新国立競技場の紛糾に日本企業の弱さを見た
2015年7月29日 23:35

新国立競技場の建設費が膨らみ、2520億円にもなってしまうことで迷走していたが、当初の予定額は1300億円だった。もちろん、当初から高額であったが、さらに2倍近くにも膨れ上がったことで国民の非難の声が集中し、安倍晋三首相の政治判断で決着した。この迷走ぶりを見ていて、日本企業の利益率の悪さと結びつけて考えてしまった。

 

商品の原価を決めるのに、海外で成功している企業は、まず上限を決め、利益を確保し、その上で設計に入る。コストはできるだけ下げるため、設計段階からコストを強く意識したデザインを描く。性能や機能を最大限に発揮しながら、安く作ることを心掛けたデザインを行う。そのデザインに基づいて製造する場合も、コストをかけずに安く製造するための技術を開発する。これまで数回行われてきたオリンピックの新競技場が500~600億円でできたのに、なぜ日本はそれができないのか。そこにはコスト意識の低さが見える。

 

私がカバーしている半導体産業の場合、日本の企業はまず性能や機能を得られるかどうか、コストのことは考えずに開発する。要求される性能・機能を満足できるモノが得られたなら生産に移す訳だが、コストダウンは量産段階で行う。コストダウンのための技術開発は行わない。例えば、厚さ20ミクロン(50分の1mm)の金メッキの厚さを10ミクロンに薄くするとか、小手先のコストダウンしかしない。これでは外国企業とは競争できない。

 

かつてDRAMメモリで日本が世界のトップから落ち始めた頃、コストで外国企業に勝てなかった。当初、量産に成功したサムスンが低価格のDRAMを出してきたとき、トップの国内半導体メーカーの社長は、人件費の安い国は安物を作ってくるからねえ、とうそぶいていた。しかし、半導体ビジネスのコスト構造は、ザクッと言って製造装置コストが40~50%最も高く、次いでクリーンルームの維持費や純水製造、電力コストなど運用コストなどが来て、人件費はわずか5~8%しかなかった。つまり半導体製造は、人件費の安い国で作ろうが高い国で作ろうがさほど変わりはなかった。

 

そのすぐ後、人件費の高い米国のマイクロンがサムスン並みの安いDRAMを販売して初めて日本の半導体業界はびっくり仰天した。このことは黒船到来と同じで、マイクロンショックという言い方をしている。そして、マイクロンのフォトマスク数(ほぼ工程数と考えてよい)が日本の製造の2/3程度しかなかったことにさらに驚いた。多くの日本のエンジニアは「それほど少ないマスク数でDRAMを作るのは無理、正常に動作できないはず」と言っていた。

 

しかし、マイクロンは、マスク数を減らしただけでコストを削減した訳ではない。設計(デザイン)段階から安くしていたのである。一つは、できるだけ半導体チップを小さくするため、微細化技術を開発する。これは日本のメーカーも同じだ。次に、同じ寸法の線幅のルールを用いても、レイアウト上でできるだけメモリセルを詰め込むためのレイアウト技術を開発した。このために天才デザイナと呼ばれたエンジニアをインモス社から引き抜いた。そして3番目にマスク数を減らして工程を短時間で仕上げる。これらは全て低コストで作るための「技術」である。

 

マイクロンはなぜ安く作ることにこだわったか。当時、コンピュータのメガトレンドとして、ダウンサイジングが起きており、これからのコンピュータはメインフレームからオフコン、ミニコン、ワークステーション、最後にパソコンに降りてゆくに違いないと読んでいたからだ。彼らはパソコン時代の到来を開発に着手する前の1984年に「パソコン向けのDRAMしかやらない。メインフレーム向けは作らない」とインタビューした筆者に語った。そのためには「チップ面積が大きくなる冗長ビットや誤り訂正回路は集積しない。パソコンがソフトエラーを起こしフリーズしたら、電源を切り直せばよい。メインフレーム用途なら誤り訂正回路は必須だが」と述べた。

 

これに対して日本のDRAMメーカーは市場が次第に小さくなっていくメインフレーム向けの大きなチップを一生懸命に量産していた。コスト的にはとても太刀打ちできるものではない。半導体のコストはチップ面積にハイパー比例するからだ。しかし、気が付いたときはもうメインフレーム時代は終わり、パソコン時代が到来していた。日本の負けは決定的だった。

 

DRAMだけではない。マイクロプロセッサのインテルも低コスト技術の開発にはこだわった。まず20~30%の利益率を確保したうえで、可能な性能・機能を得られる設計(デザイン)に着手した。人手をかけない自動設計と、チップを小さくするための手設計の両方を駆使した。もちろん、製造工程を短縮しても性能に影響が出ない技術の開発に努力した。

 

日本企業はまず性能や機能を実現することを優先する。これを技術だと錯覚した。低コスト技術を開発することは全く眼中になかった。大手半導体メーカーを監督する経済産業省も安く作ることには全く興味を示さなかった。このため、米国のセマテックというコンソーシアムが「低コスト技術の開発」というテーマを持っていたのに対して、経産省主導のコンソーシアムは「最先端微細化技術の開発」しかテーマに挙げなかった。コスト競争力はテーマに入らなかったのである。これでは世界と勝てるはずがない。

 

今回の新国立競技場に関しても、設計者である建築家は「建設コストのことについては、なんとかなるだろう」と考えており、建設業者は高く買ってくれる公共事業を大歓迎した。日本の半導体業界と全く同じ低いコスト意識であった。オリンピック競技場の建設にはグローバル競争はないのかもしれないが、もし建設産業がグローバル競争にさらされるような時期がきたら、このままの意識では半導体と全く同じ結果になる。この轍を踏まないように、建築家はもっと高いコスト意識を持ち、安くても優れたデザインを追求し、建設業界は安くしかも信頼性の高い建物を作る技術を開発することが、これから世界と戦っていける道になる。

                              (2015/07/30