とと姉ちゃんに見るジャーナリズムの原点

(2016年9月21日 22:57)

 101日に最終回を迎える朝の連続ドラマ「とと姉ちゃん」は、雑誌「暮らしの手帳」出版の社長であった大橋鎭子さんをモデルにした物語である。暮らしの手帳は、名物編集長の花森安治氏との名コンビで発行されていた。一般家庭のどこにでもあり、暮らしの役に立つ雑誌だった。

  一方で、暮らしの手帳は、広告を入れずに購読料だけで運営していた。とても素晴らしい。雑誌ビジネスでは広告を入れることが常識で、その中で中立性をどのように保つか、ということにいつも腐心している。日経マグロウヒル(現在の日経BP)は、B2Bのビジネス雑誌を扱う出版社であり、そのノウハウは米国のマグロウヒル社からきていた。ジャーナリズムの中立性は時には広告と相反することがある。この場合、編集者は結局、ジャーナリズムを理解していただく以外になかった。それだけに暮らしの手帳は、ジャーナリズムの原点ともいえる中立性を厳しくこだわっていた。私が参加していた当時の日経エレクトロニクスの島津和雄編集長(故人)は、日経新聞出身者で、暮らしの手帳を褒めていて、あのような雑誌ができないものかと、いつも思案されていたことを思い出す。

  ドラマの場面でも出てきたが、暮らしの手帳は洗濯機などの電化製品のテストを社内の実験室で行っていた。広告を入れると中立性を保つことが難しいからだ、とその姿勢を貫いた。エレクトロニクスでは、雑誌社が半導体や部品のテストをすることは極めて難しい。オシロスコープやスペクトルアナライザ、信号源、DMM、ネットワークアナライザなど測定器を買いそろえ、かつトランジスタなどのDUT(被試験デバイス)に印加する電圧レギュレータもそろえる必要があり、とても一つの雑誌社で賄えるものではなかった。測定器は今や100万円単位のものから精度が高ければ1000万円を下らない。雑誌社が商品テストを行うには無理があった。

  それでも中立・公正な記事を提供することは、ジャーナリストとしての基本である。昔は、商品カタログに札束が入っていたことがあったと聞いた。日経マグロウヒル時代、ある企業から5000円のオレンジカードという一種の商品券がカタログの裏に入っていたことがあった。資料を受け取ったときは気が付かず、そのまま社に持ち帰ったが、さすがにそれは返却した。しかし、その企業からは二度と新製品情報が来なくなった。

  どこからも圧力を受けずに記事を貫きたいと思っても、エレクトロニクス・半導体の世界では、書いた記事を発行する前に見せてほしい、という要求を受けることがある。しかし、これはお断りする。検閲に相当するからだ。スポンサーなり取材先なり、意図したことがたとえ違っているとしても、それはそのメディアの捉え方であり、実力でもある。それについて干渉されるのであれば取材しなければよい。

  ただし、自分で書き間違えたと気付いた場合は訂正する。要は、事実とは違う場合には訂正を出すが、取材の相手が語ったことが事実ではなかった場合には訂正ではなく、「申し出」という形で記事を修正する。ワシントンポストやニューヨークタイムズのような海外媒体でも同じである。訂正に相当する「Correction」と、申し出に相当する「Clarification」とははっきり区別する。

  どのような場合でも書いた記事を事前に見せろという注文には応じないのであるが、エレクトロニクス業界では、このような要求は絶えない。それでも辛抱強く、理解してもらう努力は続ける。近いうちにまた英国に取材に行くためのアポを取ったが、事前に記事を見せてもらえるかどうかを聞いてきた。それは丁寧にお断りし理解を求めた。結局、取材を受けてくれた。

  ジャーナリズムの原点は、起きている事実を伝えることである。かつては意見を載せてはいけないと言われた。インターネットが身近になるまでは、報道に徹した。読者は、記者の意見など聞きたくもない、と思っていたからだ。事実を事実として淡々と伝えることが重要である。それが良いか悪いかは読者が判断することだから。ジャーナリズムは伝えること、報道することが主要な仕事であった。

  しかし、取材しているうちに、インターネットで誰でも情報を発信でき、情報が溢れる時代になると、逆に「あなたの意見を述べてほしい」と言われるようになった。○○社がXXを開発した、という新製品・新技術情報ならニュースリリースや他の媒体で手に入るからだ。ジャーナリストの故筑紫哲也氏は、TBSのニュース番組でキャスターとして事実を伝えるだけの仕事と、自分の意見を述べる「多事争論」を区別していた。

  インターネット時代には、企業側はニュースリリースだけではなく、ブログという手段で情報を流す。海外媒体のブログは、日本のブログとは全く違い、何を食べたなどの情報は一切流さない。あたかも中立性を装うかのような記事風のストーリーで事実を述べている。だからこそ、ジャーナリスト側も様々な角度から事件を取材、検証し、正しい真実の姿を追求していく。ある角度から見ると、ニュース価値のある視点が生まれるときは、何かを発見したかのようにうれしくなる。「暮らしの手帳」ほどの中立性は保てないだろうが、できるだけそれに近づける努力はしていかなければならない。

  広告を出す側の人たちと話をしても彼らもメディアには中立性を求める。自分の企業に都合の良い記事はむしろ歓迎されない。他の企業に対しても同じことをしているのだろうという疑念を持たせてしまうからだ。現実に広告と記事を混同させて没落した雑誌やメディアは数えきれないほどある。だからこそ、中立性を保ち、かつ「評価」を加えることが事実を読みやすい物語として伝えることになる。

  数多くの取材をしていれば、評価としての意見を求められることが多いが、ジャーナリストの基礎となるものは豊富な取材である。勝手な思いこみは真実から見ると害になる。思い込みが事実と違っていれば、こちらが事実に合わせて新しい視点を見出さなければならない。この発見こそ、ジャーナリズムの神髄である。誘導質問などもってのほか。事実からますます離れてしまうからだ。とと姉ちゃんのドラマの中で、商品の公開試験を取材したことにより、暮らしの手帳の本質に迫った新聞記者がいたが、それはジャーナリストの好例といえる。

(2016/09/21)

   

インターシル買収は高くない

(2016年9月13日 22:31)

ルネサスエレクトロニクスが米国のアナログ半導体のインターシルを約32億ドルで買収することで合意した。マイコンと相性の良い製品は実はアナログ半導体。マイコンに強いルネサスがアナログのインターシルを買ったことは、make sense(意味のあること)である。

8月下旬に日本経済新聞がリークの特ダネで、このことを報道し、私もコメントしたが(参考資料1)、半導体業界の方でさえ、高い買い物と評価するものもいた。証券アナリストの中にも高いと評するものが多く、記者会見の席上でも正当化できるのか、という質問が出た。できると答えたが、残念ながらその場には呉文精CEO(1)と柴田CFOしか出席しておらず、技術的に記者を納得させることはできなかった。

 

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1 ルネサスCEOの呉文精氏

 

しかし、その答えは極めて簡単。ほとんどのマイコンに付属するのがアナログICだから、マイコンとアナログは絶妙なコンビなのである(参考資料2,参考資料3)。この二つを持っていれば、セットで製品を売ることができ、しかも顧客のシステムに差別化技術を盛り込むことができる。マイコンの差別化はソフトウエアで、アナログの差別化はアナログの性能・機能・ユーザーエクスペリエンスで、行うことができる(2)

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2 IoTデバイスの基本例 黄色い回路ブロックは全てアナログ デジタルはマイコンだけ

 

 図2の回路ブロックは、IoTデバイスを例に挙げている。温度や加速度、回転、磁気、圧力、映像、光などさまざまなセンサから電気信号になって回路に入ってくるとセンサハブを通りデジタルの形でマイコンに入る。マイコンでセンサ信号の意味のあるものを読み取り制御する。その出力を送信回路から無線で飛ばす。回路全体を動かす電源がパワーマネジメントである。ここではマイコン以外は全てアナログ回路となる。アナログ回路では、性能を上げたり、機能を追加したり、ユーザーエクスペリエンスを充実させたり、あるいはパワーマネジメントの効率を上げたりするなど、独自の技術を織り込む余地がある。ここは微細化ではなく知恵をいかに織り込むかが決め手となる。

アナログ回路は、日本の半導体メーカーは米国のアナログ専業メーカーと比べ、その技術レベルは残念ながら低い。アナログデバイセズやリニアテクノロジー、マキシムインテグレーテッドなどの企業はそれぞれ特徴があり、しかも独自の回路を設計し、顧客に価値を認めさせている。だからこそ、製品単価はそれほど安くない。価格交渉でも下げない。価値を顧客に認めさせる営業を行っているから、相手は納得してしまう。彼らのチップを使わなければ、システムコストはもっと上がってしまうからだ。

新しい高性能・高機能アナログ半導体ICはほぼ100%米国からくる。日本からはほとんど出て来ない。最近の例では、例えば電気自動車のバッテリ管理ICがある。クルマのバッテリは直列接続することによって200V~300Vまで昇圧する。つながった各セルは、当初は特性が合っていても何度も充放電を繰り返す内にセルごとにばらつきが出てくる。ある時間、充電すると、一つのセルは充電されても別のセルはまだ充電させていない事態が出てくる。そのような場合は充電をやめるか、充電されたセルだけ充電を止めることをしなければ、過充電になると火を噴く恐れがある。このため、満充電にならないように、各セルの充電の割合を管理し揃える必要があり、そのためのバッテリ管理ICをリニアテクノロジーが最初に世に出した。日本のメーカーは、これを後追いするだけだった。

かつてリニアテクノロジーのボブ・スワンソン会長にインタビューしたことがある。日本にはアナログエンジニアが少なくて困っているが、アメリカではどうしているのか、と聞いた。「いや、アメリカでも同様な事情だよ。だからこそ、優秀なアナログエンジニアを見つけたら、何としても採用する。もし彼/彼女が本社のあるシリコンバレーに来たくないと言ったなら、彼らの住んでいる場所をリニアテクノロジーのデザインセンターにする」と答えている。

日本のメーカーは優秀なアナログエンジニアの採用には必ず人事部が決定権を持ち、技術部長や研究部長の裁量が効かない、という難点がある。しかももっと悪いことに、アナログエンジニアを養成するための大学での教育ができていない。日本の大学の先生でアナログを教えることのできる人たちは両手で数えられるほどしかいない。エンジニアを20年やらないと独自設計できる実力がつかないと言われるアナログ半導体エンジニアを日本のメーカーが独自に養成することを考えると、インターシルの買い物が高いとは言えないだろう。

                             (2016/09/13

 

参考資料

1.    ルネサスのIntersil買収が事実なら妥当(2016/08/23

2.    半導体の基礎知識(1)――マイコンとアナログはどう関係するの?(2013/10/15

3.    半導体の基礎知識(2)――デジタルとアナログの使い分け(2014/01/14

   

透明になってきた国支援の研究

(2016年9月12日 23:16)

 東京都の築地市場移転でのさまざまな不透明な問題点や、2020年東京オリンピックでの不透明な点が明らかになる一方、科学技術への投資は極めて透明になってきた。文部科学省の傘下に科学技術振興機構(JST)がある。このミッションは、科学技術イノベーションの創出を支援することであり、JSTがさまざまなテーマに資金を提供する仕組みがある。そ一つ、CRESTというチーム型の研究プロジェクトを評価する領域アドバイザを拝命して3年になるが、このテーマの決め方や評価の仕方は実に透明である。

  私は、CRESTのテーマの一つ「素材・デバイス・システム融合による革新的ナノエレクトロニクスの創成」の領域アドバイザを拝命させていただいている。このテーマに沿った研究プロジェクトは公募から始まって、領域アドバイザ全員で手分けしながら公募された研究テーマを10テーマ程度に絞っていく。この最初の段階で、応募された研究と係わりのある領域アドバイザは外されるため、利害関係の全くないアドバイザが大学や研究機関からの研究テーマを評価・選択する。その後、選ばれた10程度のテーマに関してプレゼンテーションを聴く。ここでも利害関係のあるものは、席を外すほか、コメントは述べられず、オブザーバとして見ているだけになる。 

 この段階では、「本当にこれでトランジスタが動くのか」、「回路は動くのか」、「素材は加工できるのか」、など様々な疑問をぶつけ、そのメカニズムが納得いくものか、その証明はされているか、など喧々諤々(けんけんがくがく)いろいろ突っ込んでいく。今、人工知能(AI)で話題となっているニューラルネットワークに関する研究もあり、それを実用化するまでのストーリーも時には求める。世の中のメガトレンドとも比べていく。

  いわゆる「ナノエレ」のCRESTプロジェクトでは、素材やプロセスと、デバイス、回路とシステムといったそれぞれのレイヤーの研究者を混ぜて開発していくことが求められており、一人だけで研究しているプロジェクトは対象外である。材料からシステムまでを融合して実用化までのメドを念頭に入れている点が、文科省といえども社会の役に立つことを意識した研究となっている。世の中の大きなメガトレンドや社会からの要請を無視した独りよがりの研究では決してない。

  そして、選ばれた研究プロジェクトに関しては、評価も行う。初期に補助金を与えるだけではない。プロジェクトをどのように進め、どこまで進んでいるかをチェックし、不足しているテーマや問題はないか、共同チームとのディスカッションは進んでいるか、など成功するためのさまざまな進行評価を行う。これは、税金を投下したからには、何としても成功させたい、という意思がわれわれ領域アドバイザ側にもあるからだ。

  かつて、文科省が大学発ベンチャーを育てるために数億円の補助金を出したものの、企業活動せず(売上ゼロのまま)、外車を乗り回しているだけの若い企業経営者を、あるメディアが紹介していたが、この時の反省があったのかもしれない。少なくともCRESTでは、資金を透明にするだけではなく、プロジェクトを成功させるための「知恵」の支援も行っているのである。このやり方は、研究に限らず、ほかのプロジェクトでも使えるはずだ。かつて、英国政府を取材した時、政府の補助金プロジェクト(ベンチャーを支援)には、必ず監査というか評価する委員(企業の取締役/監査役のような存在)が付き、適切なアドバイスをそのベンチャーに行っている(参考資料1)

  日本ではベンチャー企業が育ちにくい。資金提供のソースが少なく、エンジェルはほとんどいない。利ザヤを稼ぐファンドは大勢いても、産業創成の役には立たない。だからこそ、大きく成長する可能性を秘めたプロジェクトにCRESTのような仕組みは産業力アップに貢献するだろうと期待している。米国シリコンバレーや半導体産業の活発さと比べ、日本での停滞からの脱却には、ベンチャーを育てていくことはとても重要である。

  かつての英国は、プレッシー、マルコーニ、インモスといった大手半導体企業がいたが、やがて消滅し、代わってARMImagination TechnologiesCSRWolfsonIceraなどのベンチャーが育っている。有望な企業は買収されてしまっているが、それでも活躍の場は変わらない。例えばCSRQualcommに買収されたが、ケンブリッジの開発拠点は変わらない。ARMもソフトバンクに買収されたがケンブリッジの拠点は残すと、ソフトバンクは表明している。日本の大手半導体を官製ファンドが支援するのではなく、まったく新しいベンチャーが登場できるような仕組みを作る方が復活の早道かもしれない。

  CRESTの「素材・デバイス・システム融合による革新的ナノエレクトロニクスの創成」プロジェクトから次世代半導体・ナノテクノロジーを担うベンチャーが誕生してくれることを願ってやまない。

 

参考資料

1.    津田建二「欧州ファブレス半導体産業の真実」、日刊工業新聞社刊

 

   

買収後のARMはフリーのCPUコアに勝てるか

(2016年9月 6日 20:56)

ソフトバンクによるARM買収が完了した。買収金額は240億ポンド、日本円にして3.3兆円に相当する。ARMは約1000億円の売り上げの会社である。それを3.3兆円という金額で買収した訳だが、その勝算は果たしてあるのだろうか。もう一度、整理してみる。

  ARMのプロセッサコアはこれまではIoT端末のマイコンに多数入り込むと見られており、手放しでARMを買収すれば500億個のIoTデバイスに使われると単純計算している関係者もいた。しかし、この500億個という数字のいい加減さは、これを当初IoT市場を予想していたシスコやエリクソンといった通信機器メーカーが下方修正してきている、という事実を取るだけでもわかる。2009年頃に示した500億個という数字は2014年には早くも260~280億個という数字に代わった。下方修正した理由を問うと、下方修正ではなく現実に即した数字に修正した、とのことであった。つまり500億個という数字を発表した2009年頃は、構想をぶち上げるためのホラが混じっていたという訳だ。だからこそ、この500億個という数字は使えない。

  一方、センサ開発者グループは1兆個(トリリオン)とぶち上げた。これもバブル的と見る向きが増えている。このため、1兆個のセンサが使われる、という数字を本気で使う人は少なくなっている。

  しかも、エリクソンの2021年に280億個という数字には、インターネットにつながるモノ全て、と定義しており(1)、固定電話から携帯電話、パソコン、サーバー、全てのコンピュータまでインターネットにつながるモノ全て、としている。となると2015年時点ですでにIoTデバイスは150億個あり、これが2021年には280億個、すなわち2倍弱しか増えない計算になる。

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1 インターネットにつながるデバイスの台数予測 出典:Ericsson

  IoTはバブルという見方が最近、強まっている。IoTはあらゆる分野、社会に入り込むことは確実だが、だからといってそれぞれの数量が増える訳ではない。ここを見誤るとIoTバブルになる。IoTは農業や鉱業、工業、橋梁やトンネルなどの社会インフラなど、これまで使われなかったところに使われて行くことは間違いない。しかし、それらの数量は少ない。しかも、それぞれ仕様が異なるため、超少量多品種の製品となる。IoTシステムの詳細は参考資料1を見ていただくことにして、IoTシステムはハードウエアだけでは進まない。ソフトウエアとサービスを含むデータに価値があるビジネスだからだ。

  ハードウエアメーカーにとって最大の壁は、これをいかに低コストで作るか、である。超少量多品種製品を低コストで設計・製造する技術が求められ、しかもシステムとしてのデータという価値を生むために必要なソフトウエアとサービスをハードウエアと一緒に提供しなければならない。とても1社では作れない。だからこそエコシステムがマストになる。

  ここでソフトバンクによるARMの買収を考えてみよう。ARMの最大の特長、メリットはソフト開発や製造・設計、それらのツール開発などARMのプロセッサコアに協力してくれる企業が2000社以上もいることだ。彼らがARMという半導体メーカーに属さない中立的な立場にあるIPベンダーのためにソフトウエアを書いたり、自らの差別化するシステムを作り込んだりしていく。

  つまり、ARMは誰からも愛される存在であり、仲間が多い。それをソフトバンクという通信業者が傘下に収めるということは、仲間がARMを見る目が違ってくるという意味である。これまでKDDINTT向けに半導体やシステムを開発してきた企業は、喜んでソフトバンク向けに開発するだろうか。顧客が増えることは誰しも喜ぶが、自分の重要な客とバッティングする客まで取ることに躊躇なく行えるだろうか。

  ARMビジネスで最も重要な点は中立性である。だからこそ、ARMはソフトバンクに中立性を継続することを求めた。思い出してほしい。4~5年前、スティーブ・ジョブズがまだ生きていた頃シリコンバレーで、AppleARMを買収するという噂が流れた。Apple ARMを買えば、ARMはもうお終いになる、という観測が流れた。中立性が保たれないからだ。ARMはそれまでAppleにもQualcommにもGoogleにもプロセッサコアを提供してきた。それがAppleしか売らなくなることでビジネスが縮むだろうとシリコンバレーでは考えられていた。

  今回、ソフトバンクがARMを買うことにビジネスが縮むだろうという予測は強い。だからこそ、この買収に対して、顧客は反対し、ライバル企業は賛成したのである(参考資料2)。特に、フリーのマイクロプロセッサコアであるRISC-V(リスクファイブと発音)は長期的にはARMを打ち負かすと見る向きはある(参考資料3)

  このフリーのプロセッサが、ARMに吹き始めた向かい風である。ARMと同様、低消費電力で性能はまずまずのマイクロプロセッサIPコアをフリーで使うことのできるRISC-Vプロセッサコアは今後手ごわい存在になる。ARMと違い無料のCPUコアであるため安いチップを作れるからだ。メモリアドレス空間は32ビット、64ビット、128ビットまで揃えている。米カリフォルニア大学バークレイ校が提案、開発しているRISC-VプロセッサIPコアを普及させる非営利団体のRISC-V Foundationの取締役会メンバーがこのほど決まり、活動が本格的に動き出した。

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2 RISC-Vのプラチナメンバー ゴールド、その他のメンバーを加えると参加企業は40社以上になる 出典:RISC-V Foundation

  このRISC-V Foundationには、Googleをはじめ、IBMQualcommHewlett Packard EnterprisesMicrosemiMicrosoftOracleRambusなど40社以上がすでに参加している(2)。ただ、日本企業は今のところゼロだ。むしろ、日本企業が誰も参加していない方が危険だ。台湾、中国はすでにメンバーだ。

  ソフトウエアでは昔、LinuxがフリーOSとして登場して以来、今やウェブサーバ市場の95%に使われ、スマホの85%を占めるAndroidにも使われ(参考資料4)、コンピュータの大衆化に貢献した。ソフトウエアの中核となるOSLinuxが使われてきたことと同様、ハードウエアの半導体ICの中核となるマイクロプロセッサにフリーのRISC-Vが使われ始めているのだ。売上1000億円のARMをソフトバンクが3.3兆円も金にモノを言わせてARMを買ったが、それをいつ回収できるようになるのか、未来は決して明るくない。


参考資料

1. IoT時代はデータ価値の理解が最重要(2016/06/18

2. 68% of Chip Designers See Softbank/ARM buyout as a Long Term BAD, DeepChip

3. 64% of EDA/IP Vendors See Softbank/ARM buyout as a Long Term GOOD, DeepChip

4. Charting a New Course for Semiconductors Rambus and GSA Report

   

特集:ハードでもセキュアにする時代へ(3)

(2016年9月 5日 17:16)

システムの中をソフトウエアだけではなくハードウエアもセキュアにしようとすると、やはり半導体にアクセスするのを制限することになる。また、半導体にアクセスして侵入できたとしても、大事なデータを読めないように暗号化することも半導体ができる仕事になる。つまり、半導体へのアクセス制限と、データの暗号化がセキュアにするカギとなる。

 

暗号キーをチップのバラつきで作成

半導体チップに暗号キーを埋め込み、簡単にアクセスできないようにするIP(半導体内の一つの重要な回路のこと)を台湾のeMemory(イーメモリと発音)社が開発、日本や欧州のセキュリティを重視する企業にアプローチしている。これは、暗号を破られないように、半導体チップが持つ許容バラつき範囲内のバラつきを各チップに持たせるようにしてそれも暗号キーとして組み込んでしまうのである。eMemory社は、顧客企業を絞り日本、欧州とそれぞれ3~4社と話し合ってきたが、日本企業は相変わらず対応が遅いが、欧州の顧客1社とは共同開発に入ったという。

  半導体チップのセキュリティを重視する企業は、それほど多くないため数社に絞り、顧客が自分で暗号キーを生成する手助けを行う。eMemoryはあくまでもIPを提供し、顧客のチップに組み込む支援を行うか、あるいは暗号キーと乱数発生器を集積したチップそのものを提供するか、いずれかのビジネスになる。このIPはアンチフューズ方式の不揮発性メモリの一種のOTPOne Time Programmable)メモリであり、暗号キーを生成するのはあくまでも顧客である。eMemory が提供するのはあくまでもプログラムツール。暗号化するのは顧客(半導体メーカー)となる。

  この不揮発性メモリIPNeoFuse IPは暗号キーを半導体チップに埋め込むために使う訳だが、二つの方法を使う(図1)。一つは乱数発生器回路を組み込むことで、もう一つはチップが持つ許容範囲内のプロセスばらつきを利用する方法だ。この二つの方法を使って暗号キーを作れば、乱数コードが例え解読されても、プロセスばらつきまで解読できない。プロセスばらつきを利用する方法は、正常品として動作するチップに32ビット分のメモリに、01かの電圧をかけ、わずかなプロセスのばらつきによって0でも1でもなるように高レベルの電圧をかけてプログラムする。このためチップによって0になるものも1になるものも出てくる。このため人為的に数字を調整できない。

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図1 暗号キーを乱数発生器と許容内のプロセスばらつきを利用して生成するeMemoryIP PUFPhysical Unclonable Functionの略 出典:eMemory 

  eMemoryの技術のメリットは、ランダム性が自然に決まり人為的な要素が入り込まないため、機密性が保たれやすい。しかも、アンチフューズ型でプログラムするため、温度や電圧が多少ばらついても、書きこんだ情報が反転することはない。浮遊ゲート方式だと、温度や電圧、過電圧などの影響を受けやすかった。

  このIPをチップに集積する場合、すでに0.15µmプロセスから28nmプロセスまで対応できており、16/14nm FinFETプロセスも開発されてきた。10nmプロセスへの適用検討も始まっている。eMemoryIP技術は営業活動で日本を回っているが、動きがいまだに遅いのが気になるとしている。

 

ARMImaginationはセキュアな部屋を確保

  ARMと同様、IPベンダーであるImagination Technologiesが開発したセキュリティ手法は、OmniShieldと呼んでいる技術であり、コンテナと呼ぶ部屋が最大255室ある。それぞれセキュリティの高い部屋と低い部屋を用意しておき、しょっちゅう使う部屋はセキュリティレベルが低く、データを絶対にセキュアに保ちたい部屋は高くする。

半導体チップ上には、CPUGPU、メモリ、周辺回路などがあるが、超高集積のLSIだと仮想化技術を使って、1チップなのに複数のシステムLSIが集積されているように見せかけることができる。この仮想化技術を使えばSoC1CPU1GPU1+メモリ1+周辺回路1)、SoC2CPU2+GPU2+メモリ2+周辺回路2)、SoC3、、、、というように多数のSoC(システムLSI)が集積されているように見えるチップを設計できる。SoC1はセキュリティをかけずにウェブブラウジング専用で使い、SoC2はカギを格納するセキュアなデータ演算機能として使う、といった使い方を行うことができる。

そのためのカギはTLBTransaction Lookaside Buffer)という物理アドレスと論理アドレスを対応させた情報を格納するメモリを用意し、そのアドレスを二重化する。さらに、セキュアなTLBとセキュアではないTLBを分け、認証するためのセキュリティ制御回路RoTRoot of Trust)が認証を制御する。

 

ファイヤーウォールで隔離

 クルマ用のマイコンに強いルネサスは、セキュアな部屋とセキュアではない部屋の間にファイヤーウォールを設け、認証されたデータだけを通すという仕組みを考えている。クルマを大きく分けると、情報系コンピュータと制御系コンピュータといえるが、外部とインターネットなどでつながるケースは情報系から通信モジュールを通して外部のインターネットとつながっていることが多い。このため、インターネットとつながる情報系と、情報系のデータを元にブレーキをかけたりアクセルを強めたり、モーターの回転でハンドル回転を支援したりする、制御系との間にファイヤーウォールの壁で隔離する(図2)

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図2 情報系からはファイヤーウォールを設けて制御系へ入る 出典:ルネサスエレクトロニクス

 クルマのコンピュータはECU(電子制御ユニット)と呼ばれ、1台のクルマに何十個も搭載されている。制御系ECUでは、アクセル動作に関係したECUやワイパー用のECU、インフォテインメント用のECU、エンジンの最適なタイミングで点火させ、有害ガスの排出を激減させると同時に燃費を改善させるECU、など様々なECUがクルマの各所に分散配置されている。ECUには、マイコンと呼ばれる半導体を搭載しており、それぞれの機能を実現し性能を上げている。

  例えば自動ブレーキシステムでは、情報系のECUではカメラやミリ波レーダーで前方に人やクルマを認識し、制御系ECU(エンジン制御やボディ、車両系など)につながって、ブレーキをかけている。情報系ECUが前方の物体にぶつかりそうだと判断すると、ブレーキを掛けろという指令を制御系のECUに送り、ECUからブレーキパッドを締め付けるためのモーターを駆動し、止まることができる。このため、ネットとつながっている情報系と、クルマの基本動作に係わる制御系を分離することがクルマでは重要になる。その分離技術については詳しくは語らない。

 ルネサスはIoT向けのデバイスでもセキュアにするため、暗号キーの格納場所をよりセキュアにした。これまではセキュリティ用の暗号キーを、フラッシュメモリ回路に入れていたが、暗号発生回路のあるセキュアな部屋の中にフラッシュメモリを設け、そこに暗号キーを格納することで、よりセキュアにした。トラステッドセキュアIPと呼んでいる。乱数発生器による鍵生成情報と、チップ製造時のユニークID情報を使って暗号キーを作成するとしている。この暗号キーはOTPなどのメモリではなく、ロジックで組んでいるという。ルネサスは強固なセキュリティを容易に設計するためのツールも提供する。今後ルネサスは、自社のマイコンにこの暗号化技術を拡大していくとしている。

  ハードウエアでのセキュリティの確保は、これまでのソフトウエアだけのID/パスワード方式よりもより厳しい。とはいえ、ハッカーはセキュリティを突破することが楽しみだからこそ、いつかは破られる。しかし、何もしなければ家のカギをかけていない状態と同じことなので、侵入しやすい。少しでも破りにくいシステムにすることはやはり常道であろう。

(2016/09/05)

   

特集:ハードでもセキュアにする時代へ(2)

(2016年8月30日 22:24)

なぜ、セキュリティがこれから重要になるのか。大きな市場は二つある。一つはクルマ。もう一つは工業用IoTIIoT)である。なぜクルマが重要か。今後は常時つながるようになるからだ。もう一つのIIoTも少なくともゲートウエイは常時つながる。だからこそ、ハッカーに狙われやすい。

クルマの常時接続では、2018年から欧州でeCallサービスが始まる。これは、事故を起こした時にその情報が即座に交通事故管理センターに送られる。そのためにGPS/GNSSなどの衛星を使った位置サービスと情報を転送するセルラーネットワーク用の通信モジュールが必要となる。これによって事故を起こした本人がたとえ意識を失っていても駆けつけてくれる時間は短縮され、かつては救えなかった命を救うことができるようになる。eCallは、2018年に販売される新車には全て装着が義務付けられる。

基本的にはセキュリティは、パソコンなどでわかるようにIDとパスワードによる認証で管理している。パソコンなどのコンピュータはIDとパスワードで起動するようになっているが、いったん起動してインターネットとつながると、サイバー攻撃者がパソコンソフトウエアOSの脆弱な部分を狙う危険性が出てくることと同様にクルマも狙われやすくなる。このためセキュリティをどう組み込み、規格化していくかという仕組みの標準化が重要になる。しかも、これまではクルマのIPアドレスを見つけても、コンピュータに入れなくする方法、コンピュータに入っても暗号化してデータを読めないようにする方法などがある。クルマでは両方が重要だろう()

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図 半導体というハードウエアでシステムをセキュアに守る 出典:Infineon Technologies

 

ただし、セキュリティを堅牢にすればするほど使いにくくなることは間違いない。例えば、家のカギを何種類も用意して多数の場所にカギをかければ不審者は家に侵入しづらくなる。一方で、家に入るためにいくつものカギを開けなければならないとなると、不便になる。そこで、コンピュータの動作の中でもいくつかの部屋に分け、しっかり鍵をかける部屋とかけない部屋に分けるということになる。いつも使っていながら、外部から見られてもそれほど問題にはならないような動作、例えばウェブブラウジングをしている動作などにはカギをかけず、重要なデータをしまっておく場所にはカギをしっかりかける、という使い方をする。

セキュリティは、ID/パスワードだけのソフトウエアだけでは心もとない。ハードウエア上でもセキュアにする方法が望まれている。マイクロプロセッサのIPベンダーであるARM社が開発したTrustZoneという考え方は、上記と同様、プロセッサの内部を二つに区切り、セキュアな部分とセキュアにしない部分を設けて、セキュアな部分にアクセスしたいときは予め登録されたIDのアクセスしか認めないという方式を採る。このためアクセス権限のない外部者はチップに侵入できない。

但し、ソフトウエア的な認証だけでは、サイバー攻撃者は、IDとパスワードをスキャナーなどでしらみつぶしに走査しながら見つけてしまうというような方法などをとってきた。時間をかければパスワードを見つけられてしまう。このためサイバー攻撃者とは常に防御システムとのイタチごっこになっていた。

 

データを盗まれても読めないようにする暗号化

そこで、コンピュータに侵入され重要なデータを盗まれたとしても、データを暗号化しておけば、さらに解読するための時間を稼げる。ID/パスワードを見つけるのに2~3年かかるとして、暗号を解読するのにまた2~3年かかるとすれば、両方の防御システムを導入して4~5年おきにパスワードを変え、暗号を変えれば、サイバー攻撃をかなり防ぐことができる。

ハッキングのセキュリティもスマートカーには必要となるが、クルマをもっと賢くするために安全性を確保したうえでの新しい方法が求められるようになる。さらに、クルマだけではなく、クルマとつながるクラウドとの接続や、V2Xのクルマと他との接続でもセキュリティを強化する必要がある。

Infineonはセキュリティを確保する暗号化技術にフォーカスしてきた。20125月に発売したInfineon32ビットのトライコアマイコンAurixファミリは、クルマ向けのマイコンである。チューニング保護機能やイモビライザー、セキュアなオンボード通信機能などがある。このチップには、ファイヤーウォールを介してセキュアな部屋を設けたハードウェア・セキュリティ・モジュール(HSM)を組み込んでいる。HSMには、32ビットCPUと、暗号鍵を格納するための特別なアセクスで保護されたメモリ、独自のサブスクライバID照合回路、最新の128ビット暗号化アクセラレータ回路、独自の乱数発生回路などを集積している。Aurixチップはファイヤーウォールを隔ててHSMを集積している。HSMによってマイコンはセキュアに守られている。

さらに、HSMの中のハードウエアのセキュリティ周辺回路を制御するためのSHE+Secure Hardware Extension)ドライバソフトウエアもある。このソフトでトライコアのホストプロセッサとやり取りする。SHE+AUTOSARCRYインターフェースを提供し、HSMセキュリティ機能をクルマ用のアプリケーションに搭載する。このアプリがAUTOSARとのインターフェースやHSMとトライコアとの通信、鍵の格納機能、セキュリティ周辺ドライバ機能を持つ。

またInfineonはクルマ以外でも、外部からの不正アクセスや攻撃からコンピュータシステムを守るためのTPMTrusted Platform Module)マイコンファミリーも開発している。むしろTPMの方が古く15年以上の実績を積んできた。このマイコンは、セキュリティの国際規格である「Common Criteria」と、公正な非営利団体のTrusted Computing Group(トラステッド・コンピューティング・グループ-TCG)の認証を受けており、暗号化によるデータの保護、さらにはアプリケーションも組み込まれている。これによって安全な認証であると同時にユーザーの身元保護を強化している。

加えて、Infineonは、IoTや組み込み向けの認証方式のチップ、OPTIGA™ Trust」シリーズなど幅広い製品ポートフォリオを持っている。連載3回目は、Infineon以外のメーカーのセキュリティへの取り組みを紹介する。(続く)

                               (2016/08/30)

   

特集:ハードでもセキュアにする時代へ(1)

(2016年8月28日 21:06)

 セキュリティはこれまでのソフトウエアだけから、ハードウエアもセキュアにしてサイバーアタックを防ぐことを考えなければならない時代に入った。この特集では、ハードウエアのセキュリティがいかに重要で、ハードメーカーがどのように取り組んでいるかを3回に分けてレポートする。

  IoTやクルマなど様々なモノがインターネットにつながる時代を迎え、これまでのパソコンやスマホのような単純CPUOSのシステムのセキュリティからマルチコアCPUや仮想化システム、マイコンを含む組み込みシステムでは、これまでのセキュリティをソフトウエアだけではなく、ハードウエアでも確立しなければならなくなってきた。OSだけではセキュリティを守りきれないからだ。

 

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図 ドイツInfineon TechnologiesChip Card and Security部門PresidentStefan Hofachen

  すでに数年前からドイツのInfineon Technologiesはセキュリティビジネスの先頭に立ってきたが、B2B(ビジネスからビジネスへ)ビジネスであるため、あまり知られていなかった。セキュリティは安全・安心で当たり前だからである。しかし、この安全・安心が当たり前ではなくなりつつある。Infineon6月に「IoT/インダストリー4.0 セキュリティフォーラム」セミナーを開催()、工業用IoTやクルマのセキュリティが問題になってくる時代を迎え、その問題を提起した。

  これまでInfineonの独壇場だったセキュリティ分野だが、最近になり各社からセキュアにする技術やIP、半導体製品などが続出している。マイコンと自動車に強いルネサスエレクトロニクスがセキュリティ技術を強化したマイコンをリリースし、IPベンダーのImagination Technologiesはセキュアな仮想化システムに対応できるOmniShield技術を昨年発表した。ARMImagination と同様なIPベンダーである台湾のeMemory(イーメモリと発音)社もセキュアな暗号カギを格納する技術を開発、売り込みに来ている。さらに、米国のマイコンメーカーであるMicrochip Technology社がアマゾンのクラウドサービス(AWS)向けに暗号技術を搭載したECC508A暗号コンパニオンチップをリリースした。

  従来のセキュリティはOSで制御してコンピュータへの侵入を防ぐID・パスワードだけのソフトウエアベースのセキュリティだった。OSをアタックして、脆弱な所を狙って侵入するハッカー(日本IT関係者は悪意を持って侵入するモノをクラッカーと呼んでいるそうだが、海外ではクラッカーという言葉はあまり使われていない)は、ID/パスワードをスキャンして突破する試みなどを何年もやってきた。ハッカーとコンピュータシステムとの間で常にイタチごっこを繰り返してきた。このセキュリティシステムをさらにハードウエア(半導体)レベルにも適用しようというのが最近の動きである。

  なぜ今ハードウエアまでセキュリティが必要か。そのきっかけは、インターネットにつなげたクルマでの実験だった。2015721日の米Wiredのウェブページで紹介された記事(参考資料1)によると、米国車「Jeep Cherokee」を使った実験ではパソコンでクルマを遠隔操作できることがわかった。いわゆるクルマをパソコンから乗っ取ることができるのである。

  この実験では、Wiredのベテラン記者が2人のハッカーに依頼し、クルマを乗っ取れるかどうかを調べたもの。ドライバーは高速道路を走行中に、カーコンピュータのタッチスクリーンを操作できなくなり、エアコンの空気の口からは冷気が流入し、座席の温度制御システムを通して衣服まで冷たくなった。さらにスピーカーからは最大ボリュームでパンクロック音楽が流れだし、ボリュームを回して音量を下げることができなくなった。挙句の果てに、フロントガラスのワイパーが勝手に動き出し、洗浄液まで出て窓を拭き始めた。

  ドライバーはクルマ運転していただけなのに、こういった動作が勝手に始まったのである。最後には、ドライバーはアクセルを踏み続けているのにもかかわらず、パソコンからアクセルを遮断してクルマを止めた。これらは実験ではあるが、クルマのM2M(マシンツーマシン)通信モジュールを通してモバイルネットワークを経てインターネットとつながることで、クルマのコンピュータをハッキングできた。悪意を持ってサイバー攻撃すれば命にかかわる。

  スイカやパスモのようなICカードは、常時つながっていないため、セキュリティは守られやすい。たとえ、つながったとき(改札口や支払いリーダーにタッチした時)でさえ、カードのセキュリティはハードウエアで守られている。カード情報を盗むとしたら、改札口のリーダーそのものから情報を奪うしかなく、これはほとんど不可能に近い。駅員や乗客など常に人の目にさらされているからだ。

  クルマは、NFCカードとは違って、常にインターネットとつながるようになるからこそ、堅固なセキュリティが望まれている。しかもクルマにはECU(電子制御ユニット)と呼ばれるコンピュータが1台に何十個も搭載されている。これらのコンピュータを外部から遮断し、侵入を防がなければならない。また、セキュリティのレベルを整理しておく必要性もある。クルマの安全性は機能安全という規格で安全レベルを規定したが、セキュリティに関しては残念ながらまだ規定はない。もし各社バラバラにセキュリティを勝手に定義すれば、セキュリティシステムをゼロから組まなくてはならなくなる。このため、ある程度、セキュリティレベルを定義し、規格化しなければコスト的に見合わなくなる。(2回へ続く)

 

参考資料

1.    Hackers Remotely Kill a Jeep on the Highway with Me in It.

   

ルネサスのIntersil買収が事実なら妥当

(2016年8月23日 21:41)

 822日、日本経済新聞は、ルネサスエレクトロニクスが米アナログ半導体メーカーのIntersilを買収するための最終交渉に入った、と報じた。買収交渉が事前に漏れることは常識ではありえない。事前に漏れると、お互いの信頼が崩れるからだ。ルネサスは同日のニュースリリースで「本件は当社が発表したものではありません。当社は事業のさらなる成長に向け、本件を含めさまざまな可能性を検討していますが、現時点で決まった事実はありません」と述べている。

 日経の報道はもちろん誰かのリークであろうが、ここでは詮索しない。これが事実であれば、Intersil買収は、ルネサスの呉社長が最近のインタビューで述べていた買収戦略に沿ったものである。呉氏は、規模を大きくするための合併なら固定費の削減以外の効果は全く期待できない、と述べており、同じような製品で規模を拡大して2位や1位になることがルネサスの目的ではない。だからこそ、ルネサスがそれほど強くないアナログ分野をIntersil買収によって、アナログ製品を強化することは、自動車エレクトロニクス、産業エレクトロニクス共、ルネサスを成長させるだろう。呉氏は、ルネサスの強みである自動車用マイコンをオセロゲームの角(絶対にひっくり返されない)にたとえ、そこから陣地を広げていき自動車用半導体を強くしていくと述べている。これがルネサスの方針である。

  かつて、ルネサスは日立製作所と三菱電機のシステムLSI部門を統合し、似たような製品同士の合併を行った。さらに愚かなことに、NECエレクトロニクスに対しても同じようなマイコン製品を持っているのに合併させた。同じ種類の製品を持っている者同士の合併は、失敗したという苦い経験を持ち苦労を重ねてきた。こういった過去の失敗の経験を活かし、「買収は戦略的買収でなければ意味がない」と呉氏は語っている。

  アナログの得意なIntersilとは何者か。Intersilは、最初のWi-FiチップであったIEEE 802.11bで圧倒的に高い市場シェアを握っていた。しかしWi-Fi規格がより高速の802.11aに移り、802.11bがコモディティ(誰もが参入できる超汎用品)になると、素早く11bチップから撤退した。そしてアナログに集中した。アナログ回路はテクノロジーの知識と発明のセンスが求められ、差別化できる商品を作れるからだ。

  スマホでは通話を終了した後に耳から遠ざけると画面が暗くなるが、これはアナログの光センサ(照度センサ)を搭載しているからであり、この照度センサICチップを手始めに、最近ではToFTime of Flight)法を用いた測距デバイス(レーザーの送受信により対象物との距離を測る)をリリースしている。これはドローンを制御しやすくし、障害物にぶつからず、しかも軟着陸も容易にできるようにするために使える技術だ。ドローンだけではなく、大画面ディスプレイのジェスチャー入力にも使える。

  電子回路に供給する電源を最近パワーマネージメントということが多いが、このPMICも得意だ。特に最近は、産業用の電源48Vからいきなりハイエンドプロセッサ向きの1Vへと落とすDC-DCコンバータをリリースしており、パワーマネージメントでも強い。

  しかもルネサスと共通するのは、製品ポートフォリオではなく、品質が高いことだ。もともとIntersilは、航空・宇宙・防衛といった高品質の製品を得意としていた。その前身は、軍用エレクトロニクスに強いHarris Semiconductorであり、GEGeneral Electric)の傘下にいた時期もあった。

  PMICはこれからも重要な分野である。全ての電子回路には電源回路が必要だからだ。しかもICによっては1V1.2V3V3.3V5V7Vなど様々な電源電圧が必要になっている。例えば身近な例で、スマホは4V弱のリチウムイオン電池1本で動作するが、スマホに搭載されたICの最適な電圧は7~8種類も必要である。このため4Vの直流DC電圧から別のDC電圧1.2V3.3Vなどを作り出さなければならない。この役割を果たすICPMICすなわちパワーマネージメントICである。また、LEDドライバも直列および並列に接続したLEDストリングスに電圧を供給するが、これもPMICの一種である。

  Intersilは実は自動車用エレクトロニクスへの進出が遅かった。このためルネサスには全くかなわない。しかし、高品質という特性を持っているため参入しやすい。Intersilがクルマ用半導体に参入したのは、画像処理プロセッサの得意なTechwell社を買収した2011年である。Techwellは日本人の小里文宏氏がシリコンバレーで創業したベンチャー企業。2014年から米国で販売される新車にはバックモニターの設置が義務付けられたため、それを見越してこの画像処理プロセッサのTechwellを買収、バックミラー型の液晶モニター()でそのデモを2011年に見せてくれた。

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図 バックミラー型の液晶モニター バックミラーの左側を液晶にしている

 このようにIntersilの持っているアナログ技術はこれからのクルマや産業用には欠かせない。最近のモノづくりは、ITに対してOTOperational Technology)と呼ばれることがあるが、ITOTの融合が進めばPMICはクルマ以外の市場でも求められるようになる。ルネサスが欲しかったアナログ技術が手に入ると、呉社長のいうようにオセロゲームの隅からじわじわと陣地を拡大していくことができるようになる。残念ながら日本のアナログIC技術は米国のアナログ半導体企業よりも劣っている。日本から新しいアナログICのアイデア商品が出てこないことがそれを裏付けている。今回のルネサスがIntersilを手に入れられれば、もっと強くなることは間違いない。ただし、IntersilがアナログICの開発を推進できる環境をルネサスが守る必要があろう。

2016/08/23

   

イヤホンジャックもUSB Type-Cに

(2016年8月21日 14:45)

2カ月ほど前に、「これからのPCコネクタはUSB type-Cに一本化」(参考資料1)という記事を書いた。わずかの間にUSB Type-Cコネクタの応用は、イヤホンジャックにまで及ぶようだ。つまり、アナログ時代から長い間使われてきたイヤホンジャックも、これからはUSB Type-Cコネクタに置き換わるだろう。このようなトピックスが先週米国で開催されたインテル開発者会議(IDF)で議論されたと報じられている。

 

実は、今年の春ごろからiPhone 7のデザインで、オーディオ用のイヤホンジャックが給電用の平べったいコネクタ(Lightningコネクタと呼ばれている)に代わるという噂があった。USB Type-Cコネクタは、アップルのライトニング(Lightning)コネクタ(図1)と似た表裏の区別なく挿して使えるものであり、アップルのiPhoneはこの意味で先行したコネクタとなっている。似たようなコネクタであるUSB Type-Cがパソコンからモバイルに使われるようになり、今回さらに3.5mm径のイヤホンジャック(オーディオ端子)までType-Cに代わろうという訳だ。

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図1 アップルのライトニングケーブル&コネクタ

Type-Cはアップルのコネクタと同様、電源ラインも搭載されており、一つのコネクタで信号ラインと電源ラインを含んでいる。音楽を楽しんだりビデオを視聴したりするのも全て、一つの端子ですむなら便利になる反面、コネクタメーカーに与える影響が大きい。USB Type-C仕様のコネクタ、イヤホンジャックコネクタとの生産比率を今後変えていく必要があるだろうし、イヤホンジャック専門の生産者ならUSB Type-Cへの参入も見据えていかなければならない。

 

USB Type-Cコネクタには、iPhoneのイヤホンと同様、音量調節ボタンも組み込めるため、無駄な消費電力を減らすことができ、電池を長持ちさせられる。また、その厚さは2.6mmと決まっているため、オーディオのイヤホンジャックの厚さ3.5mmよりも薄くなり、よりスリムなモバイル機器を設計できるようになる。

 

さらにデジタルオーディオは、アナログと違い、さまざまな音に加工できる。例えば、大きなコンサートホールで聞くような音響を実現したり、あるいはジェットエンジンや大型列車のような大きな騒音を打ち消し合ったりすることもできる。このためアナログでドルビーやボーズのようなプレミアムなオーディオ会社の製品ではなくても、プレミアムな音楽を手軽に楽しめるようになる、とインテルのアーキテクトであるブラッド・サウンダーズ氏がIDFで述べたようだ。

 

USB Type-C規格に信号線と電源線を含めると同時に、表裏どちらに挿してもかまわないというメリットは使い勝手が極めて良い。先駆的な製品では、アップルのMacBookHPSpectreノートパソコン、グーグルのNexus 6P、サムスンのGalaxy Note 7ファブレット(電話を意味するPhoneと、Tabletとの造語で、画面サイズ5~6.5インチのスマホを指す)にはすでに搭載されている。

 

テクノロジー的には、Type-Cの電源ラインは100Wまで使えるため、急速充電が可能になる。もちろん、プロトコルの取り決めやパワーマネージメントICなどの半導体技術がモノを言う。インテルはFPGAメーカーのアルテラを2015年末に買収しており、アルテラはその前の2013年に、パワーマネジメントメーカーのエンピリオン(Enpirion)を買収して手に入れている。つまりインテルはパワーマネージメント部門も持っており、特に微細化技術が必要な高集積マイクロプロセッサやSoC、アプリケーションプロセッサに欠かせない低電圧・大電流の電源設計には絶対的な自信を持つ。インテルのUSB Type-C推進により、この先ほぼデファクトスタンダートとなろう。

                                     (2016/08/21)

参考資料

1.    これからのPCコネクタはUSB Type-Cに一本化(2016/06/25

   

40年前からオープン化で成長続ける会社

(2016年8月 9日 23:13)

 熟知している人が意外に少ないのが真のオープン戦略。標準化、インターオペラビリティ、オープンイノベーション、プラットフォーム、エコシステム。オープン化とは技術を丸裸にしてみんなに見せることでは決してない。入力部と出力部分のハードウエアとソフトウエアをみんなで同じものを作って共有し利用しようという考えがオープンであり、標準化である(1)。ここには日本発とか米国発とか全く意味を持たない。

図1.png

 

1 システムの入力と出力のみをオープンに 中の技術は知的財産としてブラックボックスにしておくもの

 

今さらかもしれないが、これらのオープンに関する言葉は全てグローバルの勝ち組企業の共通点である。ARMしかり、Googleしかり、Intelしかり、である。このうち、IPベンダーのARMがファブレス半導体の道を捨て、IPベンダーに専念したのは1990年代に入ってからだ。半導体メーカーのIntelPCIバスを提案してオープン化を打ち出したのも90年代になってから。はじめからオープン化を志向したGoogleが創業したのは1998年。

 

ところがGoogleよりも20年以上も古い1976年創業で、始めからオープン化を志向して現在に至る企業がある。1976年創業の測定器メーカーNational Instruments社である。測定器とは、電気(電圧や電流)の形で見える化した道具、と定義できる。例えば、果物の甘さ、すなわち糖度を測る道具も測定器だし、水質の汚染具合を測るのも測定器である。測るべき対象物はできれば数字で表したい。それも過去から現在までの数字の変化を見たい。さまざまな要求が出てくる。

 

これらの測定器には、物理量や化学量を電気に変換して実際に測定する部分と、その取得した数字を記録したり、グラフ化したり、色を付けたりする演算部分がある。そこで測定器を、測定部とデータ処理部に分けることができる。データ処理部はパソコンに任せ、測定部分だけ1枚のプリント回路基板上に回路モジュールを形成する。その回路ボードをオシロスコープ回路、スペクトルアナライザ回路など、専用の回路ボードとして作っておけば1台の筐体でボードを差し替えるだけでいろいろな測定ができることになる。NIは創業当時から、こういった発想で、回路ボードを差し込むだけでいろいろな測定器を作ることができることを志向した。いわばオープンなプラットフォームをベースとした測定器である。

 

さらに測定すべき回路を設計したり、測定データを処理したりするのにソフトウエアがあれば、さらにフレキシビリティが増す。こうして1986年に生まれたテストプログラムを作るためのソフトウエアLabVIEWLaboratory Virtual Instrumentation Engineering Workbench)は、最初はグラフィカルユーザーインターフェースを持つアップルのマッキントッシュにインストールした。しかし、当初のLabVIEWはあまり使われなかった。LabVIEWの父と言われるJeff Kodosky(2)NIWeek 2016の基調講演の中で「どんなエンジニアも実際にマックを買うつもりがあったのだろうか?」「我々がターゲットとしていた顧客のエンジニアは実際には自分でテストプログラムをパソコンでベーシックやC言語で書き続けていた」と語っていた。しかし、幸運なことに科学者やエンジニアはMS-DOSパソコンよりもマックを好んだ。そのようなエンジニア顧客を獲得した。

 

Fig2Jeff.JPG

2 LabVIEWの父、Jeff Kodosky

 

それ以来、NIはハード作りとソフト作りに力を入れた。ソフトウエアは書き換えるだけで同じ一つのハードを変えなくても様々な機能を実現できる道具である。ハードウエアはいろいろなソフトウエアを書けるようにするコンピュータベースのシステムである。

 

NIは、ハードウエアプラットフォーム(PXICompactRIOなど)とソフトウエアプラットフォーム(LabVIEW)を生み出すことで、あらゆる測定器を生み出せるようになった。あらゆる電子エンジニアにオープンに提供できるようになった。ここにオープン、プラットフォーム、インターオペラビリティ(どのようなボードでも差し替えるだけで済む)、そして入出力バスやインターフェースは標準化されたものだけを使う。当初はGB-IBバスであった。最近はPCIeバスである。

 

NIはこういったオープンやフレキシブルという言葉にこだわるのは、どのような測定器もハードとソフトだけで素早く構成できるからだ。だからこそ、ドッグイヤーと言われる現代にNIの当初からの戦略が通用する。すなわち、良いものを早く安く提供する、という現代にフィットする。それだけではない。これから先も、この手法に将来性を感じるからこそ、オープンでみんなが開発できるようにするためのエコシステムも構成している。

 

こういった世の中の流れは、コンピュータが計算機として存在するのではなく、さまざまな機器が制御やちょっとした演算にコンピュータの考えを利用するようになったことと関係する。このような機器は「組み込みシステム(Embedded System)」と呼ばれる。今やほとんどの電子機器が組み込みシステムになっている。だからこそ、ハードウエアだけではなく、ソフトウエアも一緒に活用することで、良いものを安く速く設計・製造できるようになったのである。ソフトが得意だがハードは苦手、あるいはその逆なら、得意な企業と組めばよい。それがエコシステムになる。

 

NILabVIEWができた時点で測定器という組み込みシステムを開発してきたと言える。だから今のトレンドと同じ向きを指している。オープンとは誰でも使えるもの、インターオペラビリティとは誰のハードやソフトともつなげること、標準化とはみんなが使えるように統一すること、プラットフォームとはいつまでもずっと使えるハードやソフトのこと、そしてエコシステムとはそれぞれ得意な技術を持った人たちの集まりのこと。こういった言葉が少量多品種の現代をよく表している。

2016/08/09