日本半導体が台湾企業に負ける理由があった
2021年5月 9日 10:02

海外企業は半導体の供給不足に答えようとして、工場の新設計画や体制を次々と打ち出している。これに対して、残念ながら日本には半導体製造を請け負う専門のファウンドリ企業がいない。「いや、ウチでもファウンドリ事業を進めている」という声が聞こえそうだが、実は営業を全くしていない。ここには実質的な実をとらず、上っ面のブランドにしがみつく日本大企業の「武士魂」が見え隠れする。

 半導体不足が叫ばれていても残念ながら、日本ではルネサスエレクトロニクスが火災事故に遭遇しながらもゴールデンウィーク中は一日も休まずフル操業に徹し、東芝系のキオクシアはNANDフラッシュメモリで我が道を行く。ソニーの半導体部門であるソニーセミコンダクタソリューションズは、長崎県の既存工場の隣りに建設していた新棟がようやく完成しこれから増産するが、その中心はスマートフォン用のCMOSイメージセンサだ。不足しているクルマ用の半導体を増産するという声は、ルネサスしかいない。

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図1 ファウンドリトップメーカーのTSMCの5nmウェーハ 2019年6月の写真 出典:筆者撮影

 ましてや製造請負だけに特化するファウンドリサービスを行っている企業はいない。いまだに出てこない。ここにニッポン半導体のいびつな構造がある。かつてDRAMで一世を風靡した国内の半導体メーカーはDRAMという大量生産製品の製造をやめるという決断を日本の全ての半導体企業が決断した。理由は、米国Micronや韓国Samsungのように安く作れなかったからだ。時代は安いDRAMを求めるパソコン主流時代に入っているのに、いつまでたっても高価なメインフレームコンピュータ向けのDRAMしか作っていなかったためだ。つまり市場が縮んでいく時代にしがみついていた。

 なぜ安いDRAMを設計するという発想をせずに、いきなりシステムLSIに向かう、と決めたのか。工業会によるあるシンクタンクが結論を出したと言われているが、だからと言って、なぜ全ての半導体メーカーが戦略を同じにしたのか。ここに半導体部門を牛耳っていた総合電機の過ちがある。

大量生産のDRAMから少量多品種のシステムLSIに替えるためには工場を減らす必要があった。しかし、長い間そうしなかった。ここでもう一つの選択肢があった。つまり、余った工場をファウンドリとして使うことだった。しかし、総合電機の一部門である半導体部門がファウンドリと称した事業は、製造ラインが余っていたら使わせてあげる、という「武士の態度」であった。これはTSMCUMCのようなファウンドリとは言わない。よその製造ラインを使える企業は同じ半導体メーカーに限られているからだ。日本の半導体メーカーは製造ラインが余っている者同士である。いわば誰も取り合わない。

新たに半導体を作りたいという需要はファブレスにあった。ファブレス半導体企業は、自分で設計だけにフォーカスし、製造をファウンドリに依頼する。しかし、一口に半導体設計といってもそれほど単純ではない。ファウンドリに渡すフォトマスクまで設計できるファブレスはそれほど多くいない。だったら、LSIの最初のシステム設計から論理設計、論理合成(ネットリスト)、配置配線、マスク出力までできるデザインハウスと協力する体制を作ることだ。

総合電機は半導体設計そのものを全体的に俯瞰できるものがいなかったか、いても経営者が耳を貸さなかったか、いずれかだろう。このため半導体設計を強化して営業体制を作ろうとはならなかった。TSMCはかつて設計ツールを大量に購入していたが、これは半導体設計できる企業をスピンオフさせて育てるためであり、設計に熟知した技術営業を養成するためでもあった。TSMC本体はファウンドリに徹することに変わりはなかった。IDM(設計から製造まで垂直統合の半導体メーカー)になればユーザーと競合することになるからだ。同様にArmもファブレスにならずにIPベンダーに徹してきたのも同じ理由だ。ユーザーと競合しないことだ。

残念ながら日本の半導体メーカーから独立系のデザインハウスが生まれたこともないし、ファウンドリが生まれたこともない。唯一、富士通とパナソニックが合弁したソシオネクスト社がファブレス半導体として大手から分離した組織である。中途半端なIDMで少量多品種をやってきてニッチもサッチも行かなくなったのが、かつてのルネサスだった。東芝はたまたま持っていたフラッシュメモリが奏功し、ソニーは裏面照射型CMOSイメージセンサの開発を上司に何度も進言しながら、やっても無駄だと何度も言われながらも、上司に強硬に食い下がって説得を続けたエンジニアがいたから成功した。この2社が世界レベルの半導体メーカーとして肩を並べているが、いずれも人というラッキーな面があったため、これをさらに発展させるための戦略の実行が欠かせなくなる。

さて、日本がファウンドリをできなかった最大の理由はブランドというプライドであった。ファウンドリは、製造を請負い半導体製品にはファウンドリ名はつかない。いわば影の黒子である。この黒子ビジネスには日本の大手総合電機は全く興味を示さなかった。ブランド名が出てこないからだ

これに対して台湾は、ブランドよりも積極的に黒子ビジネスに参入した。かつてはパソコンの黒子であるEMS(電子機器請負生産)がたくさん台湾にいた。HPCompaqDellなどの米国パソコンメーカーの製造を台湾のAcerCompalなどが請け負っていた。AcerASUSBenQなどへと分社化・独立を行い、今はAcerASUSも立派なブランドとなっている。半導体でも製造だけを請け負うファウンドリにはTSMCUMCだけではなくもっと10社近くいたが、この2大ファウンドリが今はブランドを築いた。

名(ブランド)より実(黒子)を取る台湾ビジネスは、今や世界の半導体を左右する存在にのし上がった。これは半導体の未来を信じ、先端技術を追い求めた結果である。日本の総合電機は「そんな巨大な投資をするなら止めた」、という姿勢を見せたために半導体メーカーもリソグラフィメーカーも存在感を失ってしまった。半導体ビジネスの本質を理解していない総合電機の経営者が半導体を支配し続けたことが、日本が没落した最大の原因である。経営者こそ、半導体をどうするかを決める立場にいるからだ。

世界には、総合電機の経営者が半導体を理解できないとして、独立させ人事権を放棄したことで、完全独立し成功した半導体メーカーは枚挙にいとまがない。Siemensから独立したInfineon Technologiesや、Philipsから独立したNXP SemiconductorASML、さらにはMotorolaから独立したON SemiconductorHewlett-Packardから分かれたAvago(現Broadcom)など多い。理解できない半導体事業部門を傘下に収めながら支配することに興じている経営者は、世界から見ると裸の王様である。このことに気が付いた経営者の登場を願う。