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NEWS&CHIPS|国際技術ジャーナリスト、技術アナリスト、メディアコンサルタント津田建二の事業内容~技術・科学分野の取材・執筆(国際技術ジャーナリスト)

メディア業界の最近のブログ記事

このブログのミッションについて

(2013年1月 4日 21:52)

新年あけましておめでとうございます。今年は良い年になることを祈ります。

 

昨年の8月末に立ち上げたこのブログだが、このミッションは、国際技術ジャーナリストの立場から世界のIT/電子/半導体産業の動きを見ながら、日本の産業を復活させるためのアイデアを提供すること、である。さらにジャーナリストであるから、メディアのあり方も議論する。技術ジャーナリストであるからアカデミックな専門性についても議論する。実は、日本の電子/半導体産業の復活のためには、これまでの仕組みをガラッと変えなければならないことがわかってきた。その範囲は、単なる半導体企業の製品や技術、ビジネスモデルだけにとどまらず、金融、産業全体、行政官僚機構、大学、政治体制などにも及ぶ。一見、電子・半導体産業とは関係のないことに言及する場合でも、視点は半導体産業の復活にある。そのための仕組み作りへの提言となる。ここまで言及しなければならないほど範囲が広くなると、編集長を仰せつかっているセミコンポータルの範囲を超えてしまう。だから、技術ジャーナリストとしてのブログを立ち上げた。

 

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私はこれまで半導体産業と共に歩んできた。大学で物性物理学を学び、その中に半導体物理も含まれている。企業に入り、半導体事業部で信頼性品質管理技術や高周波回路技術、ローノイズ半導体、個別半導体デバイス、プロセス、マスク設計など、個別半導体を扱っていたために設計からプロセス、アセンブリまで一通り経験させていただいた。その間、半導体技術を習得し知識を吸収し応用し特許も書いた。

 

その後、日経エレクトロニクスに移ってから技術ジャーナリストとしての道が始まった。当時は日経マグロウヒル(Nikkei McGraw-Hill)社と呼んでいた。入社前まで半導体エンジニアだった私は恥ずかしながら日経と産経を区別できていなかった。マグロウヒルは、半導体や物性物理を勉強する上でたくさんの本を出版していたためよく知っていた。高名な出版社が日経エレクトロニクスを出していると思っていた。入社して初めてマグロウヒルの組織を知り、マグロウヒル社のビジネス雑誌部門が日経マグロウヒルになり、書籍部門がマグロウヒル好学社になったことを知った。それぞれ日本の企業と組み、合弁企業となった。米国から見ると、日本法人を作るためのグローバル化が始まっていたのである。日経マグロウヒルの設立秘話は、ブログを参照していただきたい。

 

日経エレクトロニクス時代には、ホットエレクトロン効果、短チャンネル効果、ゲートターンオフサイリスタ、MEMS圧力センサ、CMOS特集、信頼性技術、DRAM技術、GaAsICなどの特集・解説記事を書きまくった。さらに日経マイクロデバイスの創刊、さらに英文誌Nikkei Electronics Asiaの創刊に係わった。この時は、英語で記事を書き、香港のスタッフと毎日英語で業務のやり取りをした。講演も増えてきた。エレクトロニクス実装学会の国際委員会のメンバーと一緒にシンガポールへ出かけ講演した。この頃から英語で講演をするようになった。このあと一時、アドミニ部門に配属されたが、再びジャーナリストに戻してもらった。Nikkei Electronics Asiaはアジアのエンジニアの視点で作っていた雑誌であり、彼らとの取材を通して日本の技術だけではなく文化・経済・芸能などについても海外の視点で日本を見ることができるようになった。この時の経験が最も国際ジャーナリストとして大きな肥やしになっている。

 

その後、ライバル出版社であるリード・ビジネス・インフォメーションに移り、Electronic Businessの日本版、Electronic Business Japanの発行準備、米国Electronic Businessスタッフと議論し、2003年創刊にこぎ着けた。さらにSemiconductor International日本版とDesign News Japanの同時発行に当たり、米国のPete Singer編集長、John Boldパブリッシャー、Karen Field編集長、Dan Hirshパブリッシャーらと議論し合った。さらに毎年、日本の状況を説明するための米国Reedでのミーティングで、英語でのプレゼン能力を高められた。

 

海外のメディア仲間との議論はB2Bメディアの在り方を知る上でとても良い勉強になった。さらにフリーになってから毎年Global Press Tourにおいて欧州やアジアのメディアのジャーナリストたちとも議論することで、海外メディアや企業が日本をどう見ているのか、より深みが増した。ニュースは早いが噂ばなしで時々早とちりする英国、公式取材情報しか得られない台湾、報道レポートにこだわり続ける米国、さまざまなジャーナリストと議論することは非常に楽しい。

 

インターネットの時代にはジャーナリストだけではなくブロガー、その他の方も情報を発信できる時代になったため、報道レポートだけにこだわり続けるとジャーナリストとしてのあり方を問われる。ただ、米国には技術アナリストという仕事がある。彼らは市場調査を技術の視点から行い、近未来を予測する。日本には技術アナリストという職業はまだ成り立たないようだ。

 

今のところ、正月が明けてから大きなニュースはまだ起きていない。はっきりしていることは、世界における技術や、経済、文化、政治の動きは極めて速い。日本の遅さは世界においてどのように位置づけられ、それでも日本に有利な分野、流れ、成長性を見極めることが今年の目標となるだろう。世界に付いていけない、見捨てられないために、やはりこれまでの知識と今の流れの把握、ニュースを交えて総合的に判断し、今年も提案していきたい。

2013/01/04

日本の若者も起業したい気持ちは強い

(2012年11月 4日 18:15)

今の若者は起業する意欲が少ない、と何かの記事で読んだことがある。実際に20~30代の若者に聞いてみたら、とんでもない間違いだった。記者か取材先の相手が勝手にそう思いこんでいるだけではないか。彼らは若者の本音を聞いたことがあるのだろうか。取材先の相手はたいていの場合、部長以上の年齢の人たちだが、彼らが上から目線で見下すような質問をしても若者の本音は引き出せない。同じ目線で同じ人間という意識で質問したことがあるだろうか。若者の本音を引き出せる問い方を企業の管理職は本気で考えたことがあるか。

 

私のようなジャーナリストは、聞くことが商売である。しかも真実はどこにあるのかを知ることが本質的な作業である。もちろん、このためにあの手この手を使うが、最終目的は真実を知ることである。自分が勝手に思い込んだストーリーに合わせるような「ねつ造」などは問題外である。なぜ真実が大切か。真実に届かなければ、この世の中がどう動いているのか全くつかめないからだ。つかめなければ適切な判断はできない。

 

取材する場合も同じ。仮説は立てるが、仮説はあくまでも仮説であり、聞いた声が仮説と違う場合はいつでも仮説を修正する。マスコミやメディアの中には記者が思いこんだまま記事を書いているように思える場合もあるが、ある意味でこれは「ねつ造」に匹敵する。ジャーナリストの役割は真実の声を反映させることであり、自分の考えを押しつけることではない。

 

ある記者に、インタビュー記事は最初から8割がた物語りができているもので、なにもない状態から相手の意のままに言われて記事を作るのは宣伝の片棒を担ぐことになる、と言われたことがある。しかし、これは一見もっともらしく聞こえるが、真実を追求するという姿勢からはほど遠い。宣伝の片棒を担ぐかどうかは、記者が判断して宣伝だと思う部分はカットすればよいだけのことだ。仮にインタビュー相手の意のままのことを書いたとしても、それを読む読者は宣伝ばかりする人だな、と思うだけであり、それも真実には違いない。

 

最近のルネサス報道のひどさは海外にも伝わっている。海外の人は、まるでひどいスポーツ新聞のような感覚で報道を受け止めている。事実を見極めるように注意して日本の報道を読んでいるようだ。真実はルネサス社員やルネサスの顧客がよく知っている。ルネサスは、ようやく製品戦略、ビジネス戦略が固まり、未来に向けたモノづくりに向かっている。このことをまともに報道したメディアが少ない。ただ、キャッシュが足りなくなり自己資本比率が低下したために資本を強化しようというのが正しい姿だ。自己資本比率が10%を割りながらも未来に向けてどう立て直すのかまだ全く見えないシャープや、倒産したエルピーダと同列に議論する企業ではない。

 

今何が起きているのかを短い言葉で世の中に伝えようとすれば、できる限り真実に迫らなければいえない。自分の仮説を無理やり相手に言わせるという強引な手法は決して真実を表していない。

 

取材するときだけではない。講演会などで司会やモデレートする時も、大枠(これが取材の仮説に相当)は決めておくが詳細は決めない。参加者の声、それも正直な声を聞くためだ。その時々の議論に応じて、話を変えていく。そうやって大きなテーマからははずれずにいけば、新しい発見が次々と現れる。これが最も楽しい。

 

若者の言葉が真実だと確信したのは、ワークショップを開催して、誰でも発言できる雰囲気を作ることに成功したからだ。多少アルコールも入れたが、最初はシニア世代が発言し、自由にモノ申した後、若者に振ると、では私にも僕にも言わせてほしい、ということになった。若者は決して気取ったり、心にもないことを言ったりはしない。シニアの前では遠慮するのが普通だからだ。

 

彼らは、企業で働きながら今すぐ何かを立ち上げようということではなく、いつかは起業してみたいと思っている。ということは、日本を元気にするためには若者が起業できる環境を作ってやることがシニアのやるべき仕事ではないだろうか。エンジェルや本当の意味のベンチャーキャピタルの育成、若者の提案を正しく評価する仕組み作り、ベンチャーを成功させるために起業した仕事内容を定期的にチェックし、適切なアドバイスをし成功へと導くことのできる人材のソース作りなど、起業するためのさまざまな仕組み作りを始めるべきだろう。

2012/11/04

 

日経マグロウヒル設立秘話

(2012年10月11日 21:42)

日経マグロウヒル誕生の話を創業者のラッセル・アンダーソン氏からうかがった時、日経BP社は生まれていなかったかもしれない、というスリリングな気持ちになった。B2Bメディアで成長を遂げた日経BP社の前身である日経マグロウヒル社の誕生は、もしかしたら存在しなかったかもしれないのである。歴史に「もし」という仮定はないが、優れた経営判断があったから同社は生まれた。日経BP社には設立当時のいきさつを覚えている人間はほとんどいない。記録にとどめるという意味で、覚えている範囲で述べてみたい。

 

1960年代、米国ニューヨークを本社とするマグロウヒル(McGraw-Hill)社は、ビジネスウィーク(Business Week)やエレクトロニクス(Electronics)、アビエーションウィーク&スペーステクノロジー(Aviation Week and Space Technology)など数十の雑誌を発行していた雑誌部門、単行本を発行していた書籍部門など複数の事業部門を持っていた。ちなみに、マグロウヒルは、McGrawさんとHillさんが設立した出版社であることから名づけられた。Hewlett-Packard(ヒューレット-パッカード)社の由来と同じである。1960年代終わりごろ、雑誌部門のプレジデントがラッセル・アンダーソン氏であった。マグロウヒルの雑誌の記事は、編集スタッフが執筆するというスタッフライター制を採っていた。

 

日本は高度成長期を迎え、アメリカスタイルのB2Bbusiness to business)出版事業が日本でも成り立つのではないか、と彼は考え、1960年代後半に日本にパートナーを探しにやってきた。最初は出版社を回って、スタッフライター制の雑誌を発行する出版社を一緒に作ろうと説いた。当時の日本の出版社は、オーム社や工業調査会、講談社、小学館など、記事執筆を外部のエンジニアやライターなどに依頼するというスタイルを採っていた。自社の編集スタッフが記事を執筆することはまずなかった。固定人件費がかかることを嫌っていた。アンダーソン氏は自社のスタッフが記事を書く雑誌は中立なメディアになることを説いて回ったが、訪問した全ての出版社がコストがかかるためムリという返事を返したという。

 

誰ひとりまともに議論してくれなかった日本の出版業界に失望しながら米国に戻った彼は、再度日本のメディア業界を調査した。行きついた結論が、新聞社ならスタッフライター制度を採っているから合弁事業は可能かもしれない、ということだった。そこで、アンダーソン氏は再度来日し、今度は朝日、毎日、読売、日経など大手新聞社を片っ端から回った。しかし、ほとんどの新聞社の社長は興味を示さなかった。唯一の例外が日経の円城寺次郎社長(故人)だった。円城寺社長は、ラッセル・アンダーソン氏の提案の意味をよく理解し、日経新聞とマグロウヒルの合弁会社を作る案に賛成した。

 

ところが、当時の通商産業省(現在の経済産業省)は外国資本の国内上陸を嫌い、外国資本との合弁会社でも日本企業の株式比率が多くなることを強要した。結局、51%49%という日経が少し多い株式の合弁会社に落ち着いた。これが1969年に設立された日経マグロウヒル社である。ちなみに日本テキサスインスツルメンツ社が設立された当時も外国資本の100%現地法人は許されず、ソニーとの合弁会社(やはりソニー51%TI49%)として出発した。

 

日経マグロウヒル社第1号の雑誌が1969年に発行された日経ビジネスである。当時はBusiness Weekが姉妹誌であり、翻訳記事も多かった。第2号の雑誌が1971年に発行された日経エレクトロニクスだ。当時の日経エレクトロニクスはElectronicsからの翻訳記事が半分近く占めていた。合弁前の1965年には、ムーアの法則を提案した、インテル社のゴードン・ムーア名誉会長がその法則についての論文を寄稿した雑誌がElectronicsである。スタッフライター制が定着するにつれ、日経ビジネスと同様、内部執筆記事の比率が高くなっていった。

 

1979年にはElectronics誌は創刊50周年を迎え、私も入社3年目で特集号の編集に係わらせていただいた思い出がある。その時、Electronicsという言葉は、マグロウヒルのこの雑誌名が最初に使われた言葉だということを知った。電子を意味するElectronに学問を意味する接尾語-icsをつけてElectronicsと名付け、日本では電子工学と訳されている。Electronics誌は残念ながら他の出版社へ売却され、その後1980年代に休刊に至った。売却、休刊のいきさつの詳細は知らないが、編集コンセプトについて、技術オリエンテッドを維持するか、ビジネスオリエンテッドにシフトするかについてパブリッシャーとエディターとの間で意見が対立、ビジネスオリエンテッドにシフトすると共に没落していったと聞いた。

 

その間隙をぬって、1985年に発行されたのがElectronic Engineering Timesだった。同じ年に米国出張へ行き、PR会社の人からEE Timesに載っていたあのニュースを読んだか、と聞かれた。早いニュースをキャッチするメディアとしてEE Timesは話題を呼んでいた。確かに、当時EE Timesに掲載されていた記事では、その技術的な信ぴょう性はともかく、やたらとニュースが速かった。当時はほかにもElectronic DesignEDNというエレクトロニクス関係の雑誌があり、Electronicsが休刊してもこれら3誌が競い合った。より技術的に深いEDN、動向記事に強いElectronic Design、速報ニュースに強いEE Timesと、それぞれが特長を生かしていた。

 

日経マグロウヒル社は、1988年に社名変更する。マグロウヒル側が株式を売却したい、との意思を示し、さまざまなメディアが買収案を示した。が結局、最も高い株価を提示した日経が買った。当時の日本では経済バブルの真っ最中であり、円高が進行し、米国企業を買うことが流行した。マグロウヒルが合弁会社から手を引いたため、会社名を日経BPBusiness Publications)社と変えた。これが今の日経BP社の原点である。

 

歴史に「もし」はないが、もし朝日新聞社の社長がラッセル・アンダーソン氏の提案に興味を示したら、朝日マグロウヒル社が生まれ、「朝日ビジネス」や「朝日エレクトロニクス」を発行していたかもしれない。経営者の判断がその後の企業の成長に大きく左右した好事例といえる。では、今の日本企業の経営者は、海外企業との合弁をオファーしたり、されたりする場合に、将来の成長へつなげられる判断ができるだろうか。20年、30年に渡って成長していく企業作りの視点を経営者には是非持っていただきたいと思う。

2012/10/11

ITジャーナリストは有象無象か

(2012年10月 6日 10:51)

ここ数日、日経ビジネスの小板橋太郎記者の書いた「『声なき声』に耳を傾けているか」というブログが波紋を呼んでいる。ITジャーナリストを有象無象と述べたことに噛みついた、あるITジャーナリストがつぶやいていたのである。

 

小板橋記者は、ITジャーナリストはIT企業の「ご招待」によって、スマートフォンを発表前に触らせてもらい、その引き換えに提灯記事を書く、というような意味のブログを書いた。彼の指摘はある意味では正しい。かつては、オーディオ評論家がそうだった。AV機器メーカーから招待・接待を受け、新商品を発売前に評価する立場にあった。当然、筆は鈍るだろう。悪いことは書けない、書かない。だから提灯記事となった。

 

だが、待てよ。かつて日経BP社にいた私は、利益媒体と赤字媒体の両方を経験し、記者としての心構えに大きな戸惑いを感じたことがあった。日経BPでは、「武士は食わねど高楊枝」という精神で記者は取材に当り、招待取材は受けないことが原則であった。利益媒体にいた時は、招待取材の場合でも、出張旅費は出版社が払っていた。一方、赤字媒体にいた時に招待取材の案内を受け取っても出張旅費を媒体予算で出せないため、招待をお断りした。その後、その招待した企業からプレスリリースをはじめ情報が全く来なくなった。情報過疎に置かれたのである。記者としてこのスタンスはおかしいと思った。利益媒体は出張取材に行けて赤字媒体は取材に行けないのである。

 

「高楊枝」の精神は評価するものの、媒体ごとにスタンスが違うようでは、いま利益の出ている媒体が赤字に転落した時は、ジャーナリストとしての心構えが変わってしまう恐れがあるのだ。ITジャーナリストは、私と同様、フリーランスが多い。フリーランスのジャーナリストは記事を作成することで生活の糧を得ている。そのために筆が鈍ることを、収入の安定した出版社社員が非難はできまい。生活の糧を心配することのない日経ビジネスの記者とは違うのである。親方日の丸ではないが、しっかりしたバックを得て書けるジャーナリストとフリーランスのジャーナリストとは基本的な立場が違うと言ってよい。

 

私は今、基本的に招待取材を受ける人間である。招待取材を受けても情報が得られる方が読者のためになると思うからだ。とはいえ、提灯記事は書かないように一線を張っている。そのために、「書けというオブリゲーションがあるのであれば、招待は受けません」とひとこと言っておく。オブリゲーションがないのであれば招待を受ける、というスタンスである。書く、書かない、あるいは第3者的に冷静な分析を入れて書くことは、あくまでもジャーナリスト側の判断によるからだ。取材した企業の内容がすでにどこかで発表したものであれば書きたくても書けない。あるいは何のニュースもない記者発表なら書けない。だから「書く」という約束はできないのである。

 

もちろん、ジャーナリストが海外出張など数日間を費やす以上、何か新しい視点を見つけて書くように努めることは言うまでもない。だから、新製品や新技術の発表でなければ書けないようではジャーナリストとはいえない。新しい視点を自分で見つけ、その視点で見ると今までにない新鮮な切り口のニュースになる、と思ったら書く。その場合には媒体の持つ想定読者を念頭に入れて視点を探す。想定読者の役に立つ切り口を模索するという作業に私は時間を費やす。そのためには、設計技術・製造技術・製品・応用・市場・ビジネス戦略などあらゆる角度から切り口を検討する。だから日々の取材・勉強が必要なのである。幾何学の補助線を見つけてきれいな解を見つける作業と同様、新鮮な切り口が見つかったときは、やった!という気持ちになる。

 

ジャーナリストは情報を集めることがまず大きな仕事であるから、取材しないのならジャーナリスト失格である。取材して知らない話を聞けるのであれば、基本的に取材は受ける。海外からの電話取材の依頼もしょっちゅうある。ただし、書けというオブリゲーションがあるのであればお断りする。できるだけ書く努力は当然ながらするが、書けという約束はできない。オブリゲーションがなければ喜んで取材を受ける。

 

実は、こういった私のスタンスは海外メディアから学んだものだ。海外のB2Bメディアはやはり日本のメディアよりも一日の長がある。かつてのEDNDesign NewsSemiconductor Internationalの編集長や記者たちとのディスカッションはとても役に立っている。利益媒体なら取材に行き、赤字媒体なら取材に行かないという態度はジャーナリストとして矛盾している。

 

13日からの米国出張取材はPR会社の招待で行くが、やはり「武士は食わねど高楊枝」の精神は伝え、理解してもらっている。どのような視点を探してもニュースにならない場合には書かない。もちろん、ニュースとして記事を書いた暁には、記事のURLあるいはpdfを相手に送っている。ジャーナリストのスタンスがぶれてはならない。

(2012/10/06)

ルネサスを巡る報道のあり方に思う

(2012年8月30日 00:31)

エルピーダメモリが経営破たんした後、買い手を待っている間、次はルネサスか、という報道が出てきた。日本経済新聞や朝日新聞、読売新聞、毎日新聞など一般紙のトーンは「ルネサスも危ない」というネガティブキャンペーンにしか見えない。まるで倒産することを一番に報道する競争をしているかのように、あるいは倒産することを待っているかのように思える。

 

29日もファンドのKKR1000億円を出資するという旨の新聞記事があったが、本当だろうか。出資するとしても1000億円もだすだろうか。デューデリと称して工場をコンペティタに見せることはしないだろうか。お金を基準通貨としてではなく錬金術として扱うファンドはルネサスの何が魅力なのだろうか。この記事の信ぴょう性は?

 

ルネサスが社内のコンピュータ基幹システムを全面入れ替えするために8日間製品を出荷停止した。システム変更による支払い条件の変更を前もって通知すると、ルネサスは資金繰りが厳しいから、「エルピーダの余波で資金繰りに汲々」(東洋経済421日号)という見出しの記事が掲載された。ルネサスの基幹システムの全面変更は、日立製作所と三菱電機が合併してルネサステクノロジができた時もやはり1~2年経ってから行っている。今回もNECエレクトロニクスとの合併後、同様な期間を経ただけなのに、今にもルネサスがつぶれそうだというばかりのトーンだった。

 

悪意を持って記事を書いているように思えた。たとえ倒産の危機に直面していてもつぶれることを前もって報道することにどんな価値があるのか。もちろん、債権者に早めに伝える義務があるというだろう。だとしても死人に鞭を打つような行為はジャーナリストとして慎むべきではないだろうか。しかも今回は、基幹システムの変更という事実を関係企業に伝えただけなのにもかかわらず、ルネサスも倒産か、というような悪意に満ちた表現が舞い上がった。

 

エルピーダはつぶれるべくしてつぶれた。資金繰りが苦しく転換社債の発行のニュースと共に、あたかも大丈夫であるかのように新技術・新製品の発表のニュースも倒産前の半年間まだら模様のように流れた。技術の粉飾とも言えるようなニュース発表が多かったのである。競合相手は、本当にこの技術を開発したのか、と疑うことが多かった。

 

DRAMだけを作っていた半導体メーカーは実はエルピーダだけだった。他のDRAMメーカー、サムスンもSKハイニックスもマイクロンテクノロジーもみんなDRAM以外にNANDフラッシュやファウンドリ事業、CMOSイメージセンサなどの製品も製造していた。DRAMには「32ビットの壁」、すなわち4GB以上はアドレッシングできない(232乗は4GB)という本質的な限界があったからだ。2Gビットまで開発すればもうこれ以上の集積度を上げても使えない。つまりDRAMには未来はなかったのに、DRAMに固執していたのである。

 

ルネサスの場合はエルピーダとは全く違う。親会社の日立製作所、NECなどと霞が関が無理やり半導体部門をくっつけようとしてできた会社であり、それまでの赤字体質を残したまま強引に合併させた会社である。無理やり親同士と霞が関に結婚させられたルネサスエレクトロニクスは、何とかして黒字化しようと懸命に努力してきた。強みを生かしマイコンに注力し、弱い部門を切り離そうとしてきた。今はようやくその成果が見え始めてきた所である。そのような矢先、倒産しそうだという記事が流されたのである。

 

ルネサスはアナログ回路を取り込んだ32ビットマイコン、さまざまなセンサ信号を受けるためのアナログフロントエンドを多数揃え、ユーザーがカスタマイズできるようなハードウエア、ソフトウエアのツールを充実させてきた。32ビットマイコン技術とアナログ回路を集積したICのトップメーカーであることを示したのにもかかわらず、一般紙は採り上げない。

 

5月に行われた台湾TSMCとの共同記者会見の前日は、ルネサスの鶴岡工場をTSMCへ売却するのではないかという憶測記事が流れた。これも悪意に満ちたガセネタだった。ルネサスはひと月以上前からTSMCの持つグローバルなエコシステムを利用したくて、フラッシュマイコン技術との交換を狙った提携にこぎつけたのである。ルネサスのマイコンのデザインイン国内比率は高い。何とかしてグローバル市場にも売りたい。しかし、外国の販路やデザインロジは苦手だ。そこでTSMCのエコシステムに目を付けた。TSMCのエコシステムを通じて海外売上比率を挙げたい、という思いがルネサスの狙いであった。この狙いを理解せずに、工場売却で資金を稼ぐというような憶測記事がまかり通った。

 

記者会見に出ても、ルネサスの経営破綻を待ち望むかのような悪意に満ちた質問が多い。8月はじめの決算発表記者会見でも、工場売却をどこと進めているのかという質問を一般紙や地方紙でさえも行っていた。ルネサスはようやく赤字から脱却できそうな所までこぎつけてきた。基幹システム導入により製品出荷を8日間停止したため、4~6月期(90)の売り上げは約1割低下した。予定通りの数字である。来年3月の2012年度は当然、リストラ費用を特別損失として計上するため営業黒字の見込みでも純損益は赤字になる。受注がじわじわ増えてきているため営業黒字は実現しそうである。予定通りの決算見込みを「ルネサスは赤字に」という見出しの新聞記事もあったが、これも悪意としか思えない。決算発表後、ルネサスの株価はむしろ上昇した。市場の方がルネサスを正しく理解しているようだ。

 

結局、技術を理解できない記者が書く記事は、何とか出し抜こうというジャーナリスト精神が歪んだ切り口の記事にたどりついているのではないだろうか。

 (2012/08/30)

B2Bメディアの興亡:紙からインターネット媒体へのシフトに見えるもの

(2012年8月 1日 18:32)

B2Bのエレクトロニクス、半導体をカバーしている雑誌が今や少なくなった。日本では、日経マイクロデバイスの休刊、Semiconductor International日本版の休刊、電子材料を発行していた工業調査会、セミコンダクタワールドを発行していたプレスジャーナルの倒産、といった出来事がこの1~2年でめまぐるしく起きた。この結果、エレクトロニクス関係の雑誌や新聞は、日経エレクトロニクス、電子ジャーナル、半導体産業新聞の三つしかなくなった。まるで半導体業界の再編を見ているかのような紙媒体の衰退が起きた。

代わって生き残りを図っているのが、インターネット媒体である。日経BP社はTech-On!にエレクトロニクスと半導体を含めており、日経マイクロデバイスという紙媒体からインターネット媒体へ移したようなコンテンツを構成している。EDN JapanEE Times Japanは紙媒体を止め、インターネット媒体へシフトした。マイナビニュースやセミコンポータル、WirelessWire Newは最初からインターネット媒体として生きている。

こういった動きは実は日本だけではない。米国のエレクトロニクス・半導体メディアも紙からインターネットへシフトしている。EDN JapanEE Times Japanの姉妹誌であるEDNEE Timesはインターネットが主体で、EE Timesの紙媒体は極めて薄くなっている。もう一つの競合誌であるElectronic Designも同様だ。

これに代わって、さまざまなインターネットサイトが登場している。紙媒体も持つChipdesign Magazineは雑誌とウェブサイトに加えて、エレクトロニクスをさらに細分化してまるで分科会のようなウェブサイトを三つ持つ。一つは「Low-Power Engineering」、もう一つは「Semiconductor Manufacturing & Design」、そして「System-Level Design」である。いずれも半導体の設計とシステム設計、半導体製造をカバーしている。

B2Bのウェブサイトのビジネスモデルもユニークになってきた。EE Times Japanを設立したのは、チップワンストップという電子部品のネット商社である。これまでメディアは業界から独立した出版社が発行してきた。編集の独立性を維持するためだ。チップワンストップがEETJを設立した時も編集の独立性は担保されたという。同様に、WirelessWire Newsはノキア・シーメンスが唯一のスポンサであるが、編集の独立性は担保されているという。ただ、EETJはこの後、インプレス、IT Mediaへと売られるという数奇な運命をたどる。

インターネットのメディアは興亡を繰り返し、まだビジネス的にしっかりと確立されたものではない。しかし、新しいビジネスモデル次第では、利益の出るネットビジネスが可能だと信じている。