日本の半導体を世界一に押し上げた西澤潤一氏
2018年10月28日 20:56

 半導体研究の草分けであり、東北大学からpinダイオードや半導体レーザー、静電誘導トランジスタなどを開発してきた西澤潤一氏が1021日に死去された。告別式が終わった後の27日に新聞各紙が報じた。西澤氏は東北大学長を務め、その後岩手県立大学長、首都大学東京学長も歴任されたが、筆者は西澤氏との年賀状交換を最近まで30年以上続けてきた。

  現在シリコン半導体チップの主流であるMOSトランジスタの実用化研究で、東京大学の菅野卓雄名誉教授や産業技術総合研究所(旧電総研)の垂井康夫氏らと共に日本の半導体研究勃興期の第一人者だった。彼らのMOSトランジスタの研究があってこそ、今のシリコンCMOSが半導体の主役になった。

  西澤氏はさらに、MOSトランジスタの欠点であった短チャンネル効果を逆手に利用し、真空管の出力段に使われた3極管と同じように電流-電圧特性が飽和しない出力特性を持つ、静電誘導トランジスタ(SIT)を提案した。このトランジスタでオーディオアンプを作ると真空管と同じような音質で音楽を聴けると言われた。残念ながらSITは非飽和特性ゆえに制御しにくいという欠点があったためにデジタル回路には使われなかったが、その発想は日本人離れしていた。

  現在の基幹通信技術から家庭にまで敷設されるようになった光ファイバや半導体レーザーの提案も西澤氏が先んじた。当初は、メガネのレンズさえも光が十分透過せず、一部吸収されるために少しだが暗くなるのに、ガラスファイバが光を何キロメートルも通せるわけがない、と一蹴された逸話をよく聴かされた。当時は非常識だった技術レベルが時代と共に向上するのにつれ、光ファイバは通信業者や材料業者が開発を進め、光ファイバ用の半導体レーザーと受光ダイオードの研究開発を半導体メーカーが進めた。

教育者としてもエンジニアを世界一へ

  西澤潤一氏の特筆すべき業績は、研究成果だけではなかった。教育者としても非常に優れていた。西澤研究室出身の半導体エンジニアは数多く、NECや日立製作所、東芝など半導体トップメーカーの研究開発・製品開発現場には必ず西澤研出身者がいた。最も有名な卒業生はフラッシュメモリを発明し、東芝に在籍していた舛岡富士雄東北大学名誉教授だろう。フラッシュメモリは東芝に数兆円以上の収益をもたらしたが、舛岡氏が特許を残していなければ、現在の東芝メモリはなかっただろう。日立製作所中央研究所にいてメモリ開発を手掛けており、東北大学に移ってから3次元ICを提案した小柳光正教授も西澤研究室出身者である。

  西澤教授を支えた代表的な研究者の一人が大見忠弘教授(当時は助教授)である。2016年に先立たれた大見氏は、西澤教授のアイデアを実証研究し、さらに半導体企業の歩留まり(良品率)を上げるためにクリーンルームのあるべき姿を提示し、それを実現させた。インテルのマイクロプロセッサの製造歩留まりを上げるのにも貢献したと言われている。大見氏は、半導体プロセスで、どのようなプラズマ化学反応がどのような結果をもたらすか、理路整然と語り、半導体は試行錯誤する時代からプロセスをサイエンスする時代に移ることを述べられていた。大見氏は、東京工業大学で勤務された後、東北大学の西澤潤一教授の元へやってきた。現在、大見氏のご子息が東工大の准教授を務めておられる。

  筆者は、西澤潤一氏、大見忠弘氏、舛岡富士雄氏、小柳光正氏らが米国の半導体学会であるIEDM(国際電子デバイス会議)で1980年代はよく同席させていただいた。日本の半導体を支えてきた人たちは、その場で本音を語り、筆者は半導体産業の本質を調べる裏付けに使わせてもらった。

半導体エンジニアの夏合宿

  西澤氏の教育者としてのエンジニア形成手法は、毎年夏に山形県蔵王温泉で開催された34日の半導体エンジニア合宿にもよく表れていた。一部屋に4名の参加者を割り当てるのであるが、同じ企業の人は決して同じ部屋に入れない。日本の半導体エンジニアたちが企業を超えて本音で語り合う場所にしようという意気込みが感じられた。朝から夕方まではセミナーだが、ひと風呂浴びて、夜もパネルディスカッションのようなナイトセッションが開かれ、さらに2次会も自主的に開かれた。ここでライバル企業のエンジニア同士でQ&Aセッションが開かれた。この場は本音が聞ける貴重な場なので、あまりお酒の飲めない筆者もビール1~2杯だけで2時間以上のディスカッションを聴くことができた。

  また、昼間のセミナーでの発言は記録を取り、後で書籍として掲載された。もちろん夜の2次会セッションでは記録はないが、エンジニア同士が親しくなるネットワーキングは、全てのエンジニアの人的財産として記憶に残っている。残念ながら、このような合宿セミナーはもはや存在していない。合宿によるプロセス技術開発レベルの向上が、1980年代後半から90年にかけて日本の半導体を世界一のシェア50%まで押し上げた要因の一つであると思う。西澤先生は今の半導体産業をダメにした総合電機企業の経営者をどう見ておられたのだろうか、聞いてみたかった。合掌。