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NEWS&CHIPS|国際技術ジャーナリスト、技術アナリスト、メディアコンサルタント津田建二の事業内容~技術・科学分野の取材・執筆(国際技術ジャーナリスト)

取材紀行の最近のブログ記事

現地集合・現地解散の海外出張も楽しい

(2015年4月19日 23:20)

今年の海外出張の予定は1月時点で、10月のEuroAsiaしか決まっていなかった。しかし、2週間前に突然の英国行きが決まった後、今度はドイツ出張と立て続けになった。いずれも企業の訪問取材である。企業の考え方、ミッション、狙い、目的、成果、経過、社員数、社員やトップの顔色や仕事へのスタンス、取材歓迎の仕方、などなど、展示会や学会発表では得られない生の企業情報が得られる点が大変面白く、また楽しい。

 

現地企業の人たちやメディアの記者たちと話をしていると、現地の企業文化だけではなく、考え方や生活文化さえも見えてくる。これまで知らなかったことも多い。誤解していたことも多い。だから海外出張では、できるだけタクシーを乗らない。バスや電車を利用すると現地の生活の様子が見えてくるからだ。

 

何度か行ったスペインのバルセロナやパリの電車に乗ると、駅での路上ライブはもちろん、電車がすいている時は、電車の中でさえ勝手にギターを弾きながら歌を唄っている光景はよくある。バイオリンも多い。たいてい、後でお金を入れてもらうように帽子をひろげて回ってくることもある。素敵な歌ならお金を入れることもあるが、聞きたくもない歌なら決して入れない。

 

ラテン系のスペインやフランスでは電車内で若い男女のキスシーンはよく見かけるが、それも若い男女だけではない。中年の男女でさえもキスしている光景を見かける。さすがにロンドンの地下鉄ではそのような光景は見られない。ドイツでも皆無だ。アングロサクソン系とラテン系とは全く違う民族だから、同じヨーロッパでも違いが見えて面白い。

 

今回の出張では、企業訪問の現地集合・現地解散という面白い形式の企業訪問だった。旅行会社に手配してもらうと、あまりリーズナブルな旅行計画をいただけないので、自分で手配した。それもネットの旅行関係のサイトから申し込むと、前回の英国出張のホテルのように一人前の値段で乏しい設備のホテルという、リーズナブルではないホテルを紹介されたので、今回は利用している航空会社からフライトチケットと関係するホテルを予約した。極めてリーズナブルな環境の飛行機とホテルであった。

 

一人旅の出張はいつもながら面白くて、ワクワクする。ホテルのある町はデュッセルドルフで、フランクフルトに到着した日は航空会社の無料バスでデュッセルドルフまで送ってもらい、ここに泊まった。翌日ここからデュッセルドルフ中央駅から電車に乗り、ゾースト駅まで直通で1時間半の電車に乗り込む。フランクフルトからだとゾースト駅まで3時間半~4時間かかる。デュッセルドルフの中央駅でまず腹ごしらえをしようと思い、手ごろなレストランを探した。黒パンやライ麦パンのサンドイッチを売っている店がとても多く、それはいつでも食べられるだろうから、アジアンレストランに入り、ナシゴレンをいただいた。リーズナブルでまずまずおいしく食べた。

 

この街に来たのは初めてで、切符の買い方もわからなかったため、自動券売機ではなく窓口に並んだ。窓口は日本の銀行と同じように整理券方式で順番が公平なやり方だった。自分の番になると、窓口では最も早い時間の列車を教えてくれたが、乗り換えが1回ある。ゾースト駅は初めていくところだったので、直通はないかと聞くとあった。そのチケットを買い、ついでに列車の地図もいただいた。

 

列車は時間通りに到着し、時間通りに発車した。電車が30分遅れることは当たり前と聞いていたので、逆に驚いた。現地駅でその企業の日本法人の方と偶然にも会い、同行させていただいた。

 

帰りの列車には、列車の鉄道地図をいただいたので、途中のドルトムント駅止まりの電車に乗り、そこで乗り換えデュッセルドルフ中央駅に戻った。ドルトムントは、大学で有名な街なので、なんとなく親しみがあった。かつて、日経エレクトロニクス時代にドルトムント大学の研究成果を何度か報道したことがあったためだ。もちろん、サッカーファンにはおなじみの街だろう。乗り換え時間が10分ほどしかなかったため、街を散策できなかったが、今後訪れる機会があったらこの街をゆっくり見てみたい。

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デュッセルドルフの街を翌朝、散策すると、ビスマルクの銅像があり、中央駅からこの銅像まではビスマルク通りと呼ばれている。その先を行くと、ライン川に出るが、そこへはデュッセルドルフ中央駅から地下鉄に乗って三つめのハインリッヒ・ハイネ駅を降りるのが早そうだ。この駅を降りると、辺りには人通りが多く、まるで銀座通りである。観光スポットの一つになっているようだ。おしゃれな店やカフェなどが立ち並び、時には怪しい大道芸人もいる。写真は、人がまるで中に浮いているように見える仕掛けである。なぜ浮いているように見えるのか、結局わからなかったが、ずいぶん多くの人が見物していた。蛇の形をした入れ物にコインを入れてほしい、としている。他にも怪しい大道芸もいたが、写真は撮らなかった。

 

午後2時にはホテルからフランクフルト空港への直通バスの手続きが始まった。ここから約2時間半で空港に到着する。長いバスの旅であるが、これもめったに乗れないので面白かった。車窓からは風力発電の風車がやたらと目につく。ドイツはソーラーがたくさんあると思っていたが、風車の方が圧倒的に多いことに驚いた。

 

昨年9月のドレスデンの見学では、かつて東ドイツを支配していた共産主義のために、キリスト教そのものがかなり失われ、無宗教の人たちが増えたと聞いた。第2次大戦の空爆によって受けた教会や銅像などの修復は、このため共産主義時代は全くなされていなかった。90年前後の冷戦雪解けと東西ドイツの統合によってようやく、修復工事が始まったのだという。今は修復されていた建物が多く、荘厳な建造物は心に響く。日本のお寺を回って感動するのと同じような気持になる。

 

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今回歩いた街は、全て西ドイツであったためか、古い建物が少なく近代的な建物ばかりで、少々がっかりした。裏返せば、激しい空襲を受け、古い建物がほとんど失われたともいえる。英国とはずいぶん違う。わずかに残された教会などの建物だけが歴史を感じた。

                                                                                                               (2015/04/19)

急ぎ足の英国出張記

(2015年4月 1日 04:25)

29日の日曜の朝、成田を経って急きょ、英国にやってきた。ケンブリッジとサザンプトンの企業計3社を取材するためだ。出張が決まったのは出発の4日前。フライト、ホテルの手配は全て自分でやるしかなかったため、時間をとられた。ここまで直前になると旅行代理店のウェブサイトからはホテルがとれない。やむなく、インターネット専用の旅行サイトで予約した。あまりリーズナブルな価格ではない。

 

ただ、旅行を楽しむという観点からはフライト到着が遅れたのも悪くない。ヒースロー空港に到着したのが、1615分の予定が1時間ほど遅れ、実際に出口を出たのは18時だった。当初は、ヒースローからエクスプレスに載って、ロンドン市内のパディントン駅まで行き、そこで地下鉄に乗り換え、地下鉄で1か所乗換えて、キングスクロス駅に行き、ケンブリッジに向かう予定だった。しかし、荷物は嵩張るので、もしかしてケンブリッジまでの直行バスがないかどうか空港で聞いてみた。すると、あるという返事。では、ヒースロー空港からケンブリッジのシティセンターまでのバスのチケット(30ポンドだから悪くはない)を買い1830分のバスに乗った。ただ、ヒースロー空港は広いから他のターミナルを三つくらい周り、空港を抜けるのに50分もかかった。

 

1時間後、途中のスタンステッド空港に立ち寄り、さらにもう1カ所停まり、ケンブリッジについたのが夜の9時半になっていた。近くにタクシーがいたから、ドライバーに、ホテルまで行って、と言ったら、どこかの国のタクシーと同じで、公園を横切ればすぐだから、歩いたほうがいいよ、体よく断られた。公園を横切り、向こうの通りに行くと4人組の中年男女がいたので道を聞くと、その通りをまっすぐ行けばよい、と言われ歩いた。本当かなと思いながらさらに歩くと、人が来たのでまた聞くと、もう少しまっすぐ進めばあるという。同じことを言っているので、間違いなさそうだと確信できた。すると18世紀の大学らしき建物が見えたので、この近くだなと思いさらに進むと、ホテルの名前が塀に書いてあるが、入り口がない。その先は暗くて何も見えなくなるので、道を引き返すと、大学らしき門が見えたので、入ってみた。ここはホテルですかと尋ねたら、そうだという返事。やっと泊まれると思った時は945分だった。チェックインを済ませると「あなたは、入学試験をパスしました」と言われたので、「今日から私も大学生だな」と切り返し大笑いした。

 

さて、この安宿(場所の割に価格は高い)は面白い。ケンブリッジで泊まったホテルは、様相が大学のキャンパスだ(図)。周囲が石の壁に囲まれ、入り口には守衛がおり、そこがフロントに相当するのだから。部屋に行くためには、広いキャンパスの中庭を二つも通り抜けなければならない。しかも宿は狭く、まるで学生寮のようだった。バスタブがなく、シャワーのみ。部屋にも何もない。石鹸とシャンプー、紅茶があるのみ。ただ、さすがイギリスだと思ったのは、クッキーが置いてあった。食欲があまりなかったので、クッキーを夕食にして、取材の準備を始めた。

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図 宿泊したホテルキャンパス内の建物

このような形で出発した今回の取材だが、最後の31日は、ロンドンからサザンプトンまで日帰り出張のような感じの取材であった。私自身は一匹狼のフリーランス技術ジャーナリストであるから、仲間であろうと、一人であろうと依頼されれば受ける。それもテクノロジーであればなおのこと。もちろん展示会や学会などの取材とは違い、資料が常に準備されている訳ではなく、ヒアリングが基本となる。それだけに準備は入念に行わなければならず、結構時間をとられることが多い。それでも、通常のイベント取材では得られない情報が多く、いくつになってもやめられない。

 

ケンブリッジは大学の街である。産業的にもR&Dの強い街だ。たぶん最高の製品は、ケンブリッジで研究し、シリコンバレーで開発、日本かドイツで生産を始め、中国か台湾で量産する、というサイクルが最も成功するパターンかもしれない。

 

英国の面白いところは、ケンブリッジによく似たシステムで起業させ、ビジネスにつなげようとする動きは多い。サザンプトン大学も同じで、ブリストル、バースなどの地域も含め、SETsquareと呼ばれる地域は、大学と中小企業やスタートアップのベンチャー企業も多く、大学発ベンチャーを生みやすい環境にある(参考資料1)。31日に訪問したところも、サザンプトン大学からスピンオフして、起業したスタートアップであった。社員のほとんどがドクターだという、訪問した会社は、ビジネスマインドのある大学の教員と博士課程を終えたエンジニアが単純作業の部分はできるだけ自動化するなど、楽しく開発することに重点を置いていた。ポスドク問題の解決に一役買っている。

 

やはり、これからの時代は、人間としての楽しさ、すなわちユーザーエクスペリエンスを追求する時代に入ったことを改めて実感した。もはや性能追求の時代ではない。

                                              (2015/03/31)

参考資料

1.    津田著「欧州ファブレス半導体産業の真実~日本復活のヒントを探る」、日刊工業新聞社刊、2011

インフィニオン取材で改めて感じた日本企業の甘え

(2014年10月 5日 05:58)

9月下旬、数年ぶりにミュンヘン郊外のインフィニオンテクノロジーズ社を訪れた。インフィニオンは、元々ドイツの老舗企業シーメンスから半導体部門が独立した(カーブアウト)会社である。かつて、NECから「独立」したNECエレクトロニクスと同じように見えるが、その独立の内容が全く違う。NECエレクトロニクスにはNECとその関連会社が株式の80%以上を持ち、独立とは名ばかりの子会社そのものだった。

 

日本の半導体企業が世界の企業と全く違う特徴の一つに、「親離れ」「子離れ」が全くできていないことを以前から指摘していたが、今回、インフィニオンの本社から確認して、そのことを再認識した。日本の半導体部門は、セット部門(OEMあるいは電子機器を製造する部門)の親会社から全く独立していないことが、世界の半導体企業とは全く違うという点だ。日本企業は親も子も甘えている。これでは世界との競争に勝てない。

 

セットメーカーが半導体部門を持っているところは日本だけではない。欧州でも米国でもあった。米国ではフリースケールセミコンダクタとオンセミコンダクタは通信機器のモトローラから独立し、アバゴはヒューレット-パッカード(H-P)からカーブアウトしたアジレントテクノロジーから独立した。欧州では、NXPセミコンダクターがフィリップスからカーブアウトした。ところが、これらの企業はいずれも親会社の資本を今はひとつも持っていない。完全独立、自己責任の経営スタイルなのである。ここが日本とは全く違う。

 

元々半導体産業は、H-Pやフェアチャイルド、テキサス・インスツルメンツ(TI)、IBM、モトローラ、RCAなどセットメーカーから始めた所と、インテルやアナログ・デバイセズなど半導体専業メーカーから始めたところが多かった。それでもセット部門から独立して半導体専業メーカーになった所も多い。さらに、リニアテクノロジーやマキシムインテグレーテッド、サイプレスセミコンダクター、ラティスセミコンダクターなど半導体専業メーカーとしてスタートしたところはきりがないほどたくさん生まれた。

 

日本の半導体メーカーはいまだに親離れ、子離れができていない。ここが海外企業との最大の違いであろう。セットメーカーと半導体部門が一緒になっている企業は今やサムスンぐらいしかいない。サムスンも世界の半導体から見ると特異点なのだ。いまだに大量生産できるメモリを扱っているから、投資環境の点で垂直統合型でも生きていけているといえる。しかし、メモリ産業を手放すと、半導体ビジネスの環境はがらりと変わってしまう。

 

余談だが、サムスンがもしこのままメモリビジネスを手放すと日本の半導体と同じ運命を辿る。しかし、メモリを捨ててもファウンドリビジネスに集中するのであれば、日本とは違う運命を切り開くことができる。今さらロジックやプロセッサのファブレスでビジネスを行うのは極めて難しい。

 

日本の半導体が失敗したことは、メモリビジネスをやめたのにもかかわらず、大量生産のメモリと全く同じ投資を行うビジネスを続けたことがある。経営的には、親離れしていなかったこともある。逆に親会社は子会社を独立させなかったことの裏返しでもある。

 

かつて、アバゴがアジレントから独立した時にたまたま訪問したが、社員たちは一様に、これからは自分の責任で自分らの道を決めていく、と興奮気味に話していた。フィリップスから独立したNXPを取材した時も、これから自分たちの責任ですべて決めていくことができると興奮していた。完全独立だと、社員は退路を断ち切られ、自分の責任で自分の好きなように会社の進路を決められる。責任の重みを感じながらも自分たちの将来に大きな期待をしていた。日本の半導体メーカーにはこのような自由と責任がない。

 

例えばインフィニオンは、1999年の独立当初からシーメンスからの出資はゼロだったと先日聞かされた。2007年ごろ、10%程度はシーメンスが持っていると聞いていた。いずれが正しいのかわからないが、現在はゼロであることは間違いなさそうだ。独立した1990年代後半当時の実力は、パワー半導体が強いものの、DRAMやマイコン、VoIPVDSLなど通信用半導体なども手掛けていた。

 

2006年にインフィニオンは、DRAMビジネスをキモンダ社として分離独立させた。ただし、株式の大部分を持っていた。分離させた理由は、DRAMビジネスでは1000億円単位の投資が必要になるのに対して、メモリ以外のビジネスはソフトウエアや人に投資しなければならないが、両極端のビジネスを一人の経営者では判断できないからだ。そこで、DRAMだけの経営者と、それ以外の半導体の経営者に分けるために分離した。この点も日本のメモリ企業とは違う。

 

2007年からサブプライムローン問題、続くリーマンショックの金融恐慌に巻き込まれ、巨大な投資を必要とするキモンダは20091月に経営破たんした。キモンダにはインフィニオンも出資していたため、キモンダの経営破たんはインフィニオンにも大きな影響を及ぼした。インフィニオンは、倒産したキモンダとの連鎖を避けるためにキャッシュフローを第一に考える経営にフォーカスすると同時に、自らの強み・弱み・将来性などを内部で議論した。その結果、現在の体制、すなわち「エネルギー効率」「モビリティ」「セキュリティ」の3分野に絞り、通信部門をインテルに売却した。

 

今回訪問した時に、インテルのマークの付いた建物を見つけた。聞いてみると、インテルに売却した部門はそのままミュンヘンに残しているという。通信部門の所有者がインフィニオンからインテルに移ったが、従業員は同じ場所で同じ仕事を継続している。この仕事のスタイルはインテルが元インフィニオン従業員の仕事のスタイルを理解していることを示している。

 

かつて英国のサッチャー時代に経営不振に陥っていたロールスロイス社をBMWに売却した時、英国国民やメディアからは「英国魂をドイツに売るのか」という声が上がったとサッチャー回想録で語っている。今回のドイツ出張で、最終日にBMW博物館を見学した時、ロールスロイスの高級車を展示しており、「ロールスロイス」というブランド名を未だに使っていることに驚いた。買収した企業の従業員の心を大事にする企業文化はむしろ日本が学ぶべきことではないだろうか。次回は、インフィニオンがいかに女性や従業員を大事にしているかについて述べよう。

                                   

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(2014/10/05)

NIWeek 2014のネットワーキングに日本の弱さが見えた

(2014年8月 5日 20:35)

測定器メーカーであり、設計ツールメーカーでもあるNational Instrumentsが年に一度開催する、NIWeek 2014にやってきた。ここテキサス州オースチンは、日中の気温こそ35~40度と高いが、湿度が低いせいか、東京よりも涼しく感じる。特に建物に入ると上着を着なければ寒いほど、ガンガン冷房を入れている。

DSCN6693.JPG                  写真 オースチンの夜明け

NIWeek 2014は、85日から始まるが、前日はネットワークイベントが続出した。昼は、米国本社のマーケティング部門の方のオリエンテーションを聞きながら、東アジアの記者との交流があった。台湾、韓国、中国、そして日本の記者とNIのマーケティング担当者が顔合わせし、自己紹介する。

 

計測器の世界では、化学プラントやオートメーション関係のメディアが多く、残念ながら中国と韓国からの記者は誰とも面識がなかった。しかし、台湾の記者2名はなじみの記者であり、ほっとした。また、夜になると、それ以外の記者とNIのワールドワイドのマーケティング部門の方々とのネットワーキングがあった。成田からオースチンまでの乗り継ぎのヒューストン空港で、偶然シンガポールのEDN Asiaの記者をしていた男にあったが、彼もこのネットワークイベントに参加した。さらに、かつてDesign News Japanの発行・日常の編集などでお世話になったDesign Newsの元編集長とも数年ぶりに会った。

 

こういったネットワーキング(日本語では人脈形成)は、日本人にはなじみが薄いが、非常に重要だと思う。各国の記者と顔なじみになるばかりではなく、各国のIT/エレクトロニクス業界の話を聞き、情報を交換する重要な場である。台湾の記者からTSMCやメディアテック社、HTC、小米科技などの最新情報を聞くことができた。元Design News編集長からは米国のメディア業界の再編成の話を聞けた。再編成とは合併することではなく、起業と解散、買収などによって、インターネットメディアを主体とする新しい時代のB2Bメディア産業が構成されることを指す。かつての技術雑誌の仲間たちは、自分でサイトを立ち上げたり、新規ウェブサイトに転職したり、古いメディア企業内でさえも変わったメディアに移ったり、さまざまな経験をしている。

 

こういった人脈形成に必要なネットワーキングイベント(いわゆる飲み物と軽食をつまむパーティ)が残念ながら日本ではうまく機能していない。同じ企業同士しか話をしないとか、知らない人に声をかけて情報交換することが少ないとか、やはりなじみが薄い。しかし、ネットワーキングは、極めて重要だと思う。例えば英国の経済産業省下部組織が運営するセミナーやその中でのネットワーキングで知り合った人間から定期的に情報をもらったり、あるいはドイツのディナーパーティで知り合ったメディアの方から雑誌を毎月送っていただいたりして、情報収集の役に立っている。この中から記事を作成したり、翻訳させてもらったりすることも多い。

 

海外のネットワーキングでは、お酒を飲めない人に強要することはまずない。あくまでも個人が飲みたいものを飲むだけ。この意味では個人主義だが、ネットワークによって情報を得るか得ないかはメディアの人間としては雲泥の差が生まれる。要は仕事の役に立つネットワークの形成である。恐らくメディアに限ったことではないだろう。企業同士でも、顧客、サプライチェーン、ライバル、さまざまな職種からエコシステムを作り、「餅は餅屋」と言われる日本語があるように、それぞれ得意分野が違っているため、カバーし合ってエコシステムを生み出すことができる。

 

日本企業は一般にエコシステムを形成したり、標準化するための話し合いの場を運営したりすることが下手である。こういったネットワーキングを通じた人脈形成は、結局ビジネスの受注にもつながる。日本語の商売繁盛につながる仕組みである。グローバルなネットワーキングの場こそ、これからの日本企業にとって重要な場になりうる。

                                                (2014/08/05)

海外出張旅費の価値とは何か

(2014年5月16日 23:16)

海外出張する時にいつも気になっていることがある。訪問した街にいると日本人をほとんど見かけないが、空港へ行くとどこからか来るのかと思うくらい日本人が大勢集まる。特にJALANAのような日本の大航空会社の場合はなおさらだ。しかし、その街を歩いていても、ほとんど日本人を見かけないことが多い。多くの日本人観光客は旅行会社のツアーで来ているせいであろう。

 

西欧の人々は個人で行動することが多いせいか、大勢一緒にいるという状況をあまり見たことがない。特に英国は日本と同じように島国なのに、一人で海外へ行くことに全く抵抗がない。同じ島国なのに、日本は英国とはずいぶん違う。英国に限らず日本は外国とは考え方が大きく異なる。

 

最近の企業における海外出張はどういった行動パターンなのだろうか。私は昔からふつうは一人で出張してきた。かつて大会社にいた時は社長のかばん持ちのようなスタッフとして出かけたことが2~3度あったが、決して見聞を広められる楽しい出張ではなかった。

 

ここ10数年は、1人あるいは、せいぜい2人での出張が多い。それも最も安いUnited Airlineが多く、それなりに面白い。日本人が少なく、いろいろな人種の人たちと出会えることも面白い。先月米国からの帰りの便では、インド人の2人の幼い姉妹が隣に座っていた。私は通路側に座っていた。父親が時々心配そうに見に来るので、代わりましょうか?というと、いやいい、と素っ気ない。20席くらい前の座席に夫人らしき人と座っていた。

 

その父親は、時々見に来て、子供がうるさいかもしれませんがすみませんね、と言う。いや、子供たちは仲良く、「アナと雪の女王」に見入っていて、おとなしいですよ、と返す。父親はインドなまりの聞いづらい英語だが、子供たちは米国で育っているせいか、聞きやすい英語を話す。幼い姉妹は映画を見ながら楽しそうに時々笑い、こちらまで何かほのぼのとした気持ちになり、リラックスさせていただいた。日本の航空会社やビジネスクラスでは、こういった思いを経験したことがない。

 

日本の航空会社のビジネスクラスでは昔、嫌な思いを何度か味わった。それは、女性のキャビンアテンダントに威張り散らす日本人オッサンが隣に座る場合だった。横柄な態度で女性のアテンダントに酒を注文する。なんでもすぐに「客」をカサに着る。こんなオッサンとは口も聞きたくない。結局、エコノミークラスの方がずっと楽しい記憶が多い。

 

考えてみれば、ビジネスクラスはわずか10~13時間の間に40~50万円も高い料金を払っている。エコノミーだと米国西海岸15~20万円で往復できるが、ビジネスだと少なくとも30万円以上上乗せることになる。その価値はあるだろうか。その分、1泊のホテル代を1万円上乗せしてビジネスに適したホテルに泊まる方がずっとお金を有効に使えるのではないか。

 

危険な安いホテルではビジネスの信用にもかかわる。仮に5泊してもアップするお金はわずか5万円だ。13万円のホテルに5泊、エコノミーチケットで出張する場合の出張費は30~35万円。12万円のホテルに5泊、ビジネスチケットで行く場合は55~60万円。ビジネスの信用と効率を考えれば、どちらが有効なお金の使い方なのか、一目瞭然だ。米国の代表的な通信機器企業のシスコシステムズの経営トップが安売りのエコノミーで日米を往復するという話は本当だ。そのほかにもエコノミーで米国出張する外国人社長を何人も知っている。利益率の高い企業は、「価値」をしっかり意識している。

 

ソニーのストリンガー元CEOは社長時代、毎週ロンドンの自宅からニューヨーク、東京をファーストクラスで出張し、ソニーが赤字を出してもこのスタイルを変えることはなかった。誰も文句は言わなかった。言えなかった。「価値」を議論したことがないのだろう。

2014/05/16

 

シリコンバレーはResilientがよく似合う

(2013年10月14日 03:52)

半年ぶりに米国西海岸に来た。このGlobalpress Connections 主催のEuroAsia 2013イベントは14日の月曜日から始まるが、久々に講演スポンサのスロットが全て埋まった。米国の半導体業界は回復してきたといえる。

 

到着した昨日は土曜日で休日だったため、サンノゼの街を歩きながらテクノロジー博物館「The Tech」へ行った。購入したチケットには、「シリコンバレーの精神」をこの館の特徴とする、と書いてある。

 

米国のこういった公共施設には寄付が多い。この建物のプレミアムパートナー(スポンサー)として、サンノゼ市(言うまでもないことだが)、アプライドマテリアルズ、アクセンチュア、シスコシステム、マイクロソフト、フレクストロニクス、インテル、ノキアの名前が入っている。さらに寄付した個人が手形を付けた6インチウェーハが、所狭しとガラスケースに並べている。ここには、ムーアの法則で有名なゴードン・ムーア氏、長い間アプライドマテリアルズの社長だったジェームズ・モーガン氏など業界著名人の名前がずらりと並んでいる。さらにはヒューレット・パッカード社を始めた、ウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカード両氏の名前も見える(写真1)

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米国では施設に寄付が多いのは、税金が控除されるからであり、寄付された側も名前を展示することで敬意を表している。日本ではお金は全て財務省が管理するため、控除にならない。だが、市民側に立てば、寄付するお金は何に使われるのかがはっきりしている。少なくともこの博物館の運営に使われていることだけは確かである。以前紹介したモントレーの水族館でも寄付したハイテク業界の著名人の名前が書かれていた。税金だと、一体何に使われているのかわからない。私たち市民にとって、何に使われるのかわからない税金よりも、使い道のはっきりした寄付の方が納得できる。日本でも寄付が税金から控除されるようになれば、もっと寄付したい気持ちが高まり、寄付金はもっと増えるだろう。米国では寄付は税金控除の対象になる。公務員の方々みんなが滅私奉公の精神を持っているのなら、税金も納得できるのであるが。

 

テクノロジー博物館では、ゲーム感覚でテクノロジーを体験できる見せ方が多い。面白かったのは「ジェットコースターの設計」というシミュレーションだった。ジェットコースターの線路コースを五つくらいに分け、それぞれの形を選ばせる。最初は適度な角度で、のぼりはある程度急な角度にして、下りは緩やかでカーブもつけて、最後は360度回転させる。ここの設計がまずいとゲームは終わってしまう。設計がうまく行くと、今度はそれを、隣にある大スクリーンに移動しその成果を見る。コースターと同じ椅子に腰かけながら大画面のスクリーンを見て、さきほどのシミュレータで設計したコースターを再現する。グラフィックスシミュレータによって、今度はジェットコースターに乗っている感覚が味わえる。

 

ここで感じたことは、National Instruments社の設計ツールLabVIEWや、MathWorks社のMATLAB/Simulinkのように、ドラグ&ペーストで部品を組み合わせて全体を設計できるツールが使えることだ。子供たちに提供されるこういった便利なツールが、自分でテクノロジーを体験できる仕組みになっていることに驚いた。展示するだけや、一方的に教えるだけでは、子供たちは納得しない。ゲーム感覚でものを設計できるという体験はとても大事で、子供は自分で設計したものが成功する、という貴重な体験が得られる。日本はテクノロジーよりも科学の見世物が多いような気がする。米国の方がより実用的で、かつ楽しく体験できるような構成にしている。ここにiPhoneを生み出す原点があるような気がした。

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半導体の説明もしゃれている(写真2)。砂からシリコンへ、というビデオが流れていた。SiO2を主成分とする砂を還元すれはシリコンができるわけだが、そのシリコンから複雑なシステム回路を作り出す様子を示している。原料は、原理的には無尽蔵である。将来に渡ってもシリコン半導体でシステムを構成する、という立脚点に立てば、半導体も日本も将来は明るくなる。

 

最近、よく使われるビジネス英語で、「resilient」という形容詞がある。弾性的とか跳ね返りが強いとか、というような訳が辞書には載っていると思うが、ビジネスや経済の回復力が速いといった場面で使われる。ここしばらく、米国でも半導体は緩やかに回復していたが、今回のGlobalpressのプログラム状況を見ていて感じたが、米国のシリコンバレーにはResilientという言葉がよく似合う。

 

2013/10/14

LED電球には虫が来ない、虫嫌いに朗報

(2013年7月14日 13:03)

LED電球に新たなボーナスが判明した。蛾などの夜行性の虫がランプに集まってこないことだ。

 

LED電球は消費電力が少なく、寿命が長いと言われている。LED電球はpn接合半導体チップを複数並べて光らせたもの。白熱灯や蛍光灯とは違い半導体であるからこそ、消費電力が小さく、簡単には壊れない。最近ではサンフランシスコ空港をはじめ、国内のコンビニエンスストアなと、さまざまな場所に設置され、家庭でも天井灯も普及してきた。野菜工場では、植物が光を吸収する割合が青と赤の波長光で強く、これまでの蛍光灯の元で野菜を育てるよりも早く育成できることがわかっている。

 

さらに蛾などの夜行性の虫が寄り付きにくいこともわかってきた。実はこの話を、以前、米国のあるブログで見た。ブロガーは、かつて一緒に仕事したことのある、エレクトロニクス技術雑誌EDNTechnical Editor だったMargery Conner(マージョリー・コナー)記者だ。彼女がLEDランプの特長について調べていた時に、何かで見つけたらしい。

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そこで、我が家でもLED電球を敢えて、虫の来やすい玄関の外灯に使ってみた。あれから、もう1年以上すぎた。確かに蛾は来ない。LEDの白色光の波長に寄ってこないのかもしれない。これまでは外灯を付けるたびに虫が寄ってきて家の中に入ろうとして、虫嫌いの妻は悲鳴を上げていた。

 

夏でも冬でも蛾は来ない。玄関の外灯を付けていても蛾は寄ってこない。なぜかはまだわからないが、LEDのメリットの一つになったといえそうだ。

 

LEDランプは、一般に青色LEDに黄色の蛍光塗料を塗って白色に変えている。赤、緑、青の3色のLEDチップを使っている訳ではない。一部にはそのようなぜいたくなランプもあるようだが、一般には青色チップだけだ。黄色は、赤と緑の合成になるため、実質的に青と黄色は、青・赤・緑を足した色と同じ白色になる。これが定性的な理解である。

 

青は450nm前後と言われ、黄色は570~585nmであるから、白色LEDの波長は、黄色の蛍光塗料と青色LEDからの光が白色LEDから発せられている。

 

LEDランプは少なくとも黄色の蛍光塗料の波長と、青色のLED波長からなるため、可視光と言っても波長の範囲は狭い。白熱ランプよりも波長の範囲はずっと狭いはずだ。450nmの色と570~585nmの色に蛾が集まってこないということは、蛾の好きな波長は白色光以外かもしれない。

 

少なくとも蛍光灯を点けるとすぐ蛾がやってくる。ということは、白色光よりも短波長の紫外線に近い波長を蛾は好むのかもしれない。蛾などの虫を集めては放電で殺す青色の蛍光灯のようなランプを店先で見かけるが、あの波長は蛍光灯よりもさらに青い色なので紫外光領域も含んでいるはずだ。LEDランプには紫外光が出ていないために虫がやってこないのではないだろうか。

2013/07/14

監視カメラが犯罪防止や犯人逮捕に威力を発揮

(2013年4月23日 22:55)

ボストンの爆発事件が起きた時、米国カリフォルニア州のサンタクルーズにいた。テレビでは、この事件を連日報道していた。犯人が逃走した後の経緯などについても詳細な報道が多かった。今回のテロ事件に活躍したのは、監視カメラ(サーベイランス)だ。

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 図 監視カメラの応用 出典:Altera

各所に張り巡らされている監視カメラが犯人兄弟を特定した。監視カメラは今回のように犯人逮捕や犯罪防止に役に立つ。また、事故に遭ったり窃盗に出会ったりするような場合には、どちらが正当なのか明白にしてくれる。

 

帰国前日、サンフランシスコ空港から地下鉄BARTに乗ってサンフランシスコの市内に行ってみた。その車中に監視カメラが4台あり、それらが各車両に配置され、車内の様子を全て見えていることも車内の壁に書かれている。乗客は安心して電車に乗ることができる。逆にこういった監視カメラがない場合には、電車の中では決して油断できない。従来の米国出張では常に緊張していた。危険と背中合わせだった。

 

日本でも最近は犯罪が多発したり、クルマが暴走して突っ込んできたり、昔では考えられない事件が多発している。残忍な殺人事件や凶悪な強盗事件も起きている。安全な街づくりに監視カメラは欲しい。

 

一方、監視カメラを街中に張り巡らせることに反対する意見もある。プライバシが侵される恐れがあると言って反対する。ただ、監視カメラは戸外における個人の行動を記録できるが、個人のプライバシを侵すこととは議論が別ではないだろうか。プライバシは、個人の健康状態や所有するお金、既婚・未婚、年齢など他人に知られたくないことや、裸の姿など見られたくないことを守るための権利である。街の中を堂々と歩くことがなぜプライバシに関係してくるのだろうか。プライバシという権利を必要以上に振りかざしてはいないだろうか。

 

重要なことは、プライバシという言葉の意味をしっかりと噛みしめて考えるというクセを付けることである。街灯や電柱に監視カメラを設置することが本当にプライバシを侵害するだろうか。本当に他人には知られたくないプライバシが、公共の利益が相反する場合にこそ、公共の利益優先か、他人に知られたくないプライバシか、冷静に考えてみる場面になる。街中に監視カメラを設置することが当てはまるだろうか。

 

監視カメラは犯罪防止や犯人逮捕に係わる重要な装置である。公衆道徳や公共の利益と、個人のプライバシの重さを天秤に測って考えてみればよい。そうすると、監視カメラの設置は、プライバシとは関係のないことであることがわかってくる。

 

しかも、誤った意味でプライバシという言葉が使われて、監視カメラの設置が見送られることがありうるとするなら、公共の利益に反することになる。まさに平和ボケ、危機意識の欠如、能天気な街や国になるのではないだろうか。

 

プライバシという意味を本当にわかっている国や地域では、監視カメラはエレクトロニクス産業として大きな市場となり始めている。例えば、全ての交差点の信号上にカメラを設置しておくと、交通事故原因が特定できたり、その事故のメカニズムがわかったりする。保険会社が積極的に設置する国もある。

 

最先端の監視カメラシステムでは、魚眼レンズを用いて可動部分を除去しながら、180度あるいは360度見渡すことができるようになっている。その画像・映像は、歪んだ魚眼画像・映像をカメラの内部回路で修正ししたものになる。そのための画像処理・映像処理プロセッサとそのアルゴリズムの開発が世界中で進んでいる。こういった技術は危機意識の高い国では強い。

2013/04/23

またもや日本人の存在感がない

(2013年4月18日 20:24)

Globalpress主催のElectronics Summit 2013の予定がほぼ終わり、移動日を残すだけになった。最終日はサンタクルーズからサンフランシスコ空港の近くのホテルに移動、1泊する。今回も欧州、米国、アジアの記者と話が出来て有意義だった。

 

いつもこの会議で感じることだが、日本人記者が少ない。欧州からはイタリア、英国、ドイツ、デンマーク、ノルウェイ、ハンガリーなどから参加している。常連も多い。米国ではEE Times.comや、Chip Design/System Level DesignElectronic Products MagazinePower Systems DesignSemiWikiなどの記者が来た。アジアは中国、インド、韓国、台湾からの記者が多い。日本からは私と、元ソニーのプロセス開発エンジニアだった服部毅氏が電子ジャーナルの記者として参加した。

 

日本人記者が海外取材する場合は、International CESなどの展示会や IEDMISSCC などの学会発表が多い。発表資料はふんだんにあるため、英語を聞きとれなくても十分な資料があるため記事は書ける。展示会は製品や試作品を見るだけの取材も多い。資料がたっぷりあり、読めばわかる。ビデオで内容を収めることもできる。

 

ところが、記者会見となると日本人の参加者はぐっと減る。このGlobalpress の会議は記者会見の寄せ集めのような会である。記者は当然質問するし、 Q&A 

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のやり取りも多い。2月にスペインのバルセロナで行われたMobile World Congressの際も、STマイクロエレクトロニクスが記者会見を開いたが、私以外の日本人は誰も出席していなかった。フランスとイタリアの企業同士が一緒になって生まれたSTマイクロは、共通言語は英語である。その記者会見でも英語で行った。

 

今回のGlobalpress主催のE-Summit 2013では、英語を母国語としない記者が多いため、どの国のプレゼンタも英語を理解しようと努めてくれる。大変ありがたい。私もあまり英語が上手ではない。プレゼンタによってはゆっくり話してくれる人がいるかと思えば、速すぎる人もいる。ただし、英語を母国語としない記者が多いため、早口のプレゼンは不利である。理解が追いつかない恐れがあるためだ。記者が理解すれば記事は書かれやすい。プレゼンする企業側にとっては書いてもらいたい方が得のはずだ。

 

断わっておくが、このE-Summitでは、書けというオブリゲーションはない。提灯記事を書く義務は全くない。にもかかわらず、参加する記者にはE-チケットとホテルの予約をしてくれ、記者側の費用負担はほとんどない。私のようなフリーの記者にとってはたいへんありがたい。

 

話は逸れたが、これまでのニュースに出たことのない話であれば、記者ならみんな自然に書く。しかし以前聞いた話と同じようなら誰も書かない。企業側はできるだけ新しいニュースを持ってやってくる。例えば、米国のエレクトロニクス産業でいつもクリアなメッセージを送るメンターグラフィックスのウォーリー・ラインズCEOの話は、いつ聞いても新鮮で面白い切り口の話をしてくれる。

 

エレクトロニクスでは、CPURAMROM、インターフェース、周辺回路、ストレージという基本ブロックからなるシステムを「組み込みシステム」と呼ぶ。スマホやデジカメ、テレビ、カーナビ、DVDプレイヤーなどデジタル家電と称する機器は全てこのコンピュータと同じ基本構成で出来ている。ROMに焼き付けるソフトウエアと、周辺回路のハードウエアで違いを出す。半導体回路も同じだ。ソフトウエアと周辺回路ハードウエアの両方が機器の決め手となる。ところが、ソフト技術者とハード技術者は互いに話がかみ合わない。互いにうまくいかない原因を押しつけ合うこともある。こういった対立に目を付け、互いに理解しやすい開発ツールをメンターが開発した。ウォーリーの話は、ユーモアにあふれ、問題点を理解しやすい形でプレゼンする。社内でも賢い(Smart)という声を複数の方から聞く。プレゼンの英語はとても聞きやすい。

 

ただ、こういった場に日本人記者が来ないことはとても残念だ。英語の問題はあるが、中国や韓国の記者の英語は正直言ってうまくない。でも話そうとする意欲はあり、理解に努める姿勢は素晴らしい。いろいろな国の記者と下手な英語で話をすると、彼らの文化を肌で感じることが多く、記事を書く背景として文化や習慣を知ることはとても重要である。ビジネスの違いは文化や習慣から来ることも多いため、このような背景を知っているか知らないかで記事に深みが違ってくる。もっといろいろな媒体から、この総合記者会見に出てくれれば日本の記者のレベルアップにもつながるだろう。欧米の記者からB2Bメディアの在り方を学ぶチャンスでもある。

2013/04/18

社員のクビを切らない企業が伸びている

(2013年4月16日 21:05)

1年ぶりにカリフォルニア州サンタクルーズにやってきた。欧州、米国、アジアの記者同士で、インテル、TSMC、サムスン、ルネサスなど情報交換するのは楽しい。海外ではルネサスを評価する声は多い。技術力だけではなく、会社の風土に対しても、いい会社だという声が強い。欧州の記者からも外国ファンドのKKRに買われなくて良かったという声を聞いた。ルネサス人よ、もっと自信を持とうではないか。

 

ただし、経営陣の心もとなさが引っかかる。知り合いの女性のご主人がルネサスアメリカに勤めていたが、アメリカオフィスを閉鎖するため解雇された。ルネサスはこれからグローバルに出て行きグローバル市場での売り上げを伸ばす予定ではなかったか。それなのになぜ海外のオフィスを閉鎖したり、海外売り上げがこれから見込めるルネサスモバイルを手放すのであろうか。海外のオフィスを閉鎖するのは国内よりも簡単だからという理由だけでそうしていないだろうか。

 

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これからの将来、何で稼ごうとしているのか、ルネサスの経営陣は答えを出してくれているだろうか。対外的にだけではなく、社内的にも従業員は理解しているだろうか。少なくともルネサスの経営陣からは何も聞こえてこない。

 

社員が十分、理解していれば納得できるが、そうでなければリストラ=首切りしかやっていなければ誰もがやる気を失う。関西のp社は10年以上リストラとコストカットしかなってこなかったという話を、Ex-p社の方からよく聞く。これでは社員のやる気は全く出てこない。会社がこれからどういう方向に向かっていくのか、という道筋は社員のために必要である。

 

今来ているサンタクルーズから近いシリコンバレーでは80年代がそうだった。コストカットのためにクビを切った結果、残された社員のモチベーションがガクっと下がった。誰しもが、「次は俺かの番か」と思うからだ。そうなると、残された社員は次の職探しに熱を入れる。会社の仕事どころではない。仕事はそっちのけにしても自分の新しい仕事場を見つけることに奔走する。こうなるとその企業の活力はガクんと落ちるのは当たり前だ。

 

関西のp社が行ってきたことはまさにそうだった。これではエンジニアはまともな仕事にならない。だから業績が落ち続けてきたのである。

 

最近のシリコンバレーや活力のある地域では、簡単にリストラ(クビ切り)はしない。80年代に経営者が学んできたからだ。同時に、優秀な人を採用することが非常に大変であることもよくわかっているからだ。優秀な人を採るためのリクルーティング活動には一人当たり200~300万円はかかる。

 

リーマンショックを経験したこちらの企業の一つ、リニアテクノロジーのボブ・スワンソン会長に聞いたら、「リーマンショックで売り上げがガクんと落ちたが、一人の首も切らなかった」と誇らしげに言った。リストラしないことが企業の自慢になっているのである。その会長に貴重なアナログの専門技術者をどうやって採用するのか、聞いたことがある。もちろん大学へ出向くことが多いが、もし見つけたらかなり優遇する条件を提示する。仮に東海岸のボストンで見つけてもそのアナログエンジニアが本社のあるシリコンバレーには行きたくない、と言ったならばボストンにデザインセンターを設立する、という。

 

ここでは優秀な人であれば、国籍や性別などでは決して差別しない。シリコンバレーのハイテク企業100社のCEOにアンケート調査をしたSGLグループによると、ハイテク企業に勤める社員の国籍は、アメリカ人と非アメリカ人の割合が50%50%であった。ここに働く男女の比率についても聞いてみると、やはり50%50%だった。シリコンバレーでは差別していると優秀な人を採れない。むしろ、優秀ならば誰でもよいという訳だ。

 

こちらに来る前に銀ナノワイヤーを製品化しているカンブリオス社のCEOになぜ、シリコンバレーで創業したのかを聞いてみた。彼らはボストンにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)とUCサンタバーバラ校(南カリフォルニアでロサンゼルスから200km程度離れた場所)で開発された技術をベースにしたベンチャー企業だ。なぜ、わざわざシリコンバレーにやってきたのか聞いてみた。やはり優秀な人がたくさんいて、採用出来ると同時にベンチャーキャピタリストも多いからだと答えた。起業するために優秀な人材は欠かせない。反面、離職率も高い。しかし給料だけで転職する人は少ない。自分を認めてくれるところ、実力を出させてくれるところへ移る傾向が高い。

 

フェイスブックの創業者、ザッカーバーグ氏もボストンのハーバード大学出身だが、起業はシリコンバレーで行った。今や電気自動車のメジャーなメーカーになったテスラモーターズもシリコンバレーで創業した。ここはもはやシリコンだけではない。シリコンの周りにある産業全てが集まっている。