暴走を起こしてしまえば、LEDを配線しているボンディング線は溶けだして使えなくなる。つまり、熱暴走を起こさない範囲で電流をたくさん流し、輝度を上げ発熱させる。幸い、雪は冷却材として発熱を抑える役割を果たすから、熱暴走を防ぐ役割もある。

 

さらに、センサを付けて、雪を検出したら、LED電流をたくさん流すようにパワートランジスタを動作させればよい。雪を溶かせるかどうかを実験して確認する。一つの信号機あるいは一つの交差点の4台の信号機で雪を検出すると同時に、他の場所にある信号機にもその情報をM2M(マシン-ツー-マシン)などで伝える。LED信号機もIoT(インターネットオブシングス)になる。各地の信号機に全てこのような対策を施せば、回路部品コストを大量生産でき、LED信号機のコスト上昇を抑えることができる。

 

要は、LED信号機を悪者にせず、テクノロジーをしっかりと駆使すれば済むことだ。新しいテクノロジーは、古いテクノロジーよりもメリットは非常に多い。もし新しいテクノロジーに欠点が見つかれば、その欠点を次のテクノロジーで克服していく。これが人類の進化の歴史である。大雪でLED信号機が使えない、という事実が出てきたら、LED信号機を使えるようにするためにはどうすればよいか、を考えればよい。白熱灯に戻ってはデメリットが多すぎて、人類の進歩に逆行する。

 

環境に優しい社会を作ると称して、昔の生活に戻ればよいとする人たちがいるが、テクノロジーをもっと知って欲しいと思う。CO2排出量を下げよう、環境をもっと良くしようと思うのなら、テクノロジーで解決する方法を求めればよいのであり、昔に戻ることではない。人類が他の動物よりも賢く、しかも進化できたのは、現状よりもさらに改善する方法を考え、実行してきたからに他ならない。

 

数年前にクルマの制御に使っているソフトウエアの不具合(バグ)発生を知り、だからソフトを使わずに昔のような純粋機械のクルマを作るべきだという記者がいた。これも今回の大雪事件と同じ態度だ。交通事故死がここまで激減したのはクルマのエレクトロニクス化、コンピュータ化によるところが大きい。さらに進化させるためには、ではどうやってバグ取りを効率よくできないか、というテクノロジーによる解決法を見つけることが重要だ。

 

だから、今回の大雪によるLED信号機故障の記事やツイッターをみて、これを解決する方向へ持っていこうという意見が出なかったことは、テクノロジーを知らなかったからではないかと思う。もっと謙虚にテクノロジーを知り、人類の進歩を進め、社会を変えていく。これこそ、今は亡きスティーブ・ジョブズ氏が言っていた「Stay hungryStay foolish」に通じるものがある。

                                                (2015/03/13)

日本は落ち続けている、と米国は認識していた

(2014年10月 7日 15:01)

米国のPR会社であるGlobalpress Connection社主催のEuroAsiaに参加するためサンノゼ郊外のキャンベルに来た。日中は太陽がまぶしく、気温は34度とか36度といった真夏のような暑さだ。しかし日陰に入ると風が涼しく感じられる。

 

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以前書いた「マスコミのルネサス報道はネガしか書かない」の続きを書きたくなった。今回こちらにやってきて、ある広報の人とディナーを一緒にとり、日本の業界、メディア、米国や欧州の業界の話を交わした。彼女はいきなり「日本は震災以降、全く立ち直っていませんね。いったいどうしちゃったのですか?」と聞いてきた。そんなことはないとゆっくり説明したが、やはりメディアが否定的な記事ばかり載せる姿勢に大いに問題があることを述べた。マスコミのルネサスに対しては否定的にしか書かない姿勢は、朝日新聞の自虐的な「従軍慰安婦問題」と通じるものがある。

 

日本の産業はもはや壊滅的で全くどうしょうもない、という自虐的な記事を読まされていることに原因がある。メディアを特定するつもりはないが、多くの新聞はいまだに否定的な記事を書く。ようやく成長できる道筋を付けたと同時に、5四半期連続営業黒字という事実を見出しで大きく伝えていないのである。自虐的に自国の企業を否定的に書く喜びとは何だろうか。この姿勢こそ、でっち上げの従軍慰安婦問題と根っこは同じではないのか。悪いことは悪い、ダメなものはダメ、と書くことはその通りで問題ないが、良くなったのに良くなった、と書かないということなのだ。ダメなことしか伝えられていなければ、日本はもうダメなどん底を這っていると思われるのは当たり前。しかし正しい姿ではない。

 

新聞記者は、広告やスポンサに左右されない、独立した記事を書くことが良い記事だと教えられてきた。ポジティブに書けばすぐ提灯記事だとか、持ち上げるとか、宣伝くさい記事と捉えられるからだ。しかし、事実を事実として書くのではなく、宣伝くさくないことを強調するためにあえて批判記事を書く記者やメディアもいる。しかし、事実が良くなったのであれば、良くなったことを伝えるのが本来のメディアではないか。良くなったのにもかかわらず、ダメと書き続けることはもはや事実から遠ざかっていることになる。

 

正しい姿を伝えることがメディアの役割である。現在世の中がこう動いている、とメディアは書きたがるが(私も含めて)、その情報は正しくなければ書くべきではない。批判記事を書くなら、成功した記事も書くべきであり、それは決して提灯記事ではない。ルネサスから批判が出ることを承知で、以前「ルネサスよ、フラフラするな」という批判記事を書いた。しかし、ルネサスから批判は来なかった。堂々と対峙するつもりだった。こちらは覚悟を決めていたので拍子抜けした。しかし、その後、ルネサスが成長路線を決め、将来性を見た時「ルネサスの未来にやっと期待できるようになったと書いた。

 

私は元々、ルネサスに頑張ってもらいたいという気持ちから記事を書いているので、矛盾だらけの方針を示したときは批判する。「半導体の国家プロジェクトがなぜ失敗してきたか」を書いたときも、同じだ。頑張ってもらいたいからだ。ここでは、失敗を失敗と言わず成功と言い換えているところに、分析をせず失敗を繰り返す、国家プロジェクトの体質を述べただけだ。

 

しかし、成長できると自分も確信した時はそれを書く。日本の産業が良くなってもらいたいからだ。私の批判記事はあくまでもこれが根っこにある。日本がもっと良くなるためには、産業が強くならなければダメ。強くするためにダメなところはダメとして批判することは決して間違っていない。しかし、頑張って良い方向が見えてきたのに、相変わらずネガティブな話しかしないのであれば、それはニュースという視点が抜けていることにも通じる。ある時までネガティブでしょうがなかった企業がポジティブに変わった時はニュースになるからだ。

                                  (2014/10/07

朝日の問題と大阪地検特捜部証拠改ざん事件は同類

(2014年9月24日 06:19)

朝日新聞の従軍慰安婦間違い問題も、大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件も根っこは同じ所にある。新聞はスクープを狙い、主任検事は事件の幕引きを急いだため、どちらも事実を歪めた。大きな機関は、なぜ事実を事実として受け止められなかったのか。

 

マスコミも業界メディアも注意しなければならないことは、事実を事実として捉えることが最も重要だということを再認識することである。メディアは新しいニュースを常に追い求めるが、事件の解説や分析でも新しい視点を見つければ、その切り口がニュースとなる。そのためにまず「仮説」を立てて、それに沿って取材・検証していく。

 

ところが、取材で得た事実が仮説と違っていれば、どうするか。答えは、素直に仮説を修正すること、である。仮説を修正して、次の取材に挑むこと。この繰り返しである。理学部や工学部の人たちは、実験計画法という授業を受けたことがあるだろう。仮説、実験(メディアは取材)、仮説の修正、次の実験、の繰り返すことで、事実を追求していく。その結果、新しい知見が得られる。メディアの分析もこれと全く同じである。その結果、新しい視点が見つかり、ニュースとなる。

 

この仮説と取材の結果が違う場合が問題である。ここでは取材する人間、実験する人間の良心が問われる。素直に事実を受け止めらるか。心を真っ白にして考えれば事実を追求することしかないはずだ。にもかかわらず、仮説を変えずにそのまま突き通すメディアや機関が問題を起こす。それが今回の朝日の事件であり、数年前の主任検事の事件である。

 

最もまずいことは事実を歪め、最初の仮説に合うように誘導することだ。これでは、事実からますます遠ざかることになる。重要なことは、事実を事実として見ること、に尽きる。さもなければ正確な判断ができなくなってしまう。事実を事実として見て、それがどのような方向に向いているか、別の事実からも見る。さまざまな角度からの事実がたくさん積まれていればいるほど、それらを整理する能力が不可欠になってくる。この能力がなければ、『ねつ造』という過ちに至ることになる。事実の観察者は事実を見て、そのどこに新しさを見出すかを探る能力を磨くことが、メディアの価値となる。

 

最初に「社会はこう動いている」、と考えたストーリーが仮説である。ところが、そのストーリーに心酔してしまうものは、仮説を仮説と思わなくなってしまうことがある。取材して実際に当事者に聞くことにより、仮説を検証するはずなのであるが、そのような場合でも仮説を曲げないメディアがいる、とある業界関係者がいた。そのメディアによって業界や企業が迷惑を被ることになる。仮説を修正しないのであれば、自説を述べているだけであり報道記事でも何でもない。

 

仮説と、分析した結果とが異なる場合に、よくある手は、自分の説に都合の良いデータや情報だけを集めることもある。こういった場合には、業界の専門家たちは記事の信ぴょう性を疑うことになる。「無理やりストーリーを作って自分の型のストーリーにはめ込んでしまう」と専門家が批判しているメディアがかつてあった。

 

ある編集者は、「インタビュー記事の8割は取材する前から作っておくものだ」と筆者に向かって語った。これこそが『ねつ造体質』に通じる。インタビュー記事が初めからある程度わかっていれば、記事としての意外性、驚き、感動などがなく、誰もが当たり前の出来の悪い記事になる。インタビューしてみて、その前とは全く違うことがわかれば、逆にそれこそがニュースの見出しとなるはずだ。上の例は、上から目線で見る編集者のおごりである。

 

メディアの役割は、事実を様々な角度から検討することで、大きな流れやストーリーを浮き彫りにし、読者に知らせることである。メディアの価値とは、当たり前のわかっていることではない。気がつかなかったこと、わからなかったこと、を伝えてくることにある。

 

メディアの中には、取材を十分しており、業界の一つのテーマをしっかり把握していると思い込んでいる人間もいる。こういったメディアが陥りやすい罠は、「思い込み」である。こうなるはず、という思い込みが事実をパスしてしまう。だから、真っ白な心が必要なのである。

 

集めた資料が十分かどうか、さまざまな角度からの検証・取材によって別の事実が浮き彫りになることもある。そして、相反する事実が出てきたときに、それをどう解釈し、事実の流れとどう結び付けていくか。このような場合こそ、更なる取材が必要なのである。見る角度を変え、時系列に並び替えたり、別の歴史の流れと組み合わせたり、取材結果を当てはめてみたり、さまざまな角度からの様々な情報を整理し分析した後で、切り口がやっと見つかる場合もある。このような場合こそ、価値の高い情報となりうる。

 

事実を事実として捉え、取材して検証するという基本を、朝日をはじめ、あらゆるメディアは再認識すべきである。

                                                         (2014/09/24

マスコミのルネサス報道はネガしか書かない

(2014年8月31日 22:46)

先週の828日、ルネサスエレクトロニクスは記者発表会を開いた。ルネサス本社の会議室には開催時刻の10分前に行ったのに、満員でテーブル席には座れなかった。私はそれまで通りの向こうの東京駅のスターバックスでコーヒーを飲みながら、仕事していた。たいていの記者会見、特に製品発表会では開催時刻のピッタリ行かなければ記者が揃わないことが多い。10分前では時には誰も来ていないこともある。今回の発表は新製品発表会であった。新製品発表会では多くても通常10~20人程度なのだが、今回は30~40人はいた。

 

ところが、である。日本経済新聞も日経産業新聞も扱いは小さく、他の一般紙となるとべた記事どころか、朝日新聞や毎日新聞は1行も書いていない。前日の早期退職の記事は記者会見ではなくプレスリリースを流しただけなのに、このネガティブな話題はちゃんと記事に掲載された。今回の発表は実は、ネガティブな内容はなく、極めてポジティブなしかも説得力のある新製品の話だ。

 

今回の製品は、ルネサスが初めて、世界の成長企業と同様に、グローバルなエコシステムを構築し、クルマメーカーやティア1メーカーに提案するというソリューション型の半導体システムLSIである。これまでの日本メーカーは自社製品をただ単に市場に出すだけだったが、世界のテクノロジー産業ではグローバルなエコシステムを作ってデザインし、さまざまな企業が協力し合って、システムLSIを作製している。今回のルネサスの製品は、LSIに焼き付けるソフトウエアのリアルタイムOSやミドルウエア、コンパイラやデバッガーなどを外国企業と組み、協力して作り込んだ。世界の勝ち組パターンと同じ方式を初めて採用したのである。日本の半導体がやっと浮上するやり方を採用したのにもかかわらず、新聞は報道しなかった。

 

これまでの日本の半導体メーカーは、メモリのようなコモディティ製品か、ASICのような客の言われるままに作る、ことしかやってこなかった。世界の半導体メーカーは、ユーザーの欲しがる半導体をユーザーとの話し合いの末に見つけると同時に、将来に渡って低コストで作るための拡張性、フレキシビリティなどを考慮した設計を行う。拡張性やフレキシビリティを入れるためにオープン仕様、標準化に力を入れてきた。

 

古い日本のやり方を真っ向から変えてきたのが今回のルネサスだ。自社が持っていない製品なら、その製品が強い企業のチップと組み、セットでユーザーが望むシステムをソリューションとして提案する。無理に自社開発せず、得意なところに集中することも勝ち組のセオリー。チップ単体ではなく、チップをフレキシブルに設定できるようにソフトウエアをうまく焼き込み、ユーザーが差別化するためのプログラム開発ツールも用意する。

 

今回の新製品をクルマに使うと、クルマを走らせながら視点を自由に設定してサラウンドビューを使える。従来のサラウンドビューだとクルマの真上から見たグラフィックスしか描けなかったが、真上だけではなく真上から垂直に60度くらい斜めの視点で水平360度から見ることが可能だ。斜め前や斜め後ろからのサラウンドビューが見られるのに加え、走行中でも横から人やバイクの飛び出しなどクルマの周囲360度に渡って常に見て、警告を鳴らすことができる。ここには画像合成、画像認識、視点変換、座標変換、グラフィックス描画などの作業をリアルタイムで同時にコンピュータ処理している。非常に賢く高度な半導体チップである。

 

ところが、マスコミはなぜ、このようなポジティブな話の記事を書かずにネガティブな記事しか載せないのだろうか。メディアの人間として非常に奇異に感じる。「人の不幸は蜜の味」ということわざがあるが、まさに不幸な点だけを取材して記事を作り、成功する話を書かないのは、偏見そのものではないだろうか。中立なメディアであれば、リストラの話題を書くと同時に、世界に勝てる戦略に基づいた製品の話も書くべきではないか。

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日本のマスコミが偏見に満ちたルネサスの記事を書くから、海外へ行くと世界中の記者から、「ルネサスは大丈夫なのか、今にも潰れそうに見えるけど」と言われるのだ。欧州と米国の記者に会えばいつも質問攻めにあわされる。マスコミはもっと中立な記事を書いてほしい。

                                (2014/08/31

ルネサス子会社とSynaptics社の会見、新聞の見出しに違和感

(2014年6月12日 23:26)

ルネサスエレクトロニクスが株式の55%を持つ純然たる子会社であるRSP(ルネサスエスピードライバ)社を、米国の中堅ファブレス半導体メーカーのSynapticsが買収するという記者会見を昨夕開いた。Synaptics社のCEO兼社長であるリック・バーグマン氏がRSP買収のいきさつについて語った会見であった。それが翌12日の日本経済新聞に掲載されると「ルネサス再建、見えぬ成長」という見出しの記事になり、これが今日の朝刊に掲載された。なんで?と思った。

 

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会見に出席したのは、Synaptics社側はCEOをはじめ合計3名、片やRSPは工藤郁夫社長ひとりだけ。記者からルネサスに関する質問が出ても、工藤社長は「ルネサス本体のことは言えない。本社が買収を決めたことだから」と答えるだけだった。そもそも612日朝刊の記事は、先月9日のルネサスの決算発表で作田久男会長が話したことと一歩も出ていない。昨日の会見から、なぜ「ルネサス再建、見えぬ成長」となるのか全くわからない。

(続く)

 

(2014/06/12)

日本は相変わらず井の中の蛙

(2014年4月10日 19:53)

日本のIT・半導体・エレクトロニクス業界が外国企業や経営層などの要人と付き合いが少なく、グローバルマインドからほど遠いことは、何度か指摘してきたが、取材記者も同様だ。「またしても日本人の存在感がない」と記者も負けずに「超ドメスティック」であることを以前、指摘した。残念ながら今でもその考えは、変わらない。

 

カリフォルニアのシリコンバレーに45日に来て毎日、テレビと新聞(USA Today)のニュースを見ているが、日本で大騒ぎしている小保方晴子さんの記者会見の模様などはこちらではほとんどニュースにならない。CNNは、マレーシア航空のゆくえを追いかけた特集を毎日流している。高校での銃による乱射事件がその間に流れる程度だ。日本と米国の関心事は大きく違う。

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小保方さんのテレビ会見のニュースを見ても、これでもか、これでもか、と執拗に質問攻めにしている。まるでいじめだというコメントを見た。これまでの流れを整理すると、(1)STAP細胞は存在すると主張し続けており、研究にかける情熱は非常に強い。(2)反面、論文を書くことにはあまり熱心ではない。要はこれだけではないか。論文がいい加減だったために全ていい加減と見るのは正しいことだろうか。

 

ごく一般論であるが、エンジニアや学者の世界では、研究熱心で常に俺が一番とか、俺の方がオリジナリティにあふれているなどを口走る一方で、一つの雑誌に投稿した原稿をそのまま別のメディアに投稿して平気な人間もいる。つまり著作権に関しては全く気にしないのである。数年前に、ある雑誌に投稿した原稿と全く同じ原稿を投稿してきた人間に対し書き直してくれ、と要求したら、俺は社会学者だからそのようなことはできない、と突っぱねられたことがある。もちろんボツにした。学者の世界では、著作権を気にするメディア側の常識が通用しない。メディアの世界では、別のメディアに書いた原稿を記者が書くなら、即クビである。逆に学者の世界では、別の人間に手柄を取られたくない、という意識が鮮明に強い。常にオリジナリティ、俺が最初、を主張する。

 

化学の世界では、限られた時間でさまざまな条件を振って実験するためにコンビナトリアルという手法がある。最近は新材料が出てきたためにこの手法を半導体プロセス開発に応用するという動きもある。生物化学・医学でもコンビナトリアルを使えるように技術を開発すればもっと簡単にSTAP細胞を生み出す条件を絞り込むことができる。理研ではこの手法を適用しようと工夫してきたのだろうか。

 

カリフォルニアのエンジェル(ベンチャーキャピタリスト)の話では、一度失敗した人に対しては出資する可能性は高いという。失敗したことで必ず何か教訓を得ているはずだからである。日本は、失敗するとずっと末代までダメと言われる。せっかく教訓を得ても何にもならない。今回、小保方さんは論文も研究と同様にしっかりとオリジナルな文章を書くべきことを教訓として得たはずだ。

 

やはり、放送を見た視聴者のコメントにあったが、日本から脱出して米国でSTAP細胞の研究をしてはどうか、という意見だった。少なくともカリフォルニアは一度の失敗には寛容である。日本は本当に井の中の蛙である。外国の記者と政治までも含めた話をすると、彼らは日本のことをほとんど知らない。名前だけ知っている尖閣諸島のことは、グリーンランドと比較して語られる。グリーンランドはデンマーク王国の所属であるが、多数の島がカナダとの国境に面するため、国境線上の島の領有権を巡って係争中だそうだ。最近、ここに資源があることがわかり、中国が領有権を主張し始めたそうだ。デンマークの記者からの話である。日本にいると、こういった話を聴くことができない。

 

アジアと欧州の記者が集まり、カリフォルニアの企業を訪問したり、小さなベンチャーにはホテルの会議室でプレゼンしてもらったりするEuroAsia 2014に来ている日本人は、残念ながら私と、電子ジャーナルのコレスポンデントである服部毅さんの二人しか来ていない。シリコンバレーの企業には他のメディアはリーチできていないことになる。ちなみにアジアの記者は、台湾、中国、韓国と日本、欧州はイタリア、デンマーク、ドイツ、英国などであり、英国以外の記者は英語を母国語としないため、時々もっとゆっくり話してくれということもある。

 

やはり現地で話を聞くと、十分な説得力があり、なおかついろいろな資料をいただける上に質問にもとことん答えてもらえる。極めて効率が良い。理解も深まる。もちろん、知り合いの記者も多いが、新しい記者とも知り合える。最近のサムスンやTSMCGlobalFoundriesなどの動きについても情報交換する。東芝の研究データを盗んだ産業スパイのことを台湾人以外は知らなかった。どうしたら日本は井の中の蛙から抜け出せるのだろうか。もう私にはわからない。

2014/04/10

チョコレートは欧州では欠かせない、Mobile World Congressから

(2014年1月 9日 23:10)

International CESのニュースがテレビや新聞から伝えられてくるが、ITライターからの記事はソニー、パナソニックなど日本企業の話が多すぎる。一昨年初めてCESに行ったときは、むしろ海外企業の展示物や発表もの、講演の方が目についた。それも面白いもの(ガゼット)が多い。2年前にイタリアのI'm Watch社は、腕時計型のウエアラブル端末を発表したが(1)、日本のメディアはどこも採り上げなかった。富士重工のスバルに搭載された衝突防止機能(アイサイト)を安価に実現するためのソフトウエアも出ていたし、クルマの窓に半透明な情報表示もでもされていた。しかし日本のITライターが取り上げる記事は日本企業の話ばかり。

 

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図1 I'm Watch社のウエアラブル端末(2年前)

今年はCESに行かなかったために、日本のメディアだけではなく、海外メディアのレポートも読まなくては世界の動きについていけなくなる。せっかくラスベガスまで行っているのに、日本のメディアはなぜ、日本企業しか報道しないのか。もったいない。

 

昨年のCESでは4K8Kが大きな話題となっていると日本のメディアが報じたのに対して、海外のレポートを読むと、ファブレット(Phablet)が登場し、スマートフォンとタブレットは画面サイズだけでシームレスにつながったことが伝えられている。

 

講演も面白い。CESではないが、昨年、スペインのバルセロナで開かれたMWCMobile World Congress)の基調講演では、日本にいては絶対に入ってこない情報まで入手できた。MWCのニュースはいつもスマホやタブレットなどの端末がニュースとして日本のメディアから伝えられるが、もともとMWCは、NTTドコモやソフトバンク、KDDIのような通信業者(キャリア)のためのトレードショーであるから、主催者もモバイル端末のことは中心の話題にはしない。

 

さて、絶対に入ってこない情報とは、ヨーロッパの人たちがいかにチョコレートが好きなのかがよくわかるエピソードだった。ボーダフォンのCEOであり、イタリア人であるVittolio Colao(2)の基調講演で、スマホやタブレットなどのモバイル端末がいまだに全盛でとても衰えない様子を表して、「皆さんはモバイルに飽きましたかね?」と投げかけると、聴衆が首を横に振っている姿を見て、「モバイルは酒やたばこ、チョコレート、セックスと同じで、みんなまだ飽きないようだね」と冗談を言い、「人生においてモバイルはこれからももっと進展する」と本題に入った。

 

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図2 ボーダフォンCEOのVittolio Colao

この問いかけの中でチョコレートが人生の楽しみの一つとして入っている。日本では考えられない。ヨーロッパ人にとって(アメリカ人もだが)、チョコレートは毎日揃えて用意している食べ物のようだ。決して切らすことはない。彼の講演の中から、こういったエピソードまでわかるのだ。もちろん、念のためスーパーマーケットでチョコレートを買いに来ている普通のおばさんにそのことを確認したが。

 

基調講演のモデレータを務めたのは、主催団体GSMADirector Generalを務める女性のAnne Bouverotさん(3)。彼女は講演が全て終わるとパネルディスカッション形式で、Q&Aを行い、理解を深めた。先ほどのボーダフォンCEOColao氏への質問に対して「先ほどモバイルは、酒やたばこ、チョコレートと同じでまだ飽きていない、とおっしゃったけど、」という切り返しで、セックスという言葉を見事に外した。

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図3 GSMA Director GeneralのAnne Bouverotさん

こういったやり取りは現地で見て聞かないとわからない。日本企業の取材だけでは、こういった機微は全く伝わってこない。CESでも基調講演は、極めて面白く、日本企業のプレゼンと、クアルコムあるいは台湾企業のプレゼンの違いなども明確に表れてくる。CESMWCに行くのなら、現地の企業や講演についても取材してもらいたいと思う。

2014/01/09

インターネット時代のジャーナリストのあり方

(2013年7月27日 09:33)

参議院選挙が終わり、与野党ともツイッターやフェイスブックなどのSNSを利用して情報を発信し始めた。民主党は惨敗し、細野豪志幹事長が自身のツイッターで辞意を表明した。このことを表して、「細野幹事長ツイッターで辞意表明 大手マスコミ赤っ恥、それって有り?」というタイトルでマスコミの不満を表したメディアが出てきた。

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 ある記者会見でのフォトセッション


要は、政治家の発言はこれまでマスコミと言われるメディアが伝えてきた。記者クラブというお抱えの特権クラブしかり、○○番と呼ばれるぶら下がり記者しかりである。しかし、上記のメディアは、政治家が直接、国民に向けてつぶやく、情報を発信する、などのことにより、マスコミの仕事を奪われると感じたようだ。無理やり、「国民よりもフォロワー優先でいいのか」という小見出しであたかもけしからんというような論調でITジャーナリストのコメントを加え記事を結んでいるが、これはジャーナリストの横暴ではないか。政治家の言論の自由を奪うことになっている。同じことが芸能記者にも言える。芸能人は直接自分のブログで、情報を公開するようになったからだ。

 

政治家や芸能人がブログやツイッターなどで発信する自由を奪う権利はマスコミやジャーナリストにはないはずだ。だったら、ジャーナリストはどうやって、彼らとは違う内容の記事を書くか、もっと頭を使うべきである。独自の視点のニュースなり特集なり、切り口と内容をじっくり考えて構成すべきである。

 

雑誌や新聞などの媒体では、これまでジャーナリストだけが記事を書くことができた、特別な寄稿記事以外は。ところがインターネットが媒体となってきた以上、ジャーナリストはこれまでのやり方を考え直す必要がある。「○○が××をリリースした」というような情報は、もはや要らない。ネット上のプレスリリースを見れば済むからだ。読者は、そのようなリリース情報は望んでいない。

 

しかも、ブログという手段が市民権を得てきた以上、非ジャーナリストが自由にどんどん情報を発信できるようになってきた。こうなると、ジャーナリストは非ジャーナリストの情報とは違う視点で情報を発信しなければならなくなってきたのである。私のようなB2B技術分野でも、インターネットで企業が自分で情報を発信できるようになると、プレスリリースを誰でも見ることができるようになった。ジャーナリストはプレスリリースを見て記事を書くだけでは、読者を満足させることができなくなったのである。

 

では、読者はジャーナリストに何を求めるのか、ジャーナリストが自ら読者に聞き出すしかない。サプライヤがカスタマにヒアリングしたり、マーケティング調査したりして何を望んでいるのかを調べることと同じことがジャーナリストにも求められている。この答えを持たなければ、ジャーナリストは役割を終える。

 

マイクロエレクトロニクス/ナノエレクトロニクス産業を追いかけている記者には、読者にこまめに聞いているジャーナリストがいる。さまざまなセミナーに出て、休憩時間に取材するとか、本音を聞き出す努力をする。もちろん、記者会見でさえ、そこからの情報だけで記事を書くことはしない。ある事件なり事実なりの裏側、流れ、企業の戦略なりを捉えることが読者のニーズを満足させることになるのである。

 

ある意味で、これまでの単なる「報道」ではなく、書き手の「考え」も打ち出すことが求められているのである。現実に、B2B技術ジャーナリストは、産業界から「君の意見も書いてくれ」と言われる。「ジャーナリストは世界中のいろいろな企業や大学などを取材しているのだから、総合的に見ることのできる目を持っているからだ」と言われた。

 

従来、ジャーナリストの役割は、「報道」だけだった。かつて筑紫哲也氏は、ニュースキャスターとして報道に徹する役割とは別に「多事争論」というコラムを持ち自分の意見を述べていた。つまり、「報道」と「意見」を分けて情報を発信していた。インターネット媒体では、もはや報道だけでは読者は満足しなくなったのである。ほかの企業や取材をすることで多面的に事件を見ることができ、ほかの事件と比較したり、あるいは別の面からの切り口で記事を構成したりすることができる。

 

だから産業界の本音を取材しようと努める。しかし、本音を言った本人に対して、「○○の××氏が~~と言った」というように書くことはできない。本音を言った人に迷惑がかかる恐れがあるからだ。その人が首になったり会社にいられなくなったりしたらまずい。「大手メーカーのあるエンジニアは~~だと語る」と書くことは構わない。影響力を考えながら、彼らの代理人としての「意見」をジャーナリストが書くこともできるのである。こうすると、記事に深みが出るだけではなく、真実を追求することになる。

 

例えば、国家プロジェクトの多くは失敗だという評価を産業界は本音で語るが、マスコミは大成功を収めたと書くことが多い。しかし、これでは為政者は国家の方向、方針を間違ってしまう。失敗が事実であるのなら、事実を書くことがジャーナリストであろう。ジャーナリストが求めるものはあくまでも真実である。ねつ造や無理に言わせて「こう言った」と書くことは事実から遠ざかる。産業界の本音を伝えることこそ、B2Bメディアの役割だと私は信じている。

(2013/07/27)

米国最後の半導体雑誌SSTが新興オンラインメディアに買収された

(2013年6月13日 21:58)

半導体技術の米国最後の雑誌であったSolid State Technologyが身売りすることになった。通称SSTは、3~4年前に休刊になったSemiconductor Internationalの良きライバルとして米国の半導体産業と共に歩んできた。

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 ライバル誌だったSemiconductor International

ただ、今回の買収劇は急すぎて、いったいどうなっているのかまだはっきりしない。確かなことは、SSTの編集長であるPete Singer氏も一緒にExtension Mediaに行ってしまったことだ。SSTのホームページを見ると、また従来のPennwellから発行されていることになっている。たった今、Peteにメールで問い合わせたところなので、いずれ明らかになるだろう。

 

買収したExtension Mediaは、CMPMiller Freemanという古い出版社にいた人たちが設立した新興出版社である。半導体チップ設計、組み込みシステム、ソフトウエア、IPなど、いわゆるエレクトロニクス・半導体・ITを主とする出版社だ。ここが発行しているChip Designは独立性の高いメディアだが、たくさんのカスタムパブリッシングで稼いでいる出版社でもある。

 

日本でもB2Bメディアの雄であった日経BP社の勢いが以前ほどではなくなった。昔のような完全独立の出版社はもはやB2Bメディアでは成り立たないのかもしれない。特に紙媒体は数年前から次々と休刊していった。私がリードで立ち上げたSemiconductor International日本版、日経マグロウヒルで立ち上げた日経マイクロデバイス、Nikkei Electronics Asia(英文媒体)は休刊した。工業調査会の電子材料、日刊工業新聞の電子技術、EDN JapanEE Times Japanなどの紙媒体も次々と姿を消した。

 

今生き残っている紙媒体も青息吐息状態だと聞く。IT Mediaが健闘しているとはいえ、オンラインも含めた出版社が快走しているという話は聞かない。半導体関係では今は電子ジャーナルと半導体産業新聞しか紙媒体は残っていない。いずれも快調という訳ではない。何とか生き残っているという状態だ。

 

ではインターネット媒体は快調か。残念ながら昔と同じビジネスモデルでは難しい。単なるバナー広告だけのビジネスモデルや有料のB2Bメディアを運営することはかなりしんどくなっている。インターネットのコンテンツの多くが無料で読めるということとも相まって、有料にするととたんに読者がぐっと減る。米国のNew York Timesでさえも、有料にしたり無料にしたり、試行錯誤を重ねている。

 

一般メディアと同様、専門メディアでも、編集の独立性は担保されていなければメディアとしての価値を生まないことに変わりはない。このため、独立性を確保しながら、いかにして収益を上げるか、が大きな課題となっている。

 

Extension Media の試みは、新しいB2Bメディアのビジネスモデルなのかもしれない。彼らは、独立性のある中立メディアを発行しながら、カスタムパブリッシングメディアもたくさん持っている。すなわち、収益はカスタムパブリッシングで得て、媒体コンテンツの持つ価値は中立メディアで生む、という仕掛けなのかもしれない。もちろん、彼らが本当に成功しているのかどうかはまだわからない。しかし、従来とは違ったビジネスモデルで収益を稼いでいることは間違いない。

 

Extension Mediaが発行しているChip DesignJohn Byler編集長もまた知り合いであるし、Chip Design とコラボしているSemiconductor Design & ManufacturingEd Sperling編集長も友達だ。新しいB2Bメディアビジネスはどうあるべきなのか、10月にまたシリコンバレーに行くので、詳しく聞いてみようと思う。

2013/06/13

メディアの役割は言うまでもなく社会と社会、人と人をつなぐこと

(2013年4月 3日 23:08)

メディアの一員として、私のミッションはIT/エレクトロニクス産業を活性にすることである。ウェブでの情報発信だけではなく、セミナーなどにおいても産業界の中で知らない人たちをつなぐという役割も持つ。メディア=媒体とは、社会と社会、人と人、業界と業界などをつなぐためのツールである。

 

今、フリーランスの技術ジャーナリストとして情報発信という執筆だけではなく、セミナーを開催したり、プログラムを作るという仕事もしている。セミナーのプログラムの中に1本のストーリーが流れており、そのストーリーを個々の講演にブレークダウンして形作るという作業は、取材を元に特集など、ストーリーを組み立てて行く作業とよく似ている。

 

セミナーを開催する上で、最も失望するのは質問が全く出ない時である。貴重な時間を使って聞いているのになぜ質問をしないのだろうかといつも疑問に感じている。米国ならセミナーやプレゼンでは質問が多い。どうやら日本人の特質のようだ。セミナーのモデレータをする場合は、質問が出ない場合にはこちらから講師に質問するが、できるだけ会場からの質問を誘発するようなことを講師に質問することを心がけている。

 

また、参加者同士で名刺交換をしてくださいと叫ぶが、なかなかそうしてもらえない。もちろん自分でも名刺交換するが、誘発するまでには至らないことが多い。

 

数ヵ月前、セミコンポータルというメディアで、セミナーではなくワークショップ形式でディスカッションの場を開いた。できるだけ多くの方が発言できるようにテーマを広げると会場からの発言が始まり、20代、30代の若手にも発言を求めると、全ての年代の方が発言するという広がりを見せた。しかも会場の席を工夫すると、名刺交換が自然発生的に始まった。参加者同士の交流が始まったのである。

 

このワークショップはいろいろな方が自由に発言して議論を深めて行くことが目的だ。そして最終的には自分の所属する企業が発展するためのアイデアを生んでほしいと願う。成長するためには、まずアイデアから始まり、そのアイデアをみんなが共有できるように設計し、設計図に基づいてハードウエアあるいはソフトウエアを作っていく。出発点となるアイデアがなければ何も始まらない。

 

そのアイデアを提供するのが、セミナーでありワークショップである。ワークショップの基本はインフォーマルであり、内容は広く公開しない。しかし、参加者同士で新しいパートナーシップを構築したり、そのきっかけになったり、これからの仕事上でのエコシステム(生態系)を構築するための第一歩となったりすればよい。

 

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時期は迫っているが45日の18時からまたワークショップを開催する。テーマは、「半導体産業のゆくえ2Mobile World Congressレポート」である。MWCの取材から、今世界のIT・エレクトロニクス企業が成長していくために何をやっているのか、どういう考えでテーマを定め研究開発しているのか、MWCを取材してみてよくわかった。それを皆さんにお伝えして、ではどうやって自分の会社でそれを生かすか、を考えてほしいのである。日本の企業みんなが、それぞれで考え、それぞれの方向づけをすれば力になっていく。その申込は以下のURLから;

https://www.semiconportal.com/spiforum/1304/

 

日本には大田区や東大阪地区のような素晴らしいサポーティング産業が存在する。大学や研究所の人が、特殊な試験管や部品を作ってほしいと依頼すればたちどころに作ってくれる。こんなものづくり環境の整った国は世界中を探してもまずない。日本にやってくる外資系企業に聞くと日本のサプライチェーンや市場に期待することが極めて多い。

 

なのにもかかわらず、例えば休日のテレビの「報道番組」はやたらと暗い。必要以上に暗い。自虐的といえるほど暗い。本来の日本市場の持つポテンシャルよりもはるかに暗い。実際の業績以上に悲観的に見過ぎていないだろうか。もっと外国に目を向け、もっと客観的に日本を見てみる訓練をすべきだ。

 

幸いアベノミクスというフィロソフィが出てきて、明るさが見え始めた。しかし、まだ餅の絵を書いただけである。結果を出して、本物の餅にするためには実行あるのみ。そのためには、暗く見るのではなく、問題を突破するためのソリューションを、アイデアをどんどん出そう。そして片っ端から実行していこう。ダメで元々という考え方が大事だ。成功するまで続けて行けばよい。5日のワークショップでは、MWCから見えてきた、アイデアを出すための考え方を紹介する。

2013/04/03